キリスト教「お前らの新年祝いは俺の暦のお陰だぞ。感謝しろよ」 。神道家=キリスト教の手先の偽書の見抜き方。
Posted on 2015.01.02 Fri 16:24:01 edit
キリスト教暦=時間支配装置、の下での生活を変えることが、私が生きる目的の一つです。
除夜の鐘や初詣といった「日本人のお正月」は神社(神道=和風キリスト教)の集金イベントとして作られた。
「初詣」の初出は明治18年。
除夜の鐘が風物詩になったのは昭和のラジオが原因。
『日本の伝統』の多くは明治期の✝製の『創られた伝統』
http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-47.html
神仏習合は仏教圧倒的優位.、
日本の真の伝統は仏教。
明治以降のキリスト教と和風キリスト教(神道)による偽伝統一覧
神道の現人神、
神前結婚式、
仏前結婚式、
武士道(白兵戦重視)、
相撲は国技、
全面的に良い意味としての愛、
初詣、
金剛峯寺、
個人の誕生日(満年齢)を祝う、
年越し行事としての除夜の鐘、
勤勉な日本人、働かざる者食うべからず。
元日に一斉に年をとる数え年から、誕生日に年をとる満年齢へキリスト教が変えたことが個人の誕生日祝いの起源で普及は戦後。
数え年のままなら、今でも一般人の誕生日は祝わず、ロウソクつき丸いケーキ=ギリシャの月崇拝の儀式を行う正月の伝統ができていた?
国家神道=天皇一神教
の元ネタは平田篤胤の平田神道=和風キリスト教。
平田篤胤はクリスチャンで
神=善神に一元化。
1806年の『本教外篇』で
本教=和風キリスト教=神道にした。
国学者の篤胤はハングルをモデルに神代文字を捏造。
当時の天皇は仏教徒。
天皇・神道・神器は道教用語。
✝の平田篤胤の本教外篇より
本教=和風キリスト教=神道。
平田の弟子の大国隆正も本教を主張。
大国の弟子が
福羽美静(明治天皇の侍講)
と玉松操(岩倉具視の腹心)。
大本教は大本と名乗り
本教を隠す。
大本教系の日月神示の元ネタの一つが
平田篤胤の神字日文伝(神代文字を捏造)。
1446年にハングルを制定した李氏朝鮮の第4代国王の世宗は
1447年にハングル文学の『釈譜詳節』を作らせた。
平田篤胤生存時の李氏朝鮮の支配層は公式に漢字を使用していたが、ハングルの使用者は実在。
キリスト教の禁書と共にハングル本を入手したのでしょう。
古代の発音数と文字数が合わないことと、何でも日本起源にしたい大本教の日本雛型論者がいるので、平田篤胤がハングルをモデルに神代文字を捏造したと判断。
多々良=大内=周防を支配した百済=南朝系。
周防=山口県に田布施。
後の周防支配者の毛利が平田篤胤に干渉?
神道に教義も教典もないのは、当時の神社は地方の祭壇で、思想体系が整備されていない土着の信仰だったから。
天皇が採用=国教なら、哲学体系が整備されるので仏教思想は発展。
寺に支配された神社に権力はなく
記紀は道教国教時代に誕生。
日本の皇室でも元来は二種の神器=中国の道教用語。
5~6世紀の道教家の陶弘景が道教の一派「神道」の起源。紫宮に住む天皇を仙の世界の長とし真人を高級官僚として「神道の道教」世界を構想。道教の剣と鏡=天皇大帝の象徴を重視。
天皇大帝は北極星の神格化。×太陽
天武・持統天皇合葬陵は八角形=道教思想。
神道のお札の元ネタは道教のお札。
「天皇が信仰した思想体系がある伝統宗教」=神道は明治期のキリスト教による捏造。
明治以前の神道
①単なる土着神崇拝。神社は地域土着の祭壇。政治に影響力なし。
②道教の一派としての神道(天皇と神器も道教用語)。
本地垂迹説=仏教優位で神仏習合。
#日ユ同祖論 は道教と仏教を無視。
明治以前の天皇は仏教徒→伊勢神宮に参らない。
明治以降の偽天皇は神道家=和風キリスト教徒→伊勢神宮に参る。
伊勢神道では食べ物の神の外宮が天照の内宮より格上だった。
神道五部書は偽書。
仏教国教時代を否定する為に、超古代と明治以降の偽伝統を強調する神道家は半島+クリスチャン人脈。
仏教の神は「~天」(天部)←創造神の意味あり
神=祭壇+雷←本来は創造神の意味なし
梵天で分かるように「天」は創造神という意味で江戸以前から使用。
カトリックではGodの訳語は「天主」が公式。
Godの訳語に「神」を初めて使った漢訳聖書が18世紀初頭の四史攸編。
偽書を見抜こう。
四史攸編を参考に
1813年に新遺詔書(神=ゴッドと訳す)が広東で出版される。
米国聖書教会側が改訳した聖書(1860年前後)では
ゴッド→○神 ×天主
スピリット→○霊 ×神
ラブ→○愛 ×仁。
神=創造主とした19世紀のプロテスタントの漢訳聖書が現在の和訳聖書の元ネタ。
現存最古のゴッドの日本語訳は16世紀の「大日」。
真言宗とキリスト教の接点。
支配層も大衆も仏教徒だらけなので訳語が仏教用語。
神道用語は実在しない。
金剛峯寺の設立は明治。
高野山を金剛峯寺と名づけ、明治以前から真言宗の総本山であると偽装。
景教碑は真言宗がキリスト教陣営の証。
どちりなきりしたん(16世紀。イエズス会製)での訳語。
ゴッド→でうす、御作者、御親
悪魔→天狗、天魔(仏教用語)
イエス→御主ぜず-きりしと、ぜずゝ、御子
×罪 ○科
つみ…道徳や法律に反する
とが…生まれつき
聖書→経
ラブ→○かりだあで、御大切 ×愛
仏教用語の愛=執着=悪
神に創造神の意味が混じり
愛が完全に良い意味で
仏教徒の天皇を神道家だとする神道の本は捏造。
超古代と明治以降の偽伝統✝を強調するのが神道家=和風(なのに半島人脈)クリスチャン。
伊勢大神宮寺。
伊勢神道は食べ物の神の外宮が天照の内宮より格上。
反本地垂迹説=反仏教だから明治以前の天皇は伊勢神宮を参拝せず。
ダビデの星つき石灯籠の設置は戦後。
以上を隠す為の説明が道教用語=神道・天皇・神器と仏教用語多数なのをチェックしてみては?
明治以前は
仏教用語、仏教美術、仏教文化、
仏教徒の皇室と側近の僧侶、
徳川と皇室の菩提寺、
門跡寺院など仏教徒の歴史で
神道用語、神道美術、神道文化、
神道家の皇室と側近の神主、
徳川と皇室を弔う神社、門跡神社はない。
石清水八幡宮←護国寺だった
鶴岡八幡宮←寺だった(八幡は菩薩=仏教化)
宇佐八幡宮←宮寺が弥勒寺
伏見稲荷大社←愛染寺が管理
出雲大社←鰐淵寺が管理
祗園社←祗園は仏教用語
伊勢神宮←仏教徒の天皇は参らなかった
たっちゃん@古代史研究@t7a7t0o14月20日
今の日本語の母音はaiueoの5つしかない。でも奈良時代以前は8つ、上代仮名遣いは88音だった。神代文字は奈良時代以前の文字と言われるのに、神代文字の母音はaiueoの5つで50音しかない。これが明治時代に橋本進吉に発表されたことで、神代文字はほぼ平安時代以降の贋作と言われ始めた
琢@777Taku712月8日
@kitsuchitsuchi @yaginuma_san 神代文字は現代日本語と同じく50音しかない事が落ちですね。古事記・日本書紀・万葉集の万葉仮名により、古代日本語が50音以上であった事が判明しています。
"「顕宗3年、三韓の支配者として紀生磐宿禰は『神聖』という称号を自ら称した」
紀氏は・・・神聖ローマ皇帝ですか?
(明らかにキリスト流入後、江戸末期以降の捏造だよな、これ。)
これ日本書紀ね。"
http://www.mkmogura.com/blog/tag/%E5%A4%A9%E6%B5%B7
桐沢 凛々子@kirisawaririko2013年5月17日
現在、我々が読んでいる「日本書紀」は黒板勝美が編集したもの。 朝鮮総督府朝鮮史編修會」の顧問であり、朝鮮史改竄の首魁と見なされている人物。 直系の弟子にあたるのが日本歴史学会の最高権威の一人東京大学の坂本太郎。http://www.mkmogura.com/blog/2009/04
淺井憲@asaiken232012年1月28日
東大の歴史学者は、全員が自虐史観論者の指摘がありますが?そうてしょうか、私には戦前の万世一系の皇国史観を信奉し日本書紀、古事記の著述至上の黒板勝美東京帝国大学教授が編纂した国史大系の軛から逃れていないと考えていましたが、事実は小説より奇なりですか?
淺井憲@asaiken232012年2月22日
明治王朝と維新の元勲達を守るため帝国憲法と日本書紀のセットで万世一系の皇国史観 をプロバガンダ。東大国史学教授・黒板勝美氏は宮崎県西都原古墳群にある卑弥呼の陵墓・男佐穂塚古墳を円墳から前方後円墳に改竄し被喪者はニニギノミコトとした。その他、日本書紀に不都合な事象は徹底改竄した。
我乱堂@SagamiNoriaki2012年6月4日
@tatsuhikoP 神道の発生がどの辺りにあったのかが今ひとつ判然としませんからね。私は古神道論者の言説にははっきりと懐疑的です。そもそも神道という言葉が道教にある言葉ですからね。天之御中主などは天帝などの影響が伺えますし、記紀の時点で仏教はともかく道教の影響はあります。
有吉屋@生態的にアナゴ@ariyoshiya·2月3日
恵方巻きだけど、キリスト教は根付かないのにクリスマス商戦は根付いてる。初詣は実は明治以降の鉄道が出来てからの習慣。バレンタインはチョコを贈る日ではないが今では外国の有名ショコラティエが参入。商業イベントは根付くのな日本って。
遠藤@enco2001
年賀状普及は政府の陰謀。財源不足に悩む逓信省(当時)が全国的なキャンペーンをはり、明治32年ごろから「年賀の挨拶は信書で代替」と年賀状のサービスをはじめた。それまでは必要な人々は直接挨拶に伺っていた。 #皆が知らない真実
ゲルマン民族なさかもと@_saka_pon_
前島密が逓信省作って郵便制度を整えるまで葉書自体なかったわけだし、そもそも戦後すぐの混乱期における安否確認の意味で広まったのだから、年賀状は日本の伝統でもなんでもない。通信手段が発達した以上、メールで済ますようになるのも当然の流れ。と屁理屈こねつつ、年賀状が来ると嬉しいものだ。
きゃんちー@canchiee
『日本は古来より数え年で年齢を計算していた。誕生日にかかわらず新年元日を迎えるたびに年齢を加算する方式。
満年齢が導入されたのは明治35年「年齢計算ニ関スル法律」そして昭和25年「年齢のとなえ方に関する法律」が施行されてからのこと。』
知恵袋からひろってきた。
smw@Shi_MeiWo
誕生日を祝う週間は明治以降、満年齢を採用するようになってからで、それまでの数え年では正月に全員が1歳年をとる「年取り」=誕生日だった。だから「明けましておめでとう」なのである。一休(=宗純)が詠んだ「冥土の旅の一里塚」とは、この「年取り」を露悪的に表現したものである。
らん改めアーサー王の聖剣@excaliburnimue
神道における「カミ」とは非業の死を蒙った菅原道真が「天神様」に祭られたように本来は「祟る」ものの意味です。
招魂は陰陽道が起源で死者を兵士として召還して使役する呪術ですよ。
(菅原道真は仏教徒なのに神社っておかしいだろう、と思わせない為の偽伝統捏造)
”明治に建てられた靖国神社は神社ではなく、もともと「東京招魂社」。招魂は慰霊ではなく、攻撃を開始する陣中で、前の戦闘で死んだ死者の魂を招き寄せ、生者に憑依させて「攻撃の鬼」にする(暗示をかける)呪術。「魂鎮め」などとは無縁です。日本古来の国禁であった死霊招魂式を開始してしまい、さらに神社のふりをさせて誤魔化していますが。。皇軍軍人のみの戦死霊を招き出し国のために招魂式をする場が招魂社。儀式の時だけでなく何時でもこれからもずっと招魂し続けるように改名したのが「靖国神社」です”
http://japanese.ruvr.ru/news/2014_10_17/278800160/
「どちりいな-きりしたん」16世紀にGODを神と訳していないし、loveを愛と訳していない。偽書を見抜こう。
http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-21.html
”「あなたをを愛しています」の意味が真逆になった日本。
キリスト教徒"I love you."(耶蘇教に支配された日本の現状)
仏教徒「あなたは私の迷いの原因なので別れて下さい。」
(仏教国教時代)
日本思想大系〈25〉キリシタン書・排耶書 (1970年)内収録
どちりいな-きりしたん 一五九一年版国字本 ヴァチカン図書館蔵 H.チースリク 土井忠生 大塚光信 校注
当時の使用語彙と訳語がわかる。
仏教用語を利用しつつ、根源的な用語は訳さずに、そのまま使っていることが多い。ただし、アルファベットではなくひらがなで。
16世紀にGODを神と訳していないし、loveを愛と訳していない。
「GODの訳語の神も、loveの訳語の愛も聖書の中国語訳→日本語訳に輸入」で入ってきたもの。
国教だった仏教では神は大したものではない。
「天」=超すさまじい神。
「愛」=執着をもたらす悪であり捨て去るべき迷いの根源。
大したことない「神」(だって漢字からして、祭壇+稲妻だし単なるよくある自然現象)
と悪である「愛」を良い意味に変えたのはキリスト教が原因であり、聖書の訳語を和風キリスト教徒(神道家)とクリスチャンらが広めまくったから。
神道関係に多い偽書を見抜こう(偽造するのは当時存在していなかった証拠。仏教時代以前の超古代と和風キリスト教が国教の明治以降が大好きなのが神道家でなぜか半島人や中身クリスチャンが多い)。
どちりなきりしたん(ドチリナ・キリシタン。ポルトガル語でDoctrina Christão、ラテン語でDoctrina Christiana)は、
16世紀にイエズス会によって作成されたカトリック教会の教理本。どちりなきりしたんは、 慶長5 年(1600年)に長崎で和訳されたキリスト教の教義。信徒たちに広 く読まれたキリシタン本のひとつ。。
ザビエルによるキリスト教伝来(1549年)からキリスト教禁止令(1614 年)の間に刊行された。
日本で刊行されたドチリナ・キリシタンは、刊行年・刊行地共に不明の国字本「どちりいな・きりしたん」、 天正19年(1591年)に島原半島の加津佐で刊行されたとされる。文禄元年(1592年)発行の天草版ローマ字本、慶長5年(1600年)発行の長崎版ローマ字本、同年発行の長崎版国字本「どちりな・きりしたん」の4種類がある。 長崎版「どちりな・きりしたん」は、長崎の町年寄であった後藤宗印により刊行された。長崎の出島を管理していたのが佐賀藩。佐賀藩はクリスチャンだらけ。幕末に最新鋭の技術をクリスチャンから手に入れていた。
ひいです…信仰 Fides ラテン語(以下ラ)
ゑすぺらんさ…希望。望徳 Esperança ポルトガル(以下ポ)
God
でうす…Deus ラ
御作者(ごさくしゃ)
御親(オンをや)
“ぽろしもは皆でうすの御(おん)写(うつ)しに作給(ツクリたま)へば也“p.51…
ぽろしも=隣人、は皆ゴッドの写し身、の「隣人」に異教徒は含まれるのかな?
悪魔 デビル サタン
天狗、天魔(の奴〔やつこ〕)、狗兄(グヒン)
くるす…十字架 Cruz ポ
ゑけれじや…教会 Ecclesia (ラ)
イエス・キリスト
“御主(オンアルジ)ぜず-きりしと”p.14 何度も登場
ぜずゝ
御扶手(オンタスケテ)
御(オン)子
御(ご)ぱしよむ。御ぱしよん…受難。パッション。 Passiom ポ古
マリア
びるぜん-だうみな-さんた-まりあ
Virgem Domina Sancta Maria
びるせん-さんた-まりあ
御母(オンハワ)さんた‐まりあ
びるぜん‐まりあ
※処女マリアだけでなく、童貞マリアって表現が公式にある。
「罪」、「罪人」、「原罪」は一度も使われていない。
科(とが) が百回以上登場
一度だけp.28“罪科(ざいくわ)”
※『全訳古語辞典』によると、
つみ…道徳、法律などに反する行為。罪を犯した結果としての「罰」をも意味した。
動詞「罪す」「罪なふ」なども「(処)罰する」ことを意味する。
とが…「生れつきの」欠点や不注意からくるあやまち。中世以降多用される。
科を送る…罪の償いをする
科送り…罪の償い。贖罪
科人(トガニン)
“「科(トガ)を犯(ゝか)す者は天魔の奴(やつこ)也」”p.20
原罪
=“受(う)け続(つゞ)く初(ハジメ)の科(トガ)”p.24
=“おりじなる科(トガ)”p.65
=一人の科↓
“天狗(テング)は善悪の智恵(ちゑ)の木(コ)の実(ミ)をもて(モツテ)、我等が先祖(せんぞ)をたばかりすまし、又一人(ひとり)の科(トガ)を以(モツ)て一切(さい)人間を我(ワ)が進退(しんだい)になしたるごとく(以下省略)”p.43
進退…自由にする。支配する。
もるたる科
=死に至る罪(永遠の生命の損失)
=大罪
七(ナナツ)のもるたる科=七つの大罪
※大罪によってゴッドの恩寵である神的生命=永遠の生命、を失うので、「死に至る罪」
霊魂は不滅だと考えるので、霊魂は死なないとするが、天においてゴッドの生命と幸福に参与する資格と能力を失い、しかがって永遠にゴッドから離れてしまう結果となるそうだよ。
⇔
べにある科
=小罪
愛(する)
かりだあで…love。 Caridade ポ
御大切…love。キリスト教の愛。
大切に思し召す…お愛しになる
御大切に思ひ奉る=「大切に思ふ」のでうすに対する尊敬表現
…愛する
恋の歌、恋する、恋慕、など「愛する」ではない
御作の物…被造物”
和訳聖書の「神」は漢訳聖書によって生まれた。
和風クリスチャン平田篤胤の弟子が国家神道政府の立役者。
鰐淵寺が出雲大社を管理していた。
真言、浅間大社、オウム、創価(法華神道系)、白光真宏会(大本教系の生長の家信者が教祖)は全て富士関連。
http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-23.html
"子子子子子(ねここねこ)@kitsuchitsuchi
”明治以前の「神道」
①単なる土着神崇拝。神社は地域土着の祭壇。政治に影響力なし。
②道教用語としての神道(天皇と神器も道教用語)。天武・持統天皇合葬陵は八角形(道教思想)。
本地垂迹説なので神仏習合は仏教が上。 日ユ同祖論者は道教と仏教を無視。”
” 仏教徒の天皇は伊勢神宮を参っておらず、家康も仏教徒なので宮中と幕府に「神道」の影響力はないです。「神仏習合」とは「仏教圧倒的優位」を隠し神と仏が対等だと思わせる嘘。クリスチャンが土着の信仰に「神道」と名付けました。”
”和風耶蘇教=神道に経典も教義もないのは他の宗教と混ぜて宗教統一するため。八百万の神々=何でも神様説で単なる自然崇拝まで神道にして耶蘇教化させる。伊勢神道では食べ物の神の外宮が天照の内宮より格上で、神道五部書は偽書。よって南朝偽天皇に都合が悪く、明治以降に神道経典=和風聖書を捏造。”
平田篤胤という「神道」に貢献した国学者がいます。平田篤胤はクリスチャンでした。「神道」に貢献した「国学者」がキリスト教徒なのです。実際、平田篤胤が「神道」や「国学」(アンチ仏教学)の本を数多く出すのは、『本教外篇』というキリスト教の禁書読書ノート+キリスト教の和風化の試みの本を書いてからです。
そして、平田篤胤門下が廃仏毀釈や明治新政府に関わり、岩倉具視も平田神道系=和風キリスト教系です。
かくして(隠して)、「神道」という和風に偽装したキリスト教の一派が日本の頂点にたったのです。
日本を侵略するために少数派(アンチ仏教)に近づき、和風クリスチャンを増やし、少数派(マイノリティ)に間接統治させる、欧米のいつもの支配戦略にまんまとはまり、そして今なお「神道というでっちあげ伝統」を信じ込まされているのが日本の現状なのです。
そう、日本の単なる土着神信仰を「神道」と名付けまくったのがクリスチャンです。
そしてなぜか、日本人っぽくない人ほどに、「武士道」やら「日本刀」やら「和服」を強調するのです。
無論、普通の日本人はそんなことはしませんし、実際半島人やクリスチャンが好きなのが「日本の伝統」であり、中身はキリスト教による偽伝統です。
本当の伝統である仏教文化と仏教徒の天皇や皇族や門跡寺院は、廃仏毀釈と神仏分離により破壊しました。
その江戸末期にクリスチャンにでっちあげられた「伝統の神道」が、本来は単なる土着の、政治的影響なんてなかった素朴な信仰までもが、「神道」という名前をつけて取りこまれたことに気づかれないように、「神道」には教義や教典がないことにしました。本当は、そもそもそんなものがないからであり、なぜか超古代や明治以降に「神道書」が急増します。GOD臭い神(一応多神教ですが)が登場したりします。「神道」自体がでっちあげなので、でっちあげ教典だらけなのです。
そして、「神仏習合」という、神と仏が対等であったかのようなデマを流しています。主流だった本地垂迹説とは仏優位の思想であり、仏が土着の自然神信仰を取りこんで管理支配する為の思想でした。
単なる外交政策である「鎖国」と同様、「神仏習合」とは「仏教圧倒的優位」を隠す為の用語です。天皇は本来、仏教徒です。「神道」が宮中の仏教要素をなかったことにしました。
平田派の神官が今に至るまでのキリスト教とメーソンによる支配の尖兵を担ったのです。
”島根の津和野=山陰の小京都。
森鴎外、西周、大国隆正(平田篤胤門下)、福羽美静(大国隆正門下。明治天皇の侍講)の出身地。
玉松操(元・真言宗醍醐寺僧。岩倉具視の腹心)も大国隆正門下。
”私のツイッターより。
森鴎外のどこがすごいねん、という突っ込みをしたことがあるあなた、鋭いですね。
(…)
・現存最古のGODの日本語訳は16世紀の「大日」
※正確にはデウス(Deus:ラテン語=ヘブライ語のエロヒム)なのですが便宜的にGODとします。
聖書の日本語訳の記録が残っている限りでは、イエズス会(またかよ)のザビエルの弟子のヤジロウ(弥次郎、1511年?-1550年?)の訳がはじめだそうです。ヤジロー、または当時の音韻からアンジロウ(アンジローとも)は、史料上確かな最初の日本人キリスト教徒とされています。
アンジローは鹿児島で罪を犯し、ポルトガル船で逃れていて、ザビエルがマラッカで伝道中(洗脳中)の1547年に出会ったそうです。ゴアのサン・パウロ学院にアンジロウを送って勉強させたうえで、アンジロウは1548年5月の聖霊降臨日(ペンテコステ)に受洗されたそうです。
ヤジロウが、聖書の『聖マテオ福音書』を日本語に訳したのですが、原本も写本も残っていません。
が、ザビエルがさかんに「大日を拝みなさい」と説いたことから、ゴッドを大日と訳したことが窺えます。
他の訳語も同様に仏教用語を使ったと思われます。
聖書翻訳は、真言宗とキリスト教(イエズス会)の明確な接点なのです。
ヤジロウの出身地の鹿児島の民衆の間には比較的真言宗が信仰されていたらしいです。真言宗用語が多かったでしょう。
大日は性的な隠語だったらしく、「大日を拝んではいけません」になったそうな。
大日如来の「如来」や「如来様」にはそうした用法があるらしいです。
で、ザビエルはラテン語のデウスに変更。
今度は発音から、「だいうそ=大嘘」と罵られたりしたそうな。
本質を捉えてますな、当時の日本人。
このような弊害(とうか仏教の一派だと思われて終わりだし)のせいで、仏教用語を使用せずラテン語やポルトガル語をそのまま使う方針に変更しました。
当然、GODを「神」と訳していません。
(…)
・現存最古のまとまった日本語訳聖書を含む書写本『バレト写本』
(GODは「デウス」とそのまま使用)
『バレト写本』の作者はイエズス会のバレト(1564-1620年)で、1591年に成立したとされています。
訳語ではなく重要語をそのまま使っております。
(…)
16世紀の『どちりな きりしたん』でもやはり原語主義です。
「御主ぜす」などとGODを訳しております。
loveにあたる言葉は「愛」とは翻訳しておりません。
loveにあたるcharidade(かりだあで)は『どちりな きりしたん』では「御大切」
『羅葡日辞書』のAmorは「Taixet」つまりは「大切」
「仁愛」という訳語もあったらしいです。
(『天主実義』などでは、「仁」の一つのはたらきとして「愛」が語られているので、儒教的素養があればなんとか通じたらしいです)
当時、愛は、仏教では迷いの根源=悪であり、感情的、肉体的な愛情であり、不潔な快楽と受け取られていました。良い意味ではないので訳語に使わなかったのです。
「憂国」はあっても「愛国」はありえなかったし(国家概念自体がないですけど)、「愛」ではなく「情」でした。
(…)
・GODを「神」と訳した現存最古の史料が18世紀のバッセ『四史攸編』(ししゆうへん)。
GODとしての神が初登場するバッセ『四史攸編』(全訳ではない)の正式名称は、『四史攸編耶蘇基利斯督福音之会編』。
リヨン出身のバッセ(Jean Basset,1662-1707)(パリ外国宣教会所属)による最初の漢訳=中国語訳聖書(全部ではありませんが)です。バッセは1689年、パリ外国宣教会宣教師として広東に派遣されました。中国各地で布教ののち、バッセは1702年から四川省で活動します。このころ以降に翻訳はなされたと思われます。(矢沢利彦「最初の漢訳聖書について」)。大英博物館所蔵の写本は、このバッセの訳本をもとにして1737年ないしは38年にかけて作成されたものです。文字の筆記からみて、写本したのは中国人らしいです。
バッセは1707年、広東で死去します。
『四史攸編』の訳語(右に訳語)
GOD…神
アニマ→命、魂
アンジョ(天使)→神使
アポストロ→使徒
バウチズモ→洗
ベアト→福
セイザル→責撒
クルス(十字架)→十字架
エワンゼリヨ→福音
ヒイデス→信
ゼンチョ→異民、異教者
ゴラウリヤ→栄光
ガラサ→寵
イゲレイジヤ→教会
インヘルノ→永獄
ジュスチイサ→義
マンダメント→律
オラシヨ→祈禱
パン→餅
パライゾ(天国、楽園、パラダイス)→天国、楽域
ペニテンシヤ→痛悔
ポロヘエタ→先知
ポロシモ→邇人
サバド→撒罷日
サタン→魔、魔鬼、撒探
スキリツウラ→経
スピリト(聖霊。スピリット)…聖神、聖風
テンタサン→誘
テスタメント→遺詔
音訳はセイザル、サバド、サタンぐらいのもので、できる限り中国語で訳す姿勢がみられますね。
・GODの訳語を「上帝」か「神」かでもめる(統一訳語まだなし)。
マテオ・リッチ(1552- 1610年。イエズス会員。利瑪竇。り まとう)『天主実義』(1595年)でわかるように、カトリックが採用したGODの訳語として「天主」が中国で使用されたことは確かです。そしてリッチは、天主=上帝(儒教)、であると主張(『天主実義』)しました。
加えてリッチは、中国人の信徒が儒教などの儀式への参加を認めました。
中国の都には、天の「上帝」を祭るための天壇(「神」ではなく「天」なのに注目)といわれる祭壇があり、冬至の日には皇帝がここで儀式を営みました(冬至=これから太陽が強くなる=日照時間が長くなる、より太陽崇拝の儀式)。
これには当然役人の参加が要求されるので、中国人クリスチャンの参加を認めなければその役人は職を失いますから、出席禁止にすると布教を阻害してしまうのです。祖先崇拝や、孔子廟での儀式など現地の儀礼参加を認めるか否かは、カトリック内でも大変な問題だったのです。何せ、位牌(元もは儒教由来で仏教関係無し)を前にして、位牌の中に両親がいると思ってはいけないのですから。
で、「典礼問題」(祖先を祭る儀式に参加するなどの中国伝統宗教に妥協するか否か)が起こるのですが、最終的には、1715年の教皇クレメンス11世の「典礼問題」に対する最終教皇令「エクス=イルラ=ディエ(その日から)」を要約すると、ゴッドの訳語は
「天も上帝もダメ! 天主を使え!」
「天主堂=教会内に『敬天』=天を敬え、の扁額を飾るな!」
(『中国とキリスト教』)
カトリックは明確に、GODの訳語を「天主」としたのです。「神」ではありません。上帝は皇帝崇拝に繋がり、天は自然崇拝に繋がるからでしょう。
それを受けたのか、リッチ『天主実義』の後の版では「天」や「上帝」が「天主」に変わっているものがあります。
・プロテスタントの英国人モリソンは『四史攸編』を参考にしてGODを「神」と訳した『新遺詔書』を19世紀に中国で出版し、後に旧約も含めた『神天聖書』も出版
中国最初の旧約と新約聖書の全訳で、今日代表的なものとされているのがモリソンの『神天聖書』です。モリソンは中国に向かう前、大英博物館に存在するバッセ訳『四史攸編』 (Evangelia quatuor Sinié)のことを知り、その全文を書写(中国人と協力か)し、それを携えて1807年に中国に到着します。
ここで重要なのは、宣教師の間でも『四史攸編』は出回っていなかったことです。GODの訳は「天主」が教皇お墨付きの主流派であり、「神」とするものは『四史攸編』ぐらいしかありませんし、大英博物館に保存するほどに希少だったからでしょうから。それに海外布教を担う宣教師は優秀な者が選ばれるはずですし、出回っていたら真っ先に教会が渡すはずです。
モリソンはGODを「神」と訳している(「天主」ではない)『四史攸編』を参考にして(旧教と新教の共同訳聖書の先駆け)、
1813年『新遺詔書』(しんいしょうしょ)を広東で出版します。
遺詔=テスタメント(契約)。
バッセ訳と共通する訳語は
「神使、使徒、洗(または洗礼)、十字架、神、福音、異民、栄光、義、祈禱、天国、先知、聖風(または聖神風、神風←クリスチャンと半島人だらけで日本人のふりをするために和服や日本刀を利用する右翼が大喜びしそうな訳語)」。
この他、後の日本語訳に影響した他の表現については、
「地之塩」「世之光」「律法」「日用糧(にちようのかて)」「負債(おいめ)」「天空之鳥(そらのとり)」「隈之首石(すみのおやいし)」「一杯冷水」など、後に日本で普通に使われる表現があります。メシアは「弥賽亜」と音訳されています。まだ「救世主」は登場していません。
モリソンの聖書翻訳に、同じくロンドン伝道会のミルンが協力し、
1823年に、(『旧遺詔書』+改訂した『新遺詔書』=)『神天聖書』をマラッカで刊行。
モリソン・ミルン漢訳『神天聖書』(1823年)の原本の表紙の写真にちゃんと“載旧遺詔書”・“兼新遺詔書”(新字体に引用者が直した)と書いてあります。
・GODを上帝とするか神とするかで論争
モリソンとミルンのGODの訳語一覧。
ミルンは晩年には「上帝」を使用。
モリソンは以下のように多数の訳語を使用。
神、真神、神主、神天、天、
上帝、神天上帝、神天大帝、天帝、天皇、天皇神主、天皇上帝、天帝主神、
天上上帝、真神上帝、天上之上帝、天皇神父、上帝神帝。
(日本で現人神=イエスキリスト=天皇にする土台かも)
「神」派(アメリカ系宣教師)(ブーンやブリッジマンら)
VS
「上帝」「帝」派(イギリス系宣教師)(メドハーストら)
メドハーストが「神」は駄目だとする理由↓
1、「神」は中国では「すぐれたもの」としてのGODを示す語として使われたことがない。
(それ以前に神にGOD的意味が含まれる神道書は偽書ってこと。当時の日本語の「神」も同様)
宣教師のお墨付き!
2、「神」=見えない存在(invisible being)であり、spiritであり、しかも必ずしも礼拝の対象にならない。
3、「神」はいい悪い(悪にも使えるから駄目)、高い低い、尊敬される軽蔑される、天にいる、地にいる、など「複数いる」ので、「唯一」神は誤り。しかも「先祖の霊」を含む(キリスト教では拝まない)。
4、「神」は人の所有するスピリットであり、礼拝対象としてのGODではないので、「神」だとmy Godという表現はおかしくなる。
5、「神」はスピリットの訳語として最適であるから、GODの訳語にとられるのは損失。
6、ローマ・カトリックによって以前から「神」はspiritの訳語である。
米国聖書教会から出された「中国語訳聖書に関する報告」(1850年)では「神」がもっとも妥当だとしていて、「上帝」は駄目だとしている。理由↓。
1、上帝=天の支配者、至上の支配者、であり政治的な役職であり、実際、中国の皇帝が「上帝」と呼ばれている。
2、知識階級はともかく、一般大衆にとっては物質的偶像である。
で同じく米国聖書教会のブリッジマンとカルバートソンが改訳した聖書(1859年に新約聖書、1862あるいは63年に旧約聖書)では、
GOD…「上帝」ではなく「神」
spirit…「神」ではなく「霊」
love…「仁」ではなく「愛」。
正に今の日本語聖書訳で使用されているものであり、聖書日本語訳に恐らく一番影響を与えたGODを「神=創造主」とした19世紀のプロテスタント訳です。
で、これからまた日本語訳の話に戻ります。
・日本語訳聖書のGODの訳語は「天主」が主流だったのであり、国学者の平田篤胤はクリスチャンでキリスト教の本を書いた後で、国学や神道の本を出した
GODの訳語としての
「天主」は、
エヴォラ屛風下張文書(びょうぶしたばりもんじょ)の解読により、1580年の末から翌春ごろには既に使用されていたと推定されています。
エヴォラ屛風下張文書の主な部分は、カトリックであるヴァリニャーニの『日本のカテキズモ』(1586年リスボアから刊行)の和文の稿本に近いことから、
「天主」はカトリックによるGODの訳語としてが初出でしょう。
ヴァリニャーニ(ヴァリニャーノ。1539-1606年)は安土桃山時代に来日したイタリアのカトリック宣教師で、(鉄砲や大砲撃つための火薬が欲しい大名と)人身売買取引したりしていたイエズス会所属です(またかよ)。後に明治以降の日本の学校制度のモデルとなるセミナリヨ・コレジヨを設立したり、天正遣欧少年使節派遣を計画・実施したり、活字印刷機を日本に伝えてキリシタン版を刊行したりしました。
”日本の近代教育=啓明会(理性と科学)+イエズス会(バチカン)製。フィクションで人気の織田信長がセミナリヨ(神学校。音楽と体育を重視。遠足。文化祭で歌と劇。)設立の為にイエズス会に協力。”
私のツイッターより。
「創造主」
という訳語が1801年 山村昌永(山村才助。蘭学者)『西洋雑記』にあるらしいです。
(…)
平田篤胤の「神」は以下の特徴があります。
・篤胤は、神=善神に一元化。
(完全にキリスト教概念。本居宣長は悪神を認めています)
・篤胤は「善悪を知る心」を人間精神の本性とする(知恵の実を食って善悪を知る)。
(本居宣長は人間の心を「うまれつきたるまゝ」に留め、そのことを重くみている)
・篤胤は来世死後の審判があって善者に福、悪者に禍のある世界だと明言。
(本居宣長は来世を不可思議な世界と見るのに留まる)
・天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)を唯一神とはしていないが、中心神としている。(宗教学では一神教は二種類あって①他の神を認めない唯一神教②他の神を認めるが中心的神を崇める拝一神教)
どう見ても和風クリスチャンです。本当にありがたくないです。
平田篤胤の親類に原胤昭(はら たねあき)というキリスト教徒がいます。
出版業者である十字屋(後の銀座十字屋。十字はキリスト教由来)をやっていたり、和漢対訳『新約聖書』を自分で作って1878(明治11)年に出版したり、出版および新聞紙条例違反で処罰されたり、平田篤胤の子孫の家にキリスト教関係書物をもらいに行ったりした人物です。というか、平田家にキリスト教関係書物が秘蔵されていたとばらしちゃった人です。
篤胤(1776~1843)(明治維新が1867年)
が31歳の1806年(文化3年)成稿の『本教外篇』(平田篤胤が「未許他見」=見るな、と書いています)には中国のキリスト教書『七克』(しちこく。1614年)から書写した部分が少なからずみられます。
『七克』では「聖経有言」と名づけられている聖書からの引用部分を「聖経」の語を省略して、篤胤がそのまま写している部分が随所にあります。GODによる天地創造とアダムとイブの話も既に登場しています。
パントーハ(龐廸我)『七克』だけでなく、同じくキリスト教の禁書である、アレニ(艾儒略)『三山論学紀』、利瑪竇(マテオ・リッチ)『畸人十編』など、を自分の思想と合わせて翻案したものです。直訳ではなく、自らの思想に合わせるように多少改変している。第5部が、パントーハの『七克』のほとんど全部に訓点を付けたもので「山上の垂訓」など、多くの聖書の句がおさめられています。篤胤は公表しませんでした。
平田篤胤『本教外篇』におけるGODの訳語は、
「造物主、真主、上帝万物之大父母、天帝、大神、産霊大神、我人の本生の大父母」
天でも天主でも上帝でもない訳語があるのが大変重要です。「神道」に繋がります。
大神と、「大」がついているのは、この大神が神を生むからです。
『本教外篇』では、人間は「天帝」より「霊性」が与えられているという表現が八か所出てきます。
『三山論学記』の「賦我霊性」が元ネタ。
『本教外篇』に登場する他のキリスト教用語。
全智全能、降世、天国、原罪、十誡、審判、復生、罪人、贖罪、讃美、一夫一婦。
“産霊大神[天地万物に一大霊明の大父母ありて天上に坐て万有を主宰し給ふ御名を産霊大神と申す]は。天地万有の真主なり。天を生じ。地を生じ。人を生じ。神を生じ。物を生じて其を主宰し。其を安養し。我人の本生の大父母にて。心身性命すべて此の大神の賦賜物なり。”
(『平田篤胤全集』七、名著出版、1977。[ ]内は頭註)
上記の文の元ネタは『三山論学記』で次のようになっています。
“天主也者。天地万有之真主也。造天。造地。造人。造神。造物。而主宰之。安養之。為我等一大父母。心身性命。非天主孰賦畀。”
(中国史学叢書『天主教東伝文献続編』(一)収録の1847年重刊本)
「天主」を使わず「産霊大神」という「神」を含む語に変えただけで、残りはほぼ日本語に置き換えただけですね。神にキリスト教要素を移植しようとしています。
また、
GODを父なる神とすることが性差別とされ、父なる神を改めた聖書があります。『三山論学記』と『本教外篇』の父母神思想は、父つまりは男だけだと不完全だから、完全なる神は両性具有のはずだとする欧州支配者の思想ど真ん中です(だから同性愛OK)。
(『三山論学“紀”って表記しているものもあったけどどっちが正しいのやら)
平田篤胤『本教外篇』
“義の為にして。窘難(きんなん)を被るものは。すなはち真福(にて)その已に天国を得て処死せざると為るなり。これ(我も)神道の奥妙。豈(あに)人意を以て測度すべけんや。“
アレニ『三山論学記』
“為義而被窘難者。乃真福。為其已得。天国不虚死也。此於穆奥妙。豈可以人意測度。”
(海老沢有道『日本の聖書―聖書和訳の歴史』講談社学術文庫 p.83-84)
窘…苦しむ
穆…ほんのり暗い。おだやか。
穆然(ぼくぜん)
…沈黙して深く思うさま。音のかすかなさま。和らぎ慎むさま。
マタイによる福音書
『口語 新約聖書』日本聖書協会、1954年
5:10
義のために迫害されてきた人たちは、さいわいである、 天国は彼らのものである。
此於穆奥妙→これ(我も)神道の奥妙
「穆」をもっと詳しく漢字辞典で調べると、
①ほんのりと暗く、見えにくくて、静まりかえったさま
②ほんのりとやわらぐ。ふんわりと一体をなしているさま
③穏やかで、慎み深い
④昭穆(しょうぼく)とは中国代の祖先をまつる御霊や順位をあらわす言葉。
昭=はっきり。穆=あいまい。
「穆」をどう翻訳しても「神」にはならないので、これは意図的に変えた箇所。
「神道」という語を使っていますね。
意訳して見ると
「キリスト教を信仰しているという理由で苦難に遭う者は、真に幸福であり天国に行けて永遠の生命を得る。『これ(我も)神道の奥妙。』どうして人(という神より劣る存在)に分かるだろうか」
此於穆奥妙=曖昧でよくわからないがとにかく奥深い素晴らしいもの。
これ(我も)神道の奥妙。=(私も恩恵を受ける)神の御業(みわざ),
「道」には「やり方、専門技術」という意味があります。
「神道」という①土着の信仰(政治的影響力なし)
②道教用語
③墓場
などを意味する言葉に新たにGOD的概念(完全にGODではない)が持ち込んだのが平田篤胤だということです。
この出版年から考えるとカトリック系の天主教(キリスト教)の本教外篇。
そして平田篤胤が「神道」あるいは「国学」(欧米だろこの「国」って。今もだけど)の本を出すのは和風キリスト教の『本教外篇』の後から。
このような功績があったので、国学者(アンチ仏教)の四大人、4人の凄い学者、という称号を与えられましたとさ。
日本の伝統は仏教です。
で、平田派神官の玉松操(元・真言宗醍醐寺僧)らが岩倉具視のブレーンになり、同じく平田派が神道国教化(仏教破壊)運動をするなど、和風キリスト教完全支配の為に奔走します。
玉松操は王政復古の大号令の発布に参画し、「諸事神武創業ノ始ニ原(もとづ)キ……」は玉松の提案です。醍醐寺は今でも嘘の中核で、真言宗(天台宗ではないことが大事)です。
玉松操は大国隆正の弟子。大国隆正は平田篤胤の弟子。ちゃんと繋がっております。
大国隆正は長崎で蘭学も学んでおり、王政復古の理論的指導者であり、神道国教化に大きな影響を与えます。大国隆正は自分の学問を「本教本学」と唱え、京都に報本学舎という塾を開いたり、復古神道を唱え、廃仏毀釈の口火を切るなど、仏敵の権化ですね。
(私は原始仏教徒「的」な思想ですが、別に「信仰」=思考停止、まではしておりません)
島根の津和野は、山陰の小京都と呼ばれております。
森鴎外、西周(「哲学」の訳語を創ったメーソン)、大国隆正(平田篤胤門下)、福羽美静(大国隆正門下。明治天皇の侍講)の出身地。
「国学者(アンチ仏教)の師弟の系譜
平田篤胤(和風クリスチャン)
→大国隆正(蘭学=メーソン学者)
→玉松操(元・真言宗醍醐寺僧。岩倉具視の腹心)」
島根の出雲市にあるのが出雲大社。出雲大社を管理していた寺が天台宗の鰐淵寺(がくえんじ)。
鰐淵寺(がくえんじ)は、出雲大社(杵築大社)の
別当寺(べっとうじ)=神社を管理する寺でした(神宮寺、神護寺、宮寺なども同義)。
鰐淵寺の僧侶が経所で大般若経転読を行い、社殿では読経もしました。また、江戸時代初期には社僧が寺社奉行と杵築大社(出雲大社)の運営管理に関する交渉を実施していました。
が、17世紀の寛文年間の遷宮時に出雲国造家が神仏分離・廃仏毀釈を主張して寺社奉行に認められ、寛文4年から寛文5年にかけて仏堂や仏塔は移築・撤去され、経蔵は破却され、併せて祭神は素戔嗚尊から、古事記や日本書紀などの記述に沿って大国主大神に復しました。
でも寺に明確に支配されていた歴史は消えないよ!
寺は神社よりも権力があるから、神宮「寺」や別当「寺」なんですよ。
出雲人脈の神道家は鰐淵寺などの神宮寺について言われると嫌がるでしょうね。
(…)
ちなみに、国学者(アンチ仏教)にして元真言宗の坊さん玉松操の本名は山本真弘。「まひろ」という名前のフィクションで売れているものを探してみると面白いかもしれませんね。
大本教トップの出口ハルヒが涼宮ハルヒであるように。
吉田松陰の通称は寅次郎。男でなくても、現実は辛いよ。
吉田松陰は陽明学に傾倒していましたね。またしても仏教以外。
・最初のまとまった和訳聖書ではGODはカシコイモノ、又はゴクラク、テンノツカサ
最初のまとまった日本語訳聖書(最初のちゃんとした和訳聖書)であるギュツラフ訳『約翰福音之伝』(無刊年だが1837年=天保8年、シンガポールで発刊と推定)。
中国語訳ではGODとしての「神」は登場していますが、和訳ではまだなのです。
(ヨハネ福音書)
冒頭は
“ハジマリニ カシコイモノゴザル、コノカシコイモノ ゴクラクトモニゴザル、コノカシコイモノワゴクラク。ハジマリニ コノカシコイモノ ゴクラクトモニゴザル。”
冒頭を漢字に直せば、「始まりに 畏いもの御座る」でしょう。
はじめにロゴスがあった。ロゴスはゴッドと共にあった。このロゴスはゴッドそのものであった。ロゴスははじめからゴッドと共にあった。
(記事主訳)
※最初の英和・和英辞典である、メドハースト『英和和英字彙』(1830年バタビアで出版)をギュツラフが参考にしました。
メドハーストが主張したように、ゴッドを「上帝」とは訳していませんが。
なお、モリソンとミルンの『神天聖書』も参考にしています。
しかし
『約翰上中下書』(同じく1837年シンガポールで発刊)
では、
ゴッドを「テンノツカサ」という、天主や上帝に近い主宰者的訳に変えています。
『約翰福音之伝』と『約翰上中下書』の言葉を併記します。
テオス Theos(≒God)を「カシコイモノ」「ゴクラク」、「テンノツカサ」
プネウマ Pneuma(聖霊)を「カミ」
(本来の「神」=鬼神・精霊・精神≒spiritだから)
※人の霊(精神)の場合には「シン」と区別。
明治訳では霊「みたま」と霊「れい」を区別。
ロゴス(言霊、御言葉)Logosを「カシコイモノ」
ゴクラクノクニ…ゴッドの国
love…メグミ(恵み)、カワイガル(可愛がる)
devil(Satan)…ヲニ
sabbath…モンピ(安息日。物日)
glory…クライ
Messias…メシヤス
Saviour…スクウヒト
church…ヨリヤイヤド
priest…シントシヤドモ、クゲ
scripture…キヨモンノホン
Holy Ghost…アリガタイカミサマ
baptize…コリヲトル
angel…アマツカミ
prophet…マエカラシイテオルヒト
neighbor…トナリノヒト
聖書…キヨモン(経文)
※「聖書」という言葉自体は『史記』にもあります。
来世…コシヨウ(後生)
洗礼…コリ(垢離)
音吉ら日本人の協力ありなのでわかりやすいかもしれません。
『約翰福音之伝』は海外に九部、国内に七部現存。
『約翰上中下書』イギリスとパリに二部現存するのみ。
・ヘボン訳ではGODは「神」、愛」はなく「いつくしみ」、「救世主」ではなく「メツシヤ」
ヘボンは1841年にギュツラフ『約翰福音之伝』を入手。
中国語のできるヘボンは中国語訳聖書も参考にしている。
神
…上記のギュツラフ訳『約翰福音之伝』を入手した
ヘボンの(ブラウンと共訳)『新約聖書馬可伝』(マルコ伝)、『新約聖書約翰伝』(1872年。明治五年)
1873年に『新約聖書馬太伝』(マタイ伝)
の訳語。
love…いつくしみ
devil…あくま
sabbath…安息日(あんそくにち)
heathen…異邦人
glory…威光
God…神
Messias…メツシヤ
church…集会
repentance…悔いあらたむる
priest…祭司
apostle…使者
scripture…聖書
saint…信者(聖人じゃないよ)
Holy Ghost…聖霊
baptism…せんれい
elect…えらまるゝもの
kingdom of heaven…天国(てんこく)
angel…つかひ
gospel…福音
resurrection…よみがへること
prophet…預言者
neighbour…隣
疑問。安息国(パルティア)と安息香酸などは関係があるのだろうか?
詳しい人教えて下さい。
ヘボンは、アメリカ公使デロングを通じ、公使は副島種臣外務卿に天皇に聖書(ヘボン・ブラウン訳聖書)を献上してもらっています。
明治天皇は自署で嘉納の旨、返書されたらしいです。
神道に偽装されたキリスト教が日本の実質的な国教となりました。
・「愛」は仏教では悪なのでヘボンは「愛」をためらった
宗教辞典で「愛」の項目を執筆するには、必ず仏教とキリスト教と対比して説明が必要です。悪と善が真逆だからです。
仏教では愛(渇愛)とは人間の欲望の根源であり、この(渇)愛を滅ぼすことこそが仏教の目的です(だから世を棄てるんですよ)。
対して、キリスト教では愛は(虐殺しまくる)GODが与えられる全面的に善なるものです。
とはいえ、キリスト教概念流入以前でも「愛」は全面的に仏教的に使用されたということではなく、親の子供に対する「いつくしみ」という意味で使われることがありました(「愛情」。でも「情」寄りでしょう)。とちらかと言えば、本能的な愛情の意味です。本能性が強まると「愛欲」というどろどろした自己中心的欲情表現となります。実に人間的であり、超越的な畏怖すべき存在から受けとるものだという感じはまったく感じられないのです(仏教国家なのだから当然)。
これは聖書翻訳にも勿論影響しています。
ブリッジマン-カルバートソンの中国語訳では「愛」(中国は仏教国家ではないから)ですが、ヘボンの日本語訳では「いつくしみ」。
ヘボンは『和英語林集成』では「愛」を次のように説明しています。
“To love, to regard with affection, as a parent or friend.”
親や友の愛情であると捉えていました。
loveにあたるcharidade(かりだあで)は『どちりな きりしたん』では「御大切」
『羅葡日辞書』のAmorは「Taixet」つまりは「大切」
概して、感情的で肉体的で時には不潔な快楽として「愛」が受取られることがあったのです。
それもあって精神的(キリスト教的)愛には「御大切」が使われました。
また「デウス」の無償の(有償だろ)「愛」には適当な言葉なしとして「カリダアデ」が用いられたりしたのです。
感情的肉体的な愛情……愛、恋
精神的な相互愛…(御)大切
超自然的(GOD的)愛…カリダアデ
なんとか仏教的ネガティヴ要素を消そうとして、儒教では善の「仁」を加えた「仁愛」という訳語もあったらしいです。
(『天主実義』などでは、「仁」の一つのはたらきとして「愛」が語られているので、儒教的素養があればなんとか通じたらしいです)
当時、愛は、仏教では迷いの根源=悪であり、感情的、肉体的な愛情であり、不潔な快楽と受け取られていましたことは極めて重要で、「愛」を良い意味で使っている神道書(笑)は偽書だということです。
仏教国家の歴史が大変長かったので、明治維新後ですらしばらくは「憂国」はあっても「愛国」はありえなかったし(国家概念自体がないですけど。国と言えば、今の藩)、
「愛」ではなく「情」でした。
実際、新渡戸稲造は憂国は説いても愛国は叫ばなかったそうです。
クリスチャンが武士道好きなのは新渡戸稲造が原因です。
"
村手 さとし@mkmogura
”情報とは数あるミニ情報をつなぎあわせると、綺麗な円になって、大きな情報になる。それと同じことで、ちまたの嘘つきどもの「おかしいこと」を、繋ぎあわせる、なんで「こんな嘘をつくのか」と気づければ、それ以上に綺麗な円になる。その情報、円の中心が企画者である。嘘をつく理由で円を作りなさい
嘘つきに騙されないと自信がある人ほど、なぜ嘘をついたのかという理由を考えない。嘘とは常に2つがセットである。
嘘や悪いことには、その嘘などの事象とは別に、理由が必ずあります。誰かからお金をもらっていたり、競合する相手を出し抜くためだったりするわけです。
その嘘の理由を意識すると、その嘘についての利益とコストが見えてきます。
むしろ空海は半分以上が別の人のような気がします。弘法大使=ただのとくの高いお坊さんの総称。仏教=天皇を説明できない本屋さんという職業に事実なんてものは、並べられないよ。 なら嘘から情報を読みとくべきでは?嘘は、嘘と嘘をつく理由が常にセットであるし。
信じていない者だけが物事を確かめるようとする。
行動の根源には『納得できないがために実行する』というものがある。
信じて行動するのではない。
『最悪』な社会は素敵な神様に作られた、そう矛盾があるのにバカだけが宗教勧誘をできる。
彼らも無力な自分にも社会にも納得できないのだろう。
キリスト教での創造神を、カトリックは主(しゅ)、プロテスタントは神(かみ)と呼ぶ。カトよりではなく、神というプロよりで日本は神道という嘘が作られたということ。国学の基礎、本居宣長、平田篤胤はキリ教徒である。
これは、今の日本、米系メーソンと欧州系メーソンの勢力図そのままである。
そそ。「道=どう」というと、学問、明法道などの平安から続く、系列化され継続されたものに感じてしまう。神道、神社って聞くだけで、多くの人は誤解する。学問(字も含む)が当時の支配者に依存しなきゃ潰れるだけである。歴史上、神社が祭壇以外の意味がなかった…
歴史上、神社というものが「単なる祭壇」としてしか、出てこないのでもわかるとおり、そんな中で「系列化した学問、思想があった」とか、主張されても困るわけです。そして日本最古で独自とか主張しちゃうのに「神=キリスト教」の糸がプンプンするんだから、笑えるわけです。
うーん。神道という嘘、「神というもの」自体が、キリスト教が聖書を訳したときの都合から、19世紀のころに出来上がった最近の話だということは、なかなか多くの人に伝わらないね。天皇=仏教の構図どころか、歴史に一切の神社がでてこないことに不思議にも思わないのかな。
神社に行くたび、絵馬に「仏教の天皇から神道の天皇にすり替えられたことを、もっと多くの人が気づきますように」とお願いして記入している。
創造神の意味で、「神」という文字が使われたのは、キリスト教が漢訳聖書に文字をあてた19世期初頭である。日本、漢文における創造主は「天」である。
いいですか、嘘を見破るにはコストが必要です。そして社会を変えるには「正しいことに融資」が必要なのです。嘘を見破るだけでは何も変わらないのです。キリスト教が作ったものである神社が初詣で金儲けするのを見破っても放置していては正しさに導けないのです。ちなみに私はパソコンが壊れました。
静岡市探査。ここは金座町。通貨発行の町である。神社も多い。漢文にも日本の歴史にも、神=創造神という概念はなく、神道は明治からキリスト教がでっち上げたもので、日本中の神社が単なる地域祭の祭壇や、稲荷=ねずみ講と知ると、神社に来るたび壮大なコンクリ建築の権化だなと、嘘に感動できる
あけましておめでとうございます。
日本の歴史に神社が出てこないのを誰も説明しない社会は、相変わらずで今年も初詣とかやってます。まあ、それは神社と寺の区別を誰も理解してないことでもあります。今年も頑張ろうと思います。
在日右翼は認知されてきたが、『在日神社』は、あまり知られていない。
宗教法人の無税は誰でも知ってる、これは指針になる言葉だ。
すべてはキリスト教で世界を支配するための戦略があって、日本はこの国に合わせたキリスト教=神道をでっちあげた。そして在日をつかっての間接統治で完全に重なる
例えば、創価学会。
最近まで日蓮宗だけど、もともとは神社教育をするための機関からの派生だから、『神社系組織』でいいんだよ。
宗教法人の特権と在日特権が同じ物だとわかったら、重ねて見ればいいだけ。
だから、在日神社、在日右翼なんだよ
キリスト教組織➡朝鮮人に命令と、キリスト教組織➡神道組織に命令、全く同じ。神社に行くかどうかは、教会に行く気になるかで決めれば?
日本式でっち上げ教会システムが神社と神道になった、つじつまの合わない天皇なわけだし。それが支配の根元
ken@kenkatap
日本一高い山ではなかったことも! 海外メディアは富士山をどう伝えてきたのか
【ナショジオ【http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20130622-00010002-nknatiogeo-int …
▼富士山の写真が最初に掲載されたのは1921年7月号
▼英国人宣教師、ウォルター・ウェストンによる記事
▼いずれの記事も“聖なる”という表現が目を引く
村手 さとし@mkmogura
いいとこ見てるね。山岳信仰の祭壇を、神社として「あたかも、神道というものが昔からあったかも、と装っているから」といえるんだよ。
その中心が、静岡の浅間神社なわけですな。
豊橋駅に到着。「ええじゃないか」の祭やってる。そう。明治維新前に「外国資本のための尊皇攘夷」という変な話のためのあの大衆陽動。ここの朝鮮海賊=八幡が発症の地。でっちあげ神道を国教にするためであり、東国進出、天皇すり替えにつながる話。秋葉原はここや静岡の秋葉神社とのつながりね。
大昔からあるという、「元祖」の土産和菓子屋。あれれ?それなのに屋号は存在しないの?おかしくない?キリスト教が日本中の神社と天皇崇拝を捏造したことでもわかるが、日本の観光地は外国資本によって明治以降にプロデュースされた物が多い。
なぜか、神社の東照宮とか。観光地自体が、捏造改編だったり。伊勢の赤福を筆頭に、和菓子屋は、伊勢屋=和菓子屋という構図でできあがってるよん。ブログで説明したけど、伊勢屋=江戸で流行った宗教詐欺師=犬のフン。
静岡市探査。斜向かいには、赤十字がある。なぜ、マリア宿のホスピタルと言うか、医療感謝十字架の法則、くしゃみをしても信仰を義務付けられる社会であるかを考えれば、科学結社であるフリーメーソンがキリスト教を使って大衆をどう扱いたいかがよくわかる。実際、日本人が抜け殻になった理由である
高倉健の祖先は鎌倉時代の北条家に仕えた刈田式部大夫篤時と言われた北条篤時で、篤時の子孫が西国に移り、大内氏に仕え北九州へ。
大内=百済王=南朝鮮=南朝です。
在日認定は間違いで由緒正しき日本の朝鮮族です。
親玉。韓国との縁を天皇本人が認めてもスルーで嫌韓な右翼から学びましょう
高倉健が朝鮮族というのを、まだリツイートしてくれる人がいる。では追加。
初代征夷大将軍を誰も知らずに、坂上田村麻呂を皆が知っていて、八幡、天満宮の菅原道真神社とか毛利とか、今も芸能界のドン周防、多々良の安倍とか。全部、由緒正しき朝鮮族である。明治の南朝百済天皇すり替えに帰結する
西郷隆盛という戦争を起こした謀反人、国家反逆罪のテロリストを賛美するのは、南朝朝鮮族です。
百済起源の朝鮮族が問題ではなく、テロリストが賛美される特定の民族思想が優遇される社会が問題なのです
右翼の保守と、左翼の革新の違いの根本は、個人の認識による改善を肯定するかどうかになる。
個人を否定すれば規律と伝統を重んじる保守となり、肯定は個人によって改善するという理想論の左翼的に。
保守的なのに意味もわからずに革新を叫ぶ経営者の会社は間違いなく潰れる。
国も同じである
説明した大衆の個人の認識の改善が、右翼と左翼の違い。
媚米、飼われてでしか右翼は成り立たず、お花畑、左翼に団結は期待しても無駄。
そこも大事だが、左翼のイルミナティがなぜSFの進歩主義を掲げ認識の改善を促し、逆にアメリカ、宗教にCIAが歴史のないくせに保守に固執するか考えるべき
学校や部活など、子供への本来の教育の目的は「組織の中で自我をどう上手く主張するか」であって、組織のために自我を殺して協調が出来るかではない。
今の日本の社会はどっちだろうね?
yagian@yagian • 2010年5月27日
子安宣邦「本居宣長」読書中。平田篤胤はキリスト教の影響を受けているらしいけれど、本居宣長の神道論もキリスト教に似ているところがある。国学系の神道とキリスト教には親和性があるのかもしれない。
子安宣邦「本居宣長」読了。子安先生によれば、本居宣長の「カミ」解釈には、天照大神を中心とした一神教的性格がある。キリスト教の影響も受けた一神教的な近代の国家神道に、本居宣長の「カミ」観が接続するとのこと。やっぱり本居宣長は日本近代の出発点の一つという思いが深くなる。
ヒラ://@punanny_chang
・田布施とその周辺のわずか数万人しかいない地域から、伊藤博文、岸信介、佐藤栄作、鮎川義介(日産グル-プの創始者)、久原房之助(日立グル-プ創始者)、松岡洋介(戦前の外務大臣)、宮本顕治(共産党書記長)などなど。これが偶然などと言うことは天文学的確率でありえない。
村手 さとし@mkmogura·2012年9月16日
大昔からあるという、「元祖」の土産和菓子屋。あれれ?それなのに屋号は存在しないの?おかしくない?キリスト教が日本中の神社と天皇崇拝を捏造したことでもわかるが、日本の観光地は外国資本によって明治以降にプロデュースされた物が多い。
なぜか、神社の東照宮とか。観光地自体が、捏造改編だったり。伊勢の赤福を筆頭に、和菓子屋は、伊勢屋=和菓子屋という構図でできあがってるよん。ブログで説明したけど、伊勢屋=江戸で流行った宗教詐欺師=犬のフン。
ド・けちん坊将軍【20120210】
http://www.mkmogura.com/blog/2012/02/10/1058
"暴れん坊将軍!!!!
まあ、実際のことを言うと、「ケチな詐欺師の親玉」みたいな将軍(?)なんだけどね。
豪快でカッコイイなんてもんじゃない。
質素倹約という享保の改革を行った、八代将軍である徳川吉宗。
こんなものを架空の歴史で盛り上げてるのも、まあ、水戸黄門という尊王(南朝天皇)の印籠と同じく洗脳である。
紀州藩主。
あの伊勢があるとこ=紀州だよ。
幼少で将軍職になった家継という徳川本家の後継ぎが死んで、特異な形で御三家から選ばれたという経緯の特殊な将軍だけど。(俺個人としては、徳川家のTOPってだけで、将軍という呼び名さえなかったように感じるのだが)
で、こんな言葉がある。
「江戸に多きものは伊勢屋稲荷に犬の糞」
江戸に増えた悪事をうれう言葉である。
伊勢屋=伊勢商人(ケチな詐欺師)
稲荷=ねずみ講
犬の糞=そのまんま
(5代将軍の綱吉、犬公方様以降だね、動物保護の精神が生まれて江戸に犬が増えたというのは。当時の江戸の人がつい最近までの中国のように野良猫・野良犬を食べなくなった、って意味になるから。)
辞書によるとこうなる(広辞苑)
※伊勢屋
江戸時代、倹約を旨とする商人の異名。伊勢出身の商人がよく節倹身を持して、宵越しの金を持たないことを誇りとした江戸人の間に伍して着々商権を拡張し、「江戸に多きものは伊勢屋稲荷に犬の糞」といわれるまでの繁栄を来したからいう。
↑辞書ではこう書いてあるが、「伊勢屋=繁盛した」というが、犬の糞と並べて「繁盛した」という表現をする馬鹿はいないだろう。
それは、カレーのおいしさを・・・マテ。
まあ、それでも「伊勢屋=ケチ」なのは間違いないでしょ?
で、伊勢=伊勢参りという宗教=詐欺師で、構図は簡単に理解できるわけ。
で、ケチつながりで紀州の吉宗なわけ。
もちろん、伊勢神道=天皇すり替えでも繋がっているわけ。
デフレ政策=ケチだから、とも言えるわけだ。
まあ現在も、この広辞苑と同じく、「犬の糞」とイコールな物、当時の「詐欺師が蔓延したよ」と風刺した物を、「伊勢参りは繁盛した」という資料にされてるだろうけどね。
この伊勢という宗教詐欺師が、のちの時代の天皇すり替えに役立ったのは言うまでもないわけですな。
ちゃんと隠蔽する気がないのは、辞書というものが既に、アンチ南朝天皇ともいえる「さすがは百科全書派のながれ」と言いたいところですが。
まあ、そういうわけで。
伊勢神道という宗教を江戸に蔓延させ、質素倹約なんて、本人までもケチ臭い&間違っているデフレ政策の吉宗を、「暴れん坊将軍」として、けち臭さを消すための架空のお話「豪快な人物像」という虚像を作っているわけ。
今現在もね。
伊勢=天皇すり替えの神道
紀州=吉野を中心とした南朝という百済の残骸つながりに一部重なる
→「紀州藩=真言宗を保護したとこがある」
それだけではなく、江戸に宗教詐欺師、伊勢屋を蔓延させた功績と、ケチな奴の親玉であるというのをごまかすための、「暴れん坊将軍」。
あと、吉宗は一部洋書を輸入するのを解禁して、それがキリスト教改の国家神道の手先どものできあがる土壌になったから、洗脳=評価されてるというのもある。
まあ、ケチな詐欺師というのが一番だろうけどね。
まあ、世の中そんなモンです。
「江戸に多きものは伊勢屋稲荷に犬の糞」
たった一言だけど、時代背景とか、重要な嘘の骨格を知ってれば、見えてくるものがあったので、こうやって補足できました。
犬の糞をありがたがってる人は今も結構いるようで。"
神道について知る前に【20120211】
http://www.mkmogura.com/blog/2012/02/11
"宗教とは「仮面」である。
魔法の仮面だ。
この仮面をかぶって悪いことをしても、悪いことにならない。
それが宗教の本質である。
それは、わけわからん高級羽毛布団はのせられて買わされると詐欺になるが、わけわからん高い戒名の代金を坊主に払わされても詐欺にならないという簡単な事例でも、わかることである。
これが、個人に対しての宗教の本質、仮面である。
「キリスト教」、「仏教」、そして質問できた「神道」、個人に対しての仮面なら、社会における宗教単位で考えた場合、これらの本質は、何になるか?
自分は「看板」、もしくは「のれん」であると説明する。
宗教というのは、この看板、暖簾をくぐった瞬間に、その善悪がわからなくなる仮面を強制的にかぶらされるのだ。
先ほどの戒名という葬式、そして結婚式の教会、暖簾(のれん)をくぐると強制されて逃げられないという意味はおわかりいただけるであろう。
悪いことをする共犯者にしてしまう仮面、それが宗教にとって唯一の商品である。
それが宗教であり本質である。
よって、キリスト教、仏教、神道、それらの宗教という個別の商品は存在しない。
正確に言えば、宗教なんて売り物はない。
やっていることは同じという詐欺師が、別々の看板を下げて多々存在するというだけなのだ。
だから「神道とはなんですか?」というコメントで頂いた質問は、「神道という宗教はなんですか?」という質問になってはならない。
神道という商品はないのだ。それを探してるのでは一生見えてはこない。
『神道という「看板」を掲げてるこれらのお店は何ですか?』
こういう意味の質問なら、自分は日本で一番明確に答えられるだろう。
「その神道、その看板は、こうして作られたんだよ。」と。
では、その答えは次回に。
その前に、宗教という商売の「看板」は、簡単に塗りなおされるという話を。
実は、これは以前に説明したことそのまんまである。
では、「宗教という看板を掲げた詐欺師のお店」と説明するのが一番わかりやすいのを、過去の説明から。
過去に説明したとおり、「スピリチュアルはキリスト教から生まれた(塗りなおした看板)」わけである。
弁神論(世界中のものを神様が作ったのなら、悪も作ったのはなんで?)という、神(創造神)にも答えられない質問から逃げるために、スピリチュアルは生まれたわけです。
「神という単語を隠す」というために、そして神という具体的なものではなく「目に見えない何かを信じる」という、とんでもなく都合のいいものを作り上げるためにね。
あと、聖書原理主義のような「個人の解釈で暴走する行為から逃げる」ために、「キリスト教・改」で、スピリチュアルは出来上がったんだと。
だから、神智学協会がもとの出所であり、間違いなくブラバッキー夫人、エドガー・ケイシー、スウェデンボルグ、それらは全て、キリスト教がもとであると。
看板、「塗りなおした」の意味がわかるよね?
スピリチュアルという商品についての説明、「目に見えないもの」「アストラルパワー」やら、「パワースポット」やらを考えていては、看板として重要な部分「キリスト教と同じ物」という部分は、見えてこない。
キリスト教とは、大昔からのできそこないの宗教なわけで、それを何とかしようとした考え方、「神学とかで神の存在自体が邪魔だった」、「聖書原理主義のような凶暴解釈から回避する必要性があった」、「観測できない目に見えないもの=正しいという洗脳だけのほうが便利」などの、仮面を売る上での理由「だけ」が、そこにあるわけ。
つまり、その部分、「なぜ看板が塗り替えられたのか?」、この部分のほうが大事なわけ。というか、それ以外は必要ない。
神道似ついての質問と同じ事で、「スピリチュアルという看板は何ですか?」という質問なら、「このような理由でできました」、そう簡単に伝えることが出来ます。
しかし、ありもしない商品の中身、「アストラルパワーってなんですか?」
と聞かれても、困るわけです。
スピリチュアルの人達が信じてる目に見えない力らしいです。前存在物質とかなんとか。
セフィロトの木の構成要素からもきてるんだが、スピリチュアルは東方ミトラの一番の影響を受けているのでアフラ・マズダがアーリマンの戦いに敗れたことで生まれた光の粒子あたりが、その元ネタになる・・・
って、永遠に目に見えることはないんだから、わかるわけない、そんなのを考える必要さえないだろ!と。
どうでもいいでしょ?
あるかどうかも永遠にわからない物質、「それらを逆手にとって価値観を形成する」という「塗り替えられた理由」のほうが重要なわけですから。
つまり、宗教を批判し、ちゃんと歴史を理解する上で大事なのは、「伝統を守る和菓子屋」なんぞよりも簡単に、宗教というものは看板がすけかえられるということ。
この場合、キリスト教がスピリチュアルに変わったようにね。
天台宗という日本の国教が、国家神道に変わったようにね。
実は日本の和菓子業界とかは、これから理解する神道詐欺とかとリンクしている。本家偽赤福や阿闍梨餅とかでわかるように。
でも、それ以上に、宗教自体の看板が、いとも簡単に塗り替えられるのだ。
宗教という、商品ではなく、「その看板はいかにして作られたのか?」という部分が、明確な状況を表す理由で、理解の鍵である。
"
神という字を書いてみよう その1【20120212】
http://www.mkmogura.com/blog/2012/02/12/1064
"宗教という詐欺師の看板の仕組みを理解するためには、その看板が薄っぺらいものだと、もっとちゃんと認識する必要がある。
そのために先に、この記事から読んで下され。
神道とは何か?そして、そのことの理解が、「どんな派閥が天皇すり替えという今の詐欺社会を作ったか?」に繋がっていくよという、その具体的な話をする前にね。
「神なんて物はいない。」
神という字が、普通の神様の意味、創造神として使うようになったのは「明治以降」である。
まあ、自分も最初、聞いたときは信じられなかったけどね。
「愛という言葉」ができたのと同じく、キリスト教を中国語の聖書へと訳す際に、出来上がった言葉である。当てた字である。
それが、神という言葉なんだよ。
そう神様なんて、薄っぺらな詐欺のために出来上がった言葉である。
最初は信じられなかった自分が、そう確信を持った理由を箇条書きにして説明しよう。
・神という漢字
・神という字を日本の漢字の先生中国ではどう扱っていたか?
・昔、神という字を使った創造神を否定する決定的な単語
さて、では、まず神という字を、広告の裏にでも書いてみてほしい。
漢字、これは象形文字である。
つまり、漢字は絵のようになっていて、字体がどうなってるかが、その字そのものの意味へと繋がっているのである。
神というのは『示申』と書く。旧書体で「しめすへん+申」
この「しめすへん」というのは、祭壇を絵にした文字であるわけ。
もっと明確に説明しよう。
神社の儀式だけでなく、鏡餅やら、お月見の団子を置くとかで使われる、あの木で出来た台だよ。そう、白木でできた白いヒラヒラがついたアレ。
「〒」これが木で出来たやつで、その横の転々が白いヒラヒラね。
そして決定的なのは右側、「申」である。これはカミナリを意味する。
田んぼに落ちるカミナリね。
つまり、神という文字は、「祭壇と雷が落ちる図」という絵を、簡易化した象形文字である。
ユダヤ教やキリスト教で、YHWH、それとかエホバ(間違ってるけど)、イスラム教ではアラー(al+rar・冠詞とあのラーね)。
エジプトではラー(太陽)であり、一神教的な言い方であっても、アトン(aton)とかアモン(amon)とかである。
これは「あ」から「ん」まで、最初の文字から最後の文字という意味である。
創造神である神をあらわす際に、最初から最後の文字の全てで表すという敬意的な表現になる。
これは、阿吽(あうん)として、仁王像などのように日本、中国にも伝わってきた。
神様という物に対しての呼び名は難しい。
世界を作ったという偉業の象徴の為に、彼らの呼び名、文字は、どの宗教でも威厳のある表現方法が必要なわけだからね。
だから神聖4文字YHWHとか、みだりに神の名を呼んではならないとか。
で、だ。
チョイマテ。日本の神ってどういうことだと。
世界を作った創造神である「神」よりも先に、木で出来た祭壇の箱があるわけで、神様より「木工師」のほうが先に誕生していたのか?と。
それに、そもそも世界中にある最も起源的な宗教、その全ては「太陽崇拝」である。
「白人ではないんだから」、カミナリなんてものを創造神として崇めるなんて事自体が、そもそもおかしい。
有色人種である日本人はもちろん太陽崇拝のはずで、アマテラス(天照)という神道もそのはずだよね。
つまり、これキリスト教改という白人の神、ゼウスだろ!と。
ここだけでも聖書からきたと聞いて納得してしまうが、ちゃんと最後に納得してくれ。
では、長くなったので、次回に分けよう。
そもそも日本では、八百万の「神」という表現があることでごまかされているが、道祖神やら氏神、氏(うじ)という祖先が「神になる」というのもおかしいし、創造神としての意味で「神」という文字を使うのなら、おかしすぎる表現が多数ありすぎる。
その決定的な物を紹介したいと思う。
神という字は、あの、今も使われてるような形の祭壇であることでもわかるとおり、中国でも大昔からある字ではなく、後から作られた類の文字だろう。
というわけで、箇条書きの次の項目「中国の用法」などなどに続く。"
神という字を書いてみよう その2【20120213】
http://www.mkmogura.com/blog/2012/02/13
"明治以前にできたもので「神」という文字がちゃんと「世界の全てを作った創造神」の意味で使われたものがあるのか?
むしろ、そんな文字は別にある。
そして、それは日本人なら誰でも知っている。
その漢字こそが「天」である。
漢字として「人」、もしくは「大」という人間を表すもの、で、その世界の全てをおおう=支配して、その上にいるという意味で線を追加し、世界全体を指す。
それが「天」という象形文字、そういう絵なの。
人の上、空にいて全てを支配しますよ「お天道さまが見てますよ」ってあれね。
スケールが全然違う。
ここらは中国でも共通の話。
古くからの毘沙門天とかのあれ、「天」という文字自体が神様なんだよ。
天そのものがね。
日本の仏教が大乗仏教、生まれ変わりの思想になったのは、インド宗教バラモンからであり、ヒンズー教のもととなった宗教からの影響である。
バラモンの神やヒンズーのシヴァ神のような創造神、それらが輸入されたはずなのに、「神」という字はが当てられた名詞は存在するのか?していないのである。
シヴァ=「大自在天」、インドラ神の「帝釈天」、全部「天」なのである。
そういうわけで、「おかしいでしょ?」と言っているわけ。
そして、もちろん昔の中国でも「創造神として神」という意味でこの文字、「神」が使われることはない。
神という文字の本来の意味を説明する前に、中国の神という字のことを簡単に説明しよう。
中国でも昔から神仙(仙人)という文字もあるが、これは本来の意味に繋がるので、のちほど。
で、神が創造神ではないというのを理解するのに、面白い事例がある。
中国では「神」という文字を使って、名前がわからない人間をたずねるとき「これは誰?」という意味で、この「神」を当てます。
英語でいう「WHO」みたいな使い方なわけね。
顔がわかって名前がわからないようなときに、当てる漢字だそうだ。
創造神の意味があるなら、こんな使い方は絶対にしないわけで。
乱暴な使い方だと、「廊下にコーヒーこぼした神はどいつだ?」とかになるわけね。
では、神という文字の本来の意味を知る段階へ進む。
さてその前に、疑問が確信に変わりつつあるところで、決定的な話をしようと思う。
その神という、本来の使い方をあらわす言葉こそが「神無月」である。
そもそも「神無月」とは凄い月の呼び名である。
ユダヤ教のエッセネ派、キリスト教原理主義の黙示録、インド密教あたりの終末論。
これら世界中のどんな宗教の終末論とも比較しても、1年に一ヶ月も「神様がいなくなる」なんて、こんなふざけた話は、どこにも存在しない。
いなくなりすぎだろ、と。
日本だけである。
1年に1月もいなくなるのなら、「神を崇拝しろ」というのも馬鹿馬鹿しくなるし、終末=危機感をあおるという宗教の本質の部分においてでも欠陥になるからである。
神無月とは、 旧暦一○月の異称である。
「出雲に八百万の神様が集まるから、神無月」という、馬鹿げた話もあるが、一ヶ月も放置してくれる神様を崇めたくなるかぐらいは、考えたほうがいいだろう。
だから出雲では神有月である、こんな嘘が半分通ってしまっている。
それに旧暦10月、それは現在の11月であり、秋の収穫祭とは少しずれるが、冬ごもり前の「祭りなどのお祈りのシーズン」でもある。
そんなときに神様がいないなんて、ふざけたことがあるのかと、つまり、こんな呼び名がありえるのかと。
ならば、「なぜ神無月という呼び名があるのか?」それが答えでもある。
ね、神は創造神をさすのではない。
ちゃんと説明しよう。
では、まず神無月というものが何であるのかと。
神無月、これは出雲なんて馬鹿は関係なく、「神鳴」がないシーズン、よって神無月なんだよと。これが、神という言葉の本当の意味を、ちゃんと説明してくれている。
神鳴=カミナリ=雷だよ。
それがない穏やかな月という意味での神無月。
あなたは、もう神というものが見えるはずである。
神という文字は「示」祭壇に、「申」カミナリが落ちるという文字である。
カミナリそのものをさす字ともいえる。
そして、そこから生まれた神という漢字の別の意味、それさえも「神秘的なことが起きる」という形容詞に過ぎない。アーリアと同じくね。
お祈りをしたら、カミナリが落ちたってね。そこから転じて「神秘的」になったと。
中国での神仙、日本での神楽、すべてこのお祈り、祭壇そのものをあらわすか、もしくは「神秘的なもの」を指す言葉に過ぎない。「どんど」=道祖神とかもね。
だから、スピリチュアル的にいうのなら「目に見えないもの」的な意味が、本来の神という漢字のもつ意味であり、用法である。
よって、そこから転じて、「雷=イカヅチ=こっちはもともと光 (視覚のほうの漢字)」&「 神鳴=カミナリ=神秘的な音」という、カミナリになったわけ。
目に見えない何かの力で、音がなったり、木が割れたりとかね。
で、中国では「誰かわからない人」に、「目に見えないもの」的な用法で、神の字をあてて使う用法が残っているわけ。
で、それ以外の「神秘的という形容詞」、読んで字のごとく、神仙=神秘的な仙人という意味もあるわけね。
創造神=神様ではなく、神とはもともと、目に見えない不思議な力、そこから転じたカミナリという神秘の力だけをさす言葉である。
本来の意味ではないそれを、聖書を訳す際に、白人の神ゼウスを崇めるキリスト教徒が嬉々として喜んで「創造した」、それが、今の世の中、日本にある「神」なんだと。
外来の「創造神」を崇めろとしたかったために、もとからあった「天」とかの言葉ではなく、創造した、でっち上げた物なんだよ。
本格的に、神=創造神が確立したのは、明治以降で間違いはない。
キリスト教の輸入時、鉄砲伝来の16世紀に「神」が使われたかは、ドチリナキリスタン(岩波文庫)あたりで、調べてみるけどね。
さて「祭壇」や「神秘的なもの」、それと明治以降に作られた、世界の全てを作ったという創造神「神様としての神」、それは全然違う。
ほら、「神道」とかの意味も、もう一度考えてみて欲しい。
「天皇と創造神を重ね合わせる」という行為のための、詐欺師の看板である。
その看板の一番大事なところであるはずの、「神様」はいないのである。
そう、これは国家神道というものがキリスト教を作り直した物でしかない証明でもあり、巷にある創造神の意味になる神は、全部でっちあげである。
うすっぺらいという意味がわかったかな?
神なんていない。
神を殺す。これはグノーシス的な帰結である。
創造神を否定することで、自分自身だけが正しいと導かれてしまいそうな話になるが、それは違う。
殺す以前に、その存在を表す記号からして、まがい物なんだからね。
そんな物は必要ないというだけ。
そして自分の力を過信してるようなこともないよ。皆もよろしく。
ただ、グノーシス以前に、正しいことは何かという規範という物、それは結局、自分自身だけで決めるべき物だとは思うけどね。
"
漢訳聖書 神が輸入された時期その1【20120214】
http://www.mkmogura.com/blog/2012/02/14/1072
"キリスト教の伝来した当初から、江戸後期まで、キリスト教の創造神を「神」と訳した文献などは一切存在しない。
ヒンズーやインドラの創造神を輸入した日本の仏教会、同じく中国、及び漢文の世界にも、創造神という意味で神が出てくることはない。
「ある特定の分野のなかだけで、神というのがあった」と主張されているだけである。
ここらへんの話は、岩波新書「長崎版どちりなきりしたん」の著者、海老沢有道の本が参考になる。
日本の聖書~聖書和訳の歴史~
海老沢有道
isbn4-06-158906-7
本に書かれている海老沢有道の経歴を軽く紹介。
1910年兵庫県生まれ 聖心女子大学、立教大学を経て、国際基督教大学大学教授を定年退職・・・。
聖心女子大学=皇室系カトリック学校、聖公会系の立教大学、で同じくブリッジチャーチのポジションであるJロックフェラーでおなじみ、ユニテリアンちっくな国際基督教大学ですか。
キリスト教という世界支配のための一番どでかいツールの手先、その、これ以上ないほどの経歴を持つ馬鹿大学の教授が、「神はキリスト教のものだ」という主張、その具体的な経緯、「日本の聖書がどう出来上がったか?」を紹介した本である。
その中で、「神という言葉がいつ頃から使われはじめた」と記してあるわけね。
キリスト教によって出来あがった捏造神話の「神道」の都合を無視してね。
かわいそうに。
今でさえ、「神」という単語で、真っ先にキリスト教を連想するが、キリスト教は江戸後期まで日本と中国の両方で「天主教」と呼ばれていて、神なんて物は「一切」出てこない。
16世紀、キリスト教の伝来とともに、火薬の代金として、キリスト教徒が日本人の女性を性奴隷としてせっせと輸出してた頃。
その当時、ちゃんとした聖書というものはない。
ヤジロウ訳と言われる私的ノートのような注釈文のようなもの、それ以外では宣教師、つまり外国人による簡単な訳でしかない。
そして、その中で参考になる一番の物は、当時のキリスト教の教理を伝える際のまとめ、教義書のような物、ドチリナ・キリシタンである。
ぜ~んぶ、神なんて創造神は出てこない。
これらが、今でいう「神」の部分をどう訳したか具体的に箇条書きしよう。
御主ぜす、きりしと(おんあるじゼズ)(※ドチリナ・キリシタン)
デウス(Deus:ラテン語=ヘブライ語のエロヒム)
(※宣教師や初期の布教では、そのまま単語は原語のままデウスとして使った)、
他には、天帝、天尊、天道などがあり、「天主」←これが江戸時代ごろまでの主軸。
1801年山村昌長「西洋雑記」、これは、そのまま「創造主」。
あと、ヤジロウは真言宗的な「大日」という言葉を使ったともいわれている。
ヤジロウ、日本人ではない宣教師、どれもまともな訳と言える段階ではない。
そして、これはその後キリシタン狩り、宣教禁止が行われたことで、江戸時代の鎖国後の19世紀になるまで、今のような日本語に訳された聖書というものは「基本的には存在しない」という状況が続くわけ。
そういう、ちゃんとした聖書なんてものはない状況だが、逆に、統一されずに、秘密裏に広がった分、レパートリーは多い。
しかし、ドチリナ・キリシタン、宣教師の資料、キリスト者による出版履歴、それ以外の多くの文献、幕府のキリシタン弾圧の中の禁書の項目など、このまとまりのない多数の物。
その中に、創造主を「神」とあてた例は、調べた限り一切、出てこない。
愛という単語と同じくね。
では、聖書の創造主が神として最初に出てくるのは、いつなのか?
海老沢有道の記す、聖書の歴史から紐解こう。
それは先述の通り、漢訳聖書からである。
基準として考えるべきなのは、1823年のマラッカで出版された神天聖書である。
厳密にはこれが最初ではなく、そのもとなったのは1813年、広東で出版された「新遺詔書」であり、出版物として「創造主=神」となったのは、これが最初である。
この漢訳聖書の作成のきっかけになったのが、パリ外国宣教会のパゼJean Bassettという人物の迫害下の中で記されたヘブル書第一章までの写本、「四史修編しししゅうへん」(18世紀1700年代の初頭)、これが「神」と訳された最初である。
これは、出版物ではないし、日本に輸入されることは絶対になかったため、いつ「創造神=神」が日本に入ってきたか?を考える際では除外していいだろう。
説明しておかなければならないのは、そもそも「神」と訳したのは、新教徒プロテスタントであり、江戸の頃にはカトリックでは天主と統一されていた。
そして、東アジア方面でプロテスタントの宣教は18世紀当時では、まだ始まっていない。よって神という単語での布教もない。そんな状況下で、新約を一部分だけ訳した人がいたという程度の偶然の産物的な話である。
そういうわけで、ここで重要になる聖書、「神=創造主」の始まった時代の基準となる「新遺詔書」「神天聖書」も、もちろん新約聖書である。
つまり、1813年以降である。
この聖書の漢訳を命令したのは、英国の1804年に出来たイギリス聖書教会である。
清に宣教すべきという意志をもっていた、当時若干22歳の牧師ロバート・モリソンという人物が、大英図書館で、偶然の産物「四史修編」を発見し、聖書教会の命令を受け、スコットランド長老議会で洗礼を受け、アメリカ→東インド会社の通訳という経歴を経た後、出来上がったのが、アジア圏での最初の聖書、「新遺詔書」と「神天聖書」である。
モリソンは、当時の日本の知識人が漢文も読めることに注目し、日本でも活用できるだろうという意思も持ちながら、これらの漢訳聖書を製作した。
そして、日本に最初に神が輸入されたのは、1813年の「新遺詔書」である。
海老沢有道は、この本の中で、1818年の英国商船長ゴードンが2部の新約聖書を浦賀で、1832年に琉球などで聖書が配られたことなどを紹介している。
さて、日本の聖書~聖書和訳の歴史~に記載されていることについては、これぐらいでいいだろう。
大事なことはここではない。
「とある分野の人達」を除いて、この漢訳聖書が出来るまでに「創造神=神というものが日本にいた」という記述、歴史書は、どこにもないということ。
歴史上、創造神=神なんてあてたものは、「あるジャンルを除外する」と、インドの創造神を輸入した仏教でも、漢文つながりで同じく中国でもないわけね。
さて、どこからともなく「創造神=神」が日本にいたと主張し、それが、恐ろしいほどの偶然で、キリスト教徒と同じ「神という単語」で物事を言い始めた時期と重なるという、不思議な「あるジャンルの人達」について説明しよう。
それが「神道」である。
"
漢訳聖書 神が輸入された時期その2【20120215】
http://www.mkmogura.com/blog/2012/02/15/1074
"厳密には、神道ではなく、国学というジャンルになるが。
神道と神という単語を語る上で、彼らのジャンルの歴史書、日本書紀やら古事記、風土記やらについて。
その説明は必要である。
前回の記事だけでは反論があるだろう、「天照大神」という単語が出てくるではないかと。
「創造神=神」で出てくるではないかと反論があるだろうが、簡単な話である。
天照大神というのは、ただの漢文であって、『「天照」の「大いなる」「神秘的な力」が地上に降臨して~~をしましたよ』という漢文に過ぎない。
こういう反論をしそうな神道馬鹿は、日本に仏教が伝来したとき、「蕃神」、「客神」、「仏神」などと当てて、なぞらえた呼び方をしたと主張する。
「外の国の神」という意味でね。
それなのに、天主に統一される前、神という一神教、カトリックの歴史で「神」という字が日本で当てられた事例はあるのか?、一切ないわけである。
インドの創造神を輸入した大昔からある国教である仏教、そこで創造神として神を当てた事例は?
これもない。
以前、説明したように、中国では、代名詞のようにこの「神」単語を使って、英語の「WHO」のように、名前のわからない誰かに当てて使う用法がある。
起源は一緒で、それに準じる漢文もしかりで、だから日本書記などの神、創造神として「天照」などのことをあらわす時は、神名を必ず記す。(実際は、神ではなく不思議な力だけどね。)
そりゃあたりまえである。単独で「神」だけを使ったら「WHO=名無しさん」のままになっちゃうからね。
だから、中国の宗教観の中や、日本の仏教界にも、創造神という神という言葉が、キリスト教が漢訳した以前に存在していたのなら、中国でも日本の神名のように、毘沙門天でなく、「毘沙門神」みたいな、「神という字と名前がセットなもの」という、その物ずばりの神様がいるはずである。
中国の書経とかにね。
一切ない。
日本の「神道」「国学」にあたる部分の分野を除いて、一切、神なんて創造主は出てこない。
神が違う意味の文字、「神秘的な力(カミナリ)」、もしくは「祭壇」とだけを意味したのではないかという事例はいくらでも出てくる。
中国では「神」という単語にはカミナリから転じて「たたり」、そして「精神」という意味もあり、そのものズバリが必要なわけ。
日本で言うなら、前回の神無月のように別の意味しかない。
氏神、自分の祖先を神(創造神)となってしまう宗教は、世界的に見ても奇妙であるわけで、キリストやマホメットなどの預言者でもなく神そのものに誰でもなれるのかよと。
死んだ爺さんはヘラクレスだったのじゃ!!
そうじゃなく、これも「神秘的な恩恵」としての神でしょ?
あと、キリスト教を「天主」教と名づける日本人が、単なる祈祷師を、神主(かんぬし・神功紀など)と呼ぶのか?と。「祭壇+主」だろと。
中国の春秋左氏伝に「神主」という表現はあるが。これも創造神ではなく神名もない。
それに天照なんて言ってるが、じゃあ何で神は、ゼウスの化身=雷の字なんだよと。
全部、神秘的な力などの読み方で意味が通るぞと。
先に結論から言うが、キリスト教が創造神=神としたのと、神道が出来上がった時期は完全に重なる。
そして、神道を作った奴はキリスト教徒である。では続けよう。
この漢訳聖書ができあがったころ、その一部が江戸にも入ってきた。
そうしたら、恐ろしいほどの偶然で、アジア圏でキリスト教徒が神という創造神の単語を使い始めたのと同時に、「日本を作った創造神=神」という国学思想、神道がうまれて、それが幕府を倒し、明治維新後に「国教」となったのである。
そして説明の最重要な部分に入ろう。
この神道を作り上げた国学者の平田篤胤(ひらたあつたね)は、キリスト教徒である。
キリスト教を禁止されてた当時に、明らかに天主教(カトリック)に影響をうけた本を書いた人物であるから、キリスト教徒で間違いないのである。
その本の題名が、1808年の「本教外篇」、副題「本教自鞭策」である。
こいつのことを語る上で、国家神道の元となった国学について少し、話をしよう。
本居宣長ぐらいは知ってるかな?
こいつも聖書っぽいもの(当時の天主教の禁書ね)を読んでた奴ですよ。
国学とは、古事記・日本書紀・万葉集などの古典の、文献学的研究に基づいて、儒教や仏教が渡来する以前の日本の固有の文化や精神を明らかにしようとする学問。であるらしい。
この国学の学者、荷田春満(1669~1736)、賀茂真淵(1697~1769)、本居宣長(1730~1801)、そして平田篤胤という、おわゆる「国学の四大人」と呼ばれる人間により、国家神道が出来上がった。
平田篤胤(1776~1843)(明治維新が1867年)
四大人、4人の学者。こいつ、平田が一番後期の人。
この人物が、会ったこともない本居宣長の弟子と自称し、「彼らはこう言っていた」という文字通りの吹聴する行為で、尊皇攘夷の神道思想を作り上げ、それが国家神道の元となった。
その中で、「創造神=神」が、使われるようになったわけである。
「本居宣長も、その神は・・・である、と言ってたよ」とかね。
仏教伝来する以前が本来の日本というのが国学でもわかるとおり、こいつが神代という時代、神武天皇以前の神々の時代=日本固有の文化があると言い放ったわけ。
「蕃神」とかは、そのときを正当化する嘘。
平田が、嘘を吹聴ばかりする行為だったのは証明されている。
その神武天皇以前の時代に神代文字、漢字が伝わる以前から日本固有の文字があったと主張して、それがハングルを元にした自作自演の文字だったという、捏造がばれちゃった人物だからね。【20101126】
ハングル、神道右翼は出来上がる前から、在日右翼ですよと。
この平田が、国家神道の基本、日本固有→神道に繋がる、国学を作った(想像しちゃった)奴である。
で、この平田、キリスト教徒であるわけ。
1808年のカトリック系の天主教(キリスト教)の本教外篇。
で、日本に漢訳聖書がこっそり輸入されてくるのが、1820年代、こいつが国学を作るためにやってた時期。
キリスト教徒ってだけでなく、平田は、このように国学を作った張本人、神道関係のストーリーの創作、その出版もするわけですが、その神道関係の本を出すのは、すべて「本教外篇の後」だよ。
つまり、キリスト教の本を書いたのが最初。
で、なぜか国学、神道の本を出版するようになったわけ。
それが神道の始まり、歴史上表に出てきた最初の時期とも言える話。
さらに、それは「キリスト教が創造神=神を使うようになったタイミングと完全に一致している」わけ。
で、その出来上がった神道も、その後の明治維新で国家神道でわかるとおり、キリスト教の教義、日本の創造主である神武天皇、天照大神、明治天皇で三位一体をなすという全く同じ形態で作られてるから、笑うしかないよね。
本教=キリスト教=大本教=神道。
ほら出口王仁三郎の大本が神道はキリスト教に至る道スジであると言った意味もわかるでしょ?
神道とはキリスト教徒が、日本人を騙すために作った捏造神話である。
多くのキリスト教徒が、聖書のGODに神という字を当てたのは我々だと、開き直ってるし、所詮、彼らの手下に過ぎない神道の奴らも、一部はそれを認めてるんだから、バレバレでる。
で、どこまでいっても国家神道=神道だし。
神道=「日本の創造主=神」で、天皇とそこを重ね合わせるための思想である以上、創造主という単語がキリスト教から来たというのなら、整合性が取れるわけないのである。
上位であるキリスト教徒が「日本の神道の神から聖書の訳に持ってきた」とでも言ってくれないかぎりね。
でも残念、日本とは関係ない中国、清で漢訳した聖書がもとですからね。
当時、ドマイナーな神道があったとしても(ないけど)、それを海の向こうで知るわけないだろ?ってこと。
さて、俺のような大学教授などの公的な肩書きを持たない、単なる個人の話でしかないものを、信じる信じないは、個人の自由でかまわない。
でもね、日本の国家神道の元、こいつら国学者も、当時の政府機関に一切関係ない「単なる民間人」の思想なんですけど。
そっちの都合のいい物だけ信じるなよ、と。
国学とは名前ばかり大きくて、単なる個人である。
今のように、ネットどころか、図書館、それ以前に出版をまとめた学会もなければ、教育制度もないんですけど。
そんな中で政府とは関係ない民間人の個人の想像をもとに、日本古来の文化として国家神道という物が生まれるわけ。
摩訶不思議で奇天烈なお話だと思わないかい?
しかも前科一犯の捏造をやった人物の思想をもとにね。そっちは信じると?
で、その国家神道の主格であるはずの天皇の正式な行事、伝統を守ってきたところは、廃仏毀釈で、ことごとく潰され、あるいは真言宗などに改宗されるわけ。
当時仏教徒だった天皇の仏事を、江戸時代までやっていた天台宗系の黒戸の四箇院、天皇の菩提寺、泉涌寺とかの話ね。
それをやったのが、その天皇を神と崇める神道という宗教なんだから、奇天烈どころか、どんなふざけたアメリカンジョークの設定よりも「ありえない」と断定できるよ。
その「ありえないことが実際に行われた」、その理由こそが、「神道はキリスト教だった」という至極簡単な理由。ただそれだけ。
日本の右翼、神社本庁と統一教会(新教徒=プロテスタント)今の現実とも完全にリンクしてる話でもある。
日本史の教授やら、日本思想体系だかなんだか偉そうなことを研究してる人らは、こんな民間人の疑問に答えられるのかな?
だから神道なんて宗教はないよ。
神道の全てはでっちあげの看板である。
鎌倉幕府の鶴岡天満宮?
明治になってすぐ、コソコソと仏塔を壊して隠蔽するようなとこが神社?笑わせるなよ。
看板を作り変えただけ。
吉田神道?家康を埋葬した形式が、卜部神道(吉田神道)だというのなら、天台宗の僧、日光東照宮の天海も神道家なんだね?で、その仏教や中国で神の文字がつく創造神は?
吉田兼倶より以前、吉田神道は昔からあったけど、その吉田氏にあたる徒然草の作者、吉田兼好は出家=仏門に入った人間です?やめて、腹がねじれる!!藤原氏が春日神社?仏教とともに歩んできた藤原氏がなんで神社なの?おいおい?
ぜーんぶ、詐欺師の看板である。
さ~、そこらへんの話に進もうか。
伊勢や出雲、宇佐などの海崇拝の社が、神道という看板をつけた流れのこと、天台宗系がこの神道の軍門に下ったこと、その見返り。東照宮などの徳川と神道。富士崇拝、浅間神社。富士派と創価学会。
ちゃんと種類分けして説明してあげよう。
まかしとけ!!
ちなみに、フルベッキの写真で有名な、あのフルベッキも聖書の翻訳をしている人物でもあります。
辞書を引けばわかるけど、「神道」という単語は、「墓場へ行く道」という意味があります。"
神道の話 補足【20120506】
http://www.mkmogura.com/blog/2012/05/06/1124
"創造神という神が輸入されたのは、明治以降であるという話。
この根拠として、「江戸末期以前の漢文には、神という創造神はなかった」というのがあり、このことは「神を使い始めた人物」、本人が認めてしまっているのである。
そう、それこそが「神道」という言葉を作った張本人でもある平田篤胤(ひらたあつたね)である。
以前の記事で平田のすべての出版物は、1808年の「本教外篇」、つまり本教=キリスト教から始まっていると説明した。
話を短くするために端折ったが、ここに補足しなければならないことがある。
可妄書(1803年)
新鬼神論(1805年)
この2冊というのを平田は「書いた」ことになっている。
ええ~1808年より前ジャン!!!、まあ、待たれい。説明しよう。
この「平田=神道を作り上げたキリスト教の筆頭」のWIKIでも見ると、この本のことは出てるので、誰でも、すぐ気づくので質問があるかな?と思ったが、なかった・・・でも説明する。
この2つの作品は、1808年の平田の最初の出版作品、禁じられたキリスト教の本、テロリストの本「本教外篇」のあとだよ。
一般的に平田の処女作と言われる可妄書(1803年)は、本居宣長に出会った年(1803年)に、草稿した(下書きで出来てあった)と、主張してるが、実際に出版をしたのは1820年である。
その1803年「会ったことのない師匠!!本居宣長の存在を平田が知った年」→寝ないで書き上げた。だから1803年。
そうなってるわけね。
「不眠不休で書き上げた」なんて、わざとらしい形容詞がついてるからこそ、逆に俺のアンテナが反応してしまうが、まあ「神という存在」を出来る限り「昔から存在していたよ」としたいために、年代をごまかしてるわけね。
でも、本居宣長を1803年以前の平田は知らなかったわけで、それ以上は遡れなかった。
1803年→不眠不休→すぐ書き上げた。
実際の出版は1820年です。
まあ、簡単な話です。
おっと、年代をすり替えた意味を考える上で、推測の部分が多くなってしまう話なので、この程度で。
では、この作品の中身について、説明しよう。
可妄書(1803年・出版は1820年) 平田篤胤
・儒家のいう神道とは、「道の体をあやし(神妙)」とほめている形容詞でしかないもの(145項)を、無理やり神道としている。
「儒家=儒教」その中の「神道」という文字が出てきたとき。
「神秘的な道ですよ」の形容詞そのままなわけですが、それを「神道=創造神とのつながり」と誤解したまま、突っ走っている。
少し出てきた儒教=儒家。
当時の神道というものを、「あやしの道=神秘的な道」で使われていたのは間違いない。
江戸初期の儒教のことを、「儒家神道」なんて呼び名になっている。
「神道」というジャンルがあったかのようにあたりまえに振舞う。
林羅山とか、吉川神道(毛利の親戚)もこれ、儒家神道だよね。ただ、アンチ仏教の部分があったってだけ。
「神道=創造神と重ねる」なんて、もともとない。神道という言葉が出来たのが、こんな強引過ぎる平田からなんだよ。
そして、ここで平田は、古事記伝を見ろとしている
可妄書の142項で神道議論もしている。
「神はこういうもんだ」→「古事記伝を見ろ」
としてるわけね。ソースは古事記伝だと。
この可妄書の中には神道議論がある。昔、「1803年」のこの本ですでに、キリスト教の侵略以前から神道があったとしようとしてる部分もあるわけね。これも年代偽装の意味。実際は、これも1820年以降ですから。
で言われたとおりに、古事記伝を見ると、本居宣長は125項で5つの神をあげている。(ちなみに梵語の音声当て字は、神=迦微らしい)
神は5つあるよ、ということで具体的に本居が上げたのはこれ。
1 天地の諸の神たち(これが創造神とも呼べる、でも複数形)
2 やしろ (祭壇)
3 人はさらに云ず(俺の解釈:漢文など用法、精神・とくに言霊を意味する神だと思う)
4 鳥獣木草の類
5 海山などにかこまれて、徳があって賢いこと
ちゃんと言われたとおりに見たけど、「創造神=神」ではないでしょ。
本居宣長も、そういう意味で神という言葉をつかったわけではないのがわかるよね。
(本居は、江戸末期のキリスト教の侵略作戦より前だからね。カトリックの禁書は読んでた奴だけど)
いわゆる創造神と呼べるのは、(1)だが、複数系であるし、「天地を作った神秘的な力」なわけ。
(5)海や山の恩恵、(4)鳥獣木草の類=いろんな動物、「草木にも宿るよ」を含めれば、キリスト教的な一神教、つまり唯一神としての神との意味とは、かけ離れてるでしょ?
神道で天皇と重なり合わせるのは、そっち、ありもしなかった「唯一神」なわけで。
そして、もう一つの、この時代の平田の本、新鬼神論では、もっと面白い。
新鬼神論(平田1805・可妄書のあと・実際の出版年は調べてない1820年以降)
この本には、こう書いてある。
「漢土の古書ども、天とばかり云ひて・・・・・・」
中国の漢文のやつらは、天じゃなくて日本の神典が伝える古意、神(天津神)がいるのに、わかっちゃいねぇな・・・・と言ってるわけ。
漢文では「天しかでてこない」、ね、彼自身がある意味、認めちゃったわけだ。
はい、彼の言う日本の神典、日本特有の文字である神代文字の神字日文伝は、捏造作品であることは、既に、ばれちゃっていますが・・・。
ね、面白いでしょ。
天しかない→認めちゃって→「日本の古典を見ろ」と反論→その神代文字の話は、嘘だとばれちゃった。
結局、「漢文には天しか出てこない」という主張だけ残った・・・。
笑える話である。
平田のやったことは復古神道とかよばれるんだけど、その始まりは儒教の神秘的な道を「神道」と無理やりして、開き直った「反論と捏造」で、できてるんだよ。
でも、捏造だとばれてしまったわけで、逆に本居宣長以前には「神という創造神はなかった」って結論だけが残るわけだけど。
そして、こういう風に年代をごまかしたり、捏造を言い張ったりして「常識」はできている、それを覚えといて。
年代をごまかす行為、AからBをごまかした年代、つまり「Bのほうが古いとして、BからAにすることも出来るよ」ってこと。
何かの模倣品の年代を、それよりも古いと偽装すれば、こっちがオリジナル!!というの主張が出来てしまう、それと同じ理屈の手法なわけね。
平田は本居宣長を知らなかったわけで、で1803年という中途半端な時期まで遡れなかったと。
キリスト教が1813年の「新遺詔書」で神という訳を当てるまでは、日本と中国には創造神の神は輸入されていない。
日本で神という字を使い始めたのはキリスト教徒である。
"
轍(わだち)【20101126】
http://www.mkmogura.com/blog/2010/11/26/972
”日本には、鉄の特性を生かした鉄漿(おはぐろ)があるわけで。
あれは、虫歯防止=おしゃれじゃない。
むしろ、おしゃれじゃないから、戦国時代に男はしなくなったのが、お歯黒。
既婚女性=子供生む=カルシウムを奪われる=鉄漿を継続。
まあ、それが結婚指輪のようにお歯黒=既婚や結婚期をさす表現や象徴みたいになったと。
それを、おしゃれと言うのは無理があるわけで。
歯を塗る化粧自体は、それ以前の縄文弥生などでもあったが、鉄漿、鉄とタンニンを使ったお歯黒は、平安時代から始まった。
錆びた鉄の酢酸第2鉄とタンニンを化学反応させて、虫歯防止をするという最新化学ともいえるお歯黒。もちろん、男もした。
それほど、虫歯は命に関わる最も身近な病気で、お歯黒は優秀な予防治療だった。
で、調べたら、百済勢力と、その平安からの鉄文化、おはぐろ文化の強い地域が、一致するわけではないこと、お歯黒のタンニンのもととなる「虫こぶ」が日本では限られた地域でしか取れず、その方法は中国の一般的なタンニン資源の採取法だったことなどなど。
よって鉄器=百済という完全な図式は当てはまらない。
この百済=蹈鞴(たたら)=和鉄精製法という話も、神代紀(神武天皇が支配した以前の時代の話)からきてるとされますが・・・・まあ、実は神代なんて創世神話であって、嘘っぱちなわけです。
その伝記があったという、これまた作り話のお話です。
そんなわけで、我が国固有の文字=この神代文字の伝記が存在しているという話だったんですが・・・。
じつは朝鮮のハングル(ハングルは15世紀の李朝が作った)に擬した捏造文字というのは露呈していて・・・その捏造に気づかず、日本固有の文字であると主張した人が江戸時代の国学者、平田篤胤なわけ。
これは、明治維新前の江戸時代末期の話であって、こいつの理論も一部が継承されて、国家神道という三位一体をつくるんだけどね。
平田篤胤が神代文字であると主張したのの題名が、神字日文伝(カムナヒフミノツタエ)。
さすがに平田(1776~1843)の理論では破綻してたので、昭和になって作り直した(昭和19年)のが、岡本天明が自動書記(笑)で記したとされる、日月神示(ヒフミ・ヒツキシンジ)なわけね。
まあ、名前もここからきただろうという、国家神道と同じぐらいの出来そこないであり、それがニュートラルの基準みたくなってるんだから、笑うしかない。
これの岡本天明が、大本の出口の弟子にあたるというポジションで、大本教を中心に継承されるわけ。
”
コメントのお返事【20120428】
http://www.mkmogura.com/blog/tag/%E5%A4%A9%E6%B5%B7
”君が代は、紀貫之が醍醐天皇の命令により古今和歌集を編纂したことが起源である。
醍醐天皇ってだけで間違いはないが、当時の右大臣、菅原道真=百済系唯一の出世頭を任命した。
つまり、菅原=土師氏=百済系の桓武天皇の親戚。醍醐寺=土師氏系の寺という系譜があるので、紀貫之=百済系と判断しても、間違いではない。
くわしくは最近の記事で説明するよ。
しかし、日本書紀の捏造された部分である朝鮮討伐やら神代記の頃の話に、この紀氏の話がよく出てくる。
簡単にいうと、「天皇の変わりに紀氏が、百済や新羅を攻めた」という話がね。
「応神3年 百済に辰斯王がついたが、天皇に無礼だったため、百済の人々は自ら王を殺して謝罪した、よって紀氏は別の王を任命して許してやった・・・・」
とかの、「どう考えても捏造」というストーリーがいくつかね。
もう少し紹介するか。
「雄略9年、紀氏は新羅を征服した」ぉぃ!!!
「顕宗3年、三韓の支配者として紀生磐宿禰は『神聖』という称号を自ら称した」
紀氏は・・・神聖ローマ皇帝ですか?
(明らかにキリスト流入後、江戸末期以降の捏造だよな、これ。)
これ日本書紀ね。
(捏造だらけ。これらは醍醐天皇の側近に都合のいい話なわけである。過去と捏造のツギハギ。天皇すり替えに一言も言及できない学会の基礎であるこれらは、醍醐寺の館長の甥が編纂したんだから、よく考えりゃあたりまえである。今の時代の話ね。)
ね、ばかばかしくて、古代史研究の人も「ここらへんは捏造である」とひらきなおってる話がいくつかある。
朝鮮半島の国々と戦争したという三韓討伐とかのところはとくにね。
その時に、よく紀氏が出てくるわけ。
吉田松陰含む、南朝族=百済でいいと思うよ。
よって醍醐系につながる紀氏=百済も、それでいい。(詳しくは最近の記事で説明するよ)
でも注意して欲しいのは、今の天皇も「南朝=朝鮮半島で、意識された集団組織」で出来上がってるのに、それを隠そうとしてる「天皇と朝鮮の関係みたいなのはごまかしてる」わけでしょ?
よって、ここらへんの話に引きずられて、ごまかされないで欲しい。ということ。
君が代のことも紀氏のことも、天皇すり替え、その元となった南朝の縦糸で見えてくるよ。
後醍醐天皇以前、醍醐天皇とか桓武天皇とかのね。
むしろそれがないと、見えてこない。
そこらへんは、最近の記事で紹介します。
あとの質問にも、適当に・・・こたえる。
南朝の出来るまでの縦糸・・・・、仏教界の窓際族=骸骨本尊なカルト化したから、物部神道のような「仏教と対立しただけの文化」にまで頼ってしまい、「天皇=神道という嘘を作らなければならなかった」ということ。
ちなみに仏教伝来時、それを推進した大伴氏に対立したのが、物部氏。
それが物部神道になるわけ。
これも、これからの記事を読んでわかんなかったら、また聞いてくれ。
>高野山が豊臣秀吉のお母さんの寺って事は、
>よく分からないのですが秀吉が真言宗を
>のっとったという意味ですか?
違うよ。
高野山はでっちあげの本山で、空海どころか、真言宗とも一切関係ないお寺を、真言宗の本山だよと言ってるんだよ。
「ユダヤ教の聖地はパルテノン神殿だ!!!」というレベル・・・恐ろしすぎる嘘ってこと。
秀吉は、文字通り焼き討ち。焼き払ったの。当時の真言宗の本山、根来寺をね。
で、東寺まで放火する寸前で思いとどまった。
だから、「日本では真言宗は一度、完全に焼き払われた=一切なくなった」という感覚のほうが正しい。
それを救ったのが家康。静岡県東部に一部、匿ったわけ。
秀吉に対抗する目的のためだけにね。
実際には、そのあと、秀吉により、関東、江戸の開拓へと家康は追いやられるので、はっきり言うと、あんまり真言宗と家康に関係はない。
そして、ちょうど江戸で家康は、天台宗の天海和尚に会うわけで。
真言宗を、その後に少しだけ援助したのが、徳川つながりで、江戸時代後の1623紀伊藩主 徳川頼宣とかの、江戸幕府制定後のこと。
あと、忠臣蔵に繋がる浅野家とかも援助してるね。南朝崇拝=忠臣蔵の補足。
まあ、真言宗は南朝天皇の宗教で滅びた、秀吉に嫌われて滅びた=「だから、日本から一切なくなった」、このくらいに考えてくれてもOK。
で、実際の高野山のことなんだが。
根来氏こそが、高野山から移転してきた真言宗の本山であって、明治以前には、高野山に真言宗の寺なんてものはない。
もともと、高野山は大衆=民衆のための浄土信仰のための土地。
(家康も天海和尚に会うまでは、どっちかというと天台宗の浄土系の信仰だった&上に立つ人がそれじゃいかん!怒られて法華経=天台宗の経典を持つようになった&久能寺の国宝)
密教(選ばれた人)=真言宗と考えてるため、大衆がやってくるミーハーな土地は却下というのもある。つまり真言宗との関係は、根来寺が昔、高野山にあっただけ。
高野山=高野ひじりで大衆化しているわけだからね。
「顕教=一般的な仏教」これは劣っている、こう考えていた「密教」の真言宗は、ただでさえ衰退して滅びてるわけで、大衆信仰都市である高野山に真言宗なんて、なかったわけ。
高野山に真言宗のお寺は残っていなかったんだよ。(明治維新まで)
で、南朝(真言宗+神道=キリスト教)という奴らが、天皇すり替え、明治維新を行った。
秋葉権見のお札が降ってきた!!!(秋葉神社=秋葉原の元ね)とかの「ええじゃないか運動」なわけね。
それに協力した中心が、静岡西部の真言宗の奴らなわけ。
だって南朝天皇=真言宗だからね。
この家康が優しく保護してやった根来衆(真言宗)が、徳川幕府の崩壊、外国資本に牛耳られていく原因になったわけ。
だから、明治維新のとき、薩長軍が有栖川宮を官軍の将として、江戸まで東海道などを進軍する時、普通なら戦争になるよね。
それは、幕府に忠誠を誓う遠江、駿河などの藩と、絶対にぶつかるはずだから。
しかし、この愛知と静岡の神道勢力、および、この真言宗の奴らが、徳川家でつながっていたわけで、だからこそ華麗にスルー=何事もなく東海道をのぼっていった(尾張藩主徳川慶勝が指示)&江戸無血開場→そのながれで、静岡で手打ちになるわけね。
で、神道と徳川の協定の象徴のようなもの、久能山の東照宮ができたとかになるわけ。
その後、南朝崇拝の仏教徒、創価学会ができるのとかもね。
創価学会=神道社会の中の南朝崇拝のための仏教徒&法華経=天台宗の経典を守る右翼・・・日蓮主義者、その一部=創価学会・・・などなど。
それが過去記事のお話。
こういう流れだったから「静岡で手打ち=売国和平交渉があったんだよ」って話。
それは、この南朝宗教の真言宗が、深く関わっているってことね。
で、この外国資本の手先どもは、真言宗の再興をしたかったんだけど、「真言宗の寺なんぞ、ろくに残っていない」わけ。
関西では秀吉に追い出され、関東での家康は日本の国教、天台宗になっていたわけだから。
もともと南朝宗教なわけだし。
で、「真言宗の本山が明治維新前のころにはなかった。」
だから、高野山というのを、文字通り「でっち上げた」。
今、日本の真言宗の総本山ということになっている高野山の金剛峯寺というのは、空海とは一切関係ない。
だって、真言宗の本山である根来寺と東寺を、焼き討ちした張本人、秀吉が建てたお寺なんだもん。
もとは青巖寺(剃髪寺)1593年に豊臣秀吉が「お母さんが極楽浄土に行けますように」として建立したお寺。
ね、9世紀の頃の空海とは、一切関係ないでしょ?
高野山→空海が立てた修行場→のちに根来時へ移転→滅びた。
だから「ない」わけ。
よって、しょうがないので、無理やりでっち上げた。
そもそも、秀吉=真言宗の仏敵であるわけ。
「滅ぼした」張本人なんだから。
ほら思い出して、高野山は浄土信仰=大衆のための仏教で、密教の土地ではなく、とうの秀吉からも追い出された。
でも、南朝=真言宗であり、密教立川流だから、無理やりかえてしまった。
明治維新のせいでね。
で、京都とかの数々のお寺を天台宗から、真言宗に強制的にかえさせて、「今では仏教の中の主流派のような顔をしている」というのが、今の真言宗ね。
以前の記事で、自分は、廃仏毀釈の裏には、「神道をすすめるのと、真言宗化したのがあるよ」として説明したつもりです・・・。
「真言宗の総本山なんて偽者ジャン」、
これをもし、高野山に行って面と向かって言ってあげると、文字通り、彼らはお墓にお経を上げてくれます。神権天皇制である昭和初期ぐらいまでは確実にやってただろうね。あそこで、重要監視体制が取られていた(監視してる側)のは、あまり知られている話ではない。
おっと、今もそうかもね。マジお勧め。
天皇すり替えと立川流もセットでね。
だから、弘法大使というのも、空海をさす言葉じゃなく、単なる「徳の高いお坊さん」という意味だよ。
そもそも密教=選ばれた人だけが、悟りに行けるという坊さんなのに「修行中の格好=袈裟じゃなく頭巾か?あの偉そうな坊主がつける帽子みたいなものをかぶってない挿絵」しか見たことないでしょ?空海。
密教=選ばれる人=階級制だからね。
ジブリの平成狸合戦ぽんぽこに出てきた、たぬき和尚のかぶってた、金色とかでできた頭巾。ほかに説明がでてこねぇー!!あれあれ。
いわゆる曼荼羅(如来=悟りを開いた人)などの密教の仏の世界は階級性でできてるから、密教の坊主も階級制になるわけなんだけど・・・空海は謎!というか、めちゃくちゃ。
逆に、密教以外の大衆信仰は、そこらへんがいい加減になった奴。
「アーリア人」=「アーリア=高貴な」、「神=神秘的な力」。
弘法大使=偉いお坊さん。
芸がない。全部同じ手法。
すべて単なる形容詞。
白人の都合・・・有色人種が起源である人類史に「白人という歴史がなかったために」、インドという国にカレーの似合いそうな「アーリア人という白人がいる」と捏造した。
どんな白人だ???!!!
神道の記事を一瞬で読み解き、同じ詐欺歴史解釈のカーストに例えた、キノコ姉さんに胸キュンした。
ちなみに、浦沢直樹の漫画、マスターキートンの1巻では、白人=印欧族というものに科学的根拠は一切ないと書いてしまったたため、ブックオフとかの中古では売ってま・・・おっと、ここではおいておこう。。
神という都合・・・キリスト教の創造神を崇めなさいという都合のために、ありもしない神という創造神、それを日本の歴史のなかにある「神秘的な力という形容詞」を神にして捏造した。
真言宗の都合・・・歴史の中に真言宗というのが滅ぼされてほとんどなかった&ドマイナーだったために、弘法大使という「弘法=仏法をひろめる徳が高い人」という形容詞を、それは空海だよとして捏造した。
だいたい、「弘法も筆の誤り」なんて諺があるが、真言宗自体が、ほとんど全滅しかけてたのに、弘法は空海ただ1人を指すなんて、成り立つわけないじゃん。
真言宗の都合・・・、本山というものがなかったために、「真言宗を蹂躙した秀吉のお寺を高野山で、総本山です」なんて捏造をしなきゃならな・・・・これは、いくらなんでも無茶だろう!!!っとなったわけ。
でも、そうなってるの。今現在ね。
寺を放火すると「密教」の「選ばれた仏教の一番偉い人」、いわゆるキリスト教とかのキリスト・・・預言者という立場になって本山として、あがめてくれるのですかね?
秀吉が乗っ取ったなんて、全然違うよ。むしろ逆。「滅ぼした」
彼らの都合で、「でっち上げ本山」を作るときに、よりにもよって秀吉という仇さえも利用しなければならないほど、真言宗は「滅んでいた」ってこと。
そして、それだけ、今ある強大な真言宗は「すべてでっち上げられたもの」ってことでもある。
”
天という文字【20120319】
http://www.mkmogura.com/blog/2012/03/19/1085
”天というパーツを使った漢字は、実はかなり少ない。たぶん、一つ。
それは、天という字が、創造神だからさ。
天上天下唯我独尊。
天には並ぶものなしで、基本的に「天」と他の部首が組み合わさった文字はないと言っていい。
言ったでしょ?どの宗教でも、創造神の呼び名は権威的な表現になるんだって。
だから、漢字では部首にならなかった。天は天だけを表す字だった。
キリスト教の神聖4文字やら、アトンアモン、最初から最初の文字などの表現と同じように権威を込めた表現手法であると。
「天」は他の部首、さんずいなどと並ぶ物ではなく、ただ唯一の独立した存在にしてあったってこと。
人や物が並ぶのを許さなかったと言えば、権威的表現なのがわかるよね。
その中での例外が、今回の答えの字になる。
さあ、「天」と他の部首が組み合わさった字。誰でも知ってるよ。
たぶん、これくらいしかない。
正解じゃないけど、天が構成されてる文字。
「癸 みずのと」
「演奏の奏」
「水俣病の俣」
「昊天」(これは正解だけど)
「癸みずのと」「農民一揆」の「揆」の右側ね。。
草冠をつけたら「葵あおい」という人名になる字ね。
これは、「天」なんだけど、もともとは武器のホコが重なりあるという別の部首が簡略化されて「天」になった。つまり創造神の天からではない。
「重なり合うホコ」というのが、字の形成で、そこから生い茂る→「あおい」とかになるわけね。
水俣病の「また」は日本製の字で「俟」から作った。後付けで元からあった漢字ではない。
演奏の中央も天じゃないよ。大にノだし。よって不正解。
「矢」や、「朕」や、「関」も違うよ。ちゃんと「天」と部首。
「昊天」=明るい空、しいていうなら、これは正解だけど、後から出来た字っぽいよね。(なんで、この字ができたのかは知らん)
これ以外に、「なるほど、中国の人はこれを神様の授かり物として、唯一の天がつく漢字にして大切にしてたのか。」という字が、一つだけある。
その字は、「中国、及びアジア人が、太陽崇拝の神であるべき」というのを、ちゃんと表してくれている。
誰でも知ってるよ。
この字から連想される物は、もともとは別の物だった。
唐の時代から今の意味の難しい字の簡略した当て字として、この字が使われるようになった。
今、この字を小さい辞書などで調べても、今の意味が強すぎて、昔、元のさしてた物は、のってないかもしれないけどね。
「天のつく字」それと、「その字のもとの意味」。
ついでに予想して。
(答えがわかれば、載ってる辞書もたぶんあるので、たどりつけるはず)
もともとの指す物は、錬金術で言うならウロボロス、エジプト学派で言うなら原初の蛇。
その中国版。
さらにヒントをいうと、今の意味はフワフワ。大昔のもとの意味はニョロニョロ。
さあ、な~んだ?
では正解は、明日の記事で。
ここで俺が調べた以外の漢字が出てくるかな?ないと思うけど。
その場合は、特別賞として・・・別に何も出ません。
さて、問題だけでは寂しいので。
昔、自分の方針は「30の言葉で70を伝える」こと、ということを言った事がある。
100あるうちのね。
この「天という漢字の威厳」という話は、その伝えられない(できたら自分で気づいて欲しい)部分の話である。
前回の記事の中の、創造神という呼び名には権威が必要ということ。
そこから、「じゃあ漢字の天の場合は、どうなのかな?」と、本来なら読者自身が調べていく中で気づいて欲しい補足の部分ね。
そして、天という部首がないこと、そこから天という創造神のこと、さらには天台宗という言葉にも含まれる「天と今の神との比較」などなど。
そして『今使われてる「神」という木工師が先にいるような字はおかしい』というのが説得力のあることに繋がるわけ。
与えられる物じゃなく、消化して肉にしてほしい、自己の内面のほうから気づいてほしいことなわけ。
その「考えて欲しい」という意味から、今回はクイズにしたわけだけどね。
100あるとしたら、30の言葉で70を伝える。後の30は考えてもらう。
これは俺のもってる部分のうちの70に過ぎない。しかも理想の話。
自分はそんな表現が上手じゃないので、せいぜい50の言葉で35を伝える程度かな?3分の1程度しか伝わってないのかもね。
でもやっぱり、今ある100という全部を伝えようというのでは長すぎてしまうし、全体のストーリーを話すには、どうしても、こうやって省略してしまう部分が多々ある。
これは、あくまでも自分が知った数割の部分でしか過ぎない。
例えば、前回の記事などは「神という字の嘘」からわかったこと。
この神という変な字!の創造神をごまかすために、国学者の平田篤胤は「日本固有の神代文字がある」という主張を「しなきゃならなかった」わけ。で、そして、それは捏造だとばれているということ。
「当時は今とは違い神なんて文字は一般的ではなかった」だから、「神なんて使った宗教なんてなかったよ」と誰でも気づき得たわけ。
で、しかたなく、平田は「過去に失われた固有の文字があり、そこに創造神があった」という嘘をつかなきゃならない都合があった。
それが神代文字であり、日月神事にそっくりな題名の「神字日文伝」。
「こういう字で書かれていたものがある」という捏造は、文字だけじゃなく「聖典そのもの」を捏造してるってこと。
そして、できたのが神代紀とかの、やたら漢字の「神」が出てくる天皇の時代のこと。
嘘をつかなきゃならない理由。
以前、「嘘の内容ではなく、なぜ嘘をつくのかの理由、それを知れるべき」といった事は覚えてるかな?
そういうくり返しの部分や、少し考えればわかる部分、よって説明を省いた部分さえも、できたら読み取って欲しいと思う。
いちいち、こんな長いのとかを説明してたら、流れが、ぶつ切りになっちゃうからね。
ちゃんと、ただそうなんだ!!なんて思わないで、「ならこうなのかな?ならこうなるんじゃないか?」って考えて欲しいわけです。
そして、そのことで貴方の100、自分とは違う100の理解が生まれて、正しい事が見えてくると思う。
で、それは過去だけでなく今とも繋がっている。
今回の構図で浮かび上がる「過去の奥の院」が最近になってやってること。
それは、国宝やら世界遺産で推進運動をしてること。
”
神という嘘を守る者【20120320】
http://www.mkmogura.com/blog/2012/03/20/1087
”天というのがつく唯一の漢字。
「蚕」かいこ
もとは「蠶」サン(表示されるかな?)という難しい文字だったが、唐の時代から「蚕」が当て字として使われるようになった。
蚕(飼い蚕)は、紀元前15世紀、つまり漢字より前の時代、殷の時代から、中国で大事に育てられてきた。
まさに天から授かった虫である。よってこの字が当てられたんだね。
しかし、もっと昔、もともとの「蚕」の意味は、「ミミズ」である。
(漢和辞典なら、このことが結構のってる)
天上天下唯我独尊、「天と他の物を並ぶことはさせない」
これが漢字、中国の創造神というものにたいしての敬意的な表現手法である。
だから、天という部首はないし、他の部首とも繋がるのが基本的にない。
ミミズ、後にカイコだけが天という文字をつけることが許された。
土の中のミミズを尊敬の念を抱くように、昔の中国人、そして日本人の起源は農耕民族である。
これを知ると、今の創造神、「神」という漢字のこと、創造神に木工師がでてくること、カミナリを創造神とすること、それらはおかしいよ、という主張にも納得できるでしょ?
太陽崇拝であるべきという意味もね。
紫外線に弱かったために迫害された白人以外では、カミナリ=ゼウスなんぞを神にするか!って話でもある。
さて、では答え合わせがすんだところで。
何の話をするかな?
神という字がおかしいこと → 神道というものがおかしいこと
ここらの話はこれを説明するための物である。
宗教とは薄っぺらい詐欺師の看板であり、神道という看板を掲げてるのは多岐にわたる。
対立するはずの仏教、神道のもととなったキリスト教、そのまんまのプロテスタント臭い神社勢力、南朝天皇に任命される政治屋、国学者、それにくっつく評論家や今のマスコミ、教育制度まで。
全部が協力して、「神という字の嘘」をばれないように守っているわけである。
「今現在も」ね。
「神道は天皇すり替えのために出来た看板」なら、どれもこれも協力者であるというのは、簡単にわかることだよね。
こういう協力関係なわけで、神道とは別ジャンルだと勘違いしてしまっていたら、嘘にごまかされてしまうわけ。
「神道と関係ないこの人達も神はこうだと言ってる」
「日本に漢訳聖書以前に神はいたと、この人も言ってる」「こんな資料がある」
こういう主張という嘘にね。
たいていは、そういう主張する人、その資料のもととなる人間も神道家だよ。
だから、神道という簡単に塗り替えられる看板、日本の歴史を通しての簡単な全体像を話す必要があったわけです。
そして「聖徳太子は神道家だった」という嘘のための偽書(捏造資料)、先代旧事本紀(旧事紀)みたいなものも、実は多数ありまくりなわけ。
これも偽物ってばれてても、作られた年代などが嘘のまま=大昔に作られたよという主張のままになってる。物部氏の創作品。
江戸末期以前、その時代には神も神道もないのにね。
(…)
国学者である枝吉南濠の子が副島種臣なわけ。
何度でも言おう。国学=キリスト教学であると。
さらに、佐賀藩と言うのも重要である。
江戸末期、カトリックの聖地である長崎の警備を管轄していたのが、この佐賀藩である。
フルベッキの宣教の本拠地が長崎であり、佐賀藩の家老、村田若狭守政矩、弟である三左衛門綾部、本野周蔵らは、江戸末期の禁教化の中で、洗礼を受けているわけ。
藩のお偉方がね。で、それが幕府にばれても、佐賀藩主の鍋島直正、鍋島直大の歴代藩主は、キリスト者を守り隠蔽にも荷担している。
事実、洗礼した彼らは処罰されず、隠居しただけである。
それが佐賀藩である。
副島種臣はその佐賀藩から南朝天皇の側近になった男。
さらに追加しよう。
1872年、明治5年の9月、それはアメリカ公使デ・ロングから天皇へと聖書が(ヘボン・ブラウン訳聖書)初めて手に渡った瞬間である。
この舞台をセッティングしたのが、当時の外務卿である副島種臣であり、彼が受け取り、「彼から天皇に手渡された」わけである。
神道というものを作り上げ「騙して征服したぞ」という宣言。
今まで禁じられていたキリスト教が、事実上の日本の国教となった瞬間である。
ここらは日本の聖書~聖書和訳の歴史~という以前紹介した本の中で、キリスト者が嬉々として「佐賀藩はキリスト教を守った~&聖書が天皇にわたった、嬉しいね」と書いているよ。
(…)
On 3月 20th, 2012, 魔法使いハンターねこた さんのコメント:
こんばんわ。更新お疲れ様です。いつも楽しく読ませて頂いてます。
佐賀藩の話興味深く読ませて頂きました。ちなみにおいらは佐賀県民です。(佐賀中心部とは遠いので県民性はぜんぜん違うのですが)
高校の時に佐賀市内に通っていました。
今振り返って思うのは、佐賀市というのはかなり雰囲気的にアチラ臭い匂いが充満しております。きっとモグラさんが行ったら匂いにやられてむせてしまうことでしょう。
佐賀の出身者にキリスト教や聖書などの橋渡しをした人が多いのはご存知の通りです。そのせいか知りませんが、田舎の田んぼしかない何もない街のクセに雰囲気がどことなく西洋かぶれくさい。更には田舎なのに、やたらと教育熱心なんです。また市民運動が盛んでもありますね。市立図書館の横にあるプロ市民の牙城であるでかい建物が鎮座してます。
具体的な事例を挙げれずに申し訳ないのですが、佐賀市民の行動原理を観察しているとかなりメーソン臭いというか左翼臭いんです。文化関連施設が豪華で、文化で一般人を啓蒙するんだぁ~というよーな雰囲気漂ってるし、プロ市民の活動も盛んでやたらと男女共同参画のどうの、市民による××のどうのといった集まりもよくあってます。その市民運動の盛んなところとかまるで欧米を思い起こす程です。まるで住民が「市民社会」なるものを本気で信じているような有様ですね。
さすが幕末よりユダヤ様のポチをやってたのはガセじゃないという感じです。
そういえば幕末のキリスト教布教関連で前に調べたネタを思い出したのですが、オカルト研究家の江口之隆氏の先祖は、まさにソエジーと同じポジションにいました。幕末に聖書を持ち込んだ人たちでした。先祖は佐賀藩出身だけど、子孫は福岡県出身というところまでまったく同じです。詳しくは以下をどうぞ。
http://www7.ocn.ne.jp/~elfindog/egbaitei.htm
佐賀県民どこまでアチラ臭いねん。頭がクラクラしますな。更に、中学時代の同級生が行ってた某高校のシンボルがペンタグラムだったり、市内路線バスに多布施町(たふせちょう)というバス停があったり、もうねどんだけアチラ臭いんですかとツッコミを入れたくなりますよw”
« 千と千尋が性風俗の話だと宮崎駿監督が明言しているのに、無視や拒否反応が多いことから、日本人がキリスト教化されたことと、キリスト教に逆らえない評論家(笑)ばかりなのを実感しよう。日本人は無自覚クリスチャン(家畜の証)。日本人の労働観はプロテスタント以上にプロテスタント=過労死教。 | サドカイ派が一番ユダヤ教らしい現世利益志向。ユダヤ教のメシアは現世利益を齎す政治的指導者。ユダヤ教は中国と同じく子孫繁栄などの現世利益用。エッセネ派とパリサイ派はユダヤ教ではなくゾロアスター教の変形。聖書アラビア起源説の資料。 »
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