篠原章(評論家・批評.COM主宰)
翁長雄志前知事の死去に伴う沖縄県知事選挙で、開票とほぼ同時に、普天間飛行場の辺野古移設に反対する「オール沖縄」が支援する玉城デニー前衆院議員の当確が出た。
事前の調査や予測では一貫して玉城氏の優勢が伝えられ、当初は「ダブルスコアで玉城」という噂まで広がった。自民、公明、日本維新が推薦する佐喜真淳前宜野湾市長が猛追し、選挙終盤の世論調査では「互角の闘い」に持ち込んでいると報道されていたが、結局蓋(ふた)を開けてみれば、期日前投票でも当日の投票でも、佐喜真氏の得票は玉城氏のそれに及ばなかった。
佐喜真陣営にとっては、「票差」以上の惨敗だった。自民党からは菅義偉(よしひで)官房長官、二階俊博幹事長、小泉進次郎筆頭副幹事長が、それぞれ複数回にわたり沖縄に応援に駆けつけたほか、竹下亘総務会長が最前線で指揮を執るなど、それこそ総力戦で臨んだ。
公明党も全党をあげてこれまでにない支援態勢をとったが、「翁長前知事の遺言」で選ばれた玉城氏にまるで歯が立たなかった格好だ。はっきり言えば、自公の面目は丸つぶれである。
玉城氏が当選し、佐喜真氏が落選した要因については、今後さまざまな分析が行われることになろうが、おおよそ以下のように整理される。
最大の要因は、任期途中で翁長前知事が亡くなったことである。亡くなる直前まで翁長氏は知事選出馬の意思を表明していなかったが、翁長氏が出馬したとしても、厳しい選挙になるといわれていた。
県民の間に「辺野古疲れ」「辺野古離れ」のようなムードが蔓延(まんえん)し、2月の名護市長選挙では、自公の推す新人が「オール沖縄」の推す現職を下していた。知事選は当初11月に予定されていたが、翁長氏が病床からどこまで指揮を執れるのか疑問視する向きもあった。