さっき途中であげちゃって消したので書き直した。だから文章違ってると思うけど言いたいことは同じ。
BL界の片隅で生息してる。好きな作家がいて、あんなふうに書きたいと思った。
最近ちょっと放置しといたら自分らの存在も抹殺されそうな気配がするので書いておく。
BL研究の偉い人が「周りに配慮することは作品の質に役立つ」みたいなとんでもない発言があってこれは黙ってたらまずいと思った。
そもそも、クリエーターの作品を描きたい、作りたいという強い動機がどんなものか全くわかってない。
BL作家だって ある一定の人たちが毛嫌いする男のオタク絵師と何にも変わらない。
どこまでいっても自分の欲望なんだよ。自分が描きたいと思うものを自分が納得いくレベルで描きたい。だからみんな日夜ゴリゴリ書いては消すを繰り返す。
自分の欲求に忠実でありたい。だから自分が納得できるまで、もっと綺麗に見えるように、もっとかっこよく見えるように、もっとエロく見えるように必死で腕を磨く。
もちろん、エロいことだけを書きたいわけじゃない。切ない瞬間を描きたい、一番美しいストーリーを書きたいという欲求はもちろんある。だけどエロいものを書きたいという欲求と同じで優劣はない。何を書きたいかという欲求は等しく書き手のモチベーションだから。
たとえ自分が丹精込めて書いたものが評価されなくても自分が生み出したものは自分の子供みたいにどれも愛しい。
それが私が描く動機だし、程度の差こそあれ、作家なら似たような気持ちのはずだと思う。
だから
これは子供に読ませたくないから隠せ みたいな論調に嫌気がさす。
子供が隠れてこそこそ読みたくなるようなものを書きたいんだよ!
女の子たちがこっそりクローゼットの中に隠してとっておきたくなるようなエロいものを書きたいんだよ!
ただそれをどう評価されるかは評価する人に任せるしかないのは当然なことで。
そこそこ活躍するようになった作家でさえ、突然ぽっと現れた編集者の一言で連載中止になったり、ストーリーをかえろと言われたりする。
そういう理不尽な目にあって涙をのむ作家や、そもそも人に見てもらえるスタートにすら立てない作家はわんさかいる。
だけど、どんな目に遭っても自分の好きなものを好きなように書きたいという欲求がそれを支えてる。
だれかのために、社会のために書いてるんじゃない。自分自身のために書いてる。
そして一人ひとりの表現することの欲求を守ってくれてるのが表現の自由だと思ってる。
価値観は一つじゃないし、綺麗なもの、醜いもの、性的かどうかの感性も一つじゃない。
それをなんかどこかに社会のみんなが合意できる基準があるかのような考えは個人の自由すら否定してる気がする。
うまく説明できてないと思うけど、こういう最近の動きを見てて、自分の好きなものを書く自由すら否定される世の中になりつつある気がしたので言いたかった。
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その配慮の根拠がなくてただのお気持ちじゃねーかボケ とも作家本人含めて何度も言われてるけどフェミは見ないふりしてるよな
今は萌えが標的になってるけど LGBTの運動が進んだら絶対BLの表現問題になってくるよな ゲイのイメージを曲げて理想化して押し付けてるって意味では萌えキャラで言うところの性的消費...
だからBLだって例外じゃないし、もっと言うならBLに限らずゲイ向けの(ノンケという設定の人物が出てくるような)作品も同じなわけよ そこで批判が止まるのであればただの女かわいさ...