2018年10月03日
本日は定時で逃げ出してGOGO PENGUIN@渋谷クアトロ。
ジャズトリオですが今年3月にCD聴いて「音像はジャズではなくポストロック・エレクトロニカ的」と思って気になっていたのが来日したので。
結論。やべえ。超かっこええ。
そもそも私は徹頭徹尾ポップスの人間であり、過去思い返しても少なくともそれで食ってるレベルで活動している、一応でもジャズのカテゴリに入る人たちの単独公演に行ったのは初めてです。この歳にしてジャズライブ童貞を散らしてきたわけですが、それはそれは官能的な経験でした。
ライブでも音像は確かにエレクトロニカ的。ピアノには時折ダブエコー的なエフェクトがかかり、ウッドベースは時折弓で弾かれ、ドラムは何か携帯扇風機の羽の代わりに紐付けたようなものをシンバルに当てて「カカカカカカカカカカカカカ」みたいな連続音を出したりしてる。要するにすごく空間的な音です。
それでもジャズとしてきちんと評価されている彼らですから、そこらへん基本もまあものすごい。およそのスタイルとしては、楽曲の骨格をピアノが守っている中をリズム隊が大暴れするという形なのですが、いやもうそれが大変にスリリング。
正味バンドのインプロとか好きじゃないはずだったんですよ。おめえそれただの自己満足じゃねえのかと。でもそれがこのレベルになると「予測も付かない盛り上がり」として届いてくる。ベースとドラムがものすごい勢いで絡み合い、ものすごい圧で高まりあったのが、パキッとブレイクする瞬間のカタルシス。気持ちいい。最高。
多少でもジャズを嗜んだ方であれば当たり前なのでしょうが、何せ童貞なので感動するのですよ。
たとえばロック・ポップス的なカテゴリの音であれば8ビート・16ビートでダンスさせるわけです。体ごと熱くさせる。一方ジャズはそれなりに複雑なリズム構成ですから8ビートみたいには体は動かない。でもそういう演奏で心はどんどん高ぶり熱くなり、そしてブレイクで思わず「あーーーーー!」ってなる。
というか、会場にいてもすごく自由なライブだと思いました。手拍子や手を振ったりタオル回しとかを促されることは一切なく、もちろんわかりやすいブレイクでは会場中大盛り上がりですが、オーディエンス各人それぞれが自分にとって気持ちいいところで勝手に「うえあ!」とか「わふーー!」とか叫ぶのです。歌舞伎とかグループ魂における「中村屋」的な感じで。
で、それはジャズならではの、音源から逸脱した部分にこそキモがある、という性質によるものであると思ったのです。
「ロック」「ポップス」的な音楽であれば、多少のリアレンジはあるものの概ねライブでも音源をトレースする演奏になるわけで、そうなるとオーディエンスも前もって「ここで合いの手入れる」とか「ここが一番盛り上がる」ということを知った上で参加することになります。そこでうわっと盛り上がる一体感もいいのですが、ジャズの場合その場その場でのアドリブであるとか楽器と楽器との掛け合いであるとかもメインになりますので、今日のような、音源には一切収録されていない、何となれば今日のノリでやったその演奏で「俺が今の演奏を聴いて最高だと感じたので声出した」という好き勝手感は、ある意味とてもプリミティブに正解なのではないかと思ったのです。
ようやく、この歳で「ジャズの何がいいか」のしごく一端ではありますが理解した次第。でものめり込まない。その沼はヤバい、ということは知っている。
で、終わった後に飯食いながら、今回の「どこまでも自由に勝手に盛り上がる」状況を思い返すに、各ジャンルの「盛り上がり」方もいろいろだなと思いまして。
シンガロングする、タオルを回す、一緒に手を振る、そういう会場の一体感を感じさせることに特化したバンドもいます。若手のヴィジュアル系なんかにはおよその曲に決まった振り付けがあり、全編が「一体感」みたいな事例もあったりして。
テクノとか電子音楽については、わかりやすいブレイクも時々はあるにしても、夜な夜な踊り明かすにあたっては、ただその単音単音が気持ちいいというある意味アシッドな感覚に自分を持っていくことが重要だったりします。
そこまで考えて、一番すごいのはアイドルオタクのオタ芸じゃないかと思い至ったのです。
あれって楽曲の質がどうとかあんまり関係ないというか、「音さえ鳴っていれば俺がそこで盛り上がってやる」「何となれば楽曲以上に俺らで場を盛り上げてやる」という行動ですから。
音楽に対して主従的にどうとかいう疑問はあるにしても、そもそも音楽としてどうかというところすらもパスしている御仁もいらっしゃいますし、あの文化は飛び抜けて異質であるなあ、と何かそんなところまで考えた渋谷の鳥竹。