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「女子力」のヤバさに、私たちはもう気づいているはずだ

ある時期に重宝されていた言葉、「女子力」。料理の腕や美意識の高さ、そして気遣い度の3つの軸から評価される「女子力」には、いかに他人の役に立つか、大切な相手に貢献できるかという指標があったように思う。だからこそ、私たちは「女子力」に振り回されていたわけだが…「恋愛の思い込みを燃やせ」特集のラストは紫原明子さんによるコラムです。

女子力と献身 by Oleksandr Pidvalnyi

 この前、2歳になる私の姪と半年ぶりに会った。すると、その変貌ぶりにあっと驚かされた。前回会ったとき彼女はたしか、大人の計るタイミングに合わせてオムツを変えられ、大人の用意したご飯を食べさせられ、ご飯が終わればトントンと抱っこで寝かしつけられていた。
ところが今回は、夕飯が始まるやいなや「納豆ごはん食べたい」と要求するし、眠いなと思ったらタオルケットを持ってきて床に敷いて横になるし、うんちをすれば「うんちした、オムツ替えて」と大人に伝え、自ら率先して仰向けになり、大人がオムツ替えをしやすいよう、両足を高くピーンと上げて待機する始末。たった半年会わない間に、姪は自分の意志に従って生きるようになっていたのだ!

 自分が食べたいものを食べて、眠いときに眠って、人の手助けが必要なときには堂々とそう主張する。主体的に生きるってこういうことで、2才児でやれるのだから本来何も難しいことはないはず。なのに大人になった今、私は割と定期的に、果たして自分にこれができているかどうかを振り返るようにしている。何せそうじゃないと、すぐに見失いそうになってしまうからだ。

 何を食べたい? と聞かれても何となくめぼしいものが思い浮かばなくて、恋人や家族がうまいこと自分の中に眠る正解を探し当ててくれるのを期待したり。眠たいのに献身をアピールするため、もしくは無言のプレッシャーをかけるために、恋人の帰りを待って深夜まで起きていたり。苦しくて、寂しくて、困っているのに助けてと言えない。それどころか、言えない自分を棚に上げて、困難を察してくれない誰かに、一方的に不満を募らせたり。
やりたいようにやらないことも、やらないことをやれないこととし、その責任を他人に転嫁することも、私達の身近なところにめちゃくちゃたくさん転がっている。

 本来とっとと吐き出しておくべきなのに長らく溜め込んでしまった本音は、時間が経てば経つほど自分の中で腐って、発酵してドロドロになってしまう。だから、一気に溢れたときにかなり厄介だ。だけど、それでもつい飲み込んでしまう理由の一つには、一時期やたらと重宝された「女子力」という言葉の影響があるのではないか。