僕もお金が欲しい
プロローグ
友達なんていらないさ
あんなもの,ただの幻想に過ぎない.
ぼくは,僕のやりたいことをする.
それで十分だと思ってた...
今日はクリスマスイブ!
ハッピーハロウィーン!!🎃🎉
今日,12月24日は
僕の大切な友達,ぜんくん!の誕生日です!
お誕生日おめでとう!
あと,おまけでクリスマス・イブですが
まぁ,多くの人にとっては,平日の日曜日.
毎日がエブリデイです.
今回の記事のテーマ
さてさて,今回の記事のテーマですが
なんと,「僕もお金が欲しいという話」
になりました.
僕は,違うやつになるだろうなー
って思ったけど,予想が外れました.
ってことで,今日のテーマは「お金」
長いので,ここから先,読まなくていいです.
僕は賢いので,要約を用意しました!
それで満足してくださいw
時間がない人のための要約
僕は,お金が欲しい
と思った時は
もっと良い,経済システム
について考えることにしています.
一緒に考えませんか?
ここから本編.
夢
夢,ブルーハーツ.
「あれも欲しい」「これも欲しい」
「もっと欲しい」「もっともっと欲しい」
「あれもしたい」「これもしたい」
「もっとしたい」「もっともっとしたい」
次から次へと湧き上がってくる
「欲」
皆さんは,これとどう向き合っていますか?
多くの場合は
「○○が欲しいけど,お金がない
我慢しよう」
「○○がしたいけど,お金がない
やっぱりやめよう」
こうなるのではないですか?
もっとも,こうならないお金持ちの皆さんは
こんな風には思わないと思いますが.
お金持ちを捨象すれば,議論は簡単で
もっと,お金があったらなぁ
の一言で,全ての原因を押し込めることができます.
お金があれば
例えば,今,僕は
北陸の寒空の下,ある駅で徹夜で6時間
電車を待ち続けていて
その時間を使って,この記事を書いてます.
ほんとうに寒いです.
寝たら,死にそうです.
お金があれば,そもそも18切符の鈍行ではなく
有料特急で帰ることができたし
お金があれば,どこかカラオケや
居酒屋さんに入って暖をとることができたし
お金があれば,ホテルに泊まることも
できたはずです.
でも,貧乏文系大学院生にはお金がありません.
それは当然です.
僕は,大学のTAしかバイトをしていません.
それに研究にお金がつかないし,稼げません.
TAで得ることができる給料なんて微々たるもの.
(もちろん,それのおかげで最低限のご飯が食べれているけど)
お金を得る努力をしていないのだから
お金がないのは当然だ.
ということを言われてしまえば,それまでなのですが
なんか,僕は違和感のような疑問を持っています.
クエスチョンクエスチョン
疑問は2つ
1つ目は
どうして,世の中には
お金を持ってる人 と
お金を持ってない人 がいるんだろう.
2つ目は
なんで,みんなは
お金が欲しければ
働けばいいじゃん! と言ってくるのだろう.
ということです.
差の正体 と お金の源泉
上記の2つの疑問について
この答えは「資本主義経済」を考えれば
すぐわかるものです.
「能力のある人 or 資本を持っている人 が 儲かる」
「働けば,それに見合った対価が支払われる」
差の正体は,「能力・資本の有る無し」
お金の源泉は,「働くこと」
もちろん,ほかに良いシステムがない以上
一番納得できる形だよね.
わかるんだよ.わかるんだけど,違うだろーー!
でも,でも,でも,そんなの関係ない.
人類・世界は,資本主義経済よりも
良い経済システムを思いついていないから
今の所,この経済システムを取っています.
だからと言って,このシステムが
本当に一番良いものだとは言っていないのです.
僕たちは,生まれた時から
この経済システムの中で生きてきたから
ある意味で,これを当たり前だし,良いものだと
思ってしまっているのではないでしょうか.
僕は,ポテンシャルを持ってる人も
持っていない人も,みんなが幸せになる
経済システムになって欲しい!
それに
お金をいっぱいもらえるような仕事をしたくても
その能力のない人だって
当たり前だけど,幸せになりたいんです.
能力のある人は,皆,口を揃えて
「働けば良くない?働けよ」と言ってきますが
その価値観の押し付けは,不条理ですよ.
能力のない人からしてみれば.
この対立は,もはや不毛だ!
装備の確認
この難問に立ち向かう僕の装備は
以下の通りです
僕の鎧
価値=お金 本当?
僕の盾
「平等の権利」と「平等の義務」
僕の剣
お金では表せないものに価値を見出そうぜ!
では,この装備で,切り込んで生きましょう!
僕の鎧
防御には,現代美術の議論を持ち出すことで論じましょう!
(すごい極端に言ってるので,細かい部分での指摘はあるかと思います)
現代美術は,芸術としての価値がお金に変わっていく芸術です.
芸術としての良さ は 価値が上がろうと下がろうと
変化していないはずなのに.
宝石とか,きれいなものは お金になるけど
美しいものは,すぐにはお金にならない.
それは「態度」が決めるのです.
この芸術には,こういう意味がある.
オークションでいくらの値がついた.
僕たちが,それを芸術だ!と思う
その「態度」こそが,芸術の価値になる
さらに,それが結局は,お金になってしまう.
「物」は同じだけど,態度が決まった時
価値が決まるんです.
日本人が「刀」を大切にするように.
刀なんて,外国人にとってみたら
武器とかナイフとしてしかみられない.
でも,日本人にとってみれば
刀には,それ以上の意味があるよね.
僕の盾
「哲学」特に論理学っぽく見ることによって
より強固なロジック(防御)を手に入れましょう.
まず,僕の好きな日本の憲法を見てみましょう
平等権(第14条です)
「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」
ここには,均等に機会が与えられること
「平等である権利」は,述べられているけど
平等である義務は記述されていません.
また,国民の義務に,平等であること.
幸せになることは書いてないのです.
幸せは義務では無い!
一方で,最近の問題で
働けど働けど豊かにならない.生活が良くならない.
という「ワーキングプア」の問題があります.
(これについて色々論ずるのは大変なので,僕の主張だけ)
この現状を考えると
働け!!
っていうのは,機会均等が保証されている
という観点からは正しいです.
でも,その努力に対するフィードバック(報酬)が
均等になってるとは言えない.
と考えられるわけです.
同じような仕事をしても
社会的な仕組みとして正規社員と非正規社員で
報酬が違うなどの問題がありますよね.
ちょっと待って!!
学歴がある人,頭がいい人になれば
「報酬がいい仕事」を目指せるじゃん.
ということもあるでしょ.
でも,果たして,本当にそうでしょうか?
教育にはお金がかかってませんか?
お金がある親 を持つ子供 と
お金がない親 を持つ子供 が
同じ教育を受けられているでしょうか.
奨学金があると言っても
大学に入った後ですよね.
学歴なんて,大学を見ますよね.
でも,その大学に入る前までの
お金の問題は,本当に
機会平等になってると言えるでしょうか.
論理っぽく考えると
「平等の権利」 ≠ 「平等の義務」
「平等の権利」 = 「機会の平等」
が正しい.だから
「機会の平等が実現してる」
→(ならば) 「報酬が均等になってる」
というロジックを組むことで
ちゃんと,この世界は平等になってる!
と言えるように思ってしまいます.
でも,持っていくのは,ちゃんと
機会の平等が実現している事
かつ
報酬が均等になっている事
を確実に言わなければなりません.
僕の剣
僕が最近思うことは
いつからか
「幸せになりたい」
ということから
「お金が欲しい」
に変わっちゃっていませんか?
ということです.
なんか,子供の頃って
みんなで放課後,ドッチボールやったり
サッカーやったり,集まってゲームしたり
お金がなくても楽しかったような気がします.
もちろん.最低限のお金がないと
その道具も手に入りませんが・・・
もし,最低限のお金を手に入れられることを
保障したとしたら
「幸せになる」ために「お金を手に入れる」
ということに固執することないし
「幸せになる」という目的がなくなって
「お金を手に入れる」となってしまうことが
消えるはずです.
お金がなくても,幸せになる
そんな,未来が来て欲しいです.
例えば,最近の仮想通貨バブルもそう.
何もわからないのに,手を出して
損した・・・ と言っている友達もいましたが
それは,儲かった友達を見て
俺も儲かりたい.と思ったから手を出したわけですよね.
僕もお金欲しい!っていう欲望が先行してしまったんですよ.
吾唯足るを知る.そんな気持ち,持ってないですか?
僕は,最近
友達がいる.友達と話すだけでも
すごい幸せに感じます.
たとえ,お金がなくたって.
今行われている事例
生活に必要な最低限のお金を
「生活保護」という形で配布するのは
僕は「お金を持っている」状態と
同じにするために配っている気がします.
だから,僕は思うのです.
逆に言えば,正しい方法で
最低限のお金さえ保証すれば
あとは,働きたい人は,働けばいいし
幸せになるために何かをしたい人は
それをすればいい.
もっと,今よりも,幸せになるために
人生を使うことができる気がするのです.
つまり,幸せになってもらうためには
最低限のお金を平等に配ることで
お金を持っている状態と同じにするのではなく
幸せになるための選択肢を選ぶための
最低限の手段を保障することになると思います.
だから,僕が今のところ良いなと思う経済システムは
・ベーシックインカム
・シェアリングエコノミー
の実現です.
これを
アドラーの共同体感覚 や
ハーバーマスの公共圏 や
アンダーソンの想像の共同体 や
マクルーハンのメディア論
(とくにネーションとパブリック)
などの視点から,もっと考えている途中です.
これらが僕の武器です.
明日は,クリスマス!
もし,ここまで読んでくれた人がいるなら
「お金が欲しい」という心を
「幸せになりたい」に切り替えましょう!
僕と一緒に.
そして,もっと良い経済システムを考えましょう!
たしかに
僕らが考えただけで,世界が変わることはない.
これは間違いない.
でも,だからと言って,考えることが無意味なはずがない.
時間も,頭脳も,無駄にするかもしれない.
だけど,その「無駄」を大事にするところから
始まっていく気がします
(なんか,自己啓発っぽい終わり方になってしまった)
(文章も,長くなったり,難しくなるから,消したりしてて
もっとちゃんと推敲したいんだけど,見直す時間がなかった)
(また,時間があったら,推敲して,議論があっちいったり
こっちいったり,しないように記述したいですね)
(今は,書きたいことを次から次へと書いただけだから)
(もちろん,この記事は,僕の理論最強!!こう考えない奴ら
全員間違ってる!! と主張するものではないです)
エピローグ
お金なんていらないさ
あんなもの,ただの幻想に過ぎない.
ぼくは,友達と楽しく生きていたい.
それで十分なんだ.