syamuの人生:自意識形成について(後編)

2009年頃からニコニコ動画で「ゲーム実況」動画が一大ジャンルとして台頭する。

後の「大物Youtuber」のひな型となる「有名ゲーム実況者」が生まれはじめ、好んで彼らの動画を追いかける「ファン」層も形成されていった。

こういった流れにシャム氏が影響を受けたであろうことは間違いなく、ファンに囲まれて崇拝される有名実況者の姿に大きな憧れを抱いたであろうことも容易に想像できる。

そうして彼は、Youtuberとしての道を歩み始めた。

2011年4月にアップロード者へアフィリエイト収益を支払う「youtubeパートナー」システムが一般向けに解放され、同年9月頃からシャム氏が本格的に実況活動を開始する。

その過程で「大物Youtuber」としての自意識が肥大化していく原因は、社会経験の不足からくる極端な経験値ハードルの低さだった。

基本的な録画・編集環境を準備するだけで本人にとっては大仕事であり、中古のWiiを買うだけで凄い事であったりと、達成感のハードルが低すぎるあまりに、ゲーム実況者として「よちよち歩き」をできただけで自分が一角の人間になれたと勘違いしてしまったのだ。


生まれてから27年ごしに経験した初めての「レベルアップ」に感動した職無き勇者は、レベル2で魔王を倒せる気になっていた。

もちろんハナからそういうつもりではなく、活動当初はyoutubeで食べていくなどと言う夢物語に不安を感じ、このままでいいのかと悩むなどまだ理性が残っていたのだが・・・

しかし、生来の思慮不足が災いし、チャンネル登録者が少しずつ増えるごとに勘違いは強化され、登録者1000人を超えたあたりで完全に理性が妄想に呑まれてしまう。


これ以降、シャム氏は現実を大物youtuberという妄想に無理やりはめ込んで生きていくこととなるのであった。

ただ、このような自意識の膨張すべてを単なる勘違いの結果によるものとは言えない。

彼を見れば見るほど、その根底にもっと大きな要因が転がっているような気がしてならないのだ。

ここは彼のより奥深くにある「何か」について触れてみたい。



2012年頃にはまだ、自分自身を自虐的に省察できる人間だったシャム氏。


それが2013年に大物youtuberとして大悟してからは加速度的に自意識が肥大し、2014年にはオフ会100人妄想をするほどにまでなっている。


やはり認知能力がこれほど破壊的なスピード悪化したことをすべて勘違いで済ますことはできない。

おそらくこれは現実に対する防衛機制の表れによるところが大きいのではなかったかと思われる。

大悟した時点で彼は28歳。

30歳手前で仕事もなく、貴重な時間を糞みたいなゲーム実況に費やす日々。

気がつけばもう後戻りできない年齢になっていた。

もはやこうなったら自分はyoutubeで食っていく(無理)しかない、という焦りだけが先走っていき、自分を大物youtuberと無理やり思い込むことで厳しい現実から身を守ろうとしたのではないか。

視聴者からの指摘に対してああも頑なに反抗的で閉鎖的だったのは、外部からの干渉によって積み上げた虚構が崩れるのを恐れたからだった。

実際、2013年頃の動画には自分の現状に焦りを感じていた様子が記録されている。


いわば一種の自己催眠にかかっていたという仮説だが、特にシャム氏の女性に対する求愛行動パターンにこの傾向が強く反映されているのだ。

同氏はゲーム実況を始めたころから求愛活動を行っていた(というかおそらく、ゲーム実況者になれば勝手に女の子にモテると考えていた)が、2013年11月にはラブサーチに登録し恋活を始めるなど、その熱は時間を追うごとに勢いを増していった。

そしてまったく成果が上がっていないにも関わらず、煮えたぎる性欲に引きずられて、気分だけはモテモテになっていたのだ。


『早く開いてくれないかな~?』とか思ってたりしてね。いや思ってるかもしれないね。いや思ってても不思議じゃないね。

もちろん、オフ会開くなら行きますよ~って感じなんでしょうかね。いやー照れますね。

特に上記の動画は自己暗示によって妄想が確信へと変質する典型的な例である。

よく「仕事をしない言い訳としてyoutuberを利用していた」という意見をみることがあるが、言い訳であるなら率先してオフ会を開こうと思うだろうか?

これほど不器用なシャム氏が、言い訳のためだけにあれほど完璧な「大物youtuber」然とした演技をできるだろうか?


少なくとも2013年以降のそれは、言い訳ではなかったのだ。

妄想から出た真実だった。

積み重なった雪がそれ自身の重みによって固まり氷となるように、無数に折り重なった妄想は真実へと凝固した。

醒めない夢があったなら、現と何の違いがあるというのだろう?

線を引いて、こっちが夢であっちが現とだと、我々が勝手に決めていることではないか。

そんなつまらぬ線は足で掻き消して、自分の世界を創るのだ。

そこでは自分は人気者のゲーム実況者で、この世のどこかに自分を好きな女子のファンがいて、コイニハッテンシテ・・・それの何が悪いのだ。

個々の動画の再生数が数百程度のものだったとしても、自分は大物youtuberである。

現実世界の穢れた価値観に浸かった無粋な我々にはまったく理解できなくても、シャム・ゲームにとってはそうなのだ。

肥大化した自意識が一つの価値世界を生み出した。

彼はその世界に生きていた。彼の見ている世界は、我々には見えない。

かろうじて動画に映る彼のオーバーグラス・・・世界の上からかけるサングラス越しに、その片鱗が垣間見えるだけである。

・・・荘周夢に胡蝶と為る。

syamuの人生:自意識形成について(前編)


シャム氏の自意識がどのような過程を経て「大物youtuber」へと肥大化していたか、というテーマは、全てのシャム学を歩む人にとって最も関心を引き付けられるものだろう。



上記の動画は、シャム氏がまだ「仕事に就く」ことの重要性を認識し、無職であることに負い目を感じている姿を見ることのできる貴重な資料である。

「わたくし~え~まだね、仕事が、見つかっておりませんが、仕事が見つかっておりませんけど、頑張って仕事見つけないとね・・・」

「つーか俺に仕事をしょうかいしてくれぇ!って言いたいわ・・・ね!ちょっと言ってみた」

「前になんか、youtubeで金くれ動画で投稿していた人がさ、お金持ちが見てて、富豪さんがその人にお金あげたらしいね。だから俺も便乗して、俺に仕事くれ!って言ってみました」

二匹目のドジョウを狙って職乞食してみたり、なのに精神ダメージを忌避して「言ってみた」と予防線を張って身を守ったり、誰かが自分の才能(?)を買ってくれる夢を見たりと、後に顕在化する汚点がこの時から垣間見えているが、とはいえ、その根底にあるものが職の見つからない現状に対する焦燥であることは間違いないだろう。

シャム氏が曲がりになりにも社会的感覚を持って自分を省みる時期があったということは、彼の足跡を追おうとする人々にとってある種の感動をもたらすのではないだろうか。

ならば、いつから、どのようにして現実的感覚が朽ち果て、「大物youtuber」というファンタジーに浸かり始めたのか。

※シャム氏自身は、自らのことを大物youtuberではないと一応断ってはいることを付記したい。ただ、オフ会で100人集まるのは、十分「大物youtuberの範疇である。

syamu氏の人生における転機はおそらく高校卒業だった。

義務教育および後期中等教育の12年間は、およそ社会の敷いたレールの上を周りに合わせて走っていれば良い時代である。

だが、高校卒業後の進路はにわかに個人の片と意思に掛かり始める。レールは途切れ、ここから先は社会ではなく貴方が決めることとなる。そして大抵の人々は、これまでの18年間の人生のなかで、知らず知らずのうちに選択の訓練を積み自分の足で歩み始める。

が、シャム氏はここで躓いた。「なんか違うな~」と思って進学した専門学校を中退した。

そして本人の思った通り、ここから彼の人生は大いに「違い」始めていく。


中退後から大物youtuberとして大悟するまで、シャム氏の社会生活がどのようなものだったかは多分に憶測を含まざるを得ない。

だがyoutube引退までに散逸された大量の資料を元に大まかな全体像を描くことは可能である。

彼が初めてyoutubeで動画を投稿し始めたのは2010年10月だが、この時は「製氷業」を名乗っていた。

ゆうにとのスカイプやシバターとのインタビュー動画においても、ローソンアイスなどのライン工を3年ほど続けていたと証言しているのと一致している為、ホモどもから虚言と中傷された職歴有という自供はおそらく真実と思われる。



また冒頭の職乞食動画が2011年9月の動画であるから、おそらく2007年ないし2008年から2010年ないし2011年までは、労働に従事しながら「一般社会人」として生活していたと考えて良い。

シャム氏が専門学校を中退した時期は不明である。

中退の最も大きな要因は経済的事由で、狭い公務員宿舎の雑然とした自宅の様子、専業主婦と子供3人を養うことを考えれば、syamu家の経済状況が芳しくなかった可能性は十分考えられるだろう。

だが本人の言葉からは経済的問題の陰は見えずらい。

またこれに限らず、シャム氏の言動からは実家の経済状況を示唆する発言が極端に少ない。コンスタントに家族旅行に出かけていることを合わせて考えれば、さほど子供たちが経済的問題に触れる必要のない家庭なのだろうと思われる。もちろん、単にシャム氏がそういうことに気が付かない不感症なだけという可能性も(大いに)あるが。

専門学校中退に関しては「なんか違う」という本人の言葉が最も参考になると考えて良い。

中退の理由は学校生生活に関するものだった。こういった場合おおよそ最初の2~3か月のうちに不登校に陥る傾向があり、ともすれば出席日数の関係から進級できずに留年、それを期に完全に退学したと考えるのが妥当と思われる。

となれば中退した時期は2003年頃の可能性が高い。ここから彼の人生が「違い」始めていったのだった。

2003年から職に就く2006年~07年までの詳しい詳しい足跡は分からない。

本人の談によれば、パソコンを買ってもらった時にハマって以来、15年のチャット歴を持つという。


この証言を元にすれば、初めてsyamu氏がパソコンに触れたのが高校生の時、2000年前後で、当時はチャット中毒だったという。

高校は楽しくなかった、という証言と合わせれば、恵まれない高校生活を埋め合わせるように、自宅でチャットにのめり込んでいたのだろう。

そして専門学校中退後、有り余った時間を必然的にチャットに注ぎ込んだであろうことは想像に難くない。

狭い公務員宿舎の自宅で専業主婦の母と二人。雑然としたリビングの中、パソコンに向かってひたすらチャべる息子の姿を見て、母は何を思っただろうか。

およそ3年は続いたであろう社会的刺激や変化のない、塞ぎ込んだチャット生活のなかで、シャム氏の思考能力とコミュニケーション能力、現実認識能力は著しく劣化した。

その後、先述の通り2006年~07年にライン工に就く。

折しもこの前後は2chニュー速VIP全盛期であり、2chのVIP板を始めニュー速板、そして外部のコピペブログからなる一大ネット文化圏が興隆していたが、シャム氏のネット知識に乏しい言動から推察するに、この文化圏にはあまり触れる機会がなかったと思われる。

彼の活動拠点は、ちょうどこの頃に開設された疑似コメント同期交流動画サイト「ニコニコ動画」だった。

また2007年9月頃からネット上で「初音ミク」が流行しはじめ、折しも就職により収入が発生し始めたシャム氏はボーカロイドソフトを購入する。


有名なウオンツ・インタビューはおそらくこの時のものだろう(初音ミク抱き合わせのDTM教材を15万で購入したらしい)

つまり上記の動画は2007年~08年頃のれっきとした一般社会人だった彼を映した貴重な資料である。

訂正・加筆インタビュ動画確認2009撮影インタビュー動画に映っているノートパソコン20096発売、またpiaproに投稿云々と証言しているので動画は早くとも2009年下半期撮影と思われます(まだ社会人だったとも推測される)

同じく動画内でDTM歴1年と発言しているので、作曲活動開始は2008年頃から、やはり話題となっていた初音ミクに影響を受けたとも語っています。初音ミク本体はこの時に購入し、15万の教材は後に分けて購入した可能性もあります(抱き合わせ教材という情報はコメントで流れていた情報を基にしたもので、実は根拠不明です。多少はね?)


そして「初音ミク」は、彼の生活がチャットで惰眠を貪る類廃的な消費行動から創作活動へと軸足を移す大きな転機だった。

2009年にはコンテンツ投稿サイトpiaproで活動を開始し、作曲、イラスト、そして拙い日本語ながらも小説を発表していくこととなる。

労働に勤しみながら私生活では創作に打ち込むなど、この時期のシャム氏は健全で最も充実した生活だったのではないだろうか。

しかし2010年ないしは2011年頃、アトピー性皮膚炎の重症化によりライン工を辞することとなる。

そしてこれが、もう一つの大きな転機となってしまった。

折り悪くリーマン危機に端を発する世界金融危機の余波から2009年の有効求人倍率は激減。2011年に至っても2008年水準に回復せず、27歳高卒のシャム氏は転職先を見つけることができなかったのだ。

職は無い。金も無い。知識も、常識も、コミュニケーション能力も、学歴も無い。

だが、なんぞ怯むことのある。

自分は作曲もできるし、イラストも描ける(コミpo)のだから。

ほんでー、動画も編集できるでしょ?さらには小説も執筆してるって?そういうクリエイティブな人はなっかなかいないと思うよ。なかなか難しいと思うよそういうことは。

だから、こんなうらぶれた世界でも、きっと自分のオールで漕いで行けるのだ。

(後編に続く)

syamuの人生:失敗のスパイラル




シャム氏は上記の動画で「中学校が一番楽しかった」と繰り返し語っている。


ただし(資料となる動画のほとんどが散逸しており、裏付ける確証はないものの)中学校時代のシャム氏が「世間一般の中学生に比べて特段輝いていた」わけではないと思われる。


同氏は府内最底辺のヤンキー校である府立岬高等学校を卒業後、進学した情報専門学校を(詳しい時期は不明だが)中退している。その後の短いライン工勤務期間を除けば、人生のほとんどを貝塚合同宿舎一号棟内の一般社会から隔離された土竜空間で過ごした。


いわば、他者との交わりのなかで経験を獲得し、自らを構築していくという人間的な温度に満たされた社会生活は、高校卒業を期に事実上断絶し、全ての社会的刺激が停止した氷河期に突入している。


つまり人間集団のなかで自らの立場を相対化し、成長を得る社会動物として生きた期間が小学校から高校までしかない。12年間という限られた乏しい比較対象のなかで(消極的な意味での)「楽しかった(幸福だった)」時代が中学校だったという程度の価値しかないと思われる。


シャム氏の姿を追ってまっさきに感じ取られることは、人としての薄っぺらさであり、その根底にある、豊饒さからはかけ離れた人間性である。



彼の話には経験に裏打ちされた奥行きがまったくなく、爪で引っかくだけで底が露わになるほど痩せこけている。




上記の動画では嬉しそうに思い出話をしている部分があるが、その中身も「そういえば前にプッチンプリンを食べた」程度の話である。本来、30歳の社会人なら、日常生活の記憶情報の中で真っ先に放り捨てられる程度のはした経験であり、あえて口に出すほどの価値もないだろう。


だが、syamu氏の真っ白な人生にとっては、プッリンプリン程度でも記憶に値する経験だったのだ


これは、同氏がどれだけ単調な「同じ毎日」を送ってきたかが分かる一場面であり、その思考精神が(刺激不足に伴う知能的な壊死を避けようと)どれだけ刺激に飢えているかが伺える一場面でもある。


専門学校中退後、およそ10年近くこのような「同じ毎日」を送っていたとなると、思考と情緒の劣化は著しく大きかっただろう。


あるいは、人間として一番瑞々しい成熟期にまったく刺激と経験を得ることなく老化を重ねたことは、機会損失として致命的と思われる。


「実は中学校時代にコールドスリープされまして、つい先ほど解凍されたばっかりなんです」と言われればまだ救いがあるが、ただ何もせずに無駄にしたという恐ろしい話こそが事実だった。


人生経験の不足と無駄なプライドが精神の発育を阻害し、思考の幅を狭め、将来の選択を常に誤らせている。


シャム氏は、人生を「今まで」無駄にしてしまったがために、「これからも」無駄にしてしまうだろう。過去の失敗による損害は将来という鈍いカタチでのしかかってくる。


今の彼の惨状は過去の失敗による直截的な結果だが、同時に、今現在の失敗(この期に及んでパティシエになるなどと言って働かないこと)による損害を、さらなる将来に先送り(年齢を重ねるほど職業の選択肢は狭まるだろう)しており、それがまたぞろ選択を誤らせる(仮に40歳を迎えたシャム氏が自分に残された厳しい選択肢を素直に受け入れられるとは思えない)という、失敗の再生産と悪循環に陥っている。


かけがえのない10年間をドブに捨てた無職が、狭い公営団地の一室で、おそらくこれからも失敗を先送りしながら無為に日々を消耗していく。人生の累積債務は借り換えと複利でただただ膨れ上がっていくだけ・・・この情景に一抹の憐れみをも感じない人は、人としての情に欠けていると言わざるを得ない。




 「どうもなんないでしょ。貝塚の集合住宅で、少しずつ年を重ねていくんじゃないの」


シバター(所謂クソレス)が吐き捨てたこの言葉に、侮蔑と諦め以上の感情が絶対にないとは、私には言えない。


幸福のピークを貝塚の中学校で終えてしまった無職の、これから少しずつ朽ちていくだけのさもしい人生に対して、人間として感じずにはいられない苦々しさがあったのではないか。


それこそが、syamu氏を見た人すべてが抱く「不快さ」の根底にあるのではないかと思わざるを得ないのだ。
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