蝙蝠侯爵と死の支配者   作:澪加 江
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皇帝ジルクニフ

 

 

 

「これは皇帝陛下。私はエリアス・ブラント・デイル・レエブン侯爵の母方の遠縁にあたりますナインズ・オウン・ゴールと申します」

「ふうん。王国の貴族に貴殿の様な魔法詠唱者が居るとは知らなんだ。もしよければ得意の魔術を一つ二つ見て見たいものだな」

「それにお応えしたいのは山々ですが、先ほど大魔術を二回使ったばかりでして。流石に私も疲れてしまいました。次の機会に延ばしていただけないでしょうか?」

 

フードと仮面、二重の守りで視線を読めない魔法詠唱者。しかし、明らかにその意識は味方であるレエブン侯爵に向いている。それをゆるりと観察しつつ、ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エルニクスは内心で嗤った。代替わりからもうすぐ二年、未だに蠢動している帝国の反乱分子の相手に辟易していた所に降って湧いた王国からの訪問者。最初その報告が上がった時には、まだ王国にも危機感をもった貴族が居たのかと感心したものだ。

この大陸に存在する少ない人類の生存圏。その中でも立地に恵まれた王国は、しかしながら悲しい程に腐敗している。貴族はのさばり、平民は虐げられ、王族は無能ばかり。数代前の帝国も酷かったが、何十年もかけた地道な努力とジルクニフという神童の功績で一気に変わった。

ジルクニフの出現と帝国の変わり様は普通の国であればけして見逃さない。

事実、法国からの使者も評議国からの探りも、その他近隣の国からジルクニフの人となりや統治を見る為の人員の派遣は早々にあった。

しかし、しかし国境を接する国の中で王国だけが簡単な祝いの言葉のみで、後は毒にも薬にもならない貴族や平民、冒険者の行き来のみ。この帝国という大きく生まれ変わる国に対してなんの行動も取っていないのだ。それにプライドが刺激されたという訳ではない。むしろ、そうやって見くびられていた方がジルクニフとしては好都合なのだ。国内が落ち着いてきたら時期を見計らって、早ければ来年の秋にでも王国に大きな一手を仕掛けるつもりだからだ。

 

「大魔術の行使とは穏やかではない。これは我が帝都内で狼藉を働いたという自供かな?」

「えっ! いや! 違います、これは、その、今日魔法省に行きまして、そこでですね──」

「皇帝陛下もお人が悪い。ナインズの魔法省入場の許可をだされたのは皇帝陛下のはず。当然、魔法省にいる優秀な魔術師に、更に優秀なナインズが魔法の行使を強請られるのも簡単に想像がつく事。ナインズ、魔法省の皆さんには歓迎されましたか?」

「ええ、はい。最後は帰さないとばかりに詰め寄られたので転移魔法を使って帰ってきた程です。皇帝陛下もそう言う事なので、もし私の魔法行使に問題が無いか知られたいのでしたら魔法省に問い合わせ下さい」

 

狼狽えたナインズをすかさずフォローするレエブン侯爵。そこには家臣の枠を超えた親しい間柄が感じられた。本当にレエブン侯爵の遠縁という事はないだろうが、今重要なのはそこでは無い。

ジルクニフはこの魔法詠唱者の実力を測るために魔法省への出入り許可を与えた。国防の要とも言える場所に、他国のお抱え魔術師を招き入れる事に大きな反対の声も上がったが、結果をみると成果は上々だろう。

この魔法詠唱者が思惑通りに力を見せてくれた事に感謝をするしかない。

皇城に帰ってからの報告が楽しみだ。と同時に、釣れた魚があまりにも大きい可能性を考える。魔法省の事は帝国一の魔法詠唱者であるフールーダ・パラダインに任せている為そこまで明るくは無いが、それでも彼らがこのナインズを呼び止めたという所が引っかかる。貴族の様な腹の読み合いができる風でも無いこの凡人の、魔法の腕が如何程のものだったと言うのか。

 

「すまない。あまりに愉快だったものだからつい悪のりをしてしまった。許してほしい。しかし、ナインズ殿のような優秀な人材は我が帝国でも欲している」

「これは皇帝陛下。流石に私の目の前で引き抜きは見逃せません。確かに親戚とは言っても親しくしていた訳ではありませんが、今は家族ぐるみでの付き合いをしている」

 

軽い探りに少し重めの切り返し。

ジルクニフはこのナインズという魔法詠唱者の実力がかなり高いことを確信し、そして同時に欲しくなった。

 

「それは残念だ。……しかし、レエブン侯爵も何かと人入りなのだろう? 幾人かの貴族の子女が帝国から王国への移住を希望している。何でも国を渡った先で仕事をしないかと誘われたという。彼らの現在の仕えている先を照らすと、全てレエブン侯爵が“あいさつ”をした所の家ではないか。良ければ謝罪の代わりに私からの口利きを受け取って欲しい」

 

受ければジルクニフの息のかかった者を送り込み、受けなければ不興をかったものとして貴族に吹聴する。鮮血帝の不興をかったものと仲良くしたいなどという者は少なくとも表立ってはいないだろう。どちらに転んでもジルクニフに旨味がある提案だ。

それがわかっているのだろうレエブン侯爵は瞳に剣呑な光を帯びる。成人したばかりの若僧に弄ばれて気が立ったのだろう。

 

「良かったですね、レエブン侯。皇帝が紹介してくれるのならばきっと優秀な人ばかりですよ」

「そうだな」

「ついでに私のダンスの相手も紹介してくれると嬉しいんですけど、流石にそれは図々しいですよね」

「いや、寧ろ私がからかったのはゴール殿だからな、相手を紹介する位で良いのならば是非受けてもらいたいとも」

 

飛んで火にいる、とはこの事だろう。貴族間、国家間のやり取りに慣れていないこの魔法詠唱者の発言は予想以上の収穫だ。気をつけなければ頰が緩んでしまいそうな程迂闊なそれにレエブン侯爵の悪い顔色が更に悪くなる。

 

リ・エスティーゼ王国レエブン侯爵の元に突然現れた魔法詠唱者。

なんでも八本指の手に落ちた街を一つ、丸々救った英雄だという噂を王国の間者から聞いた時は笑ってしまった。余りの荒唐無稽さに、「どうやら王国では新しい英雄が生まれたようだ」などと冗談を言った程だ。しかし、その後詳しい情報が入ると、笑いあった家臣共々笑顔が消えた。正しく、その魔法詠唱者は領民を救っていたからだ。大貴族という事でレエブン侯爵領にも何人かの情報提供者がいる。その内全員が、その謎の魔法詠唱者を強大な存在であると報告するのだ。

一度、手紙か使者を送ってみるべきか。そう思っていた矢先の帝都訪問に、ジルクニフは舌なめずりした。いずれ帝国だけでは無く王国も手に入れたいと思っていたジルクニフにとって、有能な人材は手元に置いておきたい。そう思い上手く此方に引き込めないかと直接出向いたが、先ほどから噂の魔法詠唱者──ナインズとレエブン侯爵のやり取りを見ている限りでは難しそうだ。

ならばせめて友好関係を結ぶのが吉だろう。大貴族であるレエブン侯爵が情で絆されるとは思えないが、ナインズの方は礼儀は良いが平民だ。恩を売っておけばいざという時に役に立つはずだ。

そんな下心がある提案に、即座に飛びつくナインズに苦笑をしてしまう。なんと短慮で、なんと御しやすく、なんと無邪気なのだろうか。

 

「ナインズ。長らく人と関わり合いの無い生活をしてきた君は知らないかもしれないが、この場合の“相手”とは結婚相手の事だ。政略結婚をしても良いのならば先にそう言って貰いたかったな」

 

溢れたミルクは戻らない。迂闊な家臣の発言に眉間のシワを濃くしたレエブン侯爵はこめかみに手をやる。

ナインズはレエブン侯爵の呆れを含んだその発言にわたわたと慌てた後、ロウソクの火が消える様に静かになる。その急激な変化に何事かと訝しむ暇もなく、元凶の男は浅く頭を下げる。

 

「そういう事ならば皇帝陛下、私は心に決めた者が居るので遠慮させていただきます」

 

落ち着いた声で辞退を言う男に先ほどまでの焦りはない。

 

「ほう。それはどの様な御仁だろうか」

 

短い間にもその人となりが見えるナインズ。そんなナインズのとっさに出た“心に決めた人物”を知りたく思い、そう口にする。

 

「そう……ですね。ええと、彼女は。ええっと……」

 

何かを思い出しながらの様子に、下手な嘘をつく人物だと笑いが溢れそうになる。

しどろもどろに言う中にもその手袋がはめられた手は両手で女性の体のラインを表していた。その手の動きを信じるならば、意中の女性は見事に豊満な体つきの人物となる。

 

「わかったわかった。そこまで思う相手がいるのに無理強いはできまいよ」

 

愉快な気持ちには十分になったところで、この後の予定もあるジルクニフは丁度いいと暇を言う。

立ち上がり出口へと向かうジルクニフにほっとした空気になる三人。その様子もまた愉快で、愉快ついでの去り際、きちんと釘を刺すのは忘れない。

 

「では、皇帝の名において親愛なる王国の貴族が人材を探していると知らせておこう」

 

 

明るい笑い声をあげながら退出した皇帝を執事が見送ったあと、三人は三様に疲れた顔で見つめ合うのだった。

 

 

 

 

レエブン侯爵が間借りしている屋敷を出た後、数カ所の視察を終えたジルクニフは皇城の一室で夕方の仕事を片づけていた。

太陽は随分前にアゼルリシア山脈に沈んでおり、高台にあるその部屋に太陽の光が差し込む事はない。代わりに部屋を照らすのは魔法の光。いくつも備えられたその光によって執務が続けられている。

不快ではない沈黙。最後の一枚に目を通し終えたジルクニフは知らず固まっていた体をほぐそうと緩やかに伸びをする。

そこにノックもなしに飛び込んできたのは帝国最高の魔法詠唱者であるフールーダ・パラダイン。ジルクニフの側に仕える近衛兵や秘書官が一歩二歩下がる程の鬼気迫る表情に、しかし、ジルクニフは慌てない。

 

「そんなに急いでどうしたのだ、じい」

「陛下! 王国からの魔法詠唱者に面会されたとは本当でございますか!?」

「ああ、そうだな。そう言えば魔法省の報告は聞いたが、お前からはまだ聞いていなかったな。ああ、じいが急遽予定を変更して会いに行ったのは知っている。して、お前からみたあのナインズという男はどうだ?」

 

机を離れ、まだ成長過程の体を長椅子へと横たえる。その寛いだ姿はさながら、金の鬣を持つ若獅子の様にしなやかだ。

 

「かの御仁こそ私が求めていた求道の友! 初めて並び立つ者の存在を感じました! 私と同じく第六位階の使い手でございます! ああ、それなのに……!」

「なんだ、ロウネあたりから勧誘に失敗したという事だけは聞いていたか」

「ああ! 死霊魔術を極めたという彼ならば私の知らない魔法を知っているに決まっている! にもかかわらず! ジル! 今からでも私が行ってかの者を説得して見せましょう!!」

「落ち着け落ち着け。じい、あれはもう住処をあの侯爵の横と決めておるのだ。それを無理矢理にしてはお前と同等の魔法詠唱者を敵に回す事になる。それだけは避けねばなるまい? そうだな、先ずは手紙でのやり取りから初めてはどうだ? 皇帝としては他国の貴族の家臣を無理やり引き抜く訳にはいかないが、同じ魔法詠唱者として親交を深めるのは問題なかろうよ」

 

ジルクニフが差し出したのは白地の便箋。魔法で作られた高級品であるその紙には既に宛先が書かれており、それはレエブン侯爵が滞在する屋敷の住所だった。それを受け取ったフールーダはじっと何回もその文字を追う。

 

「手紙でのやり取りは許すが、直接は会ってくれるなよ。流石にそう何度も接触しては気味悪がられる可能性があるからな。今は我慢の時だ」

 

ジルクニフの言葉に不完全燃焼となった思いがフールーダの手を震わせる。

何百年と生きてきてはじめて同じ所に居る者を見つけたのだ。もうすぐ自分の命は終わる。それはつまり、これ以上魔法の探求ができないという事だ。もしもっと早く、それこそ魔法を学びはじめた位に出会っていれば、お互いを磨きながらもっともっと深いところへ行けていたのではないか。はやる気持ちを抑え、まだ遅くないと自らへと言い聞かせる。

そう、まだ遅くはない。

遅くは無いはずなのだ。

 

「急ぐ話がそれだけならば後はお前の部下の報告書で十分だろう。流石に今日は疲れた、休息も皇帝の立派な勤めだからな」

 

欠伸を噛み殺しながらゆらりと立ち上がったジルクニフはフールーダの隣を抜け部屋の外へ出る。

執務室の扉の先は小さな部屋になっており、その先にはジルクニフの私室がある。私室につき、使用人に湯浴みの準備をされながら今日一日を振り返り薄く笑う。

 

久々に良い夢が見れそうだった。

 

 

 

 

 






「……ナインズ」
「……はい、何ですかエリアスさん」
「今回は貴族教育をイエレミアス叔父上に一任していた私の失態だ。礼儀は完璧だ、しかし、受け答えに関しては及第点からは程遠い。街中での魔法の使用は基本的に禁止されている。況してや他国の貴族に属する者が、その国の元首に話すなど言語道断だ」
「……はい」
「君のことだから約束は守ってくれたとは思うが、それでも軽々しくは使ってはいけない、よろしいか?」
「すみませんでした」
「私はね、君がしっかりと貴族世界でも生きていける様にする義務があると考えている」
「え……いや、流石に今回は悪いとは思ってますけど、そんなに──」
「いいえナインズさん、不肖私も今回はエリアスの婚約者の立場から言わせてもらいますけれど、貴方にはもう一度相手の言葉の裏を読むという教育が必要であると思いますわ。義叔父様はそう言った利益の絡むやり取りが苦手でしたが、その苦手な部分がそのままナインズさんに現れてます」
「いや、そもそもそんなに貴族の方と関わりたくないといいますか──」
「それは認められない! いいか、そもそも叔父上が貴族に有るまじき能天気さのせいで、現在我が家は他の家に遅れをとっているのだ! 君までそんな及び腰では我が家の社交は立ち行かなくなる! シェスティン、ナインズには取り合えず適当なパートナーを見繕おう。勿論婚約者という立場では無く目付役としてだ! ナインズに不安が残ったとしてもフォロー出来るレベルの者をつければ多少は安心できる」
「でもあなた、ナインズさんの中身を知っても動じないとなるとかなり人が限られるのではなくて?」
「そうだな。今のところ身支度の手伝いは叔父上がしてくれているが、流石に不自然だろう。帝国滞在中も使用人を部屋から追い出して私とお前でやっているしな。とすると、ナインズの身体を見ても口外しない者というのが第一条件か。胆力という点ではアインドラ家の令嬢を、と考えたのだが……」
「彼女は叔父に傾倒して、この間出奔して冒険者となりましたから難しいのではなくて?」
「それが問題だな。権力と距離を置く冒険者としては、貴族と関わりのあるナインズとは距離を置きたいはずだ」
「後は少し見劣りはしても問題を起こした時にもみ消しやすい方々?」
「それは最後の手段にしたいな。やってほしい社交場でのフォローが不十分になりそうだ」
「では────」

本人の意見を無視して続けられるお目付役探しの談義。もうすぐ入籍予定の二人の、その仲睦まじ良い姿を見て、リア充爆発しろと念じた死の支配者が居た。






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