青い芝」の戦い

本当に「障害者は自分の人生に関係ない」と言えるか

40年以上前、バスジャックや座り込みなど、“過激”とも言われる運動をおこなった、脳性マヒ者による障害者運動団体「青い芝の会」。当時は障害者が街にいるだけで、周囲の空気が凍ったといいます。そんな時代に、路上で己の体を人目にさらし、障害者の存在を社会に認めさせようした、横田弘さんという男性がいました。実際にお会いしたことのあるお二人、荒井裕樹さんと九龍ジョーさんが、彼について語ります。

身をさらしながら街を変えて

— 前回(第1回)では、「青い芝の会」とお二人の出会いについてうかがいました。「青い芝の会」の活動が私たちの身近に感じられる例はありますか。

九龍ジョー(以下、九龍) いちばんわかりやすいのは「川崎バス闘争」がきっかけで、車いすでも公共交通機関に乗れるようになったことかもしれませんね。

荒井裕樹(以下、荒井) あの頃は障害者が街にいるだけで、周囲の空気がピリピリしていたような時代だったんですよね。ドキュメンタリー映画『さようならCP』(1972年)に、横田弘さんが出てきます。この中で横田さんが電車に乗るシーンがあるんですけど、横田さんがいるだけで、車両の空気が完全に凍るんです。横田さんたちは、そんな時代に街に出はじめた。自分の身体を人目にさらすことで、「障害者が街にいる」という既成事実をつくっていったんだと思います。


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今、ぼくらは街で車いすの人を見かけても、空気が凍ることはまずありません。でも、それは社会が障害者に優しくなったというわけじゃない。彼らのやってきた既成事実が積み重なって、障害者が街にいることが、生活感覚として根付いてきたんだと思います。

横田さんたちは、30年とか40年かけて、「街に障害者がいる」という生活感覚を切り開いてきた。前回も触れた「川崎バス闘争」みたいなことを起こしながら、「障害者もここにいさせろ」ということを訴えてきた。

九龍 まさに身をさらしながら、社会を変えていったんですよね。荒井さんの著書『差別されてる自覚はあるか』を読むと、青い芝の会の活動が現実に勝ち取ったものの大きさを感じます。

荒井 ぼくは障害者運動について研究していますけど、マジョリティの方から気を使って、マイノリティの権利を進んで認めた事例というのを知りません。常にマイノリティからの問題提起があって、マジョリティがそれを認めていくんです。


左:荒井裕樹さん 右:九龍ジョーさん

障害者には「主体」がない?

九龍 『さようならCP』には、詩を朗読するからと街中で通行人を呼び止めるシーンがありますよね。その詩がまたいいんですよ。「足」という詩です。

「足」
私のまわりに集っている大勢の人々
あなた方は、足を持っている
あなた方は、あなた方は、私が、あなた方は私が歩くことを禁ずることによってのみ
その足は確保されているのだ
大勢の人々よ
たくさんの足たちよ
あなた方、あなた方は何をもって、私が歩くことを禁ずるのか

朗読をしている時に警官が来て、わーっと中止させられてしまう。当時はストリートミュージシャンもいたからなんの問題もないはずだとおもうのですが……。

そこで画面はブラックアウトするんですけど、音声が聞こえるんです。「責任者は?」と警察が聞いて、横田さんが「私です」と答える。それでもまだ「責任者は誰?」って警察が聞き返す。つまり、パフォーマンスをした横田さん本人を責任者と認めないんですよね。

荒井 障害者に「主体」があるとはおもわれていなかったんですよ。だからこそ、「青い芝の会」の行動綱領には「われらは、強烈な自己主張を行なう」と書いてあるんですよね。

九龍 ぼくは学生時代に大学の講堂で『さようならCP』の上映会をやったことがあるんです。もともとはぼく自身が『さようならCP』を観たくて、のちに新宿のツタヤでレンタルされていることを知るんですけど、当時はフィルムで観るしかないと思っていた。それで、青い芝のどこかには当然フィルムが保管されているだろうと思ったので、横田さんに「見せてください」と頼んだら、「イヤだ! あの映画は好きじゃない」って言うんです。それでもお願いし続けたら、「上映会をするならいいよ」と言ってくれた。

それで上映会なんてやったことないんですけど、あの有名な『さようならCP』の横田さんの全裸カットがありますよね。あれを大きく印刷したビラをつくって、学校内のいろんなところにばらまいたら、けっこうな数の学生が集まってくれて。もしかしたら前衛的な芸術映画だと思ってきた人もいたかもしれない。まあ、実際、そういう映画でもあるわけですけど。

上映後、横田さんと、やはり出演者でもあり、「青い芝の会」川崎支部で活動してした小山正義さんをゲストで招いてティーチイン、今で言うアフタートークもやりました。学生はみんな黙りこくってて、逆に横田さんと小山さんのほうからガンガン学生に質問していましたね。二人ともすでに高齢でしたけど、なんというか、自分の存在を懸けて、こうやって唾を飛ばしてやってきたんだなっていうのが垣間見えて、圧倒されましたね。

波風を立てないと、存在自体を無視される

九龍 ぼくが最初に出会った脳性マヒのIさんも、そんな横田さんに若さゆえの反発も抱えながら、かなり影響を受けていたとおもいます。

荒井 九龍さんが多目的トイレにこもっていたときに、トイレのドアを蹴ったIさんですね。(※第1回参照)

九龍 そうです(笑)。彼は電動車いすを使わないし、駅でエレベーターも使わない。エレベーターがある場所でも、必ず階段のそばにいって道行く人たちに「すいません、すいません」と声がけして、手伝ってもらっていました。エレベーターを使わないIさんをあからさまに嫌がっている駅員もいましたけど、そうすることで、彼は自分自身を使って、「障害」というものを可視化しようとしていたんですね。

— なぜ嫌がられてもそのように行動したと思いますか?

荒井 波風を立てるくらいのことをしないと、存在自体を無視されてしまうような経験をしていたんでしょうね。「障害者は自分の人生に関係ない」とおもっている人を巻き込もうという試みなんでしょうけど、そうされた側は、すぐには受け入れがたいですよね。なんかいろいろと要求してくるし、責められている感じもするし。

九龍 でも、どう考えてもIさんのほうがしんどいハードルを越えて、ぼくたちにボールを投げてきていましたからね。

荒井 ぼくの本『差別されてる自覚はあるか』でも、タイトルと表紙のハードルが高すぎると、いろいろな人に言われました(笑)。でも、ここには狙いがあります。「青い芝の会」の人たちって、ファーストコンタクトがけっこうきついじゃないですか。


差別されてる自覚はあるか: 横田弘と青い芝の会「行動綱領」

九龍 そうなんですよ。強烈です。

荒井 でも、彼らの懐に飛び込んでみると面白かったりする。あの本のタイトルや表紙は、それを狙ってはいるんですよね。

九龍 まんまとその手にやられましたね。たぶん、ファーストコンタクトを強くしなければ、ほとんどの人が素通りしてしまう。

荒井 「愛らしく健気な障害者」としてふるまえば、社会は応援してくれたり、優しくしてくれるかもしれません。でも、「気分がいいときだけ仲間に入れてもらえる」というのは、本当の「社会参加」とは言えないんじゃないかな。

そもそも、障害者が「何かしたい」と主張したときに、それを「波風」と感じてしまうぼくらって何なんだろう? ということを考える視点を持つべきなんですよね。

障害者は社会から排除されてきた

— 障害者に限らず、マイノリティが差別について発言するときには「怒っていると伝わらない」「言い方が悪い」と注意されることがあります。ですがむしろ「青い芝の会」では障害者が社会から排除されているからこそ、強引に主張する手法をとったのですね。

荒井 花田さん(※1)の「私設秘書」という名の使いっ走りをしていたときに、ぼくは二度「息子」に間違われて、何度も「介助者」、特に専門の福祉職の人に間違われました。

※1 花田春兆:脳性マヒ者。1925年、大阪生まれ。日本初の公立肢体不自由児学校「東京市立光明学校」(現・東京都立光明特別支援学校)卒業。身体障害者による文芸同人誌「しののめ」を主宰。俳人・文筆家・障害者運動家として多方面で活躍。日本障害者協議会副代表、内閣府障害者施策推進本部参与など公職を歴任した。長らく障害者運動の業界では「長老」のような存在感を放ち、彼に影響を受けた運動家も数多い。2017年、逝去。

車いすの人がいて、隣に僕のような人間が立っていると、多くの人が「身内」か「介助者」だと判断してしまうんですね。本来、人間関係って多様なはずなので、その二人は「師匠と弟子」かもしれないし、「歳の離れた友達」かもしれない。そもそも、言葉で説明しにくい関係性というのもある。二人の人間がいたら、その間柄にはいろんな可能性があるはずなんですけど、一方が「障害者」となると、もう一方は「身内」か「福祉関係者」と、すごく限定されたかたちで見られてしまう。

九龍 「福祉」の枠の中で生活している人だと思われている。

荒井 横田さんも、障害者が「身内」か「福祉関係者」としか繫がらないような生活になりがちなのを危ぶんでいましたね。「青い芝の会」が、そのあたりのお兄さん・お姉さんを介助ボランティアとして引き入れようとしていたのも、いまから思えば、そうした問題意識があったと思うんです。普通なら一人や二人はいる「説明ができないような人間関係」を求めていたんじゃないかな。うまく説明できない人間関係って、人生のなかで必要じゃないですか。だって、素敵でしょ。多目的トイレを蹴られて生まれる出会いって。

九龍 やっぱり初めて重度の障害を持つ人を目の前にしたときに、普段見慣れていないと、どうしてもビビってしまうことはある。あるいは、自分のなかの偏見のようなものが見透かされているんじゃないかと怖くなってしまったりすることもある。

それでも、目の前にいる人と個別にコミュニケーションをしていく中で、自分なりの関わり方は自然とできてくるものだと思います。わからないことがあれば、相手に聞けばいいわけですから。そのためには、まずは接する機会がないとどうにもならない。

荒井 横田さんは、「障害者を差別するな」とは言っていますが、障害者が個人的な怨恨の対象になることは否定していません。つまり、「障害者とケンカをするな」なんて一言も言っていない。ケンカをして、「アイツのこと嫌いだ」とおもうことを差別だとは言っていない。だって「闘争」という字に「ふれあい」というルビをふったくらいですから。(※2)

※2 横田弘は著書『障害者殺しの思想 増補新装版』(現代書館)において、「障害者と健全者の関わり合い、それは、絶えることのない日常的な闘争(ふれあい)によって、初めて前進することができるのではないだろうか」と書いている。

実際、密な付き合いがないと、個人的な恨みも生まれません。衝突の機会さえ奪ってしまうのは、「やさしさ」の姿を装った隔離です。横田さんは、やさしそうな素振りをしながら、「私とあなたの居るべき世界はちがうんですよね」という人には、強烈に反発しました。

今は幼い段階から、「個人のニーズに合わせて手厚いサポートを」という名目で、障害のある子はこっち、そうじゃない子はそっち、と分けられています。それを求める人もいるので難しいところですが、幼い頃から「障害のある・なし」で分けられてしまって、「そもそも出会えない」状況になっていると思います。

「障害者と出会えない」「障害者が出会えない」という状況に危機感を持って、いまだに自力で介助ボランティアを集めて生活している「青い芝」の人もいます。「青い芝」の精神性を、まだまだ現役で受け継いでいる人もいるんですよね。

構成:山本ぽてと

<次回「危ないを理由に、障害者は当たり前の欲求すら禁じられる」は10月6日(土)更新予定>

この連載について

初回を読む
青い芝」の戦い

荒井裕樹 /九龍ジョー

「青い芝の会」。それは、脳性マヒ者による障害者運動団体です。青い芝の会は1970〜80年代に、バスジャックや座り込みなど、“過激”とも言われるような運動をおこない、「強烈な自己主張」を行ってきました。学生時代に彼ら/彼女らに出会い、と...もっと読む

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コメント

afcp_01 第2回。 " 14分前 replyretweetfavorite

YuhkaUno "マジョリティの方から気を使って、マイノリティの権利を進んで認めた事例というのを知りません。常にマイノリティからの問題提起があって、マジョリティがそれを認めていくんです。" 約2時間前 replyretweetfavorite

tamago_house https://t.co/aXo3ViuWBb 約4時間前 replyretweetfavorite

ppaaffuu https://t.co/A78JIeVr7D この記事の中の小見出し、「波風を立てないと存在自体を無視される」。これは誰もが強く意識すべき一文だ。障害者だけではない、さまざまな差別やハラスメントも声を上げねば存在を消される。声を… https://t.co/WN4VQSP59N 約10時間前 replyretweetfavorite