自分の部屋のドアは、たいてい開けてある。
別に、なかにヘッジホッグさんをひきこんで、あんないけないことやこんなひとにはなせないことをしているわけではないことを表現しているわけではなくて、子供のときからの習慣です。
おおきく開いたドアの上に、大学時代以来の、
Beer is the Answer…I Don’t Remember the Question
という緑色の板に金文字で書かれた扁額がかかっている。
ドアが閉まっていることも稀にはあって、もうほとんどドアが閉まっているようなことはなくなったが、そういうときは、なにごとかに集中しているときで、誰かがノックでもしようものなら、もうめちゃめちゃ機嫌が悪くなって、なかから本を投げてドアにぶつける音がする。
わがままに育ったのが、よく、わかりますね。
それでも家のひと(←モニさんでは、ありません)は、開いたままのドアをノックして、サンドイッチは、どうされます?
きゅうりとハムとマスタードでいいですか?
と、聞く。
クラスト、オア、ノークラスト?
と訊ねる。
パンの耳というものが嫌いなので、もうかれこれ5年くらい耳付きのサンドイッチというものを、お願いしたことがないが、それでも律儀に必ず、
クラスト、オア、ノークラスト?
と聞くところが、家の人の器量というものなのであろうとおもう。
サンドイッチという食べ物は、小さなときからの記憶の至るところに出てくる。
最も好きなのは、きゅうりのサンドイッチで、子供のときには、この世界からきゅうりというものが消滅してしまったら、自分はどうやって生きていけばいいのか、とマジメに心配したことがあるほど好きです。
食べ物で、なくなってしまったら世を儚んで死んでしまうしかないとまで思い詰めたことがあるのは、きゅうりとチョコレートだけで、チョコレートはそのまま囓っていればすむが、きゅうりは、そんなもの、ただ囓っても自分が河童になって、やや水泳に熟達してきたような気になるだけのことで、つまりは、いかにきゅうりのサンドイッチが好きか、というだけのことです。
夏の午後、ビクトリアパークの芝生に腰をおろして、草クリケットの熱戦を眺めながら、魔法瓶に詰めたアールグレイをちびちび飲んで、タミヤ模型の箱のなかの部品のようにきちんと並んだ部品を組み立てて、新鮮な、きゅうりのサンドイッチを食べるくらい楽しい時間の過ごし方はない。
あるいは、34フィートか40フィートのランチ(launch)を出して、鏡のように凪いだハウラキガルフを滑って、例えば、ブラウンアイランドという何の工夫もない名前の、無人の小島の、近くに錨をおろして、ディンギ(船につんであるゴムボートのことです)をおろして、ホンダの8馬力の船外機を、ぶおぶおぶおといわせながら、浜辺に上陸して、ピクニックのバッグを開けて、サンドイッチを組み立てて、ランギトトとタカプナのあいだの廻廊を、なんだか茫然とした巨人のように、ゆっくりと港をめざして航行するコンテナ船を眺めている。
あるいは、実家でのクリスマスを早めに切り上げて、もどってきた自分の部屋で、
自然語がとどかない、数学の言葉でしかとどかない世界を凝視しながら、ぐわあああああ、をしている。
実家から持ってきたローストラムやハムやローストビーフを、見るからにテキトーなバゲットにバタを塗ったのに挟んで、いつも濃くいれすぎるコーヒーを顔をしかめながら飲んで、「才能」というような言葉のことを考えている。
外は雪の、ロンドンのカシノの、VIPクラブで、もう14番目のシューで、チップの山が高くなったり、低くなったり、一進一退で、朝に近くなって、一緒にブラックジャックテーブルを囲んでいた顔見知りたちも、みな手を休めて、ゲームから退いて観客になって、ブラックジャックがでると「やった!」「いけるぞ」などと言っているところに、金魚鉢のようにおおきなグラスにいれたグラスホッパーと一緒にハムサンドが運ばれてくる。
日本で言えば、おにぎりなのかしら?
窓のそばに立って、板チョコをはさんだサンドイッチを食べながら、あとからあとから流れてくる涙を頬からぬぐっていたのは、あれは、高校生のときに大好きだったガールフレンドが死んでしまったことをしらされた朝だった。
どうしてだかは知らない。
子供のときからの友達たちは、ひとつだけ共通したことがあって、マヌケなくらい善意のかたまりで、まるで無菌室で培養されたみたいで、ひとを疑う能力に欠けていて、ビジネスを始めたばかりで、電話をかけてきて、
「聞いてくれよ、ガメ、こんな素晴らしい話がきたんだよ! これで会社もめどがついた」と述べて、聞いていて、これは危ないなと考えて、
「騙されているのだとおもう」
「善意だけで出来たひとのような社長だと、きみはいうが、経済マフィアは善良な性格の借金で首がまわらなくなった社長を、自分たちのフロントの会社の社長にすえて、恫喝して、ほかの善良な人間を騙すというのね」
と述べると、
どうして、ひとの幸運を素直に祝えないのか、ガメ、きみにも嫉妬という気持があるとは知らなかった、と言う。
あの友達も、死んでしまった。
They really got the best of us didn’t they?
半地下になっている骨董時計屋をたずねて、女の友達に会いに行く、
なんだか、ほら、啄木が
ふるさとの 訛なつかし
停車場の 人ごみの中に
そを聴きにゆく
と言うでしょう?
あれに似ていて、自分でも笑ってしまう。
いまのエリザベス女王の母親は、美しい英語を話すので、ことさらに有名な人だったが、友達の英語は、アクセントも単語の響きも、その「クイーンマム」に、とても似ている人で、聴いていると、かーちゃんと話すときのように、気持がすうううーと落ち着いてくる。
なんだか悪戯っこのような笑顔をつくって、ちょっとくらいはいいわよね、と述べて、店の玄関のガラス戸にサインを裏返す。
あのときも、ふたりで食べていたのは、サンドイッチで、シャンパーニュ・ハムがおいしくて、会話の相の手のように、ふたりで、ほめていた。
ロンドンに移住してきた、貴族趣味のニュージーランド人の、母親の知り合いの知り合いがいて、なにしろ母親というものは息子たるもののボスなので、ボスの厳命には逆らいがたくて、御機嫌を伺いにいったら、
「ガメ、信じられるかい? もしカーディガン伯爵がサンドイッチという名前で、サンドイッチ伯爵がカーディガンという名なら、いまごろ現代のおれたちは、カーディガンをサンドイッチと呼んでサンドイッチをカーディガンと呼んでいたんだぜ? 面白いと思わないか?」
と言う。
もちろん「(面白いと)おもいません」というわけにはいかないが、
世界は、なんて生きがたい場所なのだろう、と我が身が気の毒になったりしていた。
あのときも、あのニュージーランド人は、手に、レッグハムのサンドイッチを持っていた。
日本でいえば、やっぱり、おにぎりだよね。
嵐の夜ふけ、台所で、7歳だかの、ぼくは小さな灯火をともして、詩を書いていた。
テーブルの上には牛乳とサンドイッチ。
ぼくは、ここには帰ってこないだろう
ぼくは、ずっと遠くに行くだろう
誰にもみえない遠くに
ぼくの手にはサンドイッチ
冷たいローストポーク
シャンパーニュハム
パストラミ
ローストビーフ
スモークサーモン
どうして、こんなところに来てしまったのだろう?
こんなところまで来るつもりはなかったのに。