2003年12月10日 01時10分52秒  HPを開設した、が・・・

ホームページを開設してみた。
無職で暇だから。・・・だけどさ。
もうじき自殺せにゃいかん人間がホームページとはどうかしてるな<自分





2003年12月10日 01時53分26秒 首吊りについて

俺は今、自殺を考えている。首を吊って死のうと思う。
1年程前に木炭で死のうとしたが怖くなって途中で逃げた。
あれから1年。首吊りも充分怖いのだが(過去に2度挑戦して、いずれも怖くなって逃げた)ちゃんと練習して楽に死ねることを確認すれば、恐怖心もいくらか薄らぐのではないのだろうか。写真は俺が首吊りに使うマフラー。念のために
これにロープと、あとクローズドのタオルを使おうと思う。タオルはいいかも。
場所は山で。もう決めている場所がある。そこで死ぬ。雪が積もらないと
いいのだが・・・。






2003年12月10日 02時22分51秒 首吊りは怖い

今から4年ほど前に首吊りで死のうとしたことがある。
バイト先の仕事が上手くいかず、やけっぱちになってもう逝こうと思ったのだ。
手段は首吊り。ノウハウは、完全自殺マニュアルから学んだ。
当時はネットなんて知らなかったから、首吊りのひもの結び方が分からなくて本気で悩んだことがある。
あれこれ悩んでいたが、ある日書店でロープワークの本を見つけ、読んでみるとそこにはその名もずばり「首吊り結び」なんて結び方が、分かりやすいイラスト入りで紹介されていたから、小躍りでその本を持ってレジに向かったことがある。
その結び目を施したロープをリュックに入れて、私は家を出た。
決行場所は、とある山中。首吊りに適した、ちょうどいい感じの木があって、いざとなったらそこで死のうと半年ほど前から目をつけていた。
そして決行時刻は、人目につかない真夜中の0時過ぎに決めた。その山中へはスクーターで向かったのだが、その道中も死に対する恐怖がむくむくと上がってきて、引き返すことばかり考えていた。
しかし帰ったら、明日からまたバイトに行かねばならない。それはイヤだ。じゃあ死のう、と。
そんなふうに勇気を振り絞ってその木の元へ向かって、必死の思いで
を吊れるように、ロープを木にくくりつけたのだが、そこで困ったことが出てきた。
足場がないのだ。脚立でも積み重ねた本でも、何でもいい。そういった足場を用意することに私はまったく気がつかなかった。マヌケである。
足をついた方法、例えばドアノブの方法は、私にはどうも上手くいかなかった。
人より1.5倍はのど仏が出ているせいか、生半可な体重のかけ方では、そこに負荷がかかるだけで、肝心の椎骨動脈はまったく閉まらないのだ。
私は仕方なく、予備に持ってきていたロープを木に結んで垂らして、そこにつかまってうまく高度を得ようとした。しかし、木の枝から垂らしたたった一本のロープではうまくバランスがとれず、首吊りのわっかに頭を入れることもままならない。
ターザンみたいに、ブラブラブラブラ揺れるだけである。1分ほど頑張ってみて、ようやく頭を首吊りのわっかに通すことができた。後は、捕まっている木から垂らした一本のロープから手を離すだけ・・・・。離すだけ・・・・・。
・・・・ダメだ。できない。そんなこと、怖くて出来ない。自分の体重を、こんな高いところから、この首吊りのわっかに預けることなんて、怖くて誰が出来るか。全身を支配した恐怖心から逃れたい一心で、私は首吊りのわっかから頭を外して、その木から垂らした一本のロープをつたって、地面に降りた。
木にくくりつけたロープを無造作にハサミで切って、ぐしゃぐしゃになったロープを木の根元に空いていたすき間に突っ込んで、その場を足早に立ち去った。
その帰り道、「俺はまだ死ねんわ」「俺はまだ死ねんわ」と何度も繰り返しつぶやきながら、森に面した道路に置いておいたスクーターに辿り着いて帰路についた。
あの恐怖は、暖かい家の中で想像していたものとは、まったく異質のものだった。






2003年12月10日 15時43分21秒

今日も昼過ぎに目が覚めた。
寝たのは明け方の5時頃。
こんな生活を、もう1年弱ほど続けている。俗に言う「ひきこもり」というやつだ。
28歳成年男子として、人生終わってますな。
本来なら、バイトでもして家に生活費を入れなければいけないのだが、それすら怠っている。
うちの親はどうも辛抱強いようで、ここ1年で怒られたのは、半年ほど前に母親にこっぴどく叱られた時くらいのものだ。
さすがにその時は
もう家を出てあの山へ死ににいこうと思ったが、まぁ、和解というか、家を出なくて済んだ。もし今、家を出なくてはいけない状況に追い込まれたら、死ぬしか道はないだろう。
つか物理的に無理だ。独りで食ってけねぇもん。
自殺は確かに悲惨な人生の末路かもしれないが、それをいつ行うかによってその凄惨の度合いもまた変わってくると思う。
例えば借金に追い詰められて追い詰められて追い詰められて、その挙げ句に自殺を遂げるのと、今の俺みたいにまだ極限までには追い詰められていない状況で、自殺するのとではまるで違う。
追い詰められた期間が長い分だけ、前者は損だ。
今の俺みたいに本当の凄惨を味わっていない者でも、自殺を遂げるのは可能だと思う。
「死ぬ、死ぬ」という奴に限って自殺しないとよく言われる。
確かにその通りだと思うが(振り返ってみると結果的に俺がそうなってるから)、自殺は精神の死で
ある前に、肉体の死であるわけだから、たとえ死への希求が微弱なものでも、肉体が、脳が死ぬように上手く仕掛けを施して、それに上手くかかってしまえば、人は充分に自分を殺せると思う。
精神はきっかけに過ぎないのだ。

アニメの「幽遊白書」の再放送が始まるのでちと失礼。




2003年12月10日 19時11分30秒

ちょっと風邪を引いた。風邪の引き始めというのは独特の感覚があるからすぐ分かるね。
あぁ~、来たなって感じ。
バイトしてて金もあった頃は、ユンケルと小児用のジキニンを飲み合わせてしのいでいたが(これはホントに
効く。体で実感して効くのが分かるので、プラシーボ効果ばかりでもないと思う)
無職の今は、それすらままならない。恥ずかしい話だが、今の自分の全財産は一万円にも満たない。
今、財布に入ってる現金4000円とI-PAT(ネットで買える馬券投票システム)の銀行口座に4000円入ってるだけ。しかもその金は、元は親からもらったものなのだ。
終わってるでしょう。
さっき、風邪薬を飲んだのであとしばらくしたら眠くなるだろう。暖かい家の中にいるありがたみというのは、病気になった時初めてわかるんじゃないかな。
病気つーてもたかが風邪の引き始めだが、ホームレスのおじさんにとってはそれが命取りになることだってある。年配の方ならなおさらだろう。そうなった場合、最後は肺炎を起こして死んでしまうと思うのだが、やっぱり辛いのかな。
公園のベンチで、新聞紙にくるまってゴホゴホとセキをする・・・未来の自分の姿だね。
俺なんか、テントの陣地争いも、空き缶拾いもロクにやれないだろう。
そうなる前に、暖かい家屋の中にいられるうちに死ぬことが、きっと最良の選択なのだと思う。




2003年12月10日 20時59分43秒

この日記が、私にとって生まれて初めて立てたサイトになるわけだが、いろいろやってみるのがすごく面白い。やはりYahoo!geocitiesのHP作成システムが、初心者向けに丁寧に作られているからだと思う。こんな私でも、一応ではあるけどホームページを作れるのだから驚きだ。
初めはメールの表示をどうやってやったらいいのか分からなかったが、さっき余所様のサイトのソースを参考にして、HTMLタグを自分のメールアドレスに変えてみたら、ちゃんと上手くできてホッとした。
あとさっき、readme!JAPANというところに登録してみたら、これも上手くいった。これで読んでくれる人
増えると嬉しいなぁ。
それにしても私はなぜ、読んでくれる人を増やそうとしているのだろう。もうすぐ死ぬんちゃうの?なにやってんの?ーーー心の底から、自分の声がそう聞こえる。でも、答えはもう出てるよね。寂しいからだよ。
人と、少しでもつながりを持ちたいからなんだ。このサイトのトップページを見たとき、カウンターがたくさん回っていると、アドレナリンがドクドク出る。
自分みたいな人間の書いた文章が人様に読んでもらってると思うだけで興奮する。
この日記が、自分以外誰も読まないシークレットなものなら、デスクトップにあるテキスト文書にでも書くよ。やっぱり人に注目されたいんだ。内向的でも、本質的には目立ちたがり屋なんだね。

ホームページの技術的?な話になるけど、これって本当に不思議ですね。
だって、たとえば文字の色を自由に変えられるでしょう?赤なら「red」青なら「blue」そう入力して、それで色が変わるということは、コンピューターがその文字を認識しているわけでしょう?人間の言葉を。文字を。笑われるかもしれないけど、PC素人にとっては、それがすごく衝撃的でした。

風邪薬が少しづつ効いてきた。今夜はよく眠れそうだ。夜眠るとき、夏目漱石の「行人」のラストを思い出すことがある。

「兄さんがこの眠から永久覚めなかったらさぞ幸福だろうという気が何処かでします。同時に兄さんがこの眠から永久覚めなかったらさぞ悲しいだろうという気も何処かでします」

幸福に決まっている。




2003年12月11日 10時32分20秒

今日は、朝8時半に目が覚めた。
朝早くに目が覚めるのは、人間の生活サイクルとして正しいことだと思うが、俺みたいな引きこもりにとってはあまりイイことではない。何がイヤだって、近所の住民の声が聞こえるのがイヤだ。怖い。
30手前の引きこもりの自分の陰口を叩かれてるんじゃないかって思うだけで身の毛がよだつ。
せめて外に出て時間を潰せるといいのだが、何しろ金がないのでどこにも行けない。
自転車は持ってるが、外に行くとき、ご近所さんに顔を見られるのがたまらなくイヤだ。
それに、たとえ外に出たとしてもどこに行けばいい?公園か?公園で何するの。ベンチに座ってるだけなんて寒いだけだし、やることもないだろう。持って5分だ。
それじゃあ図書館はどうだ?いや、あそこはダメだ。思ったより時間を潰せない。最初の30分は集中して本を読めるのだが、それを過ぎるともうダメ。雪崩れのようにコンセントレーションが崩壊してしまう。あれは何なんだろう。家だと、結構集中して本読めるのにね。昔はよく図書館で本を借りていたが、今はもうまったくしなくなった。本を読む気力も失せてしまったのだろう。
正直、ネットだけが生きがいだ。他にやることといったら、競馬の予想くらいか。とにかくやることがない。暇で死にそうだ。
ここで「働く」という選択肢が出てこない時点で、社会人失格の烙印が容赦なく押せますな。

今日はいったい何をすればいいんだろう。・・・・・あ、ひとつだけ、することあった。

首吊りの練習だ。
タオルで練習しようと思っていたが、なかなか腰が上がらずにやらずじまいだった。でも今日ならできる。だって、他にすることねぇもん。




2003年12月11日 20時04分23秒

実はネットの料金を滞納している。
プロバイダはYBBで、決算はネットバンクの口座から引き落とす形にしているのだが、そのネットバンクの口座に金がないのだ。調べたら900円あまりしか金がなかった。おそらく明日あたり、請求の通知が郵便でくるだろう。前にも一度もらったことがある。請求額は先月の未払い分と、今月の支払い分とで6000円あまり。
前にも書いたが、俺の全財産は8000円なので(写真はそのうちの4000円あまり)、それを払うとものすごく痛い。というか、死地におもむくガソリン代がなくなってしまう。厳密に言えば、2000円あれば足りるが、そこまでして生き延びても、何の解決にもなりゃしない。ネット代の請求は来月またくるのだから。
ネット中毒の俺にとって、ネットが止められることは死活問題だ。何しろネットが止められたらやることがなくなってしまう。1年弱の引きこもりで、何とか精神の均衡が保てたのも、インターネットのおかげだと思っている。もしネットがなければ、あまりの暇さに発狂していただろう。
 
では今月来る6000円の支払いをどうするか。
それはもう、今週の競馬を当てるしかないでしょう。今、I-PAT(ネット馬券投票)の口座に4000円ほどある。これを何とか、1円でも多く増やしたい。むろん全額賭けると来週以降の馬券が買えなくなるから自重しなくてはいけないのだが、あまり低すぎるとリターンが低くなるから困る。やはり問題は、いつネットが止められるかということだろう。未払いでいつまで粘れるのか・・・。
もうちょっと待ってほしい。これが本音である。・・・情けなー。

今日は結局、前の書き込みからすぐに昼寝をしてしまった。
起きたのは夕方の5時半。どうやら毎日楽しみにしている『幽遊白書』の再放送を見逃してしまったようである。グーグルで調べてみたら『第061話 宿命の対決!嵐の大将戦開始』を見逃してしまったようだ。前に再放送で何度か見たことあるので、脳内補完しておくか・・・。我が東海地方は、なぜか『幽遊白書』の再放送を多くやる地域なのである。担当の方が好きなんでしょうね。以前は『ハイスクール奇面組』が多くやっていた。どちらも俺が中学~高校の頃にやってた漫画で、リアルタイムで読んでいたからとても感慨深いものがある。

今夜はおそらく明け方の4時くらいに眠くなるだろう。正しく言えば、それくらい時間が経たないと眠れないといったところか。『寝逃げ』をしたくなるほど憂鬱ではないのが、今の救いである。今夜こそは、クローズドタオルで練習するぞ!
こうやって書いとけば怠けずに済むからありがたいと思う。それでは。






2003年12月12日 18時48分30秒

今日も、夕方の4時過ぎに起きた。
まともな社会生活を送っている方々にはご理解頂けないと思うが、引きこもりの俺は、夕方、あるいは夜に起きるとすごくホッとする。引きこもりの何が辛いって、一般社会がもっとも活発に機能している平日の昼間に、何もしないで起きていることだ。夜には夜の社会が、休日には休日の仕事があるとは思うが、一般的には平日の昼間だろう。その時間帯に、働かないで、部屋でインターネットなんかやってると、何とも言えない寒々とした気分になる。あの独特の冷気は、引きこもりにしか分からないだろう。悪寒といってもいい。
逆に、夜、あるいは土日の休日なんかになると、引きこもりの俺は元気になる。
社会の空気が、平日のピリピリした空気から、ほんわかした緩んだものになるのが肌で感じられるからだ。まぁ、ただの思い込みなんだけど、こんなことで元気になれるのだから、人間の脳はよく出来ていると思う。学生の頃、あるいはバイトをしていた頃に味わった土日の感覚を、こうして引きこもりになった今でも覚えているということだから。
そして世間一般の人間にとっては、日曜日の夜は、何とも言えない憂鬱なひと時を味わう時間帯だと思うが、不思議なことにそれは引きこもりの自分にとっても同じことなのだ。何だ、お前、働かないでブラブラしているんだから、月曜日が来ることなんか怖くないだろ、毎日が日曜日なんだから。
ーーーそう思われるかも知れないが、それはまったく違う。俺みたいな引きこもりでも、月曜日がくるのが怖くて仕方ないのだ。なぜなら、月曜日の朝や昼は、あの平日のピリピリした空気を最も多く感じる時間帯だから。もう、木曜日や金曜日のそれとはまったく違う、ネットをしてても、あの悪寒から逃れることはできない。それから逃れる術は、睡眠しか俺は知らない。俗に言う『サザエさんシンドローム』というあの憂鬱感が、明後日には確実にくることを考えると、そのことでまた憂鬱になってしまう。働いてる人から見たら、図々しい、バカヤローだって思われるかもしれないが・・・。
ま、自分でも図々しい、何様だ、とは思うけどね。こいつ、死ななきゃダメだと思う。

昨日は、結局練習は出来なかった。だらだらだらだらネットをやってただけ・・・。何やってるんだろう、自分。
死ぬ気力もないのか。死ぬ準備する気力もないのか。練習だけでもしなくてはいけないのだが、それを考えるだけで何故か眠くなる。自分の一番、悪い癖なのだが、今楽しいと思えることしかやろうとしないんだね。ちょっとでも辛いことや面倒なことがあるとすぐ逃げる。回避性人格障害という奴なのかもしれないが、それを免罪符にして生きる気は自分には毛頭ない。根性無しなら根性無しで、せめて自分を片付ける算段は自分で取れよ!

明日は競馬だ。競馬のことを考えていると、すごく救われる。競馬には、ギャンブルとしての嗜好性と、馬の血統について思考する楽しさの両面があると思う。
前者のギャンブル性だが、これはパチンコなどに比べると、競馬は俺のような貧乏人にも優しいギャンブルだと思う。何しろ1レース100円単位で楽しめるのだ。実際は、もう少し数多く買うのだが、それでも額は全然低いと思う。俺は今、2ちゃんねるの競馬板のコテハン予想大会にこの名前で出ているが、これがまたすごく面白い。そこでの購入額はルールで1万円と決まっているが、実際に使うのは500円までと決めている。
今の成績(http://gamble2.2ch.net/test/read.cgi/keiba/1070573244/80)はあまり良くないが、それでもやっぱり、競馬予想を通じて、また、実際に買ってる馬券の買い目を通じて、他の人たちとしのぎを削れるのは、自分にとってはすごく面白いことだ。今の自分にとっては最高の娯楽と言ってもいい。何で楽しいかって言うと、やっぱり他の人たちと触れあえるからだね。自分ひとりで黙々とやってるんなら、面白くもなんともないだろう。つまんないと思うよ。この日記だってそうだ。人が見てくれると思うから書くのが面白いんであって、そうじゃなかったら続ける動機は何もない。他人様のおかげなんだね。俺は友達ひとりもいないクズだけど、それくらいの道理は分かるつもりだ。

ずいぶん、長くなってしまった。申し訳ない。
夕食を食べてきます。それでは。




2003年12月13日 15時21分41秒

今日は昼過ぎの3時に起きた。
ずいぶん寝覚めが良かった。いつもより気温が暖かいおかげだろう。
当方、名古屋住まいだが、ここのところめっきり寒くなった。師走なのだから当たり前と言えば当たり前だが、寒さに弱い自分にはこたえる。それでも、東北や北海道に比べれば、名古屋はずいぶん暖かいほうなのだろう。NHKの夜10時の天気予報を見てそう思う。北見というところの地域の気温の低さを見ると、こちらが暖かく感じてしまうから不思議だ。北見3℃。

今日は競馬のある日。中日新聞杯という、我が愛知県にある競馬場『中京競馬場』で行われる重賞レースだ。もう馬券は購入した。
複勝ニシノシタンに200円、同じく複勝フラワーチャンプに100円、またまた複勝でマイティスピードに100円、と競馬をやる人には分かるであろう、チキンな馬券の買い方である。ちなみに『複勝』とは、その馬が、3着以内に入れば勝ち、という、すべての馬券の中でもっとも当てやすい馬券のことです。

それでは、テレビでレースを見てきます。




2003年12月13日 15時39分40秒

今さっき『中日新聞杯』が終わった。
結果は、ハズレだった。残念だ。

さて、気を取り直して、阪神の最終レースを予想する。
俺は馬券を買う日は必ず、その日最後に行われるレースを買うことにしているが、これがなかなか当たらない。ここ1ヶ月ほど、2ちゃんねるの実況スポーツ板にあるレーススレに買い目を書いているが、これがまた当たらない。最近は当たらない貧乏神としての名称『逆神』とまで呼ばれている始末である。今日は、なんとか当てて、気分よく明日を迎えたいものである。

実況板にあるレーススレ

★☆ 阪神12Rはナイスハンドで堅い ☆★

この馬の複勝を100円だけ買いました。それでは。




2003年12月13日 18時07分38秒

結局、今日の競馬の収支はトントンだった。
阪神最終レースのナイスハンド号が健闘してくれたおかげだ。
写真は今のI-PATの口座の残高。人によっては、これが瀕死の残高に見えるだろうが、俺にはこれが豊富な残高に見えるから不思議だ。4800円あれば、10レースは勝負できる自信がある。金使わないだけなんだけど。

さっき、サイトのトップにリンクを貼ってみた。グーグルで、「ホームページ作成」「リンクの貼り方」と入力して検索してみたらやり方が載っていたので、そのとおりにやってみたら上手くできた。まだひとつもないけど、これで知り合いが増えたらいいなぁと思う。このサイト自身そんなに長くは続かないだろうし、また、続いてもいかんと思うが、これくらいはいいよね、うん。

それにしても、ホームページを作る作業は、本当に面白いと思う。もう少し早く知っておけばよかった、と今、後悔している。ただ早く知ってても、自分には人様に公開するだけのコンテンツを作る能力がまるでないのが悲しい。絵も描けないし音楽も作れないし、写真を載せる子供の存在もいない。
あるとすれば、自分の底辺の生活や引きこもりの考え方なんかを読んでもらうことくらいだ。引きこもりの考え方なんて言ったら図々しいかもしれないけど、「あ~、下には下がいるなぁ」とか「自分だけじゃなかったんだ」とか、そういう楽しみ方というか、読む人の暇つぶしになってもらえたらいいなと思ってる。
それにしても、特異能力を持った人がホームページを作ると本当に楽しいんだろうな。鬼に金棒というか、リンク先バンバン増やして、掲示板にも書き込みがあって、まるで自分の箱庭を育てていくような楽しさがあるんじゃないか。うらやましいな。ま、無い袖は振れないので、キッパリと諦めることにする。

これからちょっと、夕飯を食べてドライブに行ってくる。
本当はガソリン代も余裕がないんだけど、1000円ぶんだけ入れれば余裕で往復できる。そういう距離に、あの場所はある。自分が死ぬ、あの場所は。
こんなふうに浪費してるから、プロバ代を滞納するんだね。
働かないのが一番悪いんだけど。どうしようもねぇな、自分。






2003年12月15日 13時19分32秒

今日は昼の12時に起きた。昨日は日記をつけるのをサボッてしまった。
昨日は昼の2時頃まで起きていたのだが、それからどうやら眠りに落ちてしまったようだ。目が覚めたのはその日の夜8時過ぎだったが、それからどうも精神状態があまりよろしくない。抑うつがひどく、何もやる気が起きない。ありがたい事にこの日記のおかげで何通かメールを頂いたが、その返事を出すことすらままならない。メールをくれた方々には誠に申し訳ない。
この抑うつ独特の精神状態は、何とも言えない不快感がある。うつのドン底にどこまでもどこまでも落ちていく感じ。これは、薬の作用でかなりカバーできるのだが、今はその薬も切れてしまった。私は『ゾロフト』というSSRI系の薬を、今のように落ち込んだ時だけ服用していたのだが、その薬ももうずいぶん前に使い切ってしまった。それにしてもあの薬は素晴らしかった。速く効いて効果も申しぶんなかったし、1錠の内、5分の1程度をハサミで切り取るくらいの用量で済んだから、コストパフォーマンスもかなり良かったと思う。副作用は少々の吐き気くらいで済んだし。あの薬を飲むと、ドン底に落ちていく自分の精神を、柔らかいネットでふわっと包み込むような感じで受け止めてくれた。人間の精神作用が、脳内物質によっていかに成り立っているかを体で感じとることができた。今はもう、その薬もないので、ただただじっと耐えるだけである。

今日、ヤフーから請求書が郵便で届いた(写真)。
請求料金は6300円。そんなお金どこにもありません。
支払期日は12月27日(土)まで。有馬記念まで待ってください。ダメか。
参ったな・・・。

名古屋では今年まだ一度も雪が降ってないが、最近とみに寒いから、もうじき降るのかも。子供の頃は雪が降るのが待ち遠しかったが、もうそういうワクワクする心は失ってしまった。年はとりたくないな。






2003年12月15日 22時59分21秒

今夜は久しぶりに首吊りの練習をしてみた。
まず素材のタオルだが、まぁよくもなければ悪くもないだろう。
よく刑務所の中でタオルで首を吊って死んだなどという話を聞くが、よく死ねたなぁと不思議でしかたない。俺はバスタオル一本で試したのだが、長さが圧倒的に足りないのだ。首に巻きつけてコマ結びみたいにしてもう一方を支柱に結びつける。これをやるのは最低でもバスタオル2本分の長さがいるだろう。いや、もっと必要かもしれない。バスタオルを首に巻いてもらえばわかるが、首に巻くと生地がもちもちして面積をとるから、相当の長さを必要とする。タオルを縦に2つに裂けばタオルの幅も狭くなり、そのもちもち感もなくなってスマートになるので長さも得られるが、そういうふうにタオルを加工して首を吊ったという話は聞いたことがない。やはり2本以上のタオルを結んで足りない分はシャツか何かで補強したのだろうか。まぁ、バスタオルはちょっとやめにして、マフラーで吊ってみたら、こちらのほうがやはりイイ感じだった。ロープを結びつける支柱は、机に打ち込んで少し頭を浮かせたネジを使っている。そこにロープを引っ掛けて首吊りの練習をしているのだが、当然足はついており、お尻も着くか着かないかくらいなので、完全にぶら下がる方法に比べたら、体重の掛かり方は全然弱いほうだろう。この方法だと、意識を失う気配はまったくうかがえず、首が痛いだけなので、首吊りという方法に疑問を持ったことも少なくない。しかし物理的に首吊りで死ねないはずはなく、足や尻をついた状態で首を吊って死ぬ人も毎年大勢いると思われるから、自分のやり方がどこかおかしいのかもしれない。その一つに自分の体重が軽いということが挙げられるだろう。今年に入ってまだ一度も体重を量っていないのだが、おそらく今は45~50キロくらいのはずだ。身長168センチから換算すると「やせ過ぎ」ということになる。これでは首に充分な圧力がかからず、足をついた状態でやっても苦しいだけだと思われる。軽量の人で足や尻をついて死んだ人は、意識が遠のくまでどうやってこらえたんだろうか。
俺は極端にのど仏が出っ張っていることもあって、とてもじゃないが失神する所まで至らずにいる。ただ頭にカーッと血が上って、さらにそこから体重をかけて首を締めると、マフラーがのど仏に食い込んで「おえっ」となる。まぁこれは対策済みなので、後は体重のかけ方だけなのだが、完全にぶら下がる方式で一気にやってしまう勇気は、今のところない・・・・。完全にぶら下がって死んだ人は、どこからそんな勇気を持ってきたんだろうか。とてもじゃないが、首に縄を預けて、その状態で荷台を蹴っ飛ばすなんてことは、生半可な覚悟ではできないと思う。相当の思い切りか、よっぽど追い詰められてる理由がないとできないだろう。俺は引きこもりで、まだ火急の難があるわけでもないから、よっぽど思い切ってやらないと死ねないような気がする。もし自分が追い詰められるとしたら、親とケンカして家を追い出されるか、あるいは両親が死んでいなくなった時だろう。情けない話だが、自分の命は完全に親によって支えられている。衣食住を完全に親に依存しているわけだから、その親とのトラブルが、自分にとって最大の死活問題であることは当たり前のことであると言える。しかしそうなってから死ぬのでは遅すぎるので、今こうして比較的、安泰に暮らしている今この時こそ、自分の命にけじめをつけることが最良の選択だと思うが、その勇気をどこから持ってくるか。・・・・ホント、どうしよう。いざとなったら、逃げるんだよね、俺。今まで、そうやってきたから。いざ死のうととなった段階で、すべて逃げてきたから。そんな逃げたのなんか、未遂のうちに入らないよね。OD(薬の過剰摂取)で病院に運ばれた人なんか尊敬に値するよ。俺なんか、5、6年前だったかな、車で山に行って、その車中でアタラックスP300錠分の粉末をヨーグルトに混ぜて飲もうとしたけど、ひと口ふた口食べたところで怖くなってすぐ逃げたもん。情けないね。やってたら失敗してたとは思うけど。

死に対する防衛本能が強いことは、種の保存という観点から見れば尊いことだと思うが、今の俺にとってはすごく邪魔だ。死ぬことに対して、いくらなんでもビビりすぎだろう。今年の日本国内の自殺者も3万人を超えているのだろうけど、ちゃんとそれだけの数が出てるんだから。
日本の3万人以上の人間に出来て、俺にできんはずはない。
なんとか、俺もその3万人超の中に入りたいと思う。頑張れ、自分。