「ドラクエ史観」という病が日本のゲームマスコミにはある。
『ドラゴンクエスト』シリーズがあまりに偉大な国民的ゲームになってしまったため、「ドラゴンクエストが日本のRPGを作った」とか言い出す病の事である。
前にも書いたが、海外RPGで『ウルティマ』シリーズや『ウィザードリィ』シリーズがあって、そこからいきなり『ドラゴンクエスト』が現れてヒットし、日本のRPGの夜明けがきた!
こう思い込んでいる人がやたら多いんである。
ユーザーレベルならともかく、ゲームマスコミやゲームライターたち、つまりお金を貰ってゲーム記事を描いているような人たちまでもが、そんな今さら司馬遼太郎ソースで織田信長について語ってしまうような事を平気でしているのが、今のゲーム業界なのだ。
ふざけるでない。
そもそも日本のRPGは、まずパソコンゲームとして『ウルティマ』や『ウィザードリィ』に触発されて生まれた国産RPGが存在する。
『ドラゴンスレイヤー』や『ハイドライド』(ちなみにヒット作として挙げてる、もっと古い国産RPGもあるがジャンルの普及という意味では、ヒット作から話を始める)や『ザナドゥ』や『夢幻の心臓』や『夢幻の心臓Ⅱ』(注・筆者は『夢幻の心臓Ⅱ』信者である)がヒットし、日本のクリエイターやゲームライターやユーザーたちを含めた市場が育ち、そして成熟していたのだ。
だからこそファミコンでRPG『ドラゴンクエスト』がヒットしたわけであり、そこから『ファイナルファンタジー』などのJRPGが育まれていったのだ。
なぜ、国産RPGの歴史を語るに当たって国産パソコンゲームの話を抜くのか?
描いたとしても軽んじた書き方をするのか?
それがどうも私の鬱病特有の被害妄想ではない証拠に、こんな記事を見つけた。
>『ウルティマ』シリーズの初期には3Dダンジョンはあったが、『ウルティマIII』(オリジン・1983)では2Dマップだけに絞り込まれていた。
そもそも『ウルティマⅢ』のダンジョンは2Dマップじゃねえし、3Dマップだし、それファミコン版『ウルティマⅢ 恐怖のエクソダス』しかやってねえで書いてるだろ。
【追記・『恐怖のエクソダス』も3Dだったと指摘がありました。じゃあ、なにこれー?】
という根本的な誤りはまあ、置くとして。
RPGへの逆風って、なに?
国内RPG史の「苦闘」の歴史って、なに?
そもそも論として、国内のRPGが「逆風」や「苦闘」していたら、ファミコンでRPGの企画がパソコンゲームメーカーとしても古いエニックスであっても通るわけがなかったし、『ドラゴンクエスト』発売日である1986年(昭和61年)5月27日までに、ログイン、コンプティーク、ポプコム、テクノポリスなどのパソコンゲーム誌では何度となくRPG特集が組まれていたし、すでに『ザナドゥ』、『ハイドライドⅡ』、『夢幻の心臓Ⅱ』など、「人気RPGの”続編”」が売り上げランキングを独占していたのである。
以下、証明、1986年5月号のログインのSOFTランキングである。
すでに『ザナドゥ』が三ヶ月連続でランク1位で、『ハイドライドⅡ』が万年二位伝説を作っている途中だ。
当時のことを覚えているゲーマーなら、1985-1986年という年は、日本のパソコンRPGがヒートアップして、どこもかしこもRPGを作っていたという記憶がある筈だ。
だからこそ、「ファミコンでもRPGがやりたい」とユーザーもクリエイターもゲームマスコミも希求していたわけだし、悪い意味で有名な1985年12月14日発売の『頭脳戦艦ガル』も「スクロール・ロールプレイングゲーム」という無理矢理なジャンルで発売したのである。
また、RPG的作品としてゲームセンターでは1985年一月リリースの『ドラゴンバスター』が人気であったし、ファミコンでは1985年8月6日に『ドルアーガの塔』が発売されて大ヒットしていた。余談だが、アスキーで出した攻略本、『ドルアーガの塔のすべてがわかる本』が60万部の超ヒット作となり、これが攻略本ビジネスと『ファミコン通信』独立の大きな契機となった。
当時の日本はRPGが「苦戦」や「苦闘」しているどころか、完全に供給不足であり、ゲーム業界は猫も杓子もRPGに浮かれ踊っていた時期なんである。
そんな時期にエニックスが『ドラゴンクエスト』を、当時『スーパーマリオ』によって爆発的な人気機種であったファミリーコンコンピュータで発売して、その出来がよかったからヒットした(とは言っても中ヒットぐらいで、後に国民的シリーズとなるのはⅡやⅢ以降である)のである。
これのどこが「苦戦」で「苦闘」なのだ?
それにしても腹が立つのが、このライター多根清史さんのエアプである。
多根清史さんはクソゲーハンターの頃から存じ上げており、それなりに交流もあった人だが、パソコンゲームについてはエアプでしかむないと言わせてもらいたい。
だが、『夢幻の心臓』シリーズは、PC用CRPGの覇権を取れなかった。
覇権もクソも『ザナドゥ』と『ハイドライドⅡ』が超絶ロングランで人気すぎて隠れていただけだし、発売当時は人気ランキング上位にあったし、1985年のログインやポプコムでは連載攻略記事や特集が組まれまくっていたんですが?
当時のパソコンゲーマーは三大国産RPGシリーズとして『ドラゴンスレイヤー』と『ハイドライド』と『夢幻の心臓』を挙げるぐらいに人気でしたよ?
その理由の一つとして、「情報量のコントロール」という壁が立ちはだかっていたことがある。原典の『ウルティマ』や『ウィザードリィ』にあった情報量を一つ一つ持ってくるだけでも、CRPGの蓄積がなかった日本では至難の業だ。
ちょっと待て?
1985年当時、『夢幻の心臓Ⅱ』のパラメータとUIはめっちゃ簡単だったんだが?
そもそも、『夢幻の心臓Ⅱ』の人気の理由は「操作が簡単」だったからであり、『夢幻の心臓Ⅱ』をエアプでなくプレーしているユーザーなら、
スペースキー押しっぱでレベル上げができる
というユーザーフレンドリーさを知っているはずなんだが?
ましてニコイチにすれば、複雑さも2乗になる。二大CRPGが別々のパッケージとして棲み分けていたのは、2Dマップの「冒険」か、3Dダンジョンの「戦闘」か、どちらかに特化しないと複雑すぎるからという面もある。実際、『ウルティマ』シリーズの初期には3Dダンジョンはあったが、『ウルティマIII』(オリジン・1983)では2Dマップだけに絞り込まれていた。
言うのもバカバカしいが『夢幻の心臓Ⅱ』は2Dマップ。
【追記・『夢幻の心臓』は3Dマップ】
つまり、『夢幻の心臓』は欲張りすぎ、詰め込みすぎたのだ。『夢幻の心臓』シリーズの画面構成は、当時のハード環境ではやむを得ない面がある。細かく区切られた画面は、戦闘のたびに表示を切り替えれば、当時のPCのスペックでは遅くてストレスが溜まるだろう。実際に遊べば面白い。しかし、第一印象は画面がちまちましてビジュアル栄えしない。「売れるゲームはビジュアルが優れている」という競争原理に乗れなかったのだ【※】。
は?
エアプもいいかげんにしろよ?
「当時のPCのスペックでは遅くてストレスが溜まるだろう。」
これログインの編集者である金井哲夫氏が『夢幻の心臓』を遊んで「グラフィックの読み込みが遅い」って紙面で叩いたため、『夢幻の心臓Ⅱ』では、徹底的にグラフィックの高速化を図って、全部マシン語でプログラムして当時の88ではびっくりするほどの瞬速グラフィック表示になったんだが?
そして、あえて苦言を呈した金井哲夫氏に敬意を評して『夢幻の心臓Ⅱ』ではエクセリオで多々で雇える魔術師として、最初から全部の呪文が使える超有能魔術師として『カナイ』が登場するって泣けるエピソードまであったんだぞ?
【追記・カナイは全部の魔法覚えてなかった、失礼】
【追記・>あえて苦言を呈した金井哲夫氏
金井哲夫さんは遅いと不評だった初代『夢幻の心臓』をおもしろいと絶賛し、富さんが「金井さんてええひとや」と感激して『Ⅱ』での登場となったのです。この一件は一部の読者に「メーカーと慣れ合っている」と批判的に受け止められました。】
ちなみに当時の『夢幻の心臓Ⅱ』のモンスターグラフィックは秀逸だったし、当時のファンタジーゲームのビジュアルに影響与えてるんだぞ?
エアプで与太もいい加減にしてほしい。
あと、この記事のエアプ風評被害は『ザナドゥ』にも及んでいる。
この後の連載、
理由は、その独特すぎるシステムにある。
『ザナドゥ』は「すべてのリソースが有限」である。『ドルアーガの塔』で、「アクションRPGの成長=プレイヤーが利用できるリソースが増えていくこと」と定義したが、このゲームのリソースには限りがある。モンスターの数もアイテムの総数も決まっていて、無限にわいたりしないのだ。
そのリソースを、主人公は割り振りしないといけない。武器で倒せば戦士レベルが、魔法で倒せば魔道士レベルが上がるが、どちらかに偏るとのちのち困る。そして武器・防具・アイテムにはすべて「熟練度」というパラメータがあり、使えば使うほど強くなる。が、武器で倒せばそれだけモンスターが減り、後で取った強力な武器が育てられない。防具は攻撃を受ければいいのでモンスターは減らないが、もちろん体力は減る。体力を回復するポーションを買うにはカネがかかるし、自然回復もできるが時間がかかる。すると食糧が減って、結局のところ食糧を買うカネが……。何から何まで「リソースの管理」がついて回るのだ。
当時リアルタイムで『ザナドゥ』を自力で解いたんですが怒っていいですか?
『ザナドゥ』のリソースが有限だなんて普通にクリアしていたユーザー意識してねーよ!
そもそも有限のリソースでやりくりしなきゃらんようなゲームが、なんで当時数十万円もしたパソコンのゲーム市場40万本の超ヒットになるんだよっ!
そんなキツキツバランスのゲームが人気になるわけもないし、そんなゲームだったら当時のゲーマーやレビュアーから叩かれとるわ!
『ザナドゥ』で詰まるといったら「カルマ」が溜まってレベルアップができないところであって、これはゲームで「倒していけない敵」を避けていればたまらなくなるのを学習する。
普通にプレーして「レベルアップしたら次のステージに行く」という事を繰り返していれば、余程の詰めプレーや廃プレーをしていない限りモンスターを狩り尽くすなんてことはないんである。
現に私が『ザナドゥ』をクリアした時は、レベル10の敵が強すぎてほとんど戦わずにレベル10の敵を丸残しで攻略している。あとレベル5あたりから経験値やアイテムのインフレによって、レベル6-8はだいたい適当に倒して進んでいた。
そもそも、レベル7のマップなんて、いちいち全部敵を倒す方が面倒くさいんである。
明らかにエアプ。
後の『ザナドゥ』のリメイクやプレイ動画などで、「詰めプレイ」などが推奨されていたから、『ザナドゥ』の有限なリソースが問題になったのであって、
そもそも、『ザナドゥ』は有限のリソースをやりくりするようなゲームバランスにはなっていない
だからヒットしたのであり、みんなが称賛したのだ。
まあ、少し話は逸れたが、商業媒体でコンシューマーゲームを語る時に、こんな「エアプ記事」を書いたら袋叩きであろう。
それがパソコンゲームなら許される。
さらに『ドラゴンクエスト』を称賛したいがために、1986年時点でクリエイターもユーザーもゲーム雑誌も市場全体がRPGを知っていて、それを希求していたという事を無視するのは歴史修正主義に近い暴挙である。
確かに『ドラゴンクエスト』シリーズは素晴らしいが、「ゲームの進化」という点で見た場合は、「非常に当時としてオーソドックスなRPG」であり、堀井雄二氏がやらなくても、誰かがつくっていたであろう作品だ。
たぶん、近い内にどこかのメーカーが『夢幻の心臓Ⅱ』を移植するか、それに近いゲームを作っていただろう。
ただ、堀井雄二氏を始めとする当時のスタッフが、心血を注いで「ファミコンユーザーに合わせたゲーム」として調整したことで、『ドラゴンクエスト』は伝説となったのだ。
むしろ、そういった「ユーザビリティ」を評価すべきであり、『ドラゴンクエスト』を称賛したいがために「日本のRPGはドラゴンクエストが幕を上げた」みたいな書き方をするのは、むしろ当時のスタッフに対して失礼であろう。
日本のRPGの歴史における『ドラゴンクエスト』中心史観は、日本のゲーム市場への誤解を広めるし、何より当事者である『ドラゴンクエスト』の真の偉大さを歪めてしまう。
今回槍玉に挙げた記事だが、知っているライターの人とは言え、あまりにもエアプで事実誤認が多いので指摘させていただいた。
むしろ、多根清史さんは「まだマシなライター」な方である。
パソコンゲームの事に触れているだけでも「まだマシ」なのだ。
ほとんどのゲームライターや自称ゲーム研究家たちのほとんどは「ドラゴンクエスト中心史観」によって、パソコンゲーム市場というものがあったことすら知らないレベルだ。
あ、ちなみに1980-90年代のパソコンゲームについて調べたい人に対してうってつけのサービスがある。
ここでちゃんと版権が整理されたエミュレーターで遊ぶことが出来ます。
ちゃんとWindows10で遊べるし、画面写真も取れるし、もう20年ぐらい前からあるサービスだし、エアプの言い訳にはならないのである。
本当、マジで今のゲームライターの人やゲームの歴史について語る人は、真面目にパソコンゲームについて勉強してやー。
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コメント
>『夢幻の心臓』はシリーズを通して2Dマップである。
初代の『夢幻の心臓』は『ウルティマ』シリーズのようにダンジョンが3Dでした。
>最初から全部の呪文が使える超有能魔術師として『カナイ』が登場
最初から全部の呪文が使えるのはエルフ界の「ウルル」です。エクセリオには「ハロルシェイ」という高度な呪文を覚えている有料の魔法使いがいましたが、それでも全部ではなかったはずです。
>あえて苦言を呈した金井哲夫氏
金井哲夫さんは遅いと不評だった初代『夢幻の心臓』をおもしろいと絶賛し、富さんが「金井さんてええひとや」と感激して『Ⅱ』での登場となったのです。この一件は一部の読者に「メーカーと慣れ合っている」と批判的に受け止められました。
訂正しますー