「小池劇場」は、豊洲新市場問題を巡り、石原慎太郎元知事と浜渦武生元副知事の責任問題に波及した。来週は石原氏が記者会見、その後、両氏が来月中旬に開かれる都議会特別委員会の参考人招致で証言するなど、観客を飽きさせずに今後も続く。
築地での建て替えか、豊洲への移転かで揉めていた新市場問題が、豊洲移転で決着したのは石原都政下であり、豊洲を所有していた東京ガスと交渉していたのは浜渦氏だった。そういう意味では、二人に経緯を質すのは当然ながら、「移転推進により石原氏が豊洲を利権化した」という単純な視点では、この問題は解明できない。
1999年4月、石原氏は知事に初当選。この時、都議会多数派の自民、公明両党が推薦したのは元国連事務局次長の明石康氏であり、石原氏は無所属だった。そのため初の都議会では盛大なヤジで出迎えられ、その筆頭が内田茂都議だった。当時、内田氏は都議会自民党幹事長として売り出し中だったが、今ほどの権力はなく、公共工事の仕切り役は、都議会公明党のドン・藤井富雄氏だった。
藤井氏は、05年に政界を引退し仕切り役、調整役の座を内田氏に禅譲。そういう意味では、党は違っても後に「都議会のドン」となる内田氏の力を認めていた。
そんな二人の実力者と協力関係にあったのが、山田慶一氏である。一般には無名。中曽根康弘元首相、田中角栄元首相など大物政治家の秘書や側近に取り入り、官界や実業界との調整役、パイプ役を果たす。「フィクサー」という役回りである。
過去に名前が取り沙汰されたのは二度。最初は、97年。「関西談合のドン」の平島栄氏が公正取引委員会に談合資料を持ち込み、物議を醸したが、それを裏で取り仕切ったとされた。また、道路公団総裁の藤井治芳氏が民営化に反対し、さまざまな形で抵抗を繰り返した後、03年に解任されるが、四面楚歌の藤井氏を支え続けた。
老朽化した築地市場の移転は、石原氏の前任の青島幸男知事の時代に持ち上がったが、その構想を推進したのは、東京都港湾局長時代の石川雅已・現千代田区長で、臨海副都心開発部長として石川氏を支えたのは、前川あきお・現練馬区長だった。山田氏は、後述するように両氏をOBとなっても物心ともに支えた。
つまり豊洲移転は、石原都政の前に都の官僚が議会や市場関係者に対する根回しを行い、推進してきたのだ。市場内反対派の台頭で、頓挫しかかる面もあったが、それを強引にリードしたのが石原氏から特命を受けた浜渦氏だった。東ガス関係者が振り返る。
「ウチは、豊洲を売却するつもりはなかった。他に再開発計画もあったしね。しかし、浜渦さんが佐藤信二元通産相(「東ガスの法王」と呼ばれた安西浩元会長の娘婿)に根回し、『公営企業が無駄な資産を持つべきではない』という通産省からの圧力を受けて、売却に合意せざるを得なかった」
浜渦氏と東ガスの交渉は、01年2月の「覚書」を経て、同年7月「基本合意書」が結ばれてまとまる。その後の交渉は、事務方に委ねられるが、「護岸は東京都で行い、土壌汚染対策は東ガスが行う」というのが基本姿勢。ただ、土壌汚染が残ってしまうのは双方の了解事項で、それを「盛り土」で覆うことになっていた。