今年の夏、筆者の住むベルリンでは連日、気温35度を超える日が続いた。うだるような暑さだ。そこで、クーラーがほとんどないベルリンにおいて、例年以上に人気だったのが湖だ。湖は木陰で涼む人や泳ぐ人で大にぎわい。中には素っ裸で湖畔に寝転がる人もいる。
水辺で全裸の人を見かけることは、ドイツにおいてはそれほど珍しくない。これは、特に旧東ドイツ圏を中心に、ドイツに全裸文化が根付いているからだ。
ドイツは全裸を楽しむFKK発祥の地
ドイツは全裸で過ごすヌーディズム発祥の地だ。ドイツ語で全裸文化は「フライケルパークルトゥアー」。直訳すると、「フライ(制約のない)」「ケルパー(体)」「クルトゥアー(文化)」で「身体を解放する文化」を意味する。それぞれの単語の頭文字からFKKという略語が一般的だ。FKKは主に全裸での水浴びや日光浴を指し、自由を象徴する行動と捉えられている。
全裸文化は、1898年にドイツ西部のエッセンで「全裸文化協会」が立ち上げられたことに始まる。独メディア「ドイチェ・ヴェレ」によると、全裸文化は当初、ふたつの側面を持っていた。ひとつは健康管理の側面。当時、都市部では近代化とともに人口が増加し、環境が悪化していた。その都市部から脱出して、全裸で自然の中で過ごすことは健康に良いとされた。
もうひとつは、イデオロギーの側面。19世紀末は真夏でも長袖やコルセットを着用しなければならなかった時代だ。その時代に、全裸文化は「社会の規範からの解放」という思想と結びついた。
こうして始まった全裸文化は、第二次世界大戦中も引き継がれた。公共の水辺における全裸文化が法的に認められたのは、ナチス政権下の1942年だ。ドイツ市民にとって全裸文化は身近だった。しかし戦後、全裸文化は東西ドイツにおいてまったく違う歴史をたどる。
西ドイツで抑圧の対象だった裸は後に反抗の象徴へ
西ドイツでの全裸文化は1949年に誕生したアデナウアー政権の下で抑圧された。保守的な同政権は全裸文化を敵視し、全裸文化の広告は「青少年の健全な育成を妨げる出版物」に指定された。
この抑圧状態に変化が見えたのは1960年代中盤。全裸文化は、学生運動の盛り上がりとともに、既存の価値観に対する反抗、挑発として急速に広まった。裸は売れるという経済的な思惑も重なり、これ以後西ドイツでも全裸文化を楽しむ人が増えた。
しかし、抑圧の歴史は今でも旧西ドイツ圏に深く刻まれている。この傾向は、2015年にエクスペディアが実施した全裸文化に関するアンケートにおいても顕著だ。「全裸文化に反対」する人の割合は旧西ドイツ圏において平均22パーセントほど。これは旧東ドイツ圏の平均15パーセントに比べて7パーセント高い。特に、バイエルン州でアンケートに協力した人のうち31パーセントは「全裸文化は不快」とまで感じている。
ベルリン・・・いいな〜。アホや。
ベルリン・・・いいな〜