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尻好き勇者と町娘

作者:夕葉

この町に勇者が来るらしい。

 それを聞いたのは、母からお使いを頼まれ買い物をしていた時だっただろうか、友人とお茶をした時だっただろうか。

詳しくはよく覚えていないけれど、とにかく勇者が来るらしい。

 勇者といえば、何千何万という人間の中から聖剣に選ばれた人間である。

噂によれば勇者はつやつやした黒い御髪の美丈夫で、莫大な魔力を持っているんだと。

 この世界を魔王から救うたった一人の希望。しかもイケメンとくれば世の女たちが放っておくわけがない。

あわよくば妻に、彼女に、一夜のお供でもなりたいという女性は多い。

王都から遠く離れたこの町でも勇者が町に来るとわかった日には女たちは色めき立ち、チークやマスカラを始め乳液、化粧水、コットンに至るまで化粧品はすべて完売。服屋も女性たちで大混雑。

 私の家は農家で、しかもこの時期は小麦の収穫と被っていた。

ひたすら鎌で小麦を刈るのは重労働であるのと同時に日焼けが凄くなる。

運の悪いことに小麦狩り一日目にして、つば広の麦わら帽子に付けていた首の日焼けを防ぐ布が破れてしまった。布を買いだめしてなかったこともあり服屋で布を貰おうとしたとき女性がごった返しているのを見て「え、なにこれ何でみんな服買ってるの?」と唖然としたものだ。

その後顔見知りの花屋のおかみさんが苦笑しながら子供服を作った時に出た切れ端をもらって事なきをえたのだが、あれは凄かった…。

綺麗な女性たちがたむろする服屋の前に口をぽかんと開けて立つ農作業服の女はシュールだったことだろう…。

思わず遠い目になってしまった。

 話しがものすごくそれてしまったので話しを戻すと、どうやら雇われ先である宿屋に勇者たちが一泊するらしいのだ。(あ、農業は家業であり、私は9人兄弟の4番目で、一番上の兄が家業を継ぐことになったので私はただの手伝い要因だ。だからお金を稼ぐため宿屋で雇ってもらっている)

 勇者、しかもイケメンが勤め先の宿屋に泊るなんてテンションが上がらないわけがない!私も年頃の娘だ。イケメン大好き。見目が麗しい男性は近づけなくとも目の保養になる。

かといって、実際に付き合いたいのは程々の顔で少し余裕がある稼ぎをする男性がいい。

農耕地が近いこの町じゃ望みは薄いが、出来れば農業で稼いでない男がいい。

…無理ですね、分かります。母が私の嫁ぎ先を探しているのを見てしまった時から結婚相手については諦めている。

 結婚相手くらい自分で決めたかったなあ…。


 兄弟たちを起こし、朝食洗濯等家事を済ませて宿屋へと急ぐ。

 今日は勇者様御一行が泊りに来る記念すべき日だ。町の雰囲気もどことなくそわそわしている。

八百屋のお姉さんはいつもより華やかな格好だし、いつもは見ない女性たちがよそいきの恰好で固まって話しあっている。噴水広場では勇者たちを歓迎するためのパーティー会場の準備が進んでいた。

おお、はげ、間違った、町長もいる!滅多に見ないのに!相変わらず頭のてっぺんが朝日を受けて光っている。小太りな体にスーツ、蝶ネクタイという格好だったのだが、スーツが少し小さいのかぱつんぱつんで面白かった。ボタンが弾け飛びそう。

 噴水広場を抜け、町長の家へと続く大通りに勤め先の宿屋はある。

この町唯一の宿屋なので、結構立派な建物だ。三階建ての大きな洋館。部屋数はvipも含めて35部屋。

1階2階はシングル・ツイン・ダブルの部屋中心、3階にvipルームが存在する。

今までほとんど使われてこなかったvipルームが使われるとあって、女将さんが私たちに掃除を命じ、二日間ひたすら掃除をした結果新築かってくらいどこもかしこも綺麗になった。

壁紙を張り替えたくらいだからな、女将の気合の入れようは凄い。


 宿屋に入り、従業員を集めた女将はまず掃除を命じた。

その後は各自任された仕事をこなす。

私は風呂場・お手洗いの掃除・2階の担当。風呂は朝風呂を使うお客様のために沸かしており、湯は昼ごろと深夜に一旦抜いて掃除、また湯を入れる。

2階の担当といっても、飲み物の依頼やシーツの交換などしかすることがないのでぶっちゃけやることを全て終わらせると暇だ。

 …暇だ。

 勇者たちが来るのは昼の予定だし、まだ何時間も空いてしまう。

どうしよう、と思っているとき、調理場担当の料理人が「フェキの芽が足りない」と言ってきたので実家から持ってくることにした。

八百屋に卸しているのはうちの畑で出来たフェキの芽だから問題ないだろう。

 忙しそうに動き回る女将に外出することを伝えれば、早く持ってくるように、と言われた。

どうやらフェキの芽は今晩の晩餐会に出されるらしい。

ま、まじか!うちの野菜が勇者様の口に入るのか…!と、よくわからない感動が込み上げてきた。


「よっし、行くか!」


 宿屋のエプロンをつけたまま外に出れば、噴水広場には既に人が集まっていて通れそうになかった。

遠回りになるが、裏道を抜けたほうが良いだろう。

 うちの畑につき、そこにいた兄にフェキの芽を採る許可をもらい、芽の数だけ代金を払う約束をした。

そりゃ身内とはいえ商売ですから!家族で食べるなら料金はいらないが、店で使うなら別。

10本あればいっか、と10本分の代金を払って早速フェキの芽の畑へ行く。


 フェキという野菜は茎が20センチくらいまで育つ植物だ。

枝分かれした枝には青々とした丸い葉が沢山ついている。葉の根元にちょこんとついているのがフェキの芽。うす黄色であるが先に向かうに連れてピンクに色づいている。茎や葉などすべて食べられるが、茹でないと食べれない。なぜならものすっっっごく酸っぱい!

幼いころ兄に食べさせられて吐いてしまったほど酸っぱい!ゆでると酸っぱさが抜け、おひたしにしたら美味しくなるのだがゆで汁はすごいことになる。うう、思い出したくない。

 フェキの畑で芽を摘む。ぷちりぷちりと芽をもいで籠に入れていく。

ひいいい、摘んだ断面から黄色い汁が!汁が!!手に付かないようにしていたが、ついてしまうもので。あの酸っぱさを思い出してしまい口内に唾が溜まる。

 ううう、と必死に唾を飲み込みながら摘んでいると不意にお尻に違和感を感じた。

お尻に何かが当たった感触。後ろにある野菜の葉でも当たったのかな、と特に気にすることなく摘んでいれば明らかに平べったくて温かいものがお尻を往復した。


「(え、…!?)」


 びしりと体が固まった。え、なにこれ。

10歳くらいの弟がふざけてお尻を触ってきたときの感触に似ている。

私が動かなくなったせいで余計な物音がしなくなり、背後の音がよく聞こえた。


「ハア、ハア…」


 男性の低いあえぎ声が聞こえてくる。

うそ、だろ…?もしかして私、畑のど真ん中でお尻撫でられてる!?痴漢されてる!?ううう、うそだそんなわけない、そんな訳ない!と後ろを振り返れば、頭から足まですっぽりとローブを被った男性が息を荒くして私のお尻を撫でまわしていた。


「ッ!!?? うわあああああ!!??」


 今まで出たことないほどの大声と奇声が出た。

一瞬でパニック状態に(おちい)り、フェキの芽の入った籠が宙に舞う。

ハアハアしていた男性が呆気にとられたようにそれを見ている間、咄嗟に近くにあったフェキの葉をむしり取り、男性の口に突っ込んでいた。


「ん゛んんんーー!!??」


 男性が叫ぶ。

私は襲いかかられまいと火事場の馬鹿力とやらを発揮し、男性を(うね)(うね)の間に押し倒した!胴の上に馬乗りになって必死に男性を押さえつけた。

葉を吐き出そうとするのを防ぐために男性の口を手で塞ぎ、私は泣きながら近くの葉を毟りまた男性の口に突っ込んだ。

この際畑がどうなろうと構わん!!正当防衛!!と混乱しきった頭で考えていると男性が力尽きたように暴れなくなった。

し、白眼むいてる…!そこでハッと我に帰る。

白眼むいて気絶した男性の上に馬乗りになっているのを自覚したとたん叫んで男性の上から飛びのいた。

 こ、こ、ころしちゃった…!?犯罪者になるのは嫌だ、脈でも確かめたいけど触れたくない。

青ざめた顔でつん、と足をつつく。

 …反応なし。やばい。フェキって人を殺す力があったのか…。

 色んな意味で死んだ、と意識が遠くなる。


「シアン!シアン、どこなの!?」


「シアーン!?」


 畑の向こう側から誰かを呼ぶ声がする。バッと振り向けば、魔導士の恰好をしたエルフの女の子とガタイの良い男性がこちらに駆けてくる。

 どうしよう!と悩む間もなく二人はぐちゃぐちゃに涙を流し真っ青な私と、フェキの葉を口に突っ込まれ白眼をむいて倒れている男性を見て絶句した。


「ち、ち、違うんですこの人、お尻、あの、せっ、正当防衛ですぅううう!すみませんんん!」


 引きつった二人の顔を見て、思わずそう叫んで土下座した。

スライディング土下座である。畑の真ん中でスライディングは痛い!でも顔は上げられない。

涙をぼろぼろこぼし、しゃくりあげていると二人はため息をついた。


「またやらかしたのね!何回目かしら!自業自得よ。回復術かけなくてもいいわよね?ねえ良いわよね??」


「はあ…回復術くらいかけてやれよ。一応コイツは勇者だぞ」


「だって!懲りないこいつが悪いのよ!!この子は自分の身を守っただけよ。大丈夫?怖かったでしょう?」


 あ、あれえ…?綺麗な白銀の毛髪と青い目のエルフさんに抱き起こされる。

涙でうるんだ視界に気絶した男性と彼の口から葉っぱを取り出すガタイの良い男性が見えた。

 て、ていうか、なんだか、聞き逃すことのできない単語が先ほどの会話の中に紛れ込んでいたのですが…。

 脂汗が全身から大量に出てくるのがわかる。

 震える声で恐る恐る尋ねた。


「勇者、って…?」


「あら、知らなかったの?そこの尻変態、認めたくないけど一応勇者よ」


「えっ? ええええええ!?」


 勇者様を押し倒して白眼むかせて気絶させちゃったの!?

う、嘘…私なんかの力で倒せるわけない!だって勇者だぞ!?魔王を倒す勇者!私なんかに倒されてたら魔王に勝てる訳ない!

 ガタイのいい男性が変態改め勇者さんの口から葉や芽を取り除いたらしい。

エルフさんを呼んだ。エルフさんが回復魔法をかけている。


「大丈夫、あなたに罪はないわ。罰せられることはない。寧ろ、後でこいつに一発ぶちかましてやりなさい」


エルフさんが慰めてくれるけれど、素直に慰められていいのだろうか…?

いや、良くないはず。

だって相手は変態だけど勇者様だから。世界を救う勇者様、だから……変態だけど…。


とりあえず回復したらしい勇者を男性が抱き上げた。

どうやらこのまま町に向かうらしい。

私はどうするべきか、とおろおろしていたらエルフさんに手招きされた。


「あなたも来なさい」


「は、はぃい…」


どこへなりとも参ります…。

このままパレードには出られないので先に宿屋に行くらしい。

町長さん…みんなごめん。

回り道になるが彼らを宿屋まで案内した。

夜に宿屋にくる手筈だったのにいきなり来るもんだから女将たちは大層驚き、しかしその表情をすぐに微笑みに変えた。

時折私をみてくる視線が怖い。


「すまない、不測の事態ゆえ先に宿で休ませてもらうことにした。部屋は空いているか?」


「ええもちろん。遠路はるばるようこそおいでくださいました。私ども一同心を込めてお世話させて頂きます。こちらへどうぞ。

…カナタ、勇者様御一行のご案内ご苦労様です。こちらへいらっしゃい」



「カナタちゃんには、少し話がありますのでお借りしても?案内もこの子にさせるわ」


「ですが…はい。カナタ、頼んだわよ」


「は、はい」


女将の目が怖すぎる。ヘマしたらどうなるかわかってんだろうなァ?の目だ。

ヘマどころか勇者を気絶させちゃいました…。これ知られたらクビだ、確実に…。

背中どころか体中から冷や汗が出るのを感じた。


3階のvipルームにお通しすると勇者と男性は一室に、エルフさんと私はもう一室に分けられた。

滑らかな茶色い皮張りのソファに腰かけるとエルフさんが私を呼んだ。壁際から離れ、近づくとソファに座るように言われる。

遠慮して(畏れ多くて)座れません、と言おうとしたがエルフさんが怖い目で見てきたので直ぐに座った。

私はまだ死にたくない。


「さて、まずはうちの変態がごめんなさいね」


「こちらこそ気絶させてしまい申し訳ありません…どんな処分も甘んじて受けます」


「いらないわよそんなの!罰を受けさせるのは勇者の方よ!毎回毎回女の尻触って!」


「お尻が好きなお方なんですか?」


「異常なほどね。呆れる性癖よ。理想の尻の形、弾力、さわり心地とかあるみたいで、各地を巡るたびに探し回って尻を触ってるのよ。あ、もちろん魔物を倒しながらね。こんなんだけど一応勇者だし」


ああ…、私の中にあったかっこいい勇者の像がガラガラと崩れ落ちていく…。

勇者さんがお尻好きで、理想のお尻を探し愛でるために各地を回っているだなんて皆さん信じられますか。

今までの歴史の中で尻を求め旅をする勇者なんて一人もいないだろう!

改めて唖然とし、口を開けたまま固まってしまう。


「この国の人たちはみんな、勇者が超イケメンで凄い力を持っていて、爽やかで優しいと思っているわ。

だから、尻好きっていうことが知れたらすこーしイメージダウンしちゃうのよ。

カナタちゃん、このこと黙っててくれるかしら」


エルフさんが眉を下げ、困ったように言うがその裏に「口外したらどうなるか分かってんだろうなぁ」という声が聞こえたような気がした。

ぶるりと震え、「もちろんです!」と言えばエルフさんは満足そうな笑みを浮かべた。

他の人に言うつもりなんてありませんとも!小娘一人が勇者は尻が好きな変態なんです!と叫んだところで信じてくれる人はいないだろうし、なによりエルフさんの言葉が怖い。怖すぎる。

びくびくしていると、エルフさんが退出していいと言ってくれたのでその日は帰ることにした。

ああ、なんだか色んな事がありすぎて疲れてしまった。女将さんも疲れ切った顔で出てきた私を問い詰めることはなく家に帰してくれた。たぶん、慣れない上客の世話に疲弊しているように見えたんだろう。

家に帰りご飯を食べ、布団に入れば吸い込まれるように眠りに落ちた。






次の日。習慣で朝日が昇るとともに起きてしまった。

リビングに行けば農作業姿の父と祖父、祖母、兄たちがいて今から作物の収穫と販売、水やりにいくらしい。

今日の私の仕事は午前中は農作物の水やり、午後からは宿屋なので、牛乳を飲み麦パンを食べると着替えて外に出た。

井戸から桶に水を汲んで水をやれば飛沫が朝日に反射しキラキラ輝く。

水をまきながら思ったのが、昨日の勇者様御一行のことだ。彼らはこれからどうするんだろう。

やはり魔王を倒しにまた旅に出るんだろうが、その前に謝りに行きたい。まだ勇者さんに非礼を詫びていないから。

畑に水をやりだして三十分ほど過ぎた時だろうか。汲んでいた水がなくなったので井戸に戻っていると整備された道の方に人影が見えた。

頭から足まですっぽりとローブをかぶった長身の人。ローブ越しでも分かるがっちりとした体型からおそらく男性だろうと推測はついた。

そのローブ姿に見覚えがありすぎて青ざめた。


ゆ、ゆ、勇者だ!!


まだ謝るための心の準備も、言葉も用意できていないのに!

カラン、と手から桶が滑り落ち音を立てる。その音に反応したのか、ローブの男が顔を上げた。

綺麗なトパーズ色の瞳と目が合い体が固まった。まさか目が合うなんて思ってなかった!

勇者が私を見止めるとわずかに口角を上げこちらへ向かってくる。

え!?来るの!?でもいいタイミングだし謝るチャンスだ。でも心の準備が!!

焦っているといつの間にか勇者は畑に入り、(うね)の間を歩いてきて私の前に立っていた。


「昨日はどうも」


怒ってる!完全に怒ってるよ勇者様…!

声色は優しいけれど、怒りに染めているであろう顔を直視できずに彼の靴を見つめる。

そりゃそうだ、例え尻を触ったとしてもいきなり小娘に口にフェキの葉を突っ込まれ、白目を剥いてしまっただなんて屈辱以外の何物でもないだろう。

人類を脅かす魔王を倒せる存在に無礼を働いたんだ、一発殴らせろと言われても受け入れるしかない。

…痛いの嫌だけどしょうがないだろう。


「昨日はごめんね」


「えっ?」


てっきり罵声か皮肉でも言われると思っていたのに、いきなり謝罪されて呆けた声が出てしまった。

顔を上げれば眉を下げ、申し訳なさそうな顔の勇者がいた。


「俺の仲間のエルフの女性に聞いたから分かると思うけれど、君の尻がその、俺の思い描いていた理想の尻と同じだったから暴走しちゃって…本当にごめん!」


勇者がバッと頭を下げる。

きっちり90度直角に頭を下げられた。これほど綺麗な直角でお辞儀する人初めて見た…。

…いやいや、のんきにこんなこと考えている場合じゃない!


「大丈夫です、大丈夫ですから頭を上げてください!」


「でも、」


「事情は分かりましたし!そ、そりゃあいきなり触られて驚きましたけど、私も反撃しちゃいましたからお互い様ですよ!」


ねっ、と励ますように言うと勇者はやっと顔を上げてくれた。

私の言葉に心底ほっとした顔である。あんな大胆なことを初対面でしでかす人だから、もっとグイグイくるオラオラ系だと思っていたけれど案外いい人かもしれない。


「こちらこそ乱暴なことをしてしまいすみませんでした」


「大丈夫だよ。もうすっかり元気だしね。いきなり葉を口の中に突っ込まれた時は死ぬかと思ったけど…。あんなに酸っぱいのは初めてだ。あの植物はなに?」


「フェキという植物です。加熱調理するまで酸っぱいのが抜けない植物でして…」


「へえ、そんな植物があるんだ」


いま勇者さまと一緒にいるこの畑は赤い実がつく植物が植えられている。

そういえば桶を落としたままだった、としゃがんで桶を拾えば、昨日感じたのと同じ視線が私の体に注がれていた。

詳しく言うと、尻。

あのときのように顔を上げればやはり勇者様が私の尻をガン見していらした。

瞳孔開ききってるし、瞬き1つしていないのが怖い。…怖すぎる!


「あ、あの」


「…ああ、ごめん」


恐ろしくなり声をかけると、我に返ったかのように勇者は苦笑した。

私の尻はそんなに勇者の好みに当てはまっているのだろうか。他の人とそんなに変わらないと思うのだけれど…。

宿屋で働いている同期の子の方がむっちりしてて、お尻も胸も大きくて男性にとって魅力的だと思うのだけれども。実際その子めちゃくちゃモテる。


「…私のお尻のどこが好きなんだろ」


思ったことがぽろりと口からこぼれた。

小さな独り言のつもりだったのに、勇者には聞こえたらしく「決まってるだろ!」と大きな声で言うと私の手を握る。

いきなり手を掴まれ、ひいっと情けない悲鳴が飛び出た。


「まずその形!スカート越しでも分かる丸み。

押し上げられたスカートのシルエットといい、俺の手に余るくらいの大きさなのもいい!

大きな尻は安産型だというけれど君はまさにそれだね。

昨日触った時も思ったんだが、柔らかくけれど弾力もある。その柔らかさと弾力のバランスがまさに完璧でほれぼれするよ!」


まさにマシンガントーク。

恋する乙女のように頬をピンクに染め、目はいきいきと輝いている。興奮しきっているようで、息遣いがはあはあと忙しない。

爽やかな好青年から尻好き変態勇者への変化が一瞬すぎて戸惑う間もなく数秒間静止してしまった。

荒い息遣いと握られた手が勇者の汗でぬれていることに気付いた時、我に返って声にならない悲鳴を上げた。

手を離してもらおうとしてもがっしり掴まれているのでできないし、なにより息遣いが空気から伝わってきそうで嫌だ!

自分のお尻をまじまじと見る機会はそうないことだから気にしていなかったが、私ってお尻大きいの!?ていうか大きいって!お尻が大きいとか、安産型ってなに!?完全なるセクハラである。


「ああ、君の大きくて弾力があるお尻を触りたい…」


「いっ、イヤですぅうううう!!!何言い出すんですか!」


「俺こそイヤだ!俺は君のお尻に一目ぼれしたんだ!」


お尻に一目ぼれとかイヤすぎる!!

告白されたのは初めてなのに、初めての告白が私の尻に対してとかどういうこと。まったく嬉しくないし、この状況どうすればいいの!

私が大人しく尻を触らせないので勇者はしびれを切らし、じりじりと迫ってくる。手を握られているので逃げようにも逃げられない!

手と手を片方が一方的に握って綱引きのようになってしまった。もちろん腕は痛いし、男の勇者に勝てる訳もない。

人生でこんなにも(尻の)貞操の危機を感じたのはこれが初めてだ。最大級に焦りつつ、必死に打開策を考える。苦し紛れの策だがやるしかない。


「ちょっ、勇者さん!待って、待ってってば!」


「イヤだって言ってるだろ!」


「あの…ほんとに、手が痛いんです…っ」


これは事実で、これ以上引っ張られたら腕が抜けそう。涙声を出すと自然と涙が滲んできた。

今にも泣きそうな顔に勇者は一瞬力を緩めた瞬間、私は彼の手を振り払って一目散に走り出した。

勇者は呆然と走り去る私を見ていたがすぐに追いかけてきた。

捕まったら!捕まったら私の尻の貞操が!!尻を撫でられるぞわりとした感覚を思い出し必死に走る。

後ろからも走る音が聞こえてきて恐怖の鬼ごっこみたいだと思った。

息ができない、酸素がうまく吸えなくて苦しい…!酸欠で頭がくらくらしてきたその時、丁度いいタイミングでエルフさんと戦士さんがこちらに向かっているのが見えた。勇者の名前を呼んでいるので彼を探しに来たのだろう。

勇者に追いかけられているのを見て事態をなんとなく把握したのか、二人がこちらに走ってきて、エルフさんに抱きしめられたことで事なきを得た。


「大丈夫!?」


息を吸うことに必死で返事ができない。何度も頷くと、エルフさんは無言で疲労回復効果のある魔法を私にかけると追いついてきた勇者を睨んだ。

私と同じ距離を走ってきたのに勇者は少しも息を乱してない…化けものか!


「あんた、本当に反省してないわね!!!昨日この子がどれだけ怖かったか知らないでしょう!!」


「反省はしている!だがこの子のお尻が俺を引きつけて仕方ないんだ!」


「なに訳の分かんないこと言ってんのよ変態!!」


口論を始めた勇者とエルフさんの会話はどんどんヒートアップしていく。

戦士さんの方に少しだけ身を寄せると、戦士さんが私に飲み水をくれた。喉が渇いていたので頭を下げてからありがたく頂く。戦士さんはいかつい顔をしているのに今はお兄さんみたいに見えた。勇者が変態なだけにエルフさんと戦士さんがまともに見えて仕方ない。

口論が始まり何分経っただろうか。10分以上たっている気がする。終わりの見えない口論に、戦士さんがため息を吐いて私の方を向いた。

え、私?エルフさんと勇者の口論を仲裁をするんじゃなくて?


「このままでは勇者は君の尻を触るまで動かず、魔王を倒す旅ができなくなってしまう」


「はい…」


「君には悪いんだが、勇者に約束をしてくれないか?」


「へっ?な、何をですか?」


嫌な予感しかしない。


「無事に魔王を倒した暁には、君の尻を触らせてやると」


「ええええ!?無理です!!」


「頼む!君の尻が世界を救うと思って」


「私の尻が世界を救うとかイヤすぎる!」


でもこのままだと勇者は動かない。こうしている間にも魔王は少しづつ世界を我がものにしようと侵攻しているだろう。魔王の手下の魔物と戦っている人だっているはずだ。

変態な勇者だとしても、彼の救いを祈っている人も沢山いるはず。

そんな人たちの願いや祈りを私の尻ごときで妨げてはいけないのは分かる。分かっているけど…!

数分後、覚悟を決めた。世界が私の尻程度で救われるなら安いものだ、とポティシブに考えることにした。世界に平和が訪れるのと同時に私の大切な何かはなくなるだろうけれど…。


「…分かりました」


戦士さんが数秒示唆した後に頷く。戦士さんが彼らに声をかけるとエルフさんと勇者が私たちの方を見た。


「ゆ、勇者さん、あの、魔王を見事倒すことができたら私のお尻触らせてあげます」


この発言痴女みたいで嫌だ…。死んだ目で言う私とは対照的に勇者は目を輝かせた。エルフさんが絶句する。


「本当か!!」


「ちょっ、いいの!?貴方あんなに嫌がってたじゃない…」


「私のせいで勇者様の旅が妨げられるくらいならこれくらい…。本当は嫌ですけど…。でも、一回だけですよ!お尻触るの一回だけですからね!」


「一回は少ないだろ、せめて3回」


「この条件は変えられません!」


勇者はしぶしぶ私の条件を飲み、納得がいかない様子のエルフさん、戦士さんと共に町を上げての歓迎パーティが終わると同時に旅立っていった。

てなわけで私の貞操は勇者が魔王を倒すまで守られることとなったのだが、一か月もたたないうちに魔王は勇者によって倒されたと伝令が届いた時の衝撃は言い表せないものだった。

私の尻以上に好みの尻が見つかっていない限り、勇者はここに訪れるだろう。

その日が憂鬱すぎてたまらない。勇者が撫で回すのにどうにか耐えてくれ、私のお尻よ。

はあ、とため息を吐き、勇者が訪れるのが少しでも遅くなるようにと祈った。



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