大学辞めろ・辞めるな論争も終焉を迎えたころ、蚊帳の外から見ていたクマノイヌコもやはり思うことを残しておこうと思い、今更ながらはありますが、記事にしておきます。。 クマノイヌコの思うことはたった一言です。
「辞めたかったら、とっとと辞めてみたら?」
無責任に聞こえるかもしれないけれど、辞めたいと言っているほうも無責任なわけだから、とやかく言われる筋合いはないと思うわけで。それでも「辞めてみたら」という、やんわりした立ち位置なのは「やめてみなけりゃわからんべ?辞めて後悔したら戻ればいいべ?」という意味が含まれているからです。現実問題、金銭的に許されるならばの話ですが。
そのとき親がするべきこと
こんな無責任発言をするクマノイヌコでも、子どもと関わる仕事をした経験があり、その時に思いついた「子育て掛け算」というのがあります。
0-4歳で手をかけたら、5-9歳は声をかける。10-14歳で目をかけたら、15-19歳で金をかける。20-24歳で気にかけ、25-29歳は願をかけるだけ。
ん?どういうこと?という方のために簡単な補足です
- 0~4歳は、生命維持を大前提に、手をかけながら自分でできる喜びを少しずつ増やしていく時期。
- 5~9歳は、できることが増えた喜びを自信に変えていくために、手は出さずに声をかけていく。
- 10~14歳は、せっかくの自信が些細なことで崩壊しないよう口は出さず、その自信がカンチガイにならぬよう目はかけておく。
- 15~19歳は、自信を誇りに変えるために選んだ環境をよりよく整備するために金をかける。
- 20~24歳は、誇りを収益に変えるために健全な心身を養っているかを気にかけ
- 25歳~29歳は、本人が目指す場所に到達できるよう願をかける。
そして、30歳以降は、自分がその子に撒いた種が、どんな風に実を結び収穫されるのか、その子がする子育てを見守りながら楽しみにするだけでです。
この、クマノイヌコの持論からすると、「大学やめて、サロン入ろっかなー」って言ってる子の親がする掛け算は「金をかける」もしくは「気にかける」です。
親が学生だったころ
その「親世代」が学生だったころ、つまりバブル全盛期から末期までは、半分近くが「やりたいこと探し」のためや「大卒ステータス」のために大学に入り、サークル入って、合コンして、アルバイトやらネットワークビジネスやら、裏稼業、もしくは正統派ビジネスで成功する学生起業家の走りのような人もいたりして、学生が一番金を稼ぎ、遊びとシゴトの両立をしていた時代ではないでしょうか。そしてあれよあれよと、就職氷河期。大卒ステータスは崩壊していくわけで。背景や形は違えど、時代は多かれ少なかれ繰り返している気がします。
学費を出してもらっている子供の責任
大学生に限らず、義務教育後に進学を希望するに当たっては「金をかけてもらう時期」です。 子どもの責任は、出資してもらった分だけの結果を出すことであって、卒業することではないのです。 出資してもらう条件に「必ず卒業すること」があるなら別ですが。
学費を出しているの親の責任
逆に親にとっての責任は、子どもにその金をかける価値があるかどうか見極めて投資することです。 子どもがあれしたいこれしたいと夢を語ってプレゼンをしてきたら、親はその子の素質や資質を見極め、投資するかしないかを決める。 そこを見極めずに、期待だけ膨らませてお金を出すことは投資じゃなくてギャンブルでしかありません。 子どもが大学を辞めることを決意したのならば、そこを見極められなかった親の責任として、子どもを責めてはいけません。
人生はすべてがビジネスだ
子どもは、出資してもらった学費を無駄にしてしまうことに、必要以上に負い目を感じる必要はありません。 親が死ぬまでに別の方法で成功させ結果を出せばいいだけのことです。
人生すべてをビジネス思考で考えることができたなら、きっとどんなビジネスも成功させられる人になるんだとクマノイヌコは思います。 そうやってビジネスセンスは養われていき、真の「遊びとシゴトの一体化」になるのだなぁと、ようやく思えてきたわけで。
もし、子どもが大学を辞めてサロンに入る決意をしたなら、「ギャンブル的子育てしかできなかった反省点」を伝え、一緒にその不良債権を回収する方法を考えるのも一つの手ではないでしょうか。
自分の居場所を転々とすることよりも、自分の居場所を自分で決めることができないことの方が、親として気にかける部分なのですから。