キュリオシティドリブンに生きる
プロローグ
ある時の話.
食料を得るために,スーパーに来た.
野菜炒めセット*1を手に取った時
ふと,こんなことを思った.
「これは健康的で経済的で合理的な商品だ」
うん.これを買えば,食料問題は解決だな.
生活の中の何気ない1つ1つの「選択」が
少しずつ人生をつまらなくしているのかもしれない...
これまでは?
なんだかんだ,久しぶりのブログ更新になってしまった.
この記事では,僕の生き方について論じようと思う.
「キュリオシティドリブン」 興味の赴くままに
という言葉.みなさんは知っているだろうか.
言葉の意味を詳しく知りたければ調べて欲しい.
まぁ簡単に言えば
合理的に生きるのではなくて
面白そう!って思えたモノに,
面白そう!って思った時に触れよう.
この一見無駄に見える遠回りこそ
人生を豊かに,面白くする行動など思う.
今までは,そうやって生きてきた.
何を見つけた?
今,僕は,大学院に通っている.
大学院というからには,もちろん(?)専門的(?)な
研究(?)をしてる(?)わけだけど(?)
逆に言えば,世界を専門的な目で見てしまっている
ということでもある.
「キュリオシティドリブン」 は 非専門的
そこに,その言葉の意味があった.
もっと大きな人生にスパンで見れば
大学院への進学自体が興味の赴くままに
なのかもしれないが,日々の中では
キュリオシティドリブンに生きれない時が
度々あることに気がついてしまった.
限られた時間を有効に使うために
「遠回り」をせずに
シンプルで合理的な生き方をしてしまっている.
子供の頃は,きっといろんなものに
興味を持って生きていられただろうけど
大人になるに連れて,段々と
自分ではない外の世界を見る目の輝きを失ってしまう.
とっても悲しいことだけど
この社会で生きていくためには
仕方ないことかもしれない.
そこから何を見出せる?
僕の好きな言葉に
I have no special talent. I am only passionately curious.
私には特別の才能はない。ただ私は、情熱的に好奇心が旺盛なだけだ。
というものがある.
この言葉は
「スペシャルではないかもしれないけど
好奇心という才能を持ってる.」
そんな風に聞こえる.
言い換えれば,
「興味を持てることは才能だ」
ということなんじゃないかな.
でも,僕はこれだけじゃダメだと思う.
次に必要なのは
「興味に従って動ける」こと.
でも,これは「能力」だと思っている.
だから,努力すれば出来ないこともない.
そうすると,必要になるのは,やっぱり
「才能」である興味を持てること ってなってしまう.
失ってしまった「目の輝き」を取り戻すには
どうしたら良いのだろう.
ひとまず,アインシュタインの言葉をもう一度思い返そう.
<ーー以下,僕の脳内一人会話ーー>
何か,抜け落ちてる部分は無いか.
I have no special talent. I am only passionately curious.
passionately curious...
passionately!!
あ!! これだ!!
情熱的って言葉が抜けてるやん!!!!!!
目の輝きは取り戻せないかもしれないけど
情熱は,手に入れられるんじゃないか?
そうだ!! 情熱(じょうねつ)を探しに行こう!!!
<ーーここまで,僕の脳内一人会話ーー>
今年の生き方は
おもしろい!って思えたものに対して
本気でぶつかろう!
これにしよう.
大学院生になって専門的になった分
色んな物に,好奇心は持てなくなっちゃったかもしれない.
だったら,ちょうどいいな.
この記事は,長くなってしまったので
また明日,別の記事で,この続きを書こうと思う.
今日の言葉の式
キュリオシティドリブンに生きる
= ①興味を持てる + ②興味に従って動ける
エピローグ
また別のある時の話.
再び,食料を得るために,スーパーに来た.
安くなってるキャベツと大根を手に取った時
ふと,こんなことを思った.
「これで何か作ろう・・・」
はぁ・・・ お金が無いって悲しいな.
一見ネガティブなこの感情.
よくよく考えれば,
お金がないから工夫しなくちゃいけないという制約が
逆に人生をつ面白くするのかもしれない...
2
*1:キャベツやもやし,にんじんなどがまとまって入っている便利な商品.