1. トップ
  2. らしく働く
  3. 今も、始発電車で通勤!?63歳で手に入れた“一石四鳥”の豊かな生き方

今も、始発電車で通勤!?63歳で手に入れた“一石四鳥”の豊かな生き方

秋本富士夫さん(63)の朝は早い。始発で職場の最寄り駅に着いてまず向かうのは、6時半にオープンするコーヒーショップ。始業までの2時間余り、ライフワークともいえる「絵の研究」に没頭する。日本を代表する大手電機メーカーとその関連会社で37年間、一貫して技術開発や海外向け受注の重要な任務を担ってきた秋本さん。定年後に手にしたのは、“一石四鳥”の充実した毎日だった。

「絵の世界観に魅せられて、定年が待ち遠しくて(笑)」

巷では、「定年退職後、何をしていいのかわからない」という話をよく耳にするが、秋本さんが、“それ”に出会ったのは50代のはじめ。オランダでの単身赴任中に、ベルギーの教会で目にした『ヘントの祭壇画』がきっかけだった。

上下段に分かれたパネルに、キリストの犠牲による人間の救いと天国の賛美が描かれたこの大作を前にして、インスピレーションがわいたという。

「当時、次世代型ネットワーク、つまりクラウドのアーキテクチャとはどうあるべきかを考えるのが僕の仕事だったのですが、この絵の上段の父なる神や聖母マリアがAI、下段にたくさんいる聖人や市井の人々がIoTでいえばエッジに見えてきた。そしてキリストを象徴する神秘の子羊と聖霊を象徴する鳩が上下をつなぐネットワーク。そこに、全体と個との調和をめざす世界観が表現されているように思え、これこそ、まさにクラウドそのものじゃないかとピンときたのです」

出発点は職業的な興味だったが、自らの気づきに胸躍るようなときめきを覚えた秋本さん。勢いにまかせ他の美術品を見て回るうちに、探求の対象はさらに中国やインドの東洋美術へと広がっていく。

「『クラウドは千手観音です』なんて、お客さんの気持ちをつかむための営業トークのつもりだったのに、研究を深めていったら、仕事のため云々というよりは、それを超えて、絵に込められた意味や現代社会との親和性を紐解いていくのが僕自身の生きがいになっていたのです。そしたら、もう、定年が待ち遠しくってね(笑)」

自分と仕事と家族と。今、ちょうどいいバランスです

60歳で大手電機メーカーを定年退職後、インド現地法人の日本支店へ移籍。62歳で2度目の定年を迎えることになったとき、いくつかの進路を頭に描いてみた。が、完全にリタイアしてライフワークだけに打ち込むという選択肢は思い浮かばなかったという。

「研究三昧の日々を夢みていた時期もあったのですが、それまでトップギアで仕事してきたのが、ある日突然ぱっとゼロになってしまったら、自分のなかで何かがズレて失速するんじゃないかという予感がした。いったんギアチェンジをしたほうがいいかなと判断しました」

今、秋本さんは、派遣スタッフとして、平日の9時から17時まで、就業先で、企業の海外進出をサポートする業務に携わっている。そうして、朝は自分のため、昼は仕事に、夜は家族のためと、1日を3つに分ける生活スタイルを手に入れたのだ。

始発電車の利用は、実はすでに10数年前から。

「かつては、部下たちが出勤してくるまでに、前日の報告や顧客のメールを整理して、始業とともに指示できるようにしていたんです。今はその朝の数時間を、まるっきり自分のために使える。こんなぜいたくなことはありません」
こぼれるような笑みを浮かべ、うれしそうに語る。

週5日の仕事があるから、週末が輝く

今の生活を「一石四鳥」と評する秋本さん。毎日にメリハリがあり、自信のある海外ビジネスの経験を活かせるという点で一石二鳥、自分のライフワークに集中する時間が確保できて一石三鳥、終業後や休日には家族とゆっくり過ごすこともできて一石四鳥というわけだ。

「海外出張が多く単身赴任の時期も長かったので、これからは妻や2人の娘との時間も大切にしたいんです。日曜日には、いっしょにテレビを見たり、揃って出かけたり。娘たちもいずれ結婚して家を出るでしょうし、それまでの間はね」

気になる絵と向き合って、ああでもないこうでもないと思索しているとき、至福を感じる。「そんなにやりたいことがあるなら週3日くらいの勤務にしておけばよいのに」と助言する人もいるが、週5日の仕事があるからこそ週末のオフが際立ち、朝の限られた時間に集中するからこそ研究もはかどるのだ、と揺るぎない。

秋本さんの話の端々からのぞくのは、エンジニアらしい緻密で合理的な思考スタイルと、少年のようにピュアな探求心。

「結局、何でもとことん納得いくまでやらないと気がすまないんですよ。優れた製品があったら、すぐ分解して中を見たくなる。今は絵を、機械の代わりに分解しているような感じですね」

いろいろ試したけれど、まずは手書きのメモが便利

1枚の絵の前で、2時間でも3時間でも観察を続けるという秋本さん。『フィールドノート』と呼ぶA6サイズのノートには、「これだ」とピンときた絵の模写のほか、考えたこと、浮かんだ疑問などがぎっしりメモされている。絵1枚で4冊分を費やすことも。

「最初は適当なノートでやっていたんですが、そのうち無印良品のA6が使いやすいと気づいて、今はもっぱらこれです」

『フィールドノート』がたまってきたら、厚さ約2cmのA4の『ノート』にテーマごとにまとめ、クラウドにコピーしておく。それを見ながら、新たに思いついたアイディアや疑問は、また別の携帯用手帳に書き込む。

「情報整理はトライ&エラー。電子手帳を使ったり、最初からPCで入力しようと思ったこともありましたが、とりあえずいったんノートに手書きするのが自由度が高くていい、というのが現段階の僕なりの結論です」

ライター:高山 ゆみこ(たかやま ゆみこ)
カメラマン:刑部 友康(おさかべ ともやす)