ある日、グランドマスターフラッシュがラップトップ(ノートパソコン)でDJしていることに気づき、いつからラップトップを使用しているのか、なぜ使っているのか、もうアナログは使ってないのかなどを調べてみました。(本人の発言がどれも興味深く、引用だらけのエントリーになってしまった・・・)
グランドマスターフラッシュについて
紹介するまでもないですが、念のため。近年の紹介文が格好良いので引用します。
ジョセフ・サドラーことフラッシュは、始祖たるヒップホップの「聖なる三位一体」のひとり、つまり1970年代のニューヨークのブロンクスで、MCによるラップと、ターンテーブルによるレコードをミックスするアートを作った3人のDJのうちのひとりである。レコードを逆方向にスクラッチするというアナログLPへの大罪を犯し、フラッシュはわずか10秒のブレイクを10分間のビートに生まれ変え、数十億ドル産業となった音楽ジャンル発明の礎を築いた。
グランドマスターフラッシュといえば、上のインスタ画像のとおり、ターンテーブル前でのポージングの印象が強く、アナログレコードを使っていないことに違和感を感じる人も少なくないのでは。
いつからラップトップを使用しているのか?
『TRAKTOR SCRATCH』との出会い
2007年12月頃、グランドマスターフラッシュは、ドイツの楽器メーカーNative InstrumentsのDJ MIXソフトウェア『TRAKTOR SCRATCH』を採用することを発表します。
Grandmaster Flashは近年、新しく登場したデジタル・レコード技術を慎重に評価した結果、新しいパフォーマンスツールとして『TRAKTOR SCRATCH』を採用し、遂にアナログレコードからコンピュータベースのDJシステムに切り替えることを決めた。
Grandmaster Flash Switches to Traktor Scratch, Moves from Vinyl to Digital DJ System
そして翌2008年にはNative Instruments社とともに『TRAKTOR SCRATCH』の世界的なプロモーションキャンペーンを展開。このプロモーションでは、1982年のヒップホップドキュメンタリー『Wildstyle』に登場した台所のブースを再現したそうです。さらに米国内のクラブでのツアーも行っています。
2008年からということは、今年(2018年)で10年目なんですね。そんなに長く使っていたのか。
なぜ『TRAKTOR SCRATCH』を選んだのか?
なぜデジタルに変える必要があったんでしょうか。
機能的な面
『TRAKTOR SCRATCH』移行当時のインタビューから、機能的な面でメリットを感じたことが伺えます。
「『TRAKTOR SCRATCH』でパーティーをロックしているとき、自宅にいるような居心地の良さを感じるよ。インターフェイスは素晴らしいし、タイムコード・ヴァイナル(レコードの形をしたエミュレーター)の正確さが大好きだね。遅い摩擦、速い摩擦、カットやバックスピンをしているかどうかに関わらず、レスポンスは最高だ。
Grandmaster Flash Switches to Traktor Scratch, Moves from Vinyl to Digital DJ System
プロデューサー的な視点で言わせてもらうと、プロダクションルームでは、ディレイ、リバーブ、フランジャー、他のシグナルプロセッサーを搭載したマシンが置いてあるのが一般的だ。『TRAKTOR』を使えば、リバーブ、フランジャーを使用するのと同時に、他のエフェクトをカットすることも出来る。つまりPro ToolsとCubaseを外しても、プロダルションルームと同じようにホテルの部屋で『TRAKTOR』をインターフェースとして使用できるんだ。最高級の製品だよ。
GRANDMASTER FLASH BUILDS HIP-HOP'S <CITE>BRIDGE</CITE> TO FUTURE
メーカーとともにプロモーションを行っているので、機能面を訴求する発言が多い印象です。
現実的な面
それから8年後の2016年、グランドマスターフラッシュはNetflixのオリジナルドラマ『The Get Down』の共同プロデューサーを務めました。そのプロモーションも兼ねてか、2016年から2017年にかけて多くのインタビューを受けています。その中でもデジタルへ移行した理由を説明していました。つまりデジタルに移行して10年近くたった時点での言及です。
2017年のSBSWでのインタビューで、アナログからデジタルへの移行の理由について以下のように語っています。
昔はハードウェアで満杯の部屋があったんだ。 そして当時2つのことが起きていた。まず一つ目は、部屋がどんどん熱くなっていき、電気代が住宅ローン並みにかさんでいったことだ。二つ目は、ハードウェアがよく壊れたこと。だから、科学者である私は、90年代初めに多くのテクノロジー企業がベースモジュールのようなソフトウェアを作りだしたときは、涙が出るほど嬉しかったよ。そういったアプリ版を買って最終的にハードウェアは手放したね。
こちらも『The Get Down』公開中の時期に受けたインタビューです。
(デジタルへの移行は)科学者としては歓迎すべきことだったが、アナログレコード界の最後の発明家としては「やり方を変えたい」なんて思っていなかった。だけど今となってはデジタルへの移行は喜ばしいものになったよ。ハードドライブと呼ばれるこの小さな箱の中に10万(枚?曲?)のレコードを運ぶことができるからね。
つまり、30~40箱のレコードを別の国に持っていくためには10~15人を雇う必要があったんだ。もしかしたら今でもやれるかもしれないけど、プロモーター側は「ファック。そんなもの支払わないよ」って言うだろうね。だから変化しなければならなかったんだ。
ハードにこだわると暑いし電気代も凄いし壊れてしまう、とにかく金がかかると。10年前のプロモーション時には聞けない現実的な話も出てきました。SBSWのインタビューでは、アナログ・リバイバルについてやMac Book Proのトーンバー(Mac Book本体でスクラッチできる機能)についての見解なども語っていました。長くなるのでここでは割愛しますが、いずれの件に対しても寛容的で権威的な姿勢でないのが印象的でした。
数式『4BF =6CCR = Full Loop』について
こうしたデジタルへの移行のインタビューを読み解く中で、その経緯以上に興味深い話がありました。彼の大事な発明のひとつ『クイックミックス理論』のベースとなる『4BF =6CCR= Full Loop』という数式についてです。
『クイックミックス理論』とは
『クイックミックス理論』とは、大まかに言うと、2枚の同じレコードを用いてそれぞれの曲中の短いブレイクを繋ぎ続ける技術です。片方のレコードのブレイクが演奏される間にもう片方の頭出しをして、繋ぎ続けます・・・これ以上の詳しい説明は自分にはできないので、詳しくは丁寧でわかりやすいこちらの記事でどうぞ。
で、この『クイックミックス理論』は『4BF = 6CCR = Full Loop』という数式がベースになっているという話。
私は『4BF = 6CCR = Full Loop』という数式を考え出した。つまり(片方のレコードが)4小節進行するあいだに、(もう片方を)反時計回りに6回スピンすれば、ブレイクの先頭にたどり着けるというものだ。つまり、皆がレコードに手を出して何度も何度も何度も何度も繰り返しているDJは、私が71年に発明したこの科学によるものなんだ。
これまた『The Get Down』プロモーション関連らしき動画で、この理論を実践したシーンを見ることが出来ます。43分50秒あたりから。2小節=3回反時計回りから始めます。
本当だわ。すげえ…
この数式に対する、Hip Hopシーンで最も有名なエンジニアことヤンググールーのリアクション。痺れます。
4BF = 6CCRは文化全体の基礎理論だ。 アインシュタインはE = MC2という理論で科学を変えたが、エジソンがそれを証明しなければならなかった。しかしグランドマスターフラッシュは、彼自身が理論を作り出し、彼自身がそれを証明したのだ。 使えるものは使うべし。もし存在しない場合は創造すべし。これはエンジニアリングの本質であり、Hip Hopの本質でもある。この概念と発明が、新しい科学、新しい思考方法、新しい10億ドル産業を創造する時、"レジェンド"という言葉は不充分だ。 もはや天才的レベルの思考といえる。創造者にリスペクトを!!
追記(2018.10.08)
本ブログをご覧になったと思われる方が以下のようにツイッター上で言及されてました。
グランドマスターフラッシュの式
— Niga-Chang (@yuji_mumu) October 7, 2018
4BF = 6CCR = Full Loop
33回転として6周10.9秒
この時間に4小節 16拍鳴るとして
BPM 88の場合の計算
BPM 100の場合は
4BF=5.28CCR
正確には『4BF = 6CCR = Full Loop = BPM88』ということですかね。(自分で検証しておらずスミマセン)
上記の実践動画では、お母さんの服からスクラッチに最適な素材を探す中でフェルトのスリップマットを発明したことや、当時主流のレコード針だった楕円針だと溝に深く入り込むためスクラッチできず、円錐針を使わなければならなかったことなどを丁寧に解説していて大変面白かったです。
円錐針と楕円針について
まとめ
グランドマスターフラッシュがデジタルへ移行した時期やその理由を調査する中で、彼は「発明家」と「科学者」という2つの考え方を持っていることがわかりました。
そして「科学者」としての彼にとって、アナログ派・デジタル派という考え自体が無意味であり、そもそも彼がいなければその派閥すらなかったんだなという当たり前の事実を改めて認識できたっす。
冒頭に記載した「後方にレコードをスクラッチするという大罪を犯し(By committing a cardinal sin of vinyl LPs -- scratching records backward)」という紹介文のとおり、彼らがルールを破るところから始まった文化なわけだし、彼が創造した文化の中の「アナログからデジタルへの移行」なんて全く大した話ではなかったなと・・・。
一方で、一人称が"We"であるとはいえグランドマスターフラッシュの発言だけでなく、第三者の証言も知っておきたいなーとも思ったり。『ヒップホップ・ジェネレーション』読もう。
また『4BF = 6CCR』などのエピソードは(ウェブ上の情報を見る限り)『The Get Down』プロモーション時に初めて言及している印象で、グランドマスターフラッシュに近年こうした機会を与えたことも『The Get Down』のもうひとつの価値だったんではと思います。
実際にGoogle Trendを見ると、過去15年で最も「GrandMaster Flash」というワードが検索されたのが2016年の『Get Down』プロモ時であることがわかります。
最後に、グランドマスターフラッシュの公式チャンネルで公開されている2009年のアナログDJの模様で締めます。以下、DJ名の由来エピソードを踏まえて観るとまた味わい深いかも。
ブルース・リーは私のすべてだった。 彼の新しい映画が出てきたときはいつでも見に行った。彼は『グランドマスター(マーシャルアーツの敬称)』だった。
そして1972年の冬、私のパーティーに来たファンの一人が「あなたのターンテーブルの使い方ってグランドマスターみたいだね」と言って、ブルース・リーの動きをモノマネしてみせたんだ。それから私は「グランドマスターフラッシュ」と名乗るようになった。それまではただの「DJフラッシュ」だったが「グランドマスターフラッシュ」になったんだ。
Grandmaster Flash on ‘The Get Down’ and how he used science to pioneer DJ techniques
後ろに掲げられた漢字で「無敵」と書かれた旗が気になります。ブルース・リー的でもあり、エクスタシー・サミット的でもあるな。
このブログの著者について
beipana (@beipana)
コンポーザー、DJ、スティール・ギター・プレイヤー。2015年8月にデビュー7インチ『7th voyage』をJETSETよりリリース。同年11月に発売した、Nicole(My Little Airport)、VIDEOTAPEMUSIC、荒内佑(cero)などが参加したデビューアルバム『Lost in Pacific』は、英国ウェブメディア『FACT』にてライターが選ぶ2016年ベスト盤にも選出された。