僕はエンジニアで、このブログで書くことは、そういうテーマを期待されていることを知っている。それ以外はノイズだから、あんまりやらないでほしい、とも。
でもこれは自分のアイデンティティの根幹に関わることで、そういう前提で、一部で話題になってたこの動画を見た。幸福の科学の大川総裁の息子の、幸福の科学との断絶宣言。
エンタメの文脈でそれはどうなんだと思うところはあれど、内容自体は非常に思うところがあった。
8歳ぐらいまで、家の宗教に疑問を持つことはなかった。幼稚園までは、人に隠れて食前の祈りを捧げていたと思う。それが褒められると知っていたから。
ティーンエージャーの頃、自分は怒りに支配されていた。自分の家の異常さを客観視できるようになり、その異常さを許せなくなった。自派以外を否定する排他的な教義、一時期採用された一夫多妻、そしてその終末論は、オウム後の広まったカルトの概念と認識されるのに十分だったと思う。学校でも隠していたが、時折聞きつけた人がいた。そのたびに、誰にも言わないでくれ、と頼み込んだ。
最初はただの反抗期だったかもしれない。だが、そこに強い理由付けが行われた結果、それらは親子の間で一生消えない溝となった。
愛されては、いたと思う。ただし、それは自分が納得いく形ではなかった。必ず神の愛という概念を経由して行われたように思う。
「聖書にそうあるから」は、自分には思考停止にしか見えなかった。それに対し、射に構えても良いことはないぞ、お前は祝福を受けているから、他の人と違うのは当然だから、と説法を受ける。お前は、それを受け入れられない捻くれ者だと。
日曜日に教会へ通うのは、少なからず精神的な暴力の形をとった。ぶたれたりとかは、しなかったけれど、強い言葉で問い詰められ、圧迫された。
教会に通うのは精神的な訓練の側面がある、というのが父の認識だったと思う。教会に行かないのは、単なる「怠惰」であり、教会に連れて行くのは教育的な指導である、という体裁をとる。
自分も、自分の怠惰さから教会に行きたくなかったのを否定できない。そりゃそうだ。日曜日は友人と遊びたいに決まってる。
教会へいき、得るものがあれば、また違ったかもしれないが、かといって自分が教会にいって得られるものは、何もかも無意味に見えた。聖書の警句や解釈。教団初期の歴史。社会的にどんな立派な活動をしたか。伝道活動の成果共有…
高校生の頃、「ショーシャンクの空に」の映画を見た。そのときの感想は、 「無実の罪で収監され、そこで一生の友人を得たといっても、囚われたこと自体を肯定できるだろうか?」
これがしばらく人生のテーマにだったと思う。確かに教会の中で友人も得た。しかしそれは、交友関係がそこに限定されていたからだ。また、自分の言語能力は、子供の頃の聖書の輪読の習慣に由来すると思う。だからといって、それを肯定することはできない。プログラミングを始める前提のコンピューターリテラシーは、宗教的な倫理感から付与されたPCへのアクセスコントロールを、様々なテクニックで外す過程で身につけたものだった。
そして今、その怒りに人生を支配されていたことを、反省している。自分の人生の一部を無駄にされたことなど、とるに足らないことなのだ。とるに足らないことへの怒りに振り回されることこそ、人生を最もムダにすることだ。
だから、限界までなかったことにする。風化させることしかない。ひたすら距離をとって、相容れないことを表明し続け、「お休み会員」の復帰をお願いする宣教師に、次来たら通報しますよ、と告げる。そうやって生きるしかない。
できれば、こう表明することで、勇気を持てなかった人のための一歩になれれば、と思う。
今はそう思ってます。