1969年1月30日、サスカチュワン州バッファロー・ナロウズでの出来事である。この地に赴任するカトリック教会の神父、アンドレ・ダーシュは未明の午前3時20分に電話のベルで起された。はて、こんな時間に何事ぞと受話器を取ると、電話の主はフレデリック・モーゼス・マッカラム(19)というメティ(白人とネイティヴ・アメリカンの混血)の若者だった。どうしたんだねと問いただせども、もごもごしていて要領を得ない。
「用件をはっきり云いなさい」
「いや、その、実は神父さんに見て貰いたいものがありまして…」
「こんな時間にかね? 夜が明けてからでは駄目なのかね?」
「それがその…駄目なんです。至急来て頂きたいんです」
「具体的なことを教えてくれなければ行けないね」
「はあ、そうですか…。あのですね、実は人を殺してしまいまして…」
「人を殺した!?」
「ですので、葬儀を執り行って頂きたいと思いまして…」
いやはや、この依頼は論外である。神父が直ちに通報したことは云うまでもない。
マッカラムが指定した住所に警察が到着した時には、以下の7人が既に事切れていた。
トーマス・ペダーソン(32)
バーナデット・ペダーソン(トーマスの妻)
グレイス・ペダーソン(8・三女)
ロバート・ペダーソン(5・次男)
リチャード・ペダーソン(4・三男)
ローダ・ペダーソン(2・四女)
ジャン=バティスト・ハーマン(客人)
いずれも睡眠中に斧で頭を叩き割られていた。長男のフレデリック・ペダーソン(7)もまた一撃を喰らっていたが、彼だけは幸いにも一命を取り留めている。また、長女と次女はたまたま外泊していたために難を逃れた。
動機については全く判らなかった。いくら問いただせども、もごもごするばかりなのだ。当人にも何故に殺したのかよく判らないようだ。結局、マッカラムは精神異常と認定されて無罪となり、精神医療施設に収容された。
(2011年5月28日/岸田裁月) |