アーネスト・ウォーカー
Ernest Albert Walker (イギリス)


 

 1922年4月某日夜、ロンドンはラウンズ・スクエアでの出来事である。某英国軍大佐に使用人として仕えていたアーネスト・ウォーカー(17)は、ディストリクト・メッセンジャー社のメッセンジャー・ボーイ、レイモンド・デイヴィス(14)を大佐の屋敷に呼び寄せて、拷問した挙げ句に殺害した。その後、ウォーカーは列車でトンブリッジまで行き、そこで巡回中の警官に犯行を打ち明けた。打ち明けられた警官は吃驚仰天したことだろう。早朝の出来事だったというから尚更である。

「ロンドンのラウンズ ・スクエアで人を殺しました。どうしてそんなことをしたのかは判りません。午後6時15分 から30分までの間に殺しました。鉄の棒で殴ったのです。先週の水曜日から気分が悪い状態が続いていました。今年の1月に流感で母を亡くしたのです。トンブリッジまで来たのは、じっくりと考える時間を作って、警察に事件のことを話したかったからです」

 間もなく大佐の屋敷内の煙が充満した部屋から、レイモンド・デイヴィスの遺体と、犯行の「計画表」、そして、執事に宛てた手紙が発見された。
 まずは「計画表」から紹介しよう。

「1  電話を掛けてメッセンジャー・ボーイを呼ぶ
 2  正面玄関で待つ
 3  彼を中に通す
 4  下の階に連れて行く
 5  座らないかと訊く
 6  頭を殴る
 7  食料貯蔵庫に隠す
 8  体を縛る
 9  10時30分に拷問する
 10 最期の覚悟をさせる
 11 ガソリンに火をつける
 12 火を消す
 13 窓を閉める」

 次いで、執事に宛てた手紙。

「私がやったことを知れば、あなたは驚くでしょう。母が死んだので、自分も死のうと決心したのです。銃を入れた箱が動かされているとあなたが指摘したことがありました。私は否定しましたが、あれは私の仕業です。銃に弾丸を詰め、いつでも引き金を引けるようにしたのです。でも、結局、捨ててしましました。私はスローン・スクエアの事務所に電話を掛けてメッセンジャー・ボーイを呼び、玄関で待ちました。中に入って待つように云うと、食料貯蔵庫まで連れて行き、石炭用のハンマーで彼の頭を殴りました。なんて簡単なのでしょう。それから彼を縛り上げ、殺したのです。私が殺したのです。ガソリンが死因ではありません。ただ火をつけただけです。私は今でもずっと正常です。ただ、愛する母なしでは生きられないのです。あの愚かな少年を少しも罰することが出来ませんでした。ギャーギャーと泣かすことは出来ましたが。父と友人たちによろしくお伝え下さい」

 こんな物騒な手紙、貰っても困ってしまう。

 なお、アーネスト・ウォーカーは精神異常と診断されてブロードムア(刑事犯専門の精神病院)に収容された。1937年には釈放されて、その後は行方知れずである。

(2009年12月5日/岸田裁月) 


参考資料

『平気で人を殺す人たち』ブライアン・キング著(イースト・プレス)
『世界犯罪クロニクル』マーティン・ファイドー著(ワールドフォトプレス)


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