モーニングセット

ほんとうは、日本に行ったことなんてないんじゃないか、という気がすることが、この頃は、よくある。
考えてみれば、もう8年も行っていないのだから、あたりまえで、厳密にいえば4年前だったかに数日、ストップオーバーで立ち寄ったことがあったが、美術品店に用事があって、東京と京都で、ヘリコプターで移動する忙しい旅行だったので、日本にいたというよりは、日本の人にこちらから会いに行ったという印象だけで、5年にわたって11回滞在したはずの日本の記憶と、うまくつながっていかない。

記憶の映像はフォトショップ的なもので、例えば、記憶のなかの日本の町には、あの綾取りみたいに込み入った電線と電話線の網の目は存在しない。
こっちは、どういうわけなのか、判らないのだけど、記憶のなかで日本の人はどんどん背丈がのびて、アジア人にしては、とても背が高いが、現実の日本の人は、ごみん、小さくて、いつだったか、ひさしぶりに鎌倉に行ったときに、駅前にいる日本の人はみな、びっくりするほど小さくて、妖精の国のこびとのようで、ニコニコしてしまったことがある。

それから、ひとの数!
記憶のなかでも、ひとの数は、多いのは多いのだけど、いつか、横浜駅の東口の階段に立って、西口までの通路を見渡したら、20メートルくらいは幅があるのかしら、案外と広い通路が、びっしり、文字通り、隙間もなくびっしり人間で埋まっていて、その人間の津波のようなものが、こちらに向かって動いていて、
「こんなんで待ちあわせの西口まで歩いていけるわけがない」
と怯えた気持で考えた。

結局は、なんとか西口のシェラトンまで歩いていけたのだけど「勇を鼓して」という表現は、こういうときのためにあるのだ、と納得した。

いいこともある。
日本にいたころ、特に最後の1年は、いま考えると、すべりひゆ @portulaca01 というイタリアに20数年住んでいる日本語の友達が指摘していたように、ホームシックだったのだけど、なんだか、とても日本が嫌いになってしまって、見るもの聞くものが疎ましかった。

広尾山の家には帰らなくなって、軽井沢の家にばかりいて、モニさんとふたりで、シャンパンやカバばかり飲んでいた。
2010年は最悪の年で、そのせいで、予定を早く切り上げて英語世界に帰ってきてしまったのをブログでおぼえている人も多いとおもう。

なんだか、ひどくおいしくないものを食べて、口直しをする人のようにイタリアに行ってローマからコモまでドライブして、やっと人間にもどったような気がした。
その年は、一年中、日本語を勉強したことを、ひどく後悔していた。

ところが頭のなかで日本は綺麗に洗濯されて、新品同様になって、めりはりもされて、太陽のいい匂いがする国に変わっていく。

最近、また、日本がとても好きになってきたんだよ。

伊東屋の万年筆売り場。
銀座の割烹屋
地下の階段をおりてゆく数寄屋橋の鮨屋
電気ビルのてっぺんの、おもいがけない場所にあるバーと鮨店
室町の蕎麦屋
ミキモトの白髪の、素晴らしい日本語をつかう店員
由比ヶ浜から七里ヶ浜に向かって歩くと、目の前にある大気で屈曲された巨大な富士山
軽井沢のツルヤの駐車場から見える浅間山
箱根の富士屋ホテルのカツカレー

ははは。
なんだか食べ物がおおいけど、ときどき、おもいだして、手を休めて、そうか、やっぱり日本はいい国だったなーとおもう。

外国人で、ガイジンだったからかもしれないけどね。
いつか東京で鎌倉の話をしていたら、
「でも、ガメさん。ぼくは鎌倉に住んでみたことあるけど、あそこはヒマな人間が多いせいか、ずいぶん煩いことを言う近所の人がおおかった。ガメさんは、ああいいうことは平気なの?」という。

ところが!
鎌倉のなかでもシチメンドクサイ人が多いと名指しされた町に家を買って、ときどきはそこに滞在したんだけど、そんなことはいちどもなかった。
ゴミ出しの日を間違えても、分別がテキトーでも、夜中に、いつもの調子で、酔っ払って、ふらふら歩いて帰ってきても、道なかで
「ガメさん、御機嫌なんですね」
と小津映画のなかの日本の人のように挨拶されるだけだった。

暖かくなってくると、夜更けの材木座海岸に行って、わし伝統のチンポコ潜水艦が出来る全裸の姿になって、まっくらな海で、よく泳いだ。

知ってるかい?
日本の人は、めちゃくちゃラッキーで、海があったかいので、朝でも、夜中でも、いつでも泳げる。
イギリスやニュージーランドの海では「15分」という。
15分、海につかっているとコールドショックが起きて、死んでしまう。

そこにいくと日本の海は!
コールドショックどころか、人間クラゲになって、海のなかでヘロヘロして、
空を眺めて時々やすみながら、逗子から江ノ島まででも泳いでいけます。

酔っ払って、さんざん泳いで、夜更けの、朝が近い浜辺にもどると、夜光虫がふちどった波が打ち寄せてきて、ほんとうにこれが現実だろうかとおもうくらい美しい光景が目の前にある。

東京はマンハッタンと並んで、歩くのに良い町で、とにかく犇めくように思い思いに工夫を凝らした、小さな店が並んでいるので、あんな町に住んでいれば、ジムはいらない。

だいたい2万歩くらいは直ぐに歩いてしまうのね。

東京に較べれば、ロンドンなんて、たいそう間が抜けた町です。
シンガポールが、この頃はちょっと東京に似ているが、なにしろ暑いので、そう簡単に較べられはしない。

それに、東京くらい、びっくり! が多い町はない。
東京にいた最後の週に、モニさんと人形町や蛎殻町、日本橋や銀座を散歩した。

https://gamayauber1001.wordpress.com/2010/11/20/hurdy-gurdy-man/

いま見ると記事に書いてないが、モニさんが裏路地の写真を撮っているときに、日本では基本的にモニSPのわしが、ヘンな人が近寄ってこないように見守っていると、後ろに、なにかの気配がする。
わしは伊賀忍者なみのモモチサンダユーな第六感を有しているので、振り返ると、
巨大なマグロの頭がテーブルの上に載っていて、目がこっちをみているので、
ぎゅわああああああーと絶叫して、ひとだかりが出来て、恥をかいてしまった。

あ。
ただの「びっくり!」の例です。

英語には「マジメ」という言葉は訳せないが、多分、わしが大好きだったのは、日本人の「マジメ文化」だったのだとおもう。
職人さんたちの文化。

下を向いて、手元に集中して、一心不乱になにごとかを作る文化が、とてもとても好きだった。
わしは、なんのことはない、チョー要領がいいゲーマー人なので
アスペルガー族と、兄弟のように仲が良いが

https://gamayauber1001.wordpress.com/2014/10/09/asperger_gamers/

日本の人は、ドイツ人たちと並んで、世界でいちばん、アスペルガー的なすぐれた資質を持っているのではないだろうか。

世界で最も愛している国をあげろと言われれば、そんなことを聞くヘンな人はいないだろうが、日本を挙げるだろうとおもいます。

神様の言葉で、もう二度とは行かないのを知っているけどね。

この頃オーストラリアでもニュージーランドでも、台湾のバブルティーショップが流行りで、ぶっといストローに、タピオカ入りの飲み物が流行っている。
バブルティーショップには魯肉飯や牛肉麺の台湾御飯メニューがあるのだけど、
メニューの最後には厚切りトーストが載っているの。

PappaRichという、日本でいえばデニーズだろうか、マレーシアのファミリーレストランチェーンもあって、ここでもメニューには厚切りトーストが載っている。

http://papparichnz.co.nz/menu/

もちろん、これは日本に出かけた台湾の人やマレーシアの人が、ひええええー、こんな変わったものが日本にはあるんだ!
うひゃっ、おいしいじゃないか、これ!!
で、故国に持ち帰ったものです。

わしも、大好き。

モーニングセット。

西洋からヒントを得ているんだけど、西洋にはないのね。
日本のものです。

とても、なつかしい。

アジアのなかで、西洋の侵略におびえて、まるで夢魔に備えて自分の家の玄関に「西洋文明」という護符を貼りたてたような、日々の生活も伝統も、なにもかも打ち捨てて、西洋という夢魔の襲来に備えてきたような
日本という国の痛々しさ、一所懸命さ、苦しみと栄光の歴史(おおげさだと笑ってはいけません)が、ひとつのトレイに載ってくるモーニングセットのことをおもいだす。

台湾の人やマレーシアの人は、親切で楽しい人が多いのだけど、日本の人の、この歴史的な苦しみだけは判らないだろう。

あの苦いコーヒーも、台湾やマレーシアの人にとっては意匠にしかすぎないが、日本のひとにとっては歴史の味なのね。
背伸びして、都市を焼かれ、息子や娘を失い、死に物狂いで西洋人になろうとした、不思議な民族の歴史の苦さなのだと思います。

日本語をやって、よかった。

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