「生活保護より、デリヘルで働く」隠れシングルマザーの選択

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夫の失踪

一歳を過ぎたばかりの女の子が、おもちゃのゴムボールを持ちながら、テレビでアンパンマンのDVDを観ている。

部屋の白い壁一面には、色鮮やかなクレヨンで描かれた「お父さん・お母さんの似顔絵」が飾られている。床の上にはカラフルなフロアマットが敷かれ、ディズニーのぬいぐるみやポップな色遣いのウレタンブロックが散乱している。

女の子はテレビの音楽に合わせて、楽しそうに身体を左右に揺らしている。女の子の母親は、そんな娘の様子を微笑みながら見つめている。

一見すると、どこにでもあるキッズスペースの光景だ。しかしこの光景の裏側には、一般のそれとは異なる点が二つある。

一つ目は、このキッズスペースがデリヘル店の待機部屋に併設されているという点。二つ目は、母親の女性がこれからその店の面接を受ける予定であるという点だ。

「二十代の若い女性が面接に来たのですが、生活と子育てでかなり困っているようなので、一度風テラスの相談員さんに話を聞いてもらってもいいでしょうか?」

こうした連絡を店のスタッフから受けて、「風テラス」の男性弁護士と女性ソーシャルワーカーのチームが待機部屋に向かった。

風テラスとは、性風俗で働く女性を対象にした無料の生活・法律相談事業である。弁護士とソーシャルワーカーがチームを作り、様々な相談に対応している。

今回相談を希望された女性の名前は、佐藤優子さん(22歳)。セミロングの黒髪に、落ち着いた色調のワンピース。指先のネイルにはラインストーンが光り、身だしなみも綺麗で、一見すると生活に困っているようには全く見えない。一歳の娘さんも一緒だったため、待機部屋に併設されているキッズスペース内でお話を伺った。

優子さんは高校卒業後、在学中から付き合っていた年上の男性と結婚。二年後に妊娠した。しかし、夫は優子さんの妊娠中から態度がよそよそしくなった。他の女性と浮気の関係があったようだが、詳しくは分からない。

そして子どもが生まれた直後に、「都会に出稼ぎに行く」と言ったまま音信不通になってしまった。夫の実家に聞いても消息が分からない。ひとり親家庭には児童扶養手当が支給されるが、優子さんの場合、まだ離婚はしていないので受給することができない。

そもそも子育て世帯に支給される児童手当も、夫が役所に必要書類を提出していないため、未だに受給していないという。優子さんは「このままでは保育園にも入れないかもしれない」と不安を感じている。

隠れシングルマザーと風俗

優子さんのように、結婚しているにもかかわらず夫のDVや育児放棄によって、事実上のシングルマザー状態になっている女性は少なくない。しかし結婚を継続している限り、児童扶養手当はもらえない。児童手当は夫婦のうち所得の高い方(主に夫)の口座に振り込まれるので、子どもや妻の手に渡る前に夫が全額使い込んでしまうこともある。

「隠れシングルマザー」である彼女たちは、離婚しない限り、制度による保護や恩恵を受けられない。デリヘル店の面接には、こうした制度の谷間や隙間に落ち込んでしまった女性たちが、性風俗の仕事に活路を求めて次々にやってくる。

優子さんの話を聞いた風テラスの弁護士は、「裁判を含めた法的手続きを取って、保育園の入園の時期までに離婚を成立させること自体は難しくはない」と説明した。

問題は、そのための弁護士費用が数十万円かかってしまうことだ。優子さんは今月いっぱいで貯金が尽きてしまうような経済状態であり、裁判の費用を一括で支払えるだけの余裕はない。

しかし、生活保護を受給した上で法テラス(=国が設立した法的トラブル解決の総合案内所)を利用すれば、実質自己負担なし(償還が原則猶予・免除)になる。生活保護を受給すれば、お金の心配をせずに離婚を成立させることができる上に、その後の子どもとの暮らしを安定させることもできる。

風テラスの女性ソーシャルワーカーが優しい口調で切り出した。

「優子さんの現在の状況を考えると、一時的に生活保護を受けて暮らしを立て直す、という選択肢もあると思うのですが……いかがですか?」

すると、それまでうつむきながら話を聞いていた優子さんは、顔を上げてきっぱりと答えた

「生活保護は、嫌です」

人生の分岐点

まだ立って歩くこともできない幼児を抱えているにもかかわらず、夫は失踪し、仕事の当てもなく、児童手当も児童扶養手当も受給できずに、貯金も今月中に底を尽きそうな状況。合理的に考えれば、短期間でも生活保護を受給して最低限の収入基盤を確保した上で、法テラスを利用して自己負担なしで離婚を成立させることがベストだ。それから子どもを保育園に入れて働きに出れば、徐々に生活を立て直していくことができる。

しかし、優子さんは生活保護は絶対に嫌だと主張する。

「車が使えなくなると、困るんです」

生活保護を受けると、原則として車の保有は認められない。優子さんの住んでいる地域では、車が無ければ買い物も育児も仕事も何もできない。女性ソーシャルワーカーは、「生活保護を受給していても、通勤や通院に必要な場合は、保有が認められる場合がありますよ」と説明した。

「それでも、家族に役所から連絡が行くのが嫌なんです」と優子さんは返答した。

生活保護を受給する際には、「扶養照会」=申請者の親族に対して、養うことができないかどうかを確認する作業が行われる。

扶養照会が行われれば、生活保護を申請したことが必然的に家族や親戚に伝わることになる。世間体を気にする地方都市では、この扶養照会を嫌がる人は非常に多い。

「家族との仲があまりよくないので、生活保護を申請することは絶対知られたくない。これまでの人生のことを根掘り葉掘り聞かれるのも嫌です。

役所の人が自宅に来たら、『あなたも娘さんも、良い服を着ているんですね』『生活に困っているはずなのに、ロングコートチワワを三匹も飼っているんですね』とか、絶対嫌味を言われると思うんです。また生活保護を受給することで、ペット可のマンションに引っ越せなくなるのも困ります」

と優子さんは語る。

生活保護の敗北か

優子さん自身は、高校時代にコンサートの単発の日払いアルバイトをしたことがある程度で、これまでの職歴はゼロ。パソコンのエクセルやワードも全く使えない。

扶養照会や資力調査、ケースワーカーの訪問といった「社会的な恥」に耐えながら、不自由な暮らしの中で、生活を立て直す道を選ぶか。それともホテルの密室で、初対面の男性の前で全裸になるという「個人的な恥」に耐えながら、デリヘルで働いて自由な暮らしをする道を選ぶか。

優子さんにとって、そして彼女の娘にとっても、まさにこの瞬間が人生の大きな分岐点だと言える。

風テラスの相談員も、決してデリヘルで働くことを否定するようなことはしない。しかし優子さんが現在置かれている状況を客観的に見れば、デリヘルで働きながら綱渡りのワンオペ育児を続けることよりも、生活保護を受給して離婚手続きを進めた方がいいことは明白だ。

もう一度、丁寧に制度の説明を繰り返した後、女性ソーシャルワーカーは優子さんの目を見つめて、静かに尋ねた。

「……生活保護を受けるのは、絶対に、嫌ですか?」

優子さんは、きっぱりと即答した。

「絶対に、嫌です」

彼女の膝の上では、一歳の娘が無言でスマホをいじっている。

「生活保護よりもデリヘルで働くことを選ぶ」という優子さんの選択は、非合理な振る舞いに思えるかもしれない。しかし一見すると非合理に思える選択は、合理的選択の積み重ねによって生まれることが多い。

優子さんの住んでいる地域では、母子世帯に対する生活保護費は、母子加算や児童養育加算を合わせて月額13万程度だ。

一方、店のスタッフが「彼女の年齢と容姿であれば、月15万は現実的な数字ですよ」と語るように、デリヘルであれば、月10日出勤するだけで15万は稼げる。

そして、面接時に過去を根掘り葉掘り聞かれるようなこともない。扶養照会や資力調査をされることもなければ、プライベートの空間にケースワーカーが土足で入ってくることも無い。

さらに、この店にはキッズスペースが待機部屋に併設されているので、託児所に迎えに行く手間もかからない。子どもを預けながら、空き時間を最大限に活かして働くことができる。そして同じ境遇のママたちと情報交換しながら子どもを育てることもできる。

仕事で困った時には、デリヘルでの勤務経験のある女性スタッフが心身のフォローをしてくれる。各種手当や保育園の申請に必要な所得証明を入手するために、確定申告のサポートもしてくれる。完全自由出勤・現金日払いで、その気になれば四十代後半まで働ける。

当事者の目線に立って合理的に考えれば、「生活保護よりもデリヘルを選ぶ」という選択は、決して非合理なものではないはずだ。

一見すると理解しがたい彼女たちの選択の背景には、生活保護を受けることが、デリヘルで働くこと以上に強いスティグマ(負の烙印)を有しているという現実、そしてデリヘルが福祉制度を利用できない・したくない人たちにとっての「助け合い」「支え合い」として機能しているという現実がある。