また学生時代の話をする。「また学歴自慢ですか?」と言われるかも知れないが、やっぱり人々の知性や理性は、大体学生時代に決まると思うからだ。
僕は少なくとも、この業界に入ってからは、師匠など一部の恩人以外は、まったく「知性」などというものを感じたことがない。


今回の取材は新人制作と二人で行った。
帰りの車中で、何故か出身大学の偏差値の話になった。

「いやぁ、僕らの世界では偏差値70以上とか、考えられないっすよ!」と新人君が言うものだから、
「アホ、あんなの全部テクニックや」と、言っておいた。

「京大文学部ってな、数学は捨てろと予備校で言われてたの。大問一問解ければ十分くらいの。みんな国語か英語で勝負するの。でも俺は英語も国語も自信がないから、逆に数学勉強したの。そしたら大問二問解けたの!俺は数学で文学部に入ったんや」
「それでも京大でしょ?凄いですよ!」
「アホか!京大なんてな、所詮世界の大学ランクで7、80位や!」


勉強とか、頭の良さなんてそんなものだ。
社会は、いや少なくともアニメ業界は、頭の良さなどどこ吹く風でメチャクチャなことを言ってくる。
今も、何にも理解できない、障害者も唖然とさせるネットのバカどもが、常人では理解不能の屁理屈で逆にバカにしてくる。
バカほど自分のバカを裏返して、価値転倒させて人をバカにしたくなるのだろう(これをニーチェは「ルサンチマン革命」と呼んだ)。あるいは「反知性主義」の横行だ。
どっちがバカなのか頭がいいのか、んなもん投票でもすればいい。
くだらない。
白痴しかいないアニメ業界に知性なんかまったく役に立たない。


僕が幸か不幸か、自分の人生において決定的だったと思うのが、所謂「エリート意識」が芽生えなかった、ということだ。
だからアニメなんてしょーもないものをやっている。

幼少の時から頭が良かったようなそうでもないような、母親は見栄を張りたいから早くから塾に行かせていたが、とにかく勉強しないからそこで落ちこぼれて、俺ってこの程度だなぁ、と適当に考えていた。
親類縁者も優秀な人間はほとんどいない。自分はその程度の家系だと思っていた。

しかし、実に些細なモチベーションが生まれて、僕は受験勉強に夢中になり、自分の学歴を書き変えていく。
気が付けば大阪府最高の高校に入学していた。

しかし、やはりそこはエリート養成附属高校、育ちのいい根っからのエリートにどんどん追い越され、僕のような者はあっと言う間に落ちこぼれになる。
その頃には「俺はアニメ監督になる!」と決めていたので、屁でもなかった。
まぁなんか、「アイツは芸術家気質の変な男だ」と思われ、幸いにみんながそれを面白がってくれて、孤独に過ごさなくて済んだのだが・・・。

高校卒業しても、大学のことなんか頭になかった。
しかし両親の「大学だけは出ておいてくれ頼む」という言葉には逆らえず、じゃあなんとなく芸大かな、大阪芸大かな?日大芸術学部かな?と思ってたら(実際予備校の志望校欄に書いていた)、奇しくもその時、雑誌で読んだ宮﨑駿さんの「アニメを志すならばちゃんと勉強して普通大学を出ろ!」というお言葉に感銘を受け、真に受けて本当に京都大学に滑り込み、まぁそれなりにキャンパスライフを楽しみ、業界に入った。

僕はそんなこんなで学歴を作れはしたが、それは付け焼刃的な受験テクニックで会得できたものであり、自分が地頭がいいとは思っていない。エリートだとは決して思っていない。
ただ、「普通」である。
僕は「普通」だという感覚が非常に強い。
だから自分の言ってることは「当たり前のこと」としか思っていない。「常識的なこと」だ。
ただ、理解できない人間が下等であるだけだ。そう、僕の言ってること程度のことが理解できないのだから、社会に出てはいけないほど、そいつらは下等なのだ。

僕はエリートでも何でもなく、普通に生きている。
お前らが下等なだけなのだ。

どうしょうもない自分のバカに苦しむなら、まずそれを「自覚」すること。
そして「認める」こと。
それしかない。
他人をバカにしたりおもちゃにしたり、そんなことをやっていること自体が、既に「下等」の裏返しなのだ。
しかし彼らはあまりに「下等」なので、それすら気付かない。

僕が唯一ラッキーだったのは、本当のエリートに囲まれて、本当の頭の良さを実感できたことだ。
自分の身の程も確認できた。

狭い狭い、ネットの吹き溜まりの中、特に匿名掲示板とかでしか生きていない人間が、優秀どころか「普通」であることは、決してないだろう。
そんな「当たり前」のことにすら、この業界はまだ気付かない。


すなわち、だからこの業界自体が「下等」なのだ。