宇宙開発史んぶん

宇宙開発史の重箱の隅をつついていきます!
「宇宙開発史」HP 及び「宇宙開発史んぶん」blogを長い間ご愛顧いただき大変ありがとうございます。
宇宙開発史HPを立ち上げたのが1998年11月13日で実に20年になろうとしています。
我ながらこんなに長く続くとは全く思ってなかったので半分呆れながら驚いているところです。(^^;)
ただ、残念な事に当HP&blogがあるYahoo!ジオシティーズのサービスが2019年3月末をもって終了するということでこのHP/blogも自動的に閉鎖となってしまいます。
他のドメインへの移行も考えましたが20年前とInternet環境もがらりと変わっており、いまさらHPやblogでも無いように感じ、この機会がちょうど良い止め時かなと考えました。
今後についてはSNSでの情報発信も考えていますがまだ白紙の状態です。
とりあえず来年3月末までは続けていきますのでよろしくお願いいたします。

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炎に包まれるデルタ4

デルタ4ロケットの打ち上げで印象的なシーンはエンジン点火時に一瞬ロケット全体が炎に包まれることである。
これは他のロケットでは見られない現象なので初めて見たときは失敗かと思ったくらいだ。
では何故こんなことが起こるのか?
よく知られている様にデルタ4の第1段は液水/液酸エンジンである。
これはスペースシャトル、H-IIと同じだがこの2つとの決定的な違いは2段燃焼サイクルでは無くガスジェネレーター式と言うこと。
ガスジェネレーター式は2段燃焼サイクルに比べ効率は落ちるものの開発コストや製造コストが安いことがメリットである。
デルタ4はとにかく低コストを追求したためにガスジェネレーター式を選択した。
で、デルタ4の1段エンジンはスタート時に最初に水素ポンプを作動させる。これはエンジンのダメージを避けるためである。
最初に酸素を作動させると酸素の詰まった燃焼室に水素が来ると爆発に近い異常燃焼を起こしエンジンを壊す恐れがある。
逆に水素の詰まった燃焼室に酸素を入れると緩やかに燃焼が開始されエンジンの損傷を避けられる。
この様な理由でエンジンスタート時は最初に水素ポンプだけ動作させる。
そうするとエンジンからは未燃焼の水素ガスが放出される。水素は軽いので上昇して機体全体を水素ガスで包んでしまう。
そこでエンジン点火!もう、お分かりですね。
この動画で詳しく説明しています。(英語ですが)

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平岡等のロケット研究は性能向上のために炭素系燃料を加えるところから始まった。
最初に用いられたものがエチルアルコールであった。
その後ドイツから秋水開発用の情報が入手できドイツではロケット燃料に過酸化水素とメチルアルコールが使われていることを平岡等は始めて知ることとなる。
まったく独自に研究開発を行っていたが燃料がほぼ同じであったことに平岡等は驚くと共に自信を得ることとなった。
また当時過酸化水素をT-液、水化ヒドラジンとメタノールの混合液をC-液と呼んでいたが、これはドイツ側がこれらをT-stoff,C-stoffと呼んでいたいた事にならった事である。
過酸化水素系ロケットの研究が盛んだった頃、酸化剤を硝酸にした新しいエンジンの研究が始まった。
これは性能云々から変更されたものではなく当時、ロケットをエンジンとしたさまざまな兵器開発の構想があり、それらがすべて過酸化水素系のエンジンで研究が進められていた。
しかしもしこれらがすべて実用化された場合の過酸化水素の生産能力に不安が生じたためであった。
平岡等は酸化剤と燃料の種類、混合比を変えて研究を続けていたがそのいずれも常に燃料リッチと言う条件下で行われていた。
戦後彼等がまたロケットエンジンの研究開発を再開したときも燃料リッチの条件はずっと引き継がれて行った。
そして現在のLE-7系エンジンもまた燃料リッチである。

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平岡等の初期のロケットはいわゆる低温式ヴァルター機関と言われるもので過酸化水素を分解して発生したガスを噴射するものであった。
その際の反応ガスは水と酸素である。
このガスにさらに燃料を入れると酸素と反応してさらに効率が上がる。これは高温式ヴァルター機関といわれる。
平岡等が最初に注目した燃料は水化ヒドラジン(N2H4H2O)80%液でここから研究がスタートした。
過酸化水素との混合比や噴射機の構造を色々と変えて実験が続けられた。
また過酸化水素に変わるものとしてニトロ化合物での実験が平行して行われていたが爆発事故を起こして研究が中断された。
従ってそれ以降過酸化水素を中心に燃料を変える事で実験が続けられた。
過酸化水素は非常に危険な物質でちょっとしたことで爆発を起こしてしまう。
当時実験用に用いていた過酸化水素は直径/高さが300mm位のガラス瓶に入れられさらにその周りを竹細工の網籠に包まれて研究施設に送り届けられていたという。
これを割れないように慎重に運び冷暗所に保管していた。
平岡等は非常に注意深く扱っていたため事故は一度も起こさなかったという。
対して水化ヒドラジンはそれほど危険なものでは無いため普通の燃料と同程度の取り扱いで大丈夫だったらしい。

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戦中 平岡らは戦局の悪化に伴い兵器用のさまざまなロケットエンジンの研究開発を行っていた。
ただ残念なのか良かったのかは分からないが、これらのエンジンが実際に戦争で使われた様子は無かったようだ。
秋水や奮龍などは終戦直前まで飛行実験を行っており終戦の報を受けて慌てて破壊したり埋めたりしている。
技術的視点から見るとまことに残念である。
下の表は当時 平岡らが研究開発を行っていたロケットエンジンをまとめたものである。
イメージ 1

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