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三重

四日市で萬古焼400点一堂に 沼波弄山の生誕300年記念

明治時代のウズラをかたどった急須=四日市市陶栄町のばんこの里会館で

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 萬古焼の創始者沼波弄山(ぬなみろうざん)の生誕三百年を記念し、江戸時代から現代の萬古焼を集めた企画展「萬古焼の粋」が二十九日、四日市市陶栄町のばんこの里会館で始まった。十二月二十八日まで。時代の移り変わりとともに姿を変えてきた萬古焼の魅力を伝える。

 作品は四百点で、会場は壁に県産材スギをあしらい、時代やテーマ別に並べる。江戸時代中期の古萬古は、鎖国下でも一七二〇(享保五)年に洋書が解禁となり、弄山は海外の新しい文化を積極的に取り入れた。曲線のついた水差しに赤絵で獅子や竜が描かれた盛盞瓶(せいさんびん)や山水を描いた花入れがあり、異国情緒を感じさせる。

 弄山が亡くなると萬古焼は一時途絶えるが、一八三二(天保三)年に桑名市の古物商、森有節が再興。有節が発明した、金を使ったピンク色のうわぐすり「腥臙脂釉(しょうえんじゆう)」をあしらった色鮮やかな急須や鉢がある。明治時代に入ると輸出が可能になり、職人が技を競いユニークな作品が続出。キューピー人形の置物や、注ぎ口がゾウの鼻やウズラのくちばしになった急須、鉄釜と見間違えるような作品が目を楽しませる。

森有節の「腥臙脂釉」をあしらった急須=四日市市陶栄町のばんこの里会館で

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 戦時中は、政府の統制下で金属の代わりを萬古焼が担った。陶製の鍋やガスこんろ、やかんが並ぶ。戦後は海外の発注を受けて作製したビールジョッキやティーカップがある。

 企画展は、萬古陶磁器卸商業協同組合などでつくる実行委員会が主催し、年間を通じた生誕三百年の記念事業の一環。企画展に先立ちセレモニーが開かれ、関係者百人が集まった。

 企画展を監修した市内の陶芸家内田鋼一さん(48)は「萬古焼の魅力は自由なところ。時代とともに技術や原材料も変わってきた」と話す。山本哲也実行委員長(59)は「四日市は工業都市だけでなく、萬古焼もあることを広く知ってほしい」と力を込めた。入場料五百円、中学生以下は無料。月曜休館。(問)ばんこの里会館=059(330)2020

 (高島碧)

 

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