ブンゲイブ・ケイオンガクブ

本を読まない文芸部員と楽器を練習しない軽音楽部員のような感じのブログ。適当な創作・レビュー等々。

“ローファイ”とは結局なんなんだ

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Lo-FiLow-FidelityLo-Fi music)とは、音楽レコーディングの際の録音状態、録音技巧の一つで、極端に高音質なものではない録音環境を志向する価値観。転じて、そうした要素を持った音楽自体を表す言葉。対義語はHi-Fi

             —Wikipedia『Lo-Fi』より

  なのだそうだ。

 なのだそうだけれども、どうしてだろう、ある程度インディロックに浸かってしまった私や貴方のような人間が、この定義をそのままそのものとして受け止めて首肯することが、果たしてできますでしょうか…。

 今回は、「ローファイ」なる、本来は音響学的な概念でしかなかったはずのこの単語が、なんだか成り行き等によってどんな意味を持ち合わせるようになってしまったかを整理して、そしてその結果どんな作品が「ローファイ」に含まれるようになってしまったか、まで書いてみようと思います。

 

大体こいつらのせい —Pavementというバンド

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 本稿のトップ写真にもした彼ら、アメリカのインディロックバンド*1にして、「インディロック」という単語が有効である限りこの語の定義のそこそこな部分を作り上げてしまったバンド、とも言えるだろうか。

 元々、「80年代の煌びやかなMTVサウンドに対するカウンター」として簡素なバンド形式での楽曲の演奏をする一群、出自がパンクだったりハードコアだったりのバンドがやがてカレッジチャート受けするポップさを得たことで、所謂“オルタナティブロック”なるジャンルで後にくくられる一群が現れて、その音はカウンター先であるHi-Fiなサウンドのアンチであるため、必然的に“Lo-Fiさ”をある程度有することになった。

 そんな90年代初頭頃に、Pavementというバンドも現れてしまった。彼らの出世作『Summer Babe』。


Pavement-Summer Babe (Winter Version) (1992) HD

そのドシャメシャなサウンドと、曲の流れや歌唱や演奏なんかのテキトー具合が謎に噛み合って、脱力感と爽快感を同時に産み出す、という離れ業だったという。この曲の勢いのままにリリースされた彼らの1stアルバム『Slanted and Enchanted』は、オルタナティブロックの中にある“ローファイ”という要素を絶妙に摘出し、言語化させてしまった。彼らは「ローファイ」というジャンルの代表選手になった。

 なってしまったばかりに、ここからがややこしくなる。彼らがその次にリリースしたアルバム『Crooked Rain,Crooked Rain』は、1stにあった雑味や投げやりさをある程度引き継ぎながらも、楽曲が一気にポップになり、より多くのファンを得ることとなり、彼らからこの2ndも「ローファイの大名盤」と称されるようになる。

 だがちょっと待ってほしい。このアルバム、結構音よくないすか?


Pavement - Gold Soundz (Official Video)

雑味がありながらもキラキラした響きのアルペジオやカッティング。ドラムの音も絶妙にいなたくて、下手するとThe Bandとかに連なるような「うたが歌いやすくなりそうな」ドラムじゃないか。ボーカルも、強引そうな歌い回しで誤摩化しているけど、メロディはとても奇麗で淀みない。

 そう、彼らは正直、この辺りで既に音的にはLo-Fiじゃなくなってる。まだ2ndは曲によりけりな部分が多少あるけども、3rdアルバム以降になると段々「テキトーに演奏してる感」を装ってる風にすらなってくる。終いにはラストアルバムはRadiohead等でお馴染みのナイジェル・ゴドリッジプロデュースの、音響的に美しいとさえ言える作品だ。

 しかしながら、どんなに実際の出音がどう考えても良い*2としても、それでも彼らには「ローファイ」って呼称したくなるような部分がある。フリーキーでノイジーなギターワーク、所々でとぼけた構成を見せる楽曲構成、スティーブン・マルクマスの端正に我が道を行き続けるボーカル…。

 もうお分かりだろう、彼らはローファイという概念を“演奏技法・作曲法”にスライドさせてしまった。つまりは「音がめっちゃ良くてもなんかジャンクにふざけた感じだったらそれはそれでローファイだよね」っていうことにしてしまった。だってこの人たち音源聴く限り演奏上手いもの…。

ふたつの“ローファイ”の混在

 Pavementがやってしまったことは、後のインディロック界にとても影響を与えることになった。

 まず大前提として「90年代オルタナの中で一番センス良く斜に構えてかついい曲作ってたのは彼らだよね」っていうところから派生する「ローファイ」という概念の伝説化。とても単純化すればつまり、インディロックの世界では「ローファイ」であることが最高にカッコいいことになってしまった。

 その上で、この「ローファイ」にはふたつの意味が同居してしまうことになった。ひとつが「音の良し悪し・きれい汚い」の意味のローファイ。いまひとつがPavementみたいにスリリングでクールにぶっきらぼうな演奏・歌唱及びソングライティングのスタイル」としてのローファイ

 あとはもう、しっちゃかめっちゃかだと思う。音質の方はまだ、カセットレコーダーで録った音、みたいな明らかにローファイと言える基準があると思う。けれども、スタイルとしてのローファイを加えてしまうと、基準はPavementを含む「かっこいいローファイ」とされた先人たちの様々なプレイスタイル等にまで基準が広がってしまう。つまるところ、“おもちゃ箱的であること”なら何でもかんでもローファイになってしまいそうな。ただそれはそれで定義のテキトーさがまたローファイっぽいとも言えそうでなんとも。

 別にこの記事は「これが本当のローファイなんだ」と結論づけるつもりはなく、ただ筆者のこの概念に関する所感を述べてるだけです。だけですが、このローファイという語の何でもあり化によって、インディロックは一時期、良くも悪くも、更に自由になったんだと思います。よく言えばどんなにゴミっぽくても音楽的にピン来るものがあればオーケー。悪く言えば、そもそもの意思の薄弱や技術度合いによるテキトーささえ「ローファイ」の名の下に免罪、どころかむしろ賞賛されるような*3。まさに「ローファイはアテュチュード」となった訳です、どこかのパンクとかいう概念と同じように。

 以下では、そんな百花繚乱と成り果ててしまったのかもしれない、ローファイというタグでくくられるような音楽を、筆者的な部分で何タイプかに系統づけてみようかと思います。勿論、どんな作品も複数の要素を持っていたりするもので*4、「これはこっちの括りでは…?」というのもあるかとは思いますが。あとチョイスはたいして深くないです…。

音質的ローファイの系統 ー宅録ライクさを中心に

 もともとの意味である「音質が悪い」ことを特に重視した作品群。「家でカセットレコーダーで録音」というのがこの系統の基本かと。そういうスタイルか、又はそんな風情にどれだけ近づけるかが要点になるけれども、天然か計算かも判別しづらいのかも…。

 

Earthbound

Earthbound

 

 いきなり反則気味なチョイスになるけども、「ローファイ=音質が悪い=カセットレコーダーで録音」ということであれば、このKing Crimsonの悪夢的なライブ盤さえもローファイレコードと言わざるを得なくなる。こんな超絶技巧のローファイがあるか!とも思うけれども、しかしローファイという概念は懐が深い…。

 

NIANDRA LADES AND USUALLY JUST A T-SHIRT [2LP] [Analog]

NIANDRA LADES AND USUALLY JUST A T-SHIRT [2LP] [Analog]

 

 この作品なんか、音の悪さと意識の低さを両立して、それでもなお世間で名盤として通っている。当時のジョンの精神状態がーとか、本来のアーティスティックな素質が図らずもーとか、そういうの言ってもらえるからセンスある人はすごいな。

 

SONIC DEAD KIDS

SONIC DEAD KIDS

 

 インタビューか何かでバンドリーダーの木下理樹が「Pavementの1stを目指した音にしたんだ」等のことを言っていますが、これはどっちかと言えば免罪符的なローファイ用法では…などと思ったりもするけどでも何曲かこの音だからこそ、という曲もあります。でもやはりこの次の作品以降の方が理想的なローファイさだと思います。

 

感傷的ローファイ ーセピア色な音世界に着目して

 元々Pavementにも結構センチメンタルな部分があると思うのですが、ローファイという手法を「昔の写真がセピア色に劣化するような」音にするために使ったと思われる作品群です。こうなってくるとかえって手が込んでる気がしますけど、「劣化した音=ローファイ」と考えるとこれもやはりローファイの1形態。要は「いなたい音」ということでは…とも思うけれども、もうちょっとくぐもってるのかな…。

 

インディゴ地平線

インディゴ地平線

 

 日本のスピッツというバンドもローファイをやっていたなんて…!1曲目のテキトーさはある意味Pavement的…というのは半ば冗談だけれど、今作のどこか霞んで、デフォルトで全体的に少し歪んだ感じの音作りは、前作『ハチミツ』がかなりHi-Fiな音であることを考えると、やはり明らかに意図的。『渚』のPVともども、ローファイという概念にノスタルジックさ・ロマンチックさを求めたということか。人気絶頂期にようやったなあと本当に思います。

 

MUGEN

MUGEN

 

 これとか制作行程が全然ローファイじゃない、サニーデイというバンドが曽我部恵一による地獄プロジェクト化した絶頂期の作品。徹底的に統一された世界観のトーン、それは音質もさることながら、楽曲の方向性や、演奏方法の幅、歌い方に至るまで徹底されている。そんな徹底した美学が、聴く人によっては「曲はいいのに音が悪い」とあっさりぶった切られたりするからこういう世界は業が深いなあと思う。

 

Schmilco

Schmilco

 

 Pavementって結構フォーキーなところもあったりして、その辺アメリカーナ的な、アメリカの大地を感じさせるような要素もあると思うんです。それで、Wilcoのこのクッソ地味な作品も、まあある意味で単にアコースティックにやってみただけ感もあるけれども、でもそれ以上に、このどこかしみったれたアメリカ感がするのは、明らかに手法的だと思う。声にやたらエフェクトかけてたりとか、“等身大のアメリカンロック”から距離を取る気満々な感じがして、彼らの何か意図が垣間見えるというか。

ゼロ年代USインディ的ローファイ ーガレージ+リバーブ

 ゼロ年代USインディで言われるところのローファイというのは、実はPavement由来じゃないものも結構あったような気がして、それはきっとこういう系統。The Strokes以降のガレージロック回帰をそのまま機材で強引にドリーミーにした感じと言うと身も蓋もないか。所詮PavementThe Strokes「より前」のバンドに過ぎないものね…などといじけてみるくらいには自分は90年代が好きなんだと思う。

 

Crazy for You

Crazy for You

 

 この定義そのものな音!っていうかこのアルバムを入れるために作った系統なのだけど。でも一時期こういう音ホントに流行りましたよね。でもこの系統では彼らが色んな意味で潔い感じがしますね。作品を重ねるにつれ段々ローファイじゃなくなっていくところとかも変なリアリティがあるというか。それにしてもいかにも演奏のインディな頼り無さげなドリームガレージ感の割にボーカル存在感ありまくるよなー。

 

I WILL BE (IMPORT)

I WILL BE (IMPORT)

 

 この人たちも典型的なサウンド。この路線、ぼーっと聴いてると当時のニューゲイザー勢のうちThe Raveonettesあたりともちょっと被るなあー、と思ったとき、あっゼロ年代式ローファイの元ネタはジザメリの『Phycocandy』なんだなぁーと遅い気付きを得たりしました。この辺のチャチなドリーミーさは当時聴いてた人たちのノスタルジーになったとき何かがすごそう。

 

Summertime!

Summertime!

 

 やはり典型的な(省略)。この人たち(?)は何気に未だに続けてる方がむしろ当時のこの線の細さからしたらとても意外な感じさえする。まあそれでも『Let's Go Surfing』聴くと「ああなつかし。。。」とか思ってしまうけど。

 

王道ローファイをアレする系 ーS.Mの祝福、或いは呪い?

 まずなんだ“王道ローファイ”って…王道なのにローファイなのか…。ここでは要は「音自体はローファイじゃなくなって以降のPavementっぽさ」がある作品、つまり「演奏・演出手法としてのローファイ」が目立つものを挙げようと思います。タイトルの割にそんなにS.Mに呪われてる感ないのばっかになったな…まあ手法からして、呪われて影響受けまくってると一気にダサくなりそうなところがあるけど。

  

Monomania

Monomania

 

 のっけからDeerhunter。DeerhunterはDeerhunterだろーって気もしますが、でもボーカルの時にフリーキーに振り切れる様や、意外と線の太いバンドサウンドにはどことなくPavementと同種のものがあるような気がする。Pavementって意外とサウンドの線が太いよなあ。その辺ゼロ年代のフォローワーっぽいバンドと違う気がするけども。というかDeerhunterってなんか、サイケデリックなのにどこかアメリカ的な風土の感じがサウンドから感じられて不思議。彼らもPavementも、そのうちアメリカーナとかいう、もっと何でもありなジャンルにタグ付けされてしまうのかもしれない(もうされてる?)。というかこの作品は音が悪い方のローファイでは…?

 

こおったゆめをとかすように

こおったゆめをとかすように

 

 ローファイであることの条件のひとつに「音を詰め込みすぎない」というのを加えるのを上で忘れてた気がする。いや音数めっちゃあってローファイというのもあるかもだけど、でもここでいう王道ローファイはPavementだから…。その点、昆虫キッズは色々なフリーキーさも含めて、今思うとなかなかにPavementなバンドだったかもしれない。楽曲のカラフルさと相反する翳ったトーンを持つ今作は、本当に自分がリアルタイムで聴けてなかったのが痛恨すぎる、彼らの『Wowee Zowee』であり、またはある意味で(本稿と関係ないけど)『Yankee Hotel Foxtrot』だったのかも。

 

すげーすげー

すげーすげー

 

 HiGEというバンド自体あらゆるUSオルタナパスティーシュ感あるバンドで、元々ツインドラムで、しかも片方が時々前に出て変なことをするスタイルは故意犯的にPavement意識と思われ。このアルバムはそんな当初のツインドラムではなくなってしまってからの作品だけど、バンド初期のムチャクチャさやユーモアを整理して取り戻した感覚は、このバンドが未だにそういうローファイさを大切にしてるからだと思う。デビュー15周年おめでとうございます。最新作はこれから聴きます。

 

 以上、ローファイに関するああでもないこうでもない、でした。

*1:最終的にメンバーがアメリカの東海岸と西海岸に居住するようになって、本当に「◯◯州出身の〜」とか言えずに「アメリカの〜」と言わざるを得なくなった感じがまた妙に彼ららしくてムカつくけどいいですね

*2:もちろん彼らの人気が「いい音」の概念に与えた影響というのも多大にあるのだと思うけれども

*3:困ったことに、そんなどう考えても意識そのものから雑なはずの作品の中に、たまに本当に良いものなどもあったりするから話が難しくなる

*4:そうなってしまうようにしか分類ができなかった、とも言えるか