死者五十八人、行方不明者五人が出た御嶽山噴火から二十七日で四年。それを前に麓の長野県木曽町は山頂への登山を解禁したが、これは安全宣言ではない。官民ともにリスクを忘れてはならない。
 
 二十六日昼、上空から見た御嶽山は雲に埋まっていた。頂上の祈祷(きとう)所が時折、天空の城のように顔を出し、登山者を迎えていた。硫化水素のにおいが機内に流れ込み「活火山」を実感させた。
 
 噴火は二〇一四年九月二十七日昼、山頂近くで起きた。大規模ではなかったのに、戦後最大の火山災害になってしまった。頂上付近に二百五十人もの登山者がいて噴火に巻き込まれたためだ。その日は紅葉シーズンの好天の週末。家族連れら大勢が訪れていた。明確な前兆現象はなかった。
 
 噴火前に1(平常)だった噴火警戒レベルは、噴火直後に3(入山規制)にはね上がったものの一五年六月に2(火口周辺規制)、一七年八月に1(「活火山であることに留意」に変更)に戻った。
 
 これに伴い、木曽町は頂上近くにコンクリート製シェルター三基を設置。建物の屋根や壁を強化した。「安全対策が整ってきた」と同町。ただし万全ではない。政府は活動火山対策特別措置法を改正し、火山災害の避難計画を盛り込むよう市町村に義務付けたが、木曽町の策定はこれからなのだ。
 
 「通行規制の解除を求める声は遺族や御嶽信仰の信者からも」とも町は明かす。登山やスキーなどの観光は大きな打撃を受けた。原久仁男町長は「今、頂上に行けることが、来年以降(の観光振興など)につながる」と話している。
 
 火山噴火予知連絡会は、百十一の火山を活火山と定める。うち御嶽山や箱根山など五十を常時観測中。実際、御嶽山では一四年の噴火半月前に火山性地震が増えたが二日間で収束。それが登山者に伝わらず、警戒レベルも1で据え置かれた。「知っていれば行かなかった」と言う生還者もいた。
 
 長野県や木曽町の要請で、名古屋大は昨年、同町内に「御嶽山火山研究施設」を開所。研究者が常駐して自治体との観測データの共有を始めた。
 
 行政は、一歩進んで、携帯メールなどを通じて、火山情報を逐一、そのエリアにいる登山者に伝えられるようなシステムを構築できないか。登山者も「活火山は、いつか噴火する」とのリスクを忘れず、噴石から頭部を守るヘルメットや、火山灰対策の防じんマスクなどを携行してほしい。
 
 
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