瓦版 ロ ス ・ プ リ モ ス

  写真
 黒澤明とロス・プリモス              ロス・プリモス

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黒澤明とロス・プリモスと森聖二 の 歴史


グループサウンズ全盛期だった昭和40年"森聖二"を迎え「大人も楽しめ、口ずさめる歌」をと
昭和41年クラウンレコード(現 日本クラウン)より<涙とともに:ラブユー東京>を発表した
地道なキャンペーン・・・十円玉作戦・・・半年後「ラブユー東京」が山梨県甲府で人気上昇しはじめる
そして一年余り、スナック・クラブ・パチンコ店・・・全国の繁華街の有線放送から流れる曲は
♪♪ ~ ラブユー ~ ラブユー ~ 涙の東京 ~ ♪♪
ラブユー東京は「オリジナルコンフィデンス」(昭和43年1月創刊号)ランキング発表1回目第1位の曲である
黒 澤 明 くろさわあきら 享年74歳 1934(S.09).05.30 ~ 2009(H21).04.09

森 聖 二 もり しょうじ  享年70歳 1939(S.14).07.07 ~ 2009(H21).10.18
1961~1965

1961年 ラテンコーラスグループ 「黒澤明とロス・プリモス」 として誕生
1965年 メーンボーカル森聖二を迎え 歌謡コーラスの基礎を完成させる


1966~1970

1966年 4月クラウンレコード(現 日本クラウン)より「涙とともに」「ラブユー東京」で歌謡界に仲間入り

1967年 10月B面「ラブユー東京」のヒットにより急遽2色刷りジャケットをカラーに変更の
A面「ラブユー東京」に生まれ変わった
11月銀座シリーズ第一弾「雨の銀座」を発表する

1968年 ミリオン・セラー「ラブユー東京」は「芸能市場調査」(現 オリコン)創刊号から連続9週1位を獲得
4月29日号の オリコンHOT100には「ラブユー東京」「雨の銀座」「ラブユーいとはん」
5月新譜として4月25日に発売の「たそがれの銀座」の4曲が顔を揃えた
銀座シリーズ2弾「たそがれの銀座」(5月新譜)はオリコン6月17日号でベストテン入り
「城ヶ崎ブルース」「恋の銀座」「さようならは五つのひらがな」の作品も1968年の作品
昭和43年度「NHK紅白歌合戦」初出場 歌唱曲「たそがれの銀座」

1969年 「君からお行きよ」等を発表 ビクターレコード(現 ビクター音楽産業)に移籍
プロ好みの名作「ヘッド・ライト」は移籍2作目の作品

1970年 「ばかなわたし」「うたがわないで」と相次いでプロ好みの名作を発表
「ラブユー東京」「東京ロマン」に次いで東京を唄った「たそがれの東京」もこの年

1971~1975

1971年 横浜伊勢佐木町商店街がロス・プリモスのイラストポスターで埋まった「ワンチャンスよこはま」がヒット
返還前の沖縄往復船旅公演宿泊も沖縄の港で船の中

1973年 発売された「雨に濡れて想うこと」は今でも根強い人気とリクエストがある作品

1974年 イントロのトランペットが印象的な「せめてお名前を」はタイガー魔法瓶のCMソング
ロス・プリモスが"せめてお名前を~せめてお名前を"と唄った後
「ケイコです」「タイガーマインポット」のセリフで商品の絵が映るCM
その後 「せめてお名前を」が ほかの会社のCMにも使用され流行語にもなったヒット曲

1976~1980

1976年 10周年初のリサイタルが 東京プリンスホテル にて開催された 記念曲「別れるのになぜ」がヒット

1977年 テレビの公開録画でサンフランシスコ・ロサンゼルスで公演

1978年 横浜シリーズ「ワンチャンスよこはま」に続く2作目「夜の横浜泣いてる私」を最後に
22作品を出したビクターレコード(現 ビクター音楽産業)を離籍した

1979年 クラウンレコード(現 日本クラウン)へ復帰「小さなお店をもちました」
横浜シリーズ3作目「ぬれて横浜」とヒットが続く

1980年 7月帝国ホテルのディナーショー中舞台上にて リーダー黒澤明が倒れて入院
現在の 森聖二を中心にした ロス・プリモス と改名

1981~1985

1981年 15周年リサイタルが 東京ヒルトンホテル(現キャピトル東急ホテル)にて開催

1982年 「アモーレ東京」「ロンリーナイト赤坂」は病床中の黒澤明の作詩に川口元義が加筆した作品
3月ロスプリモスエンタープライズ設立

1983年 スナック風のお店のカウンターに一人の男性客の後姿 流れる曲は「亀田慕情」亀田製菓CMソングです

1984年 「新宿ワルツ」の作曲上野哲は 現清里卓矢の当時のペンネームです

1986~1990

1986年 20周年リサイタルが 京王プラザホテル にて開催された
静岡県城ヶ崎のつり橋をはさんで「城ヶ崎ブルース」(1968.08)に続いて 歌碑 が建てられた「雨の城ヶ崎」
城ヶ崎ブルースの作詩作曲のコンビで制作された

1987年 20周年記念曲は作らず 21年目の唄です と作られたのが「別れの雨音」
フジテレビ系「オレたちひょうきん族」で1986~1987貧乏話の名物コーナー「ラブユー貧乏」
そのままのタイトルで発売された

1989年 香港より船中での演奏会
シングルレコード盤が製造中止となる

1990年 「雪の長岡恋の町」はCDになる前の最後のシングルレコードとカセットテープの貴重な商品

1991~1995

1991年 4半世紀の記念25周年リサイタルが初のリサイタルを行った思い出の地 東京プリンスホテルにて開催
「ラブユー東京」「たそがれの銀座」を再編曲 25年ぶりの新曲としてA・B面で発売 たちまち売切れ

1993年 日本大使館の企画でシンガポール公演
「雨の星港」「旅人椰子」はその思い出の曲

1996~2000

1996年 30周年だったが平成の大不況の為記念コンサートは中止 記念曲のみ発売「いつまでも銀座」

1997年 ヒット曲「魅せられてサッポロ」が たかみのり子とのデュエットで発売

1999年 昭和のヒット曲「さようならは五つのひらがな」「札幌の星の下で」が 真帆花ゆりとのデュエットで再発売

2001~2005

2001年 35周年リサイタルが 日本青年館大ホールで周年記念として初のコンサートで開催
記念の曲「灯りの中で」(作詩 森聖二・作曲 上野旬也)が披露された

2003年 キム・ヨンジャとの競作男性盤「北の雪虫」 35周年記念曲「灯りの中で」が発売された
永らく活動をしていなかった「後援会」を基盤に「ロス・プリモスファンクラブ」発足

2006~2010

2006年 40周年記念リサイタルが よみうりホールで開催される
記念曲「フォーエバー東京」「高崎の女」が発売された
40周年を迎え「ファンクラブ」を40年前の名称「ロスプリモス後援会」とし活動開始
*ロス・プリモス初のレギュラー番組《ロス・プリモス歌いつづけて40年》
7月6日より9月28日まで13回毎週木曜日にラジオ日本にて放送 大好評を得る

2007年 昭和のポップソング12曲の中に ラブユー東京 が選ばれた映画「歌謡曲だよ、人生は」が上映される
マヒナスターズ・鶴岡雅義と東京ロマンチカ・ロスインディオス・ロスプリモスの4グループで
全国ツアー「今甦るムードコーラス夢の競演」が行われる
同時に4グループのヒット曲20曲入りCD「ムードコーラス夢の競演」がフリーボードより発売された

2008年 全国ツアー「今甦るムードコーラス夢の饗宴」公演先にて大好評

2009年 4月9日病気療養中だった黒澤明氏逝去74歳
第3回ファンミーティングを「銀座ロス・プリモス」にて開催 「集い」にさきがけ「黒澤明氏を偲ぶ会」を催す
10月18日森聖二氏逝去70歳

2010年 1月「ロス・プリモス森聖二追悼盤 涙を残して/愛の旅立ち」がフリーボードより発売された
1月23日東京プリンスホテル プロビデンスホールにて「森聖二・浜名ヒロシを偲んで」を催す
4月4グループのヒット曲16曲松森棚三2曲入りのCD「ムードコーラス夢の競演Ⅱ」がフリーボードより発売された
5月13日さっぽろ芸術文化の館「森聖二・浜名ヒロシ追悼(メモリアル)公演」にてすべて終了

長い間のご愛読心より感謝いたします 2010.05.18 THE END