玉城デニーを勝たせた「翁長の幽霊」、呼び覚まされた沖縄の怒り

そして、キーマンが明かした今後の課題

翁長雄志・前沖縄県知事の急逝を受けて行われた沖縄県知事選は、翁長氏の後継・玉城デニー氏の圧勝で幕を閉じた。この勝利に翁長氏の死が大きく影響していたことは間違いない。

しかしそれは、単純な「弔い選挙」で片付けられる話ではない。翁長氏の死によって、これまで眠っていた沖縄県民の怒り――「沖縄をなめてはいけない」――が呼び覚まされ、今回の大勝に結びついたと考えられるからだ。翁長氏の死は、一つのきっかけだった。

一方で、さっそく玉城陣営=「オール沖縄」の課題も見え始めている。翁長氏の遺志のもとに集った人々は、本当に結束を続けられるか――玉城陣営で尽力した沖縄財界のキーマン、呉屋守将・金秀グループ会長の言葉からはそんな心配が透けて見えた。

ノンフィクションライター・石戸諭氏による、本土と沖縄の「これから」を考えるための選挙ルポルタージュ。

第一回 「翁長君は誤解されている」元知事が明かす沖縄、不条理の正体
第二回 なぜ沖縄県知事選の世論調査は「あてにならない」と言われるのか

異例の「ポスター貼り替え」の意味

圧倒的な勝利を収めた玉城デニー陣営のポスターが慌ただしく張り替えられたのは、選挙戦も終盤にさしかかろうとする時期だった。

9月30日の投開票を前に、しかも勝者となる陣営が選挙期間中にポスターを差し替えるというのは極めて異例のことである。

他の選挙ではほとんど聞いたことがない上、さらに新たに作成されたポスターも異例としか言いようがないものだった。

初期のキャッチフレーズ「新時代沖縄 NEW ERA OKINAWA」を引っ込め、「翁長知事の遺志を引き継ぐ」を新たなキャッチフレーズとして採用し、演説する在りし日の翁長雄志の姿が玉城の右肩に印刷された。

任期途中の8月に急逝した翁長の後継者であることを強調した、事実上「死者」との二連ポスターである。

貼り替えられたポスター〔PHOTO〕著者撮影

異例はまだまだ続く。ポスター張り替えを嫌がる声が陣営で上がらなかったことだ。

政権与党の全面バックアップを受けた、佐喜真淳陣営が選挙事務所を構えたのは、那覇市のメインストリート。中をのぞくと、全国から動員された関係者がきれいに区分けされた机に張り付き、1日中電話をかけ続けるグループがいる。

対する玉城陣営はどうかといえば、那覇市の外れ、道路に面した場所すら事務所として確保できず、路地を一本入ったところにひっそりと事務所を構えていた。ボランティアが狭いスペースを分け合い、ある人は電話をかけ、あるグループはビラを整理する。

 

単純な人手の数ときれいに役割分担された事務所内外での活動を組織力と呼ぶならば、その差は歴然としていた。

普通であれば、ポスターを張り替えるのは労力も手間もかかる。限られた人数であればなおのこと、不満の声が出るのが道理だ。

ところが、玉城陣営に集った人々はむしろ喜んだ。「これを待っていた」「翁長さんの遺志を継ぐってもっと言ってほしいんだ」。

陣営幹部は取材に一段と声を張り上げて、こう語るのだ。

《選挙戦の期間中に、これしかないと思って切り替えた。9月22日にあった総決起集会。そこで(翁長の妻)樹子(みきこ)さんが壇上に立って訴えたんです。

誰一人、席を立とうとしなかったのを見て、戦略を切り替える時だと思った。翁長知事がずっと言ってきた「辺野古に新しい基地を作らせない」「ウチナンチュのことはウチナンチュが決める」「イデオロギーよりアイデンティティ」……。

翁長さんの遺志を継ぐ。これが方針になり、きょうで結果も出た。》

「玉城デニー」という候補以上に、「翁長」が前面に出てくる。選挙戦の主役は名実ともに急逝した「翁長」、より正確にいえば翁長という死者の遺志=「幽霊」になっていた。