『ユング自伝 1』 ヤッフェ編 河合隼雄ほか訳
「他の人々は皆、全然ちがった関心事をもっているように思われた。私は自分が全くの一人ぼっちであることをつくづくと感じた。(中略)なぜ誰も私に似た経験をもったことがないのだろうか。私はいぶかしく思った。なぜ学問的な著作の中には、それについて何もかいてないのだろうか。私はそのような経験をしている唯一の人間なのか。なぜ私がその唯一の人間でなければならないのか。私にはまさか自分が気が狂っているとは思えなかった。」
(『ユング自伝』 より)
『ユング自伝
― 思い出・夢・思想 1』
ヤッフェ編
河合隼雄・藤繩昭・出井淑子 訳
みすず書房
1972年6月20日 第1刷発行
1991年10月5日 第21刷発行
290p 口絵(モノクロ)i 図版(モノクロ)6p
著者・編者・訳者略歴1p
四六判 丸背布装上製本 カバー
定価2,472円(本体2,400円)
本書「訳者あとがき」より:
「一応、訳の分担は、はしがき、六・七・十一・十二章、および付録、語彙、を河合、一・二・三・四・五章を出井、八・九・十章を藤繩が担当したが、お互いに訳語や訳文を検討しあって、仕事を仕上げていった。飜訳権の関係で、訳は英訳本の Memories, Dreams, Reflections by C. G. Jung. Recorded and Edited by Aniela Jaffé, Pantheon Books, 1963, によったが、常に、Rascher Verlag, Zürich から出版された原文(Erinnerungen, Träume, Gedanken von C. G. Jung)を参照した。
なお原文は一冊の本であるが、出版の都合で、訳書ではこれを二巻に分け、六章までを第一巻、それ以下を第二巻として出版することにした。」

カバー裏文:
「スイスの分析心理学者カール・グスタフ・ユングの名前はわが国でもよく知られている。彼はフロイトと共に初期の精神分析の発展に力をつくしたが、後にフロイトと訣別し、独自の分析心理学を確立した。彼の説はヨーロッパでつよい影響力をもち、その専門領域を超えて、ひろく宗教・芸術・文学などの分野にまで影響を及ぼしている。
本書はユングの自伝である。彼の仕事と生活はいかにして形成されたか。そのユニークな洞察力と多くの理論がいかなる経験的背景をもつのか。読者は本書にのべられているユグの夢やヴィジョン(幻像)の凄まじさに、驚嘆せずにはいないだろう。ユングにとって内的世界は、外界と同じく「客観的な」一つの世界なのである。それは事象の生起している世界なのである。内界の奥深く旅して、ユングが遂に見出した「自己」について語ろうとするとき、それは神話として語るほかには、手段を見出すことができない。この本は、そうした意味で、近代における内部世界への旅を記したオデュッセイアーであるということができる。
今日の時代精神が、外向的な面に強調点をおいているときに、このような自伝を発表することの意味について、ユングは迷ったに違いない。その上、彼は自分のことについて語るのを極端に嫌った人である。しかし本文にも記されているような経過をたどって、ユングの内界からの強い要請は、81歳の老人に自らペンをもって記述するほどの力を与えたのである。そして、これはユングの遺志によって彼の死後、1962年に発行されたのであった。」
目次:
はしがき (アニエラ・ヤッフェ)
プロローグ
Ⅰ 幼年時代
Ⅱ 学童時代
Ⅲ 学生時代
Ⅳ 精神医学的活動
Ⅴ ジクムント・フロイト
Ⅵ 無意識との対決
訳者あとがき (河合隼雄)

◆本書より◆
「プロローグ」より:
「一生は、私にはいつも地下茎によって生きている植物のように思われたのである。その本当の生命(いのち)は地下茎の中にかくれていて見えない。地上にみえる部分が一夏だけ生きつづけるにすぎない。かくて、それは衰えていくつかのまの現われなのである。いのちと文明との果てしない興亡を考える時、我々は全くつまらないことという印象をうける。けれども永遠の推移の下に生き、もちたえている何かについての感覚を私は決して失ってはいなかった。我々が見ているのは花であり、それはすぎ去る。しかし根は変らない。
結局、私の一生の中で話す値打ちのある出来事は、不滅の世界がこのつかのまの世界へ侵入したことである。そしてそれが、私が夢やヴィジョンを含んだ内的体験を主にお話しする理由である。」
「幼年時代」より:
「それとほぼ同じころ(中略)私の思い出せる限りでの最初の夢みた。その夢は一生涯ずっと私の心を奪うことになったのである。その時私は三歳と四歳の間だった。
牧師館は、ラウフェン城の近くに全くぽつんと立っていて、寺男の農家の背後には大きな牧場が拡がっていた。夢で私はこの牧場にいた。突然私は地面に、暗い長方形の石を並べた穴をみつけた。かつてみたことのないものだった。私はもの珍らしそうに走り出て、穴の中をみつめた。その時、石の階段が下に通じているのをみたのである。ためらいながらそしてこわごわ、私は下りていった。底には丸いアーチ型の出入口があって、緑のカーテンで閉ざされていた。ブロケードのような織物で作られた、大きな重いカーテンでとてもぜいたくにみえた。後に何が隠されているのかを見たくて、私はカーテンを脇へ押しやった。私は自分の前のうす明りの中に長さ約一〇メートルの長方形の部屋があるのを見た。天井はアーチ形に刻んだ布で作られていた。床は敷石でおおわれ、中央には赤いじゅうたんが入口から低い台にまで及んでいた。台の上にはすばらしく見事な黄金の玉座があった。確かではないのだが、多分赤いクッションが座の上にあった。すばらしい玉座でおとぎ話の本当の王様の玉座だった。何かがその上に立っていて、はじめ、私は四―五メートルの高さで、約五〇―六〇センチメートルの太さの木の幹かと思った。とてつもなく大きくて、天井に届かんばかりだった。kれどもそれは奇妙な構造をしていた。それは、皮と裸の肉でできていて、てっぺんには顔も髪もないまんまるの頭に似た何かがあり、頭のてっぺんには目がひとつあって、じっと動かずにまっすぐ上を見つめていた。
窓もなく、はっきりした光源もなかったが、頭上には明るい光の放散があった。微動だにしないにもかかわらず、私はいつそれが虫のように、玉座から這い出して、私の方へやってくるかもしれないと感じていた。私はこわくて動けなかった。その時、外から私の上に母の声がきこえた。母は「そう、よく見てごらん、あれが人喰いですよ」と叫んだ。」
「この壁の前に、突き出た石――それは私の石だったが――の埋まった坂があった。一人の時、しばしば私はこの石の上にすわって、次のような想像の遊びをはじめた。「私はこの石の上にすわっている。そして石は私の下にある。」けれども石もまた「私だ」といい得、次のように考えることもできた。「私はここでこの坂に横たわり、彼は私の上にすわっている」と。そこで問いが生じてくる。「私はいったい、石の上にすわっている人なのか、あるいは、私が石でその上に彼がすわっているのか。」この問いは常に私を悩ませた。そしていったい誰が何なのかといぶかしく思いながら立上ったものだった。答えは全くはっきりせずじまいで、私の不確かさは好奇な魅惑的な闇の感じに伴われることになった。けれどもこの石が私にとってある秘密の関係に立っていることは全く疑う余地がなかった。私は自分に課せられた謎に魅せられて、数時間もの間その上にすわっていることもできたのである。」
「学童時代」より:
「後になって母は私に、そのころ私がしばしばふさぎ込んでいたと言った。本当はそうではなかった。むしろ私は、秘密のことを考えていたのである。そんな時、私の石の上に坐ると、奇妙にも安心し、気持が鎮まった。ともかく、そうすると私のあらゆる疑念が晴れたのである。自分が石だと考えた時はいつでも、葛藤は止んだ。「石は不確かさも、意志を伝えようという強い衝動も持っていず、しかも数千年にわたって永久に全く同じものである」が、「一方私はといえば、すばやく燃え上り、その後急速に消え失せていく炎のように、突然あらゆる種類の情動をどっと爆発させるつかのまの現われにすぎない」のだった。私が私の情動の総体であるにすぎないのに対し、私の中に存する他人は、永久・不滅の石だったのである。」
「私はあらゆる競争を嫌い、もし誰かが遊びを競争的にしすぎると、すぐにその遊びから逃げた。」
「たいていの先生たちは、私のことを、愚かでしかも悪がしこいと思っていた。学校で何か悪いことがあると、まず私に嫌疑がかけられた。何処かで騒ぎが起こると、私がそそのかしたと思われた。私がそんな口論にかかわりあったのはたった一度だけなのだが、まさにその時に私は、多くの学校仲間たちが私に敵意を抱いていることを知ったのである。」
「敵をもち、かつ不当に責められることは、私の予期していなかったことだったが、どういうわけか私は、それを不可解なことだとは思わなかった。」
「当初から、私はまるで私の生涯が運命づけられており、充たされなければならないものであるかのような宿命感をいだいていた。」
「私は自分の思想ゆえに孤独のままであった。概して私はそれを最も好んだ。私は一人で遊び、一人で森の中で白昼夢に耽ったり散歩したりして、私だけの秘密の世界をもっていたのである。」
「他の人々は皆、全然ちがった関心事をもっているように思われた。私は自分が全くの一人ぼっちであることをつくづくと感じた。(中略)なぜ誰も私に似た経験をもったことがないのだろうか。私はいぶかしく思った。なぜ学問的な著作の中には、それについて何もかいてないのだろうか。私はそのような経験をしている唯一の人間なのか。なぜ私がその唯一の人間でなければならないのか。私にはまさか自分が気が狂っているとは思えなかった。」
「学生時代」より:
「我々人間は自分の個人的な生命を持っているとはいえ、大部分は依然としてその年齢が数世紀単位で数えられるような集合的な霊(スピリット)の相続人であり、犠牲者であり、推進者である。(中略)我々の気づいていない要因が現に我々の生活に影響を及ぼしており、それが無意識的なものである場合にはますますその影響は深いのである。このようにして、我々の存在の少なくとも一部分は数世紀にわたって生きているのであり、その部分を、これは私個人の習慣だが、No 2 と名づけてきたのである。西洋の宗教によって、それが個人のもの好きではないことが立証された。宗教は自らをこの内的な人に適用し、ほぼ二千年にわたって、彼に我々の表面的な意識を理解させようと一生懸命になって熱心に試みてきたのである「外へ行くな、真理は内部の人に宿っている」。」
「私は、自分が世界のはしへと突き進んできたと感じた。私に燃えるような興味を起こさせるものは他人には無益で価値のないものであり、恐怖を起こさせるもとでさえあったのである。」
「決定はなされた。内科の先生に私の心づもりを話した時、私は彼の顔に驚きと失望とを読みとることができた。私の古傷、つまりアウトサイダーであり、他人と疎遠であるという感情が再びうずきはじめた。しかし今度はなぜかがわかっていた。誰も、私自身でさえ、自分がこんな不可解なわき道に興味をそそられるようになるなどとは思ってもみなかったのだから。友人たちは、いざなうように目の前にぶら下っている内科での経歴のまたとないチャンスを、精神医学のようなつまらぬもののために棒に振るとは私も馬鹿者だと、驚きあきれた。
私には自分が誰もついて来ることができず、またそうしようとも思わないようなわき道に明らかに入り込んでしまったのがわかった。しかし私の決心は変らず、しかもそれは宿命なのだということを悟ったのである。何も、またどんな人も、私をこの目的から離れさせることはできなかったであろう。」
「精神医学的活動」より:
「私は患者を何かに変えようとは決してしなかったし、何らの強制も行わなかった。私にとっていちばん重大なのは、患者が物事について彼自身の見解をうるということである。私の治療のもとで、運命の命ずるままに、異教徒は異教徒に、クリスチャンはクリスチャンに、ユダヤ人はユダヤ人になるのである。」
「ジクムント・フロイト」より:
「今でも私は、フロイトが「親愛なるユング、決して性理論を棄てないと私に約束してください。それは一番本質的なことなのです。私たちはそれについての教義を、ゆるぎない砦を作らなければならないのです。ね、そうでしょう」と言ったあの時の有様を生き生きと思い出すことができる。このことを彼は感情をこめて、まるで父親が「私の愛する息子、日曜日には必ず教会へ行くと、ひとつ私に約束してください」というような調子で言ったのである。いささか驚いて、私は彼に聞き返した。「砦って、いったい何に対しての?」それに対して彼は答えた。「世間のつまらぬ風潮に対して」――ここで彼はしばらくためらい、そしてつけ加えた。――「オカルト主義のです。」」
「このことは私たちの友情の核心をついた事柄であった。私は自分が決してそのような態度を受け入れることができないのを知っていた。」
「無意識との対決」より:
「私の描いたマンダラは、日毎に新しく私に示された自己の状態についての暗号であった。それらの私は私の自己――すなわち、私の全存在――が実際に働いているのを見た。(中略)私はそれらを貴重な真珠のように大切にした。私は、それらが何か中心的なものであるという明確な感情を抱いた。そして、時とともにそれらを通じて、自己の生きた概念を獲得した。自己は、あたかもそれが私自身であり、私の世界である単子(モナド)のようであった。マンダラはその単子(モナド)を表現し、心のミクロコスミックな性質に相応している。」
こちらもご参照下さい:
『ユング自伝 2』 ヤッフェ編 河合隼雄ほか訳
(『ユング自伝』 より)
『ユング自伝
― 思い出・夢・思想 1』
ヤッフェ編
河合隼雄・藤繩昭・出井淑子 訳
みすず書房
1972年6月20日 第1刷発行
1991年10月5日 第21刷発行
290p 口絵(モノクロ)i 図版(モノクロ)6p
著者・編者・訳者略歴1p
四六判 丸背布装上製本 カバー
定価2,472円(本体2,400円)
本書「訳者あとがき」より:
「一応、訳の分担は、はしがき、六・七・十一・十二章、および付録、語彙、を河合、一・二・三・四・五章を出井、八・九・十章を藤繩が担当したが、お互いに訳語や訳文を検討しあって、仕事を仕上げていった。飜訳権の関係で、訳は英訳本の Memories, Dreams, Reflections by C. G. Jung. Recorded and Edited by Aniela Jaffé, Pantheon Books, 1963, によったが、常に、Rascher Verlag, Zürich から出版された原文(Erinnerungen, Träume, Gedanken von C. G. Jung)を参照した。
なお原文は一冊の本であるが、出版の都合で、訳書ではこれを二巻に分け、六章までを第一巻、それ以下を第二巻として出版することにした。」
カバー裏文:
「スイスの分析心理学者カール・グスタフ・ユングの名前はわが国でもよく知られている。彼はフロイトと共に初期の精神分析の発展に力をつくしたが、後にフロイトと訣別し、独自の分析心理学を確立した。彼の説はヨーロッパでつよい影響力をもち、その専門領域を超えて、ひろく宗教・芸術・文学などの分野にまで影響を及ぼしている。
本書はユングの自伝である。彼の仕事と生活はいかにして形成されたか。そのユニークな洞察力と多くの理論がいかなる経験的背景をもつのか。読者は本書にのべられているユグの夢やヴィジョン(幻像)の凄まじさに、驚嘆せずにはいないだろう。ユングにとって内的世界は、外界と同じく「客観的な」一つの世界なのである。それは事象の生起している世界なのである。内界の奥深く旅して、ユングが遂に見出した「自己」について語ろうとするとき、それは神話として語るほかには、手段を見出すことができない。この本は、そうした意味で、近代における内部世界への旅を記したオデュッセイアーであるということができる。
今日の時代精神が、外向的な面に強調点をおいているときに、このような自伝を発表することの意味について、ユングは迷ったに違いない。その上、彼は自分のことについて語るのを極端に嫌った人である。しかし本文にも記されているような経過をたどって、ユングの内界からの強い要請は、81歳の老人に自らペンをもって記述するほどの力を与えたのである。そして、これはユングの遺志によって彼の死後、1962年に発行されたのであった。」
目次:
はしがき (アニエラ・ヤッフェ)
プロローグ
Ⅰ 幼年時代
Ⅱ 学童時代
Ⅲ 学生時代
Ⅳ 精神医学的活動
Ⅴ ジクムント・フロイト
Ⅵ 無意識との対決
訳者あとがき (河合隼雄)
◆本書より◆
「プロローグ」より:
「一生は、私にはいつも地下茎によって生きている植物のように思われたのである。その本当の生命(いのち)は地下茎の中にかくれていて見えない。地上にみえる部分が一夏だけ生きつづけるにすぎない。かくて、それは衰えていくつかのまの現われなのである。いのちと文明との果てしない興亡を考える時、我々は全くつまらないことという印象をうける。けれども永遠の推移の下に生き、もちたえている何かについての感覚を私は決して失ってはいなかった。我々が見ているのは花であり、それはすぎ去る。しかし根は変らない。
結局、私の一生の中で話す値打ちのある出来事は、不滅の世界がこのつかのまの世界へ侵入したことである。そしてそれが、私が夢やヴィジョンを含んだ内的体験を主にお話しする理由である。」
「幼年時代」より:
「それとほぼ同じころ(中略)私の思い出せる限りでの最初の夢みた。その夢は一生涯ずっと私の心を奪うことになったのである。その時私は三歳と四歳の間だった。
牧師館は、ラウフェン城の近くに全くぽつんと立っていて、寺男の農家の背後には大きな牧場が拡がっていた。夢で私はこの牧場にいた。突然私は地面に、暗い長方形の石を並べた穴をみつけた。かつてみたことのないものだった。私はもの珍らしそうに走り出て、穴の中をみつめた。その時、石の階段が下に通じているのをみたのである。ためらいながらそしてこわごわ、私は下りていった。底には丸いアーチ型の出入口があって、緑のカーテンで閉ざされていた。ブロケードのような織物で作られた、大きな重いカーテンでとてもぜいたくにみえた。後に何が隠されているのかを見たくて、私はカーテンを脇へ押しやった。私は自分の前のうす明りの中に長さ約一〇メートルの長方形の部屋があるのを見た。天井はアーチ形に刻んだ布で作られていた。床は敷石でおおわれ、中央には赤いじゅうたんが入口から低い台にまで及んでいた。台の上にはすばらしく見事な黄金の玉座があった。確かではないのだが、多分赤いクッションが座の上にあった。すばらしい玉座でおとぎ話の本当の王様の玉座だった。何かがその上に立っていて、はじめ、私は四―五メートルの高さで、約五〇―六〇センチメートルの太さの木の幹かと思った。とてつもなく大きくて、天井に届かんばかりだった。kれどもそれは奇妙な構造をしていた。それは、皮と裸の肉でできていて、てっぺんには顔も髪もないまんまるの頭に似た何かがあり、頭のてっぺんには目がひとつあって、じっと動かずにまっすぐ上を見つめていた。
窓もなく、はっきりした光源もなかったが、頭上には明るい光の放散があった。微動だにしないにもかかわらず、私はいつそれが虫のように、玉座から這い出して、私の方へやってくるかもしれないと感じていた。私はこわくて動けなかった。その時、外から私の上に母の声がきこえた。母は「そう、よく見てごらん、あれが人喰いですよ」と叫んだ。」
「この壁の前に、突き出た石――それは私の石だったが――の埋まった坂があった。一人の時、しばしば私はこの石の上にすわって、次のような想像の遊びをはじめた。「私はこの石の上にすわっている。そして石は私の下にある。」けれども石もまた「私だ」といい得、次のように考えることもできた。「私はここでこの坂に横たわり、彼は私の上にすわっている」と。そこで問いが生じてくる。「私はいったい、石の上にすわっている人なのか、あるいは、私が石でその上に彼がすわっているのか。」この問いは常に私を悩ませた。そしていったい誰が何なのかといぶかしく思いながら立上ったものだった。答えは全くはっきりせずじまいで、私の不確かさは好奇な魅惑的な闇の感じに伴われることになった。けれどもこの石が私にとってある秘密の関係に立っていることは全く疑う余地がなかった。私は自分に課せられた謎に魅せられて、数時間もの間その上にすわっていることもできたのである。」
「学童時代」より:
「後になって母は私に、そのころ私がしばしばふさぎ込んでいたと言った。本当はそうではなかった。むしろ私は、秘密のことを考えていたのである。そんな時、私の石の上に坐ると、奇妙にも安心し、気持が鎮まった。ともかく、そうすると私のあらゆる疑念が晴れたのである。自分が石だと考えた時はいつでも、葛藤は止んだ。「石は不確かさも、意志を伝えようという強い衝動も持っていず、しかも数千年にわたって永久に全く同じものである」が、「一方私はといえば、すばやく燃え上り、その後急速に消え失せていく炎のように、突然あらゆる種類の情動をどっと爆発させるつかのまの現われにすぎない」のだった。私が私の情動の総体であるにすぎないのに対し、私の中に存する他人は、永久・不滅の石だったのである。」
「私はあらゆる競争を嫌い、もし誰かが遊びを競争的にしすぎると、すぐにその遊びから逃げた。」
「たいていの先生たちは、私のことを、愚かでしかも悪がしこいと思っていた。学校で何か悪いことがあると、まず私に嫌疑がかけられた。何処かで騒ぎが起こると、私がそそのかしたと思われた。私がそんな口論にかかわりあったのはたった一度だけなのだが、まさにその時に私は、多くの学校仲間たちが私に敵意を抱いていることを知ったのである。」
「敵をもち、かつ不当に責められることは、私の予期していなかったことだったが、どういうわけか私は、それを不可解なことだとは思わなかった。」
「当初から、私はまるで私の生涯が運命づけられており、充たされなければならないものであるかのような宿命感をいだいていた。」
「私は自分の思想ゆえに孤独のままであった。概して私はそれを最も好んだ。私は一人で遊び、一人で森の中で白昼夢に耽ったり散歩したりして、私だけの秘密の世界をもっていたのである。」
「他の人々は皆、全然ちがった関心事をもっているように思われた。私は自分が全くの一人ぼっちであることをつくづくと感じた。(中略)なぜ誰も私に似た経験をもったことがないのだろうか。私はいぶかしく思った。なぜ学問的な著作の中には、それについて何もかいてないのだろうか。私はそのような経験をしている唯一の人間なのか。なぜ私がその唯一の人間でなければならないのか。私にはまさか自分が気が狂っているとは思えなかった。」
「学生時代」より:
「我々人間は自分の個人的な生命を持っているとはいえ、大部分は依然としてその年齢が数世紀単位で数えられるような集合的な霊(スピリット)の相続人であり、犠牲者であり、推進者である。(中略)我々の気づいていない要因が現に我々の生活に影響を及ぼしており、それが無意識的なものである場合にはますますその影響は深いのである。このようにして、我々の存在の少なくとも一部分は数世紀にわたって生きているのであり、その部分を、これは私個人の習慣だが、No 2 と名づけてきたのである。西洋の宗教によって、それが個人のもの好きではないことが立証された。宗教は自らをこの内的な人に適用し、ほぼ二千年にわたって、彼に我々の表面的な意識を理解させようと一生懸命になって熱心に試みてきたのである「外へ行くな、真理は内部の人に宿っている」。」
「私は、自分が世界のはしへと突き進んできたと感じた。私に燃えるような興味を起こさせるものは他人には無益で価値のないものであり、恐怖を起こさせるもとでさえあったのである。」
「決定はなされた。内科の先生に私の心づもりを話した時、私は彼の顔に驚きと失望とを読みとることができた。私の古傷、つまりアウトサイダーであり、他人と疎遠であるという感情が再びうずきはじめた。しかし今度はなぜかがわかっていた。誰も、私自身でさえ、自分がこんな不可解なわき道に興味をそそられるようになるなどとは思ってもみなかったのだから。友人たちは、いざなうように目の前にぶら下っている内科での経歴のまたとないチャンスを、精神医学のようなつまらぬもののために棒に振るとは私も馬鹿者だと、驚きあきれた。
私には自分が誰もついて来ることができず、またそうしようとも思わないようなわき道に明らかに入り込んでしまったのがわかった。しかし私の決心は変らず、しかもそれは宿命なのだということを悟ったのである。何も、またどんな人も、私をこの目的から離れさせることはできなかったであろう。」
「精神医学的活動」より:
「私は患者を何かに変えようとは決してしなかったし、何らの強制も行わなかった。私にとっていちばん重大なのは、患者が物事について彼自身の見解をうるということである。私の治療のもとで、運命の命ずるままに、異教徒は異教徒に、クリスチャンはクリスチャンに、ユダヤ人はユダヤ人になるのである。」
「ジクムント・フロイト」より:
「今でも私は、フロイトが「親愛なるユング、決して性理論を棄てないと私に約束してください。それは一番本質的なことなのです。私たちはそれについての教義を、ゆるぎない砦を作らなければならないのです。ね、そうでしょう」と言ったあの時の有様を生き生きと思い出すことができる。このことを彼は感情をこめて、まるで父親が「私の愛する息子、日曜日には必ず教会へ行くと、ひとつ私に約束してください」というような調子で言ったのである。いささか驚いて、私は彼に聞き返した。「砦って、いったい何に対しての?」それに対して彼は答えた。「世間のつまらぬ風潮に対して」――ここで彼はしばらくためらい、そしてつけ加えた。――「オカルト主義のです。」」
「このことは私たちの友情の核心をついた事柄であった。私は自分が決してそのような態度を受け入れることができないのを知っていた。」
「無意識との対決」より:
「私の描いたマンダラは、日毎に新しく私に示された自己の状態についての暗号であった。それらの私は私の自己――すなわち、私の全存在――が実際に働いているのを見た。(中略)私はそれらを貴重な真珠のように大切にした。私は、それらが何か中心的なものであるという明確な感情を抱いた。そして、時とともにそれらを通じて、自己の生きた概念を獲得した。自己は、あたかもそれが私自身であり、私の世界である単子(モナド)のようであった。マンダラはその単子(モナド)を表現し、心のミクロコスミックな性質に相応している。」
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