村人ちょるの日記

2018年の目標はブログを100本あげることです

キュリオシティドリブンに生きる

プロローグ


ある時の話.

食料を得るために,スーパーに来た.

野菜炒めセット*1を手に取った時
ふと,こんなことを思った.

「これは健康的で経済的で合理的な商品だ」

うん.これを買えば,食料問題は解決だな.



生活の中の何気ない1つ1つの「選択」が
少しずつ人生をつまらなくしているのかもしれない...



これまでは?


なんだかんだ,久しぶりのブログ更新になってしまった.

この記事では,僕の生き方について論じようと思う.


「キュリオシティドリブン」 興味の赴くままに

という言葉.みなさんは知っているだろうか.
言葉の意味を詳しく知りたければ調べて欲しい.

まぁ簡単に言えば

合理的に生きるのではなくて
面白そう!って思えたモノに,
面白そう!って思った時に触れよう.

この一見無駄に見える遠回りこそ
人生を豊かに,面白くする行動など思う.


今までは,そうやって生きてきた.


何を見つけた?

今,僕は,大学院に通っている.

大学院というからには,もちろん(?)専門的(?)な
研究(?)をしてる(?)わけだけど(?)

逆に言えば,世界を専門的な目で見てしまっている
ということでもある.

「キュリオシティドリブン」 は 非専門的

そこに,その言葉の意味があった.

もっと大きな人生にスパンで見れば

大学院への進学自体が興味の赴くままに
なのかもしれないが,日々の中では
キュリオシティドリブンに生きれない時が
度々あることに気がついてしまった.


限られた時間を有効に使うために
「遠回り」をせずに
シンプルで合理的な生き方をしてしまっている.


子供の頃は,きっといろんなものに
興味を持って生きていられただろうけど
大人になるに連れて,段々と
自分ではない外の世界を見る目の輝きを失ってしまう.

とっても悲しいことだけど
この社会で生きていくためには
仕方ないことかもしれない.


そこから何を見出せる?

僕の好きな言葉に

I have no special talent. I am only passionately curious.
私には特別の才能はない。ただ私は、情熱的に好奇心が旺盛なだけだ。

というものがある.

この言葉は

スペシャルではないかもしれないけど
 好奇心という才能を持ってる.」

そんな風に聞こえる.


言い換えれば,

「興味を持てることは才能だ」

ということなんじゃないかな.


でも,僕はこれだけじゃダメだと思う.

次に必要なのは
「興味に従って動ける」こと.

でも,これは「能力」だと思っている.
だから,努力すれば出来ないこともない.


そうすると,必要になるのは,やっぱり
「才能」である興味を持てること ってなってしまう.



失ってしまった「目の輝き」を取り戻すには
どうしたら良いのだろう.



ひとまず,アインシュタインの言葉をもう一度思い返そう.


<ーー以下,僕の脳内一人会話ーー>

何か,抜け落ちてる部分は無いか.


I have no special talent. I am only passionately curious.


passionately curious...

passionately!!

あ!! これだ!!

情熱的って言葉が抜けてるやん!!!!!!


目の輝きは取り戻せないかもしれないけど

情熱は,手に入れられるんじゃないか?


そうだ!! 情熱(じょうねつ)を探しに行こう!!!


<ーーここまで,僕の脳内一人会話ーー>


今年の生き方は

おもしろい!って思えたものに対して
本気でぶつかろう!


これにしよう.



大学院生になって専門的になった分
色んな物に,好奇心は持てなくなっちゃったかもしれない.


だったら,ちょうどいいな.



この記事は,長くなってしまったので
また明日,別の記事で,この続きを書こうと思う.


今日の言葉の式

キュリオシティドリブンに生きる

  = ①興味を持てる + ②興味に従って動ける




エピローグ


また別のある時の話.

再び,食料を得るために,スーパーに来た.

安くなってるキャベツと大根を手に取った時
ふと,こんなことを思った.

「これで何か作ろう・・・」

はぁ・・・ お金が無いって悲しいな.


一見ネガティブなこの感情.
よくよく考えれば,
お金がないから工夫しなくちゃいけないという制約が
逆に人生をつ面白くするのかもしれない...






*1:キャベツやもやし,にんじんなどがまとまって入っている便利な商品.