広島最大の繁華街・流川にある一軒の酒屋が、毎日夕方から2時間だけ「ビールスタンド重富」として営業している。店主の重富寛氏はビールの注ぎ方を長年研究してきた人物で、その格別な一杯を求めて全国からビール好きが集まるという。「ビールが日本を支えてきた」と語る同氏に、ビールの魅力や楽しみ方を伺った。【取材:BLOGOS編集部 島村優】
本当のビールの美味しさは誰も知らない
—1日2時間の営業、1人2杯までという縛りがあっても、連日行列ができていますね。ビールスタンドを始めるきっかけはなんだったのですか?
それはですね、私は自分の仕事はビールを売ることではなく「ビールを伝えること」だと考えてるからです。私は酒屋であって飲食店ではないので、ビールを多く売るよりもお客さんに美味しいビールの味を知ってほしいんです。
—テレビなどに出演するとよく「ビールの注ぎ方を極めた」と説明をされていますが、どのようにビールの研究を進めたんですか?
それこそ最初は何もわからないですから。美味しいビールがあると聞けば全国どこでも店に行って。東京だったら銀座ライオン、ニュートーキョーに始まり、今はないですが八重洲の灘コロンビア、その後継者となる新橋ビアライゼ、ほかにも…
—生ビールが有名な店ばかりですね
そう、いろんな生ビールを飲みましたよ。もちろん東京だけじゃなく、大阪や他の都市にも行って。ただ、本当のビールの美味しさって知ってますか?
—いや、僕は知らないと思います
それは、誰にもわかりません。もちろん私にも。
—重富さんにもわからないんですか?
もちろん。ビールは奥が深いどころか奥に行き止まりがありません。なぜ、本当のビールの美味しさを誰も知らないのか。それはすべての注ぎ方で飲んだことのある人が世界のどこにもいないからです。そして、すべての注ぎ方ができる人もいない。
—すごく壮大な話になってきました。そもそもの話なんですけど、注ぎ方でビールの味は変わるんですか?
何をおっしゃる(笑)。あとでたっぷりと味わってくださいね。
ビールを飲んで感じることって色々ありますよね。もちろん、今言った味。でもそれだけじゃない。見た目もそうだし、口当たり、喉ごし、味わい…とビールの表現の仕方は様々です。注ぎ方でこうした要素を調整して、飲む人にぴったりのビールを提供する、それが私のやり方です。
—飲む人に合ったビールを提供すると。注ぎ方だけでいくつものメニューがあるのはそういうわけなんですね
注ぎ方とサーバーを使い分けて、ですね。うちでは現代のサーバーと80年前の規格を復刻したサーバーを使い分けています。
飲み手にとって私はいわばバッティングピッチャーなんです。相手が投げてほしいところに打ちやすいボールを投げ込む。ビールが嫌いな人でも「飲めるようになった」と言ってくれるケースがありますから。
ビールは注いで初めて完成
—普段飲んでいるビールと別の飲み物の話のように思えてきました。飲食店の方が来店することも多いそうですね
定期的に「ビール大学」という講座を開設していますし、それ以外にも飲食店で働く人やビールの造り手たちが店に来てくれることも多いです。そうした方がビールの美味しさを知れば、彼らの店でも同じようにお客さんに合った美味しいビールが飲めるようになりますよね。
—極めたビールの注ぎ方を誰にも教えず、秘伝にしようとは思わなかったんですか
いや、もちろんそうは思いませんよ。要するに飲食店の人にとっては、投げ方を教えるピッチングコーチの役割なんです。美味しいビールを少しでも多くの人に飲んでもらうことが私の目的です。そうすれば、うちは酒屋なのでビールも売れますよ。
ぜひ実際に飲んでみてください。
—ありがとうございます
使うのは昭和のサーバーです。広島は70年前に原子爆弾で街が一度全て無くなっていますよね。この店も壊されましたが、当時と同じサーバー、私の祖父の時代に使っていたものを復刻して使っているんです。
どうぞ、これが80年前に飲まれていたアサヒビール。注ぎ方は一度注ぎでまずは喉ごしを感じてもらいましょう。一度注ぎには美味しい飲み方があります。足は肩幅、背筋を伸ばして、腰に手を当てて。風呂上がりの牛乳を飲むようにグイッといい姿勢でどうぞ!
—おおっ、爽やかでウマい!ほどよい苦みと爽快さ。これは何杯でも行けます
そうでしょう(笑)。適度に泡立てて一気に注ぐことで、炭酸を飛ばし、苦みを和らげ、喉ごし爽快なビールに仕上がります。
昭和のサーバーはホースの太さが現代のものの約2倍あります。見てもらってわかる通り、ビールが出るのもすごく早いですよね。
いつものビールが美味しくない理由
—飲食店の方も勉強にしに来るという話の途中でした
私は、日本一のビール注ぎを日本一育てる酒屋でありたいんです。結果としてその答えに行き着いたんですけど、それは80年前に祖父がこの店でやっていたことと同じコンセプトだったんですね。
—同じものを目指していたと。ところで、普段当たり前に飲めるビールは、どうして美味しくなくなってしまったんでしょうか
それは、ビールというのは注いで初めて完成だからだと考えています。つまり、どう注ぐかで口にするものが変わる飲み物であると。そうした、昔はあったはずの文化が今はなくなってしまったんですね。
今の大手のビールは、工場でまとめて作って各店舗に届ける飲食店でいうセントラルキッチンのようになっていて、製造から注ぎ方まで「このようにしてください」とマニュアル化されています。ただ、本来はビールは注ぎ方で味が変わるものなので、それでは十分じゃないんですね。
—なるほど。次は二度注ぎですね
二度注ぎは、一度注ぎの爽快さと三度注ぎの優しい甘みの両方が楽しめる一杯です。
—爽やかさがある一方で、後口が甘い欲張りな一杯ですね。そのままですが(笑)。ビールが苦手な人でも飲めそうです
そう!そうなんですよ。この店にも時々、ビールが苦手という人が来ますが、美味しいと言って帰って行ってくれますよ。かつては注ぎ手が飲めるビールを注ぐ文化があったんです。それが、注ぎ方までコントロールされていてはできませんよね。