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連日盛り上がりを見せる、8月5日よりブラジルで開催中の4年に1度のスポーツの祭典「リオデジャネイロ・オリンピック2016」。「商業的」として批判を受けることもあるが、オリンピックのスポンサーを務める企業が果たす役割が大きいのも確か。五輪スポンサーと言っても、その種類は沢山あるが、世界中で自社の製品とオリンピックを絡めたキャンペーンをすることが許されるのは、一業種から一社のみという狭き門になっている最高位のスポンサーである「トップ・パートナー(ワールドワイド・スポンサー)」のみ。国際オリンピック委員会と契約し、リオ五輪のトップ・パートナーとして公式スポンサーに就任している企業の数々をご紹介する。

コカ・コーラ

© Getty Images

世界的な飲料メーカーの米コカ・コーラは、1928年のアムステルダム・オリンピック以来、最高位のトップ・パートナーのひとつとして最も長く公式スポンサーに名を連ねており、オリンピックの幕開けであるビッグイベント・聖火リレーのスポンサーも務める。スポンサー契約は2020年まで延長されており、大会期間中の清涼飲料水の提供や、観戦以外でイベントを盛り上げる各種キャンペーンなどでサポートに取り組む。

 

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プロ野球
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スポーツ
2013年の新入団選手発表で森(前列左)と山川(同右)とともに記念撮影に臨んだ井原監督(同中央)

西武Vの遠因、53試合で休養した監督

★(1) 西武が10年ぶりのリーグ優勝を果たした。わずか2年前まで3年連続Bクラスで“暗黒時代”と呼ばれていたが、実はその間に、今季大輪の花を咲かせることになる“種”がまかれていた。 2013年の西武はシーズン2位でクライマックスシリーズ出場を果たしたが、第1ステージで敗退。就任1年目に日本一に輝いたものの、5年連続V逸となった渡辺久信監督(現シニアディレクター=SD)は「ライオンズは優勝しなければダメなんです」とのセリフを残し辞任。伊原春樹氏が11年ぶり2度目の西武監督の座に就いた。 ところが、そこから暗黒期は始まった。「渡辺監督でチームの雰囲気が緩んでいるところがあった。それをちょっと変えてほしかったが、伊原監督は大きく変えようとしすぎた」(球団幹部)。14年は開幕からつまずき、借金が13に膨らんだ6月、わずか53試合で休養。しかしこの半年間に、今年の優勝への土台が築かれていた。 就任2日後の10月24日に開かれたドラフト会議で、西武は1位に森友哉捕手(大阪桐蔭高)、2位に山川穂高内野手(富士大)を指名。伊原氏は「球団が『森を指名します』というので、『あの捕手か。いいんじゃないか』と、それだけだよ。スカウトは1年どころか、3年も4年もかけて選手を見ている。そこへ監督が口出しして別の選手を指名したという話はよく聞くが、そういうことをしたくないから、俺はドラフト会議にも出なかった」と振り返る。 ...

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プロ野球
“東名マイスター”有村智恵 今シーズン2勝目を飾れるか(撮影:佐々木啓)

有村が警戒する「優勝への分かれ道」

<スタンレーレディス 事前情報◇4日◇東名カントリークラブ(6571ヤード・パー72)> 2009年、11年、12年と3度「スタンレーレディス」を制している有村智恵。3勝して以降、1グリーンへの改修が始まり今年で完全に工事完了と徐々に様変わりを見せている東名カントリークラブだが、「良いイメージはすごくありますね。あとは自分の状態次第。パッティングのイメージが出てくれば優勝争いできる」と胸を張る。 なぜ東名CCに強いのか。有村は改めてこう分析する。「元々私はフルショットというよりも、ラインを出すショットでゴルフを組み立てるのがメイン。ここのコースは起伏が激しく平らなところからセカンドショットを打つことがほとんど無い。その中で距離感だったり、グリーンで止めたり、逆に手前から転がして乗せたり。そういうバリエーションのショットが得意だからではないでしょうか」。総距離は長くないが、その分ショットの種類は求められる。そういった部分が自分とマッチしたと考えている。 そんな有村が「優勝への分かれ道」と話すのが17番パー4のティショット。「優勝争いの緊張状態の中でティショットをフェアウェイに置けるかどうか。ラフに行ってしまうのか。これでクラブが3〜4番手変わる。つまり難易度が大きく変わる」。 ...

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ゴルフ
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