貴重な音声を貼っておく。
トスカニーニが団員に罵声を浴びせかけているところだ。

予想以上に過激だ。
「このツンボがぁ!」とまで平気で言っている。

「僕らはリベラルアートなんで☆」とか言ってたリベラル騒音マシンに聞かせてやりたい。
(もう二度とO大ブラス聴きに行くのやめよう・・・アホが移る)


さてそのリベラル騒音人間が言ってたことを今一度蒸し返してみよう。
音楽に「独裁」は悪か?

浅岡先生の評論によると、現代の指揮者はますます発言権がなくなり、へりくだって棒を振っているだけらしい。
出る音がメチャクチャな訳だ。

その中でも山田和樹や坂入健司郎など、独自の求心力でまだ音楽を作り込もうとしている指揮者もいる、と信じたいのだが・・・。


音楽に限らず「独裁」は必ずしも悪か?
アホでも解るように簡単に言うが、「他人に迷惑かけなければOK」なのだ。
特に芸術・スポーツの分野では、必要ですらある。
宮川紗江の案件でも述べた通りだ。

指揮者が独裁でも、オケが納得していればいいのだ。
そして演奏が良ければいいのだ。
近衛秀麿など、自分が作ったオケに追い出されることも良くある話だ。
相性がいいならいいで仲良くやろう、ダメならダメで別れましょう、それだけの話なのだ。
朝比奈御大やムラヴィンスキーやトスカニーニは、それでちゃんと長年オケに君臨していた。

これはスポーツにおいてもまったく同じことが言える。

特に観客にとっては、結果さえ良ければ、チームが独裁であろうがなかろうが関係ない。
悲しいかな、これがエンタメやショウビズの原則中の原則なのだ。

O大ブラスがどれだけヘタクソでアホでチャランポランでも構わないが、その自己弁護のために周囲を独裁だ何だと噛みつくのは、実に情けない。
音楽や芸術に対する理解力以前に、常識がない。
本当あそこの関係者に近寄るのやめよう。