東京五輪の暑さ対策だという夏時間導入論の評判が芳しくありません。なるほど国家の一大事業を口実に国民生活が振り回されてはかないませんが…。
何とも唐突なサマータイム(夏時間)導入論の再浮上でした。
日照時間の長い夏の一定期間、時計の針を一~二時間進める夏時間制度は、日本でも、省エネなどの観点から何度も導入案が取り沙汰されてきました。わずか四年ではありますが、戦後、連合国軍総司令部(GHQ)の指示で実際に採用された歴史もあります。
◆反論続出サマータイム
今回は、二年後に迫った東京五輪の暑さ対策として大会組織委の森喜朗会長が安倍晋三首相に導入を要請。その是非の検討を首相が自民党に指示し、久しぶりに夏時間論議に火が付いた次第です。
今夏の猛烈な暑さに慌てて持ち出したような今回の導入論は、これまでにも増して評判が芳しくないようです。
反対論の焦点は、今の社会が依存しているコンピューターシステムの問題と人間の健康問題。
夏時間となれば、当然のことながら、日付や時刻が関係するすべてのシステムに影響します。
漏れなく時間の切り替えに対応できるのか。システムの変更や改修には巨額の費用がかかり、何より、ただでさえ不足しているIT技術者のやりくりがつかぬ。つまり、一年二年ではとても対応できる話ではない、と。
人間への影響も心配です。睡眠や心臓などへの悪影響を示す研究結果は少なくありません。
さらに図らずも、夏時間制度に親しんできたはずの欧州でも反対論が強まっているようです。
欧州連合(EU)の執行機関、欧州委員会が今夏、全二十八加盟国で意見を公募したところ、四百六十万人もが意見を寄せ、うち84%が夏時間制度の廃止を求めるものだったと伝えられています。
◆欧州の廃止論の真意
これほど疑問の声が強ければ、あわてて導入すべきか否か、言うまでもありません。
暑さ対策というなら、競技時間を涼しい時間帯に移せばいいだけの話。反対論噴出は「五輪」という錦の御旗を振り回して国民を一斉に動かそうとする傲慢(ごうまん)さへの異議申し立てにも見えます。
ということで、どうにも賛同しかねる今回の導入論ですが、かといって夏時間の考え方まで捨て去ってしまうことには、ためらいを覚えます。
廃止論が八割を超えたEUの意見公募ですが、「やめたい」というのは年二回の時間変更。注目すべきは、本来の標準時ではなく夏時間の通年使用を望む声が多数を占めていることです。
いつまでも暮れぬ夏の明るい空の下、アフターファイブを存分に楽しめる欧州の夏時間の心地よさは、多くの滞在経験者が指摘するところです。
日本は欧州より緯度が低い、つまり、夏冬の日照時間の差が少ない上、今より早くアフターファイブが始まっても、真夏なら、より蒸し暑いだけかも。でも、その前後、少し気候の良い時期なら、どんな感じになるでしょう。
滋賀県庁が二〇〇三年夏、県職員が三十分~一時間早めに出勤する夏時間の実験をしています。終了後のアンケートでは、参加期間が二週間の職員は賛成が48%、五~八週間の職員は66%。つまり、長く経験した人ほど賛成の割合が高い、という結果が出ています。
今につながる夏時間制度を思い付き、議会に働き掛けたのは乗馬とゴルフをこよなく愛した英国人のウィリアム・ウィレット。一九〇七年のことでした。夏に時計を進めれば、仕事を終えた後でも乗馬を楽しめる。しかも、省エネになる…。
英国で実際に導入されたのは一六年。つまり、第一次大戦勃発による石炭不足がきっかけだったのですが、発想の原点は、どちらかといえば人生を楽しむための工夫にあったようです。
省エネや消費喚起など経済効果から考えるか。それとも、人生を楽しむ工夫と考えるか。
GHQ時代の夏時間のように、日の入りの時刻が遅くなる分、労働時間が長くなると心配しているだけでは、日本の働き方を変える好機を逸するかもしれません。
◆自分の時間を取り戻す
働く時間帯を見直してみることは、自分で出退勤時刻を決めるフレックスタイム制と同じように、自分の時間を取り戻す、自分の時間をつくりだすことにつながるはずです。逆に、もしもシステム優先で人々が希望する時間への切り替えができないとなれば、人間の尊厳の危機ということにも。
国家のためでもなく、五輪のためでもなく、人生を楽しむためならば、夏時間の議論を続ける意味は大いにあると思われます。
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