José Francisco Molina (モリーナ) |
1970-8-8 | スペイン代表 | 1995-2000 | デポルティボ・デ ・ラ・コルーニャ |
通算5季189試合。1995-96シーズンはサモラ(最優秀GK)に。デポル時代には膀胱癌になるが、復帰。 |
Defensa(DF) | 生年月日 | 国籍 | 在籍期間 | 現/最終所属 | コメント |
José Antonio Chamo (チャモ) |
1969-5-17 | アルゼンチン代表 | 1998-99 | ACミラン (イタリア) |
通算1季33試合0得点。アルゼンチンを支えたイケメンDF。 |
Carlos Gamara (ガマラ) |
1971-2-17 | パラグアイ代表 | 1999-2000 | インテル (イタリア) |
パラグアイ堅守の要。 |
Joan Capdevila (カプデビラ) |
1978-2-3 | スペイン代表 | 1999-2000 | デポルティボ・デ ・ラ・コルーニャ |
通算1季31試合2得点。デポルでは控えながら活躍しスペイン代表にも抜擢。デポルを代表する選手の一人。 |
Fabricio Coloccini (コロッチーニ) |
1982-1-22 | アルゼンチン代表 | 2002-03 | ビジャレアル | ボンバーヘッド。本人は残留を望んでいたがやむなく移籍。これからのアルゼンチン代表DFを担う逸材。 |
Centrocampista(MF) | 生年月日 | 国籍 | 在籍期間 | 現/最終所属 | コメント |
Bernd Schuster (ベルント・シュスター) |
1959-12-22 | ドイツ代表 | 1990-93 | バイヤー・ レバークーゼン (1993-96:引退) |
SVハメルシュミーデ(ドイツ:71-76)で選手生活を始めたシュスターは、FCアウグスブルク(76-78)、FCケルン(78-80)と渡り頭角を現す。そして、20歳で当時の西ドイツを1980年の欧州選手権優勝に導く。同年にはバロンドール次点。その後バルセロナ(80-88)、レアル・マドリー(88-90)と渡りアトレティコに。スペインでも活躍した後、ドイツに戻りレバークーゼン(93-96)で現役を終える。2004-05シーズンからレバンテの監督として再びリーガの舞台に。 |
Donato Gama da Silva (ドナト) |
1962-12-30 | 元スペイン代表 | 1988-93 | デポルティボ・デ ・ラ・コルーニャ (2003:引退) |
通算5季173試合11得点。アトレティコの後デポルに10季滞在したスペインを代表するブラジル生まれのピボーテ。 |
Vladimir Jugovic (ユーゴビッチ) |
1969-8-30 | ユーゴスラビア (現セルビア・モンテネグロ) |
98-99 | アドミラ・バッカー (オーストリア) |
14歳でユーゴの名門レッドスター入りし、19歳のとき兵役を経て、リド・ベオグラードで過ごした後、レッドスターに復帰・レギュラーに定着。1990-91欧州チャンピオンズ・カップ(現CL)優勝の立役者。セルビアの魔術師。その後、内戦で荒れる母国を気遣いながらビッグ・クラブを渡り歩き、ユベントス時代(1995-97)には二度目の欧州制覇(95-96)。98-99シーズンにアトレティコ入り。現在も現役の模様。 |
Demetrio Albertini (アルベルティーニ) |
1971-8-23 | イタリア代表 | 2002-03 | ラツィオ (イタリア) |
1季ながら足跡を残したミランとイタリアの大クラック。 |
Juninho Paulista (ジュニーニョ・パウリスタ) 本名:Osvaldo Giroldo Junior |
1973-2-22 | ブラジル代表 | 1997-99 | セルティック (スコットランド) |
サンパウロ(ブラジル:92-95)でプロ生活を始めたジュニーニョはトヨタカップの2年連続優勝と大貢献し移籍、ミドルスブラ(イングランド:95-97)で大成功をおさめる。その後、アトレティコに移籍、最強のトライアングルを結成するも、1998年に骨折(ミチェル・サルガドによる)。もう終わりかと思われたが、ミドルスブラ(1999-2000)、バスコ・ダ・ガマ(ブラジル:00-01)、フラメンゴ(ブラジル:01-02)と渡り歩き、ブラジル代表にも復帰。2002年W杯日韓大会優勝に貢献。その功績で再び古巣ミドルスブラ(02-)に。一年目はけがに悩まされるも、2003-04は復帰(FAカップ制覇)。2004-05シーズンからスコットランドの雄グラスゴー・セルチックに移籍。 間違いなく世界最高のファンタジスタの一人。イングランドとスペインを比べるインタビューの中で、アトレティコ時代は辛かったと語っていたが、それは怪我のせいだと思いたい。 |
Jordi Lardín (ラルディン) |
1973-6-4 | スペイン | 1997-2000 | サラゴサ | |
Juan Carlos Valerón (バレロン) |
1975-6-27 | スペイン代表 | 1998-2000 | デポルティボ・デ ・ラ・コルーニャ |
通算2季65試合7得点。今やデポル、スペイン代表の司令塔。"スペインのジダン"とも呼ばれるが、プロテスタントへの信仰が厚いせいか、覇気に欠けるといわれると言われている。 |
Rubén Baraja (バラハ) |
1975-7-1 | スペイン代表 | 1996-2000 | バレンシア | 通算2季33試合3得点(アトレティコB時代を含めると5季112試合23得点)。バレンシア、スペイン代表の顔の一人。ピボーテと言えば真っ先に浮かぶ存在である。 |
Santiago Solari (ソラーリ) |
1976-10-7 | アルゼンチン代表 | 1998-2000 | レアル・マドリー | 通算1.5季46試合7得点。今やレアル・マドリーの豪華な控え筆頭。控えなのに、いや控えであるからこそなのかもしれないが結果を出し続けている。 |
Quinton Fortune (クイントン・フォーチュン) |
1977-5-21 | 南アフリカ代表 | 1996-99 | マンチェスター ・ユナイテッド (イングランド) |
通算3季。マンチェでも頭角を現しつつある南アフリカの顔。 |
Luis García (ルイス・ガルシア) |
1978-6-24 | スペイン | 2002-03 | リバプール (イングランド) |
通算1季30試合9得点。レンタル先のアトレティコで認められバルサに復帰。バルサのサイドに定着した右サイド。バルサからイングランドのリバプールに2004-05シーズンから活躍の舞台を移す。 |
Delantero(FW) | 生年月日 | 国籍 | 在籍期間 | 現/最終所属 | コメント |
Hugo Sanchez Marquez (ウーゴ・サンチェス) |
1958-7-11 | 元メキシコ代表 | 1981-85 | アトレティコ・セラヤ (メキシコ) |
メキシコが生んだ世界最高のストライカー。UNAM(メキシコ:71-79,79-80,80-81)でプレーを始めたこのメヒカーノは、サンディエゴ・ソッカーズ(USA:79,80)とプレーした後アトレティコにやってきた。この稀代のFWはロヒブランコでその才能を発揮させ、84-85シーズンにはピチチ(得点王)に。その後、レアル・マドリード(85-92)に移籍し、リーガ史上唯一の4季連続得点王(84-88)を達成。トータルでリーガで5度の得点王(84-88,89-90)に輝き、レアル第二期黄金時代(85-90の5季連続優勝)の最大の功労者も一人。1989-90シーズンには38得点の今だ破られぬリーガ記録で得点王に。その後、メキシコのアメリカ(92-93)に行くが翌年再びスペインのラーヨ・バジェカーノ(93-94)に移籍し、マドリッドの主要3クラブ全てに在籍した。その後、アトランテ(メキシコ:94-95)、リンツ(オーストリア:95-96)、ダラス・バーン(USA:96)と渡り、最後は地元メキシコのアトレティコ・セラヤ(97)で引退した。 渡西直後は「エジプト人の闘牛士」というあだ名であったが、やがて"Torero(トレロ)"(「闘牛士」)と呼ばれるようになった。メキシコ代表としても長く務め、1978年アルゼンチン、1986年メキシコ、1994年アメリカと三大会に出場(通算8試合1得点)。国民からは "Niño de Oro(ニーニョ・デ・オーロ)"「黄金の子」と呼ばれ崇められた。彼に欠けていたのはクラブでの国際タイトルだけであろう(黄金時代ではあったがレアルはその間欧州チャンピオンにはなっていない)。この20世紀サッカー史上に燦然と輝く稀代のクラックがアトレティコでその歩みを始めたことは、ロヒブランコの歴史においても偉大な軌跡である。 |
Julio Salinas Fernandez (フリオ・サリナス) |
1962-9-11 | スペイン代表 | 1986-88 | アラベス (1998-2000:引退) |
通算2季。ビルバオ出身のこのバスク人ストライカーは、地元アスレチック・ビルバオ(82-86)を皮切りに、アトレティコに移り、その後バルセロナ(88-94)で頂点を築く(バルサ驚異の4連覇の黄金時代の担い手)。位後デポルティボ(94-95)、ヒホン(95-97)と渡り、1998年には横浜マリノス(97-98)で大活躍(通算47試合34得点5アシスト)。日本でも成功した数少ないエース級外国人の一人。その後アラベス(1998-2000)で引退。W杯も1986年のメキシコ大会を皮切りに、イタリア、アメリカと三大会連続で出場した(3大会通算12試合3得点)。アトレティコでの足跡は小さいが、スペインを、いや彼にとってはバスクというべきか、代表する名選手。 |
Paulo Jorge Dos Santos Futre (パウロ・フットレ) |
1966-2-28 | ポルトガル代表 | 1987-93 1997-98 |
横浜フリューゲルス (1998:引退) |
あのラウールの憧れであった天才レフティ。ポルトガルの星。ポルトガルの名門スポルティング・クリスタル(76-84)で選手生活を始めたフットレは、またも国内の名門ポルト(84-87)に移籍し、アトレティコに。国王杯の2連覇に貢献。その後、ポルトガルの三大名門クラブの残る一つベンフィカ(93)に移籍、マルセイユ(フランス:93-94)、レッジアーナ(イタリア:94-95)、ACミラン(イタリア:95-96)、ウェスト・ハム(イングランド:96-97)と渡り、再びアトレティコ(97-98)に復帰。怪我の影響もありいい成績をおさめられなかったが、なんと横浜フリューゲルス(98)に移籍。あまり思うような成績は残せなかったが(通算16試合3得点)、この名選手は日本で引退を迎えた。2002-03にはアトレティコのGMを務めた。 |
Manolo Sánchez Deldado (マノロ・サンチェス・デルガド) |
1965-1-17 | スペイン代表 | 1988-95 | メリダ |
カセーレス生まれのこの名FWは、地元カセレーニョを皮切りに、ムルシア、サバデジィ(Sabadell)と渡り歩き、アトレティコで長く活躍した。代表でも28キャップ9得点と好成績を残している。 |
Milinko Pantic (ミリンコ・パンティッチ) |
1966-9-5 | 元ユーゴスラビア代表 | 1995-98 | パニオニオス (ギリシア) |
地元の旧ユーゴ(現セルビア・モンテネグロ)のパルチザン・ベオグラード(85-91)でプレーを始め、ギリシアのパニオニオス(91-95)に。そこでのプレーから当時のアトレティコ監督アンティッチ(2003年現在ACミラン監督)に誘われ、アトレティコに。リーガ、国王杯のニ冠に貢献。在籍通算3季116試合18得点。1996-97シーズンにはCLで5得点ながら得点王に。その後、古巣パニオニオスに復帰し、現在も現役(?)。 |
Jimmy Floyd Hasselbaink (ハッセルバインク) |
1972-3-27 | オランダ代表 | 1999-2000 | ミドルスブラ (イングランド) |
1季24得点。得点王の次点に輝きながらチームは2部降格。アトレティコにとっては悲運のFW。オランダの人材の宝庫スリナム出身。2004-05シーズンからはミドルスブラに活躍の舞台を移行。 |
Francisco Narvaez 'Kiko' (キコ) |
1972-4-26 | スペイン代表 | 1993-2001 | ACミラン (イタリア) |
アトレティコを長く支えた名FW。 |
Christian Vieri (ビエリ) |
1973-7-12 | イタリア代表 | 1997-98 (得点王) |
インテル (イタリア) |
通算1季24試合24得点。オーストラリア生まれの怪物FWはアトレティコが躍進のきっかけ。 |
José Mari Romero (ホセ・マリ) |
1978-12-10 | 元スペイン代表 | 1997-99 2002-03 |
ビジャレアル |