ダライラマが麻原のことを20世紀最後の最終解脱者と認定したという話は、麻原の法螺だと思っている人も多いようですが実際には違います。
「チベットの祈り、中国の揺らぎ」ティム ジョンソン著、 辻 仁子訳、にダライ・ラマと麻原の関係が書かれている箇所があって、
~インドを旅行してダライ・ラマに面会した彼(麻原彰晃)は、1987年に帰国すると解脱を宣言し、宗教法人としての認証を求めて日本政府と争った。
ダライ・ラマの支持者らが味方に付いて仲裁したこともあり、1989年にオウム真理教は宗教法人の認証を受けた。これに感謝した麻原は、チベット難民支援金として、ダラムサラのチベット亡命政府に10万ドルを献金した。
後にダライ・ラマは、麻原は「生き仏」ではなかったと述べ、自らの誤りを認めた。
このようにあります、お金を貰ってダライラマはサリン事件が起きて麻原が逮捕されるまで、麻原を「生き仏」・最終解脱者と認めていたということになりますし、オウム真理教の宗教法人認可に際しても、日本国内にいる支持者を通じて影響力を行使していたということになります。
麻原がインドでダライラマと会った時にも現金を渡しているでしょう、そのあと宗教法人の認可が取れたあと成功報酬のようなかたちで、ダライラマに10万ドルを渡しているわけで、ダライラマとしてはオウム真理教は日本における都合の良い金蔓であったに違いなく、大犯罪が明るみに出て慌てて取り消して、無関係を装い最終解脱者認定は麻原の法螺にしてしまったのです。
この時の宗教法人認可は、オウム真理教がそのあと急成長するひとつの要素になった上に、オウム真理教が宗教法人であることが捜査の大きな妨げになり、強制捜査が遅れに遅れて、サリン事件をやらせてしまうことになりました。オウム真理教が宗教法人でなければ、もっと早い時期での強制捜査が可能であり、サリンを製造する前に麻原の逮捕も可能だったはずです。
坂本堤弁護士一家が拉致殺害された事件でも、捜査本部ではすぐにオウム真理教が怪しいと考えたのですが、上からオウム真理教は宗教法人だから手を出すな他の可能性を捜せと命令されて、無駄で無意味な捜査をしていたという話も聞いたことがあります。
宗教法人には税制上の優遇があるだけで、刑事事件の捜査を免れるような特権はないのですが、当時は世間も警察も宗教法人には手が出せないと考えていました、寺社地には町方は踏み込めないといった江戸時代のような理解が当たり前だったのです。それを利用して、オウム真理教は悪事の限りを好き放題に行ったのです。
その重要極まりない宗教法人の認可に際して、日本国内のダライラマの支持者たちが動いていたとなると無視できない話ですが、日本人は意図的に無視していますそれは何故なのか、この話は明日に続きます。
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Re:今でも朕カスゴミウヨクはチベットを利用します。
日本のゴミ右翼は、在日コリアンの人権は絶対に認めませんが、会ったこともないチベット人の人権は大好きであり、自分たちのようにチベット人の人権にムキにならないリベラルは、中国の手先だと決めつけてきました。
解放後のチベットの経済発展は無視しています、チベットで中国側が押さえているのはダライラマの取り巻きだった連中だけという史実も、ゴミ右翼は無視しています。
チベットを見ろ、日本も今のうちに戦争に備えなければチベットのようになる、というのはゴミ右翼の決まり文句になってしまいました。
搾取していたチベットの農民によって殺されることなく、海外へ脱出できただけでも運が良かったのに、チベットを奪われた被害者に成り済ましてしまったダライラマは、世界最高の詐欺師ではないでしょうか。
チベットはチベットの人民のものであり、ダライラマのものではないという、当たり前のことを西側諸国は忘れてしまっています。
huyunohi1684
2018-07-08 22:57:03
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