【日本のインフラ】 平野 啓一郎さん
◆五輪よりも先の展望を
五輪の開催のために、サマータイムを導入するという政府の案は、囂囂(ごうごう)たる批判に曝(さら)されて撤回された。この問題については、健康への悪影響は固(もと)より、システム改修が絶対に間に合わないと、IT専門家らが強く反対していたが、皮肉なことに、折しもヨーロッパでは、長年続いたサマータイムの弊害が問題視され、EUの意見公募でも圧倒的多数の反対意見が寄せられて、ついに廃止が決定された。
五輪を、いずれすべき諸々(もろもろ)のための、前倒しの「〆切」として利用するという発想はまだ良い。しかし、時間、労力、金銭的なコストの点で、短期的なプロジェクトと中長期的なプロジェクトとがバッティングしてしまうことは、私たちが日常的に経験している事態である。政治において最悪なのは、「任期」と「人気」のことばかりを考える政府が、目先の成果を優先して、見当違いな「選択と集中」にのめり込むことである。
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今年の夏の猛暑は異様で、長らく抽象的に語られてきた地球の温暖化が、俄(にわか)に体感的に危機として受け止められるようになったが、その際に議論すべきは、その現実を踏まえて、2020年代以降の日本のインフラをどのように整備していくかということのはずである。たかだか2週間のお祭りに過ぎない五輪のマラソンをどうすべきか、などということに、国民的な議論を費やしている場合ではない。五輪は、そうした未来への展望を遮蔽(しゃへい)さえしている。
猛暑ばかりではない。この数カ月以内に私たちが経験した豪雨、地震、台風は、日本列島の東から西まで、甚大な被害を及ぼした。10年代の私たちは、3・11の経験から、自然災害というと、南海トラフ地震や首都直下型地震といった、次なる壊滅的な災害のことを考えがちだったが、それほどまででなくとも、都市機能の停止が余儀なくされ、多くの被災者を出し、復興に数カ月以上も費やす災害が、この夏のような頻度で次々と襲って来るならば、国の体力はボディーブローを受けているように、じわじわと奪われていってしまう。台風21号の高波で、コンテナが海に流出した大阪港の映像が報じられたが、このリスクを前提とした都市空間の再整備を全国で行うとなると、どのような規模になるのだろうか。
今必要なのは、五輪などよりも遙(はる)か先の未来のヴィジョンを具体化することである。地球温暖化だけでなく、少子高齢化も、20年代に入ると、その実感は切実になるだろう。AIの社会への浸透は、いきなりシンギュラリティを超えるなどという妄想へと飛躍せずとも、既に様々(さまざま)な領域で進みつつある。人間の仕事がただちにすべて奪われるというのは極論だが、過渡期には人間が携わる業務の整理を巡って大きな混乱が生じる。
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世界は今後、ますます小さくなっていって、人は、「住みやすさ」を第一に考え、様々な都市に自由に居を移すようになるだろう。或(ある)いは幾つかの拠点を転々とするか。実際、既にそうした動きは始まっている。私が懸念するのは、日本が本当に「住みにくい国」になった時、この国に止(とど)まらないという決断をする人たちが、少なくないだろうということである。実際、ほとんど血眼になっている英語の初等教育の状況からは、その可能性を次世代以降に見ている現実が覗(うかが)われる。その時、猛烈に開きつつある経済格差が、個々人の移動の自由に決定的な影響を及ぼすというのは悪夢である。
私たちに今必要なのは、任期中の改憲に「チャレンジ」したいなどという逆上(のぼ)せたような政治ではなく、近未来の喫緊の課題に地道に取り組んでゆく政治である。
【略歴】1975年、愛知県蒲郡市生まれ。2歳から福岡県立東筑高卒業まで北九州市で暮らす。京都大在学中の99年に「日蝕」で芥川賞。渡辺淳一文学賞受賞作「マチネの終わりに」は映画化され、2019年秋に公開予定。新刊は「ある男」。
=2018/10/08付 西日本新聞朝刊=