<ざっくり言うと>
- 元自民党衆議院議員・渡部篤、ネットデマを鵜呑みにし、「NHK『クローズアップ現代』が『天安門事件で虐殺は皆無だった』とフェイクニュースを流した」というフェイクニュースを流す。
- 「ネットde真実」のアホの言うことを信じてはいけない。
- 新聞だけ、テレビだけ、ネットだけではなく、新聞もテレビもネットも使い、幅広く情報を手に入れて多面的に事件を見ることが肝要。
- 自分に都合のいい情報こそ、すぐに飛びつかずに真偽を見極める慎重さが必要。
「フェイクニュース大賞」をやっている西村幸祐のように、マスコミに向かってネット上で「フェイクニュースだ!」などと騒いでいる奴ほど、自身がフェイクニュースを流しているように思えます。
もと自民党衆議院議員渡部篤も、そんな人間の一人です。
この男、以前から「9条護憲は中国に日本を侵略してもらいやすくするためのもの」などという、呆れる妄言を吐いていましたが、今回はこんなあからさまなデマツイートをしていました。
本当に呆れて開いた口がふさがりませんね。
「NHKが天安門事件を報道しなかった」など言うまでもなく大嘘です。(「報道しなかった」のなら、『クローズアップ現代』でそもそも報道してないよな(笑))。
そして、「『クローズアップ現代』では天安門事件での人民の使者は皆無だったとフェイクニュースを流した」というのも、当然の事大嘘です。これこそフェイクニュースです。
これは、ネットでかなり流布している有名なデマで、↓こんなツイートが4000件以上もRTされ、まだまだ拡散され続けています。
なんかこの手のバカのネットデマの繁殖力はすごいですね。お前らアメリカザリガニかってぐらい、繁殖力がすごい。どんなに潰しても、まだまだ出てくる。そして、アメリカザリガニがニホンザリガニを絶滅寸前に追いやっているように、この手のバカのデマが真実を破壊し続ける。「日本を守り隊」とか名乗って、実際は日本を破壊するデマゴーグというのが情けない。
この『クローズアップ現代』の話は、以前も一度このブログで取り上げています。いまだにこのデマが流布し続けているので改めて否定しておきますが、NHKの報道は、
「天安門事件で、メディアが取材できなかった『空白の3時間』に、長安街では虐殺があったが、天安門広場では虐殺はなかった」
というものです。
詳しくは以前の記事を読んでもらいたいですが、『クローズアップ現代』のHPには、「空白の3時間」に、「軍の虐殺は長安街ではあったが、天安門広場では起こらなかった」と書いてあります。軍の虐殺があったことを、NHKはちゃんと報道しているのです。ちなみに長安街とは天安門広場に隣接する北京のメインストリートです。
渡部篤のツイートも、「日本を守り隊」とかいう奴のツイートも、そのツイートを鵜呑みにしたバカが山ほどわんさかぶら下がっております。
テレビや新聞の情報を全て信じるのは当然よくなく、メディアの情報を鵜呑みにするのではなく、自分でそれを吟味し、真偽を見極めて活用する、メディアリテラシーというものを身に着ける必要があります。
しかし、テレビや新聞をフェイクニュースだマスゴミだと騒ぐ奴ほど、ネット上のデマに騙され奴いように見えるのは何なんですかね。
結局こいつらは、真実などどうでもよいのです。自分に都合が悪いニュースは、何にも確かめもせずに「フェイクニュース」。自分に都合がいいニュースは、ただ単にどこの誰かもわからないやつが描いたツイッター情報を鵜呑みにして、何にも確かめずに「そうだったのか!」と拡散。基準にあるのは、真実かどうかではなく、自分に都合がいいか悪いかだけ。
そんなバカが与党の元衆議院議員にもいるという事実に驚愕しますが、今更言うまでもなく、「真実はネットにある!」とか言ってるやつはたいていただのアホです。
新聞やテレビをフェイクニュース扱いして、ネットのフェイクニュースにあっさり騙されるアホにならないためには、新聞からもテレビからもネットからも情報を手に入れ、幅広く、多角的に情報を吟味することが大切です。
新聞やテレビを拒否して「いまだに新聞信じてるの?(笑)」とか言うネットバカはもちろん、ネット情報をすべて拒否して新聞のみを信じるような人も(そんな人がいるかは知らんが)、信頼するべきではないでしょう。
一辺倒なのは大抵よくないことです。新聞、テレビ、ネットで幅広く情報を手に入れ、自分に都合のいい情報こそ、鵜呑みにせずに、本当かどうか検証する気持ちが必要です。とりあえず、「『クローズアップ現代』は『天安門事件で虐殺は皆無だった』とフェイクニュースを流した」とかいうフェイクニュースに騙されるバカの言うことを信じない程度のメディアリテラシーは現代人として絶対に必要だと思います。
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コメント
(恐らく)書き間違いがあります。
誤:天安門事件で、メディアが取材できなかった『空白の3時間』に、長安街では虐殺があったが、天安門「事件」では虐殺はなかった
正:天安門事件で、メディアが取材できなかった『空白の3時間』に、長安街では虐殺があったが、天安門「広場」では虐殺はなかった
事件→広場
一番大事な箇所で誤記しちゃいました。すみません。修正しました。ご指摘ありがとうございます。
天安門事件で有名な写真に
戦車の前で市民が立っているというものがありますが
地面にはハッキリと車線が書いてあるんですね。
明らかにアレは「公道上」です。
一度天安門広場に行った事ある人間だったら
あの写真が天安門広場ではない事ぐらいは一目で分かるんですが
悲しいかな愛国カルトのアホどもと渡部篤は
天安門広場に車線が引いてあると思い込んでるんでしょうね。
★ 第3の森加計問題 安倍「お友だち融資」3兆円 2018年8月17日(金)
https://business.nikkeibp.co.jp/atcl/NBD/15/special/081401048/?ST=pc
「森友学園、加計学園の比ではない3兆円融資。その破格の融資スキームが発表される前、安倍と葛西は頻繁に会合を重ねていた。」
こんな書き出しの記事ですが、有料記事なので、デジタル版か、雑誌最新号を購入して、ご自分の目で、お確かめを!
さてはて、この記事は、フェイクか、事実か、どちらでしょうかね~。
細かい所ですが、最初の方の太字の箇所で、
人民の使者→人民の死者
ではないでしょうか。
「ネットde真実!」
にハマる人々の一定数に共通するのは、自己疎外感なのかな、と思います。
依存症者が心理的苦痛から意識を逸らすためにアルコールや薬物に溺れるように、「解放感」「優越感」「使命感」「一体感」等に浸っているのでしょう。
酔って暴れられると周囲が困る点も、よく似ています。
職業政治家の人のこういう発言・発信って、むしろ支持得るためにやってんじゃないかと最近思うようになりました。ある種の炎上商法ってやつですかね。
杉田水脈の「生産性」についても、そういう考えを持っている人は悲しいかな一定数いて、そんな人達に向けてやってるのでは?
そういう意見を表明する人に仲間意識を持って賛同者は投票する。
きっと発信者たちはこのやり方でも勝てると、反対者が出てきてもその数は自分の状況を覆さない程度の数だと見込んでるんじゃないですかね。
見出しを読んだ時に「虐殺は無かったと報道しているのは真実」と思ってしまいました。記事を読んで、理解できました。勉強になりました。
事実の検証、文の推敲にお時間かかるとは存じますが、これからも楽しみにしています。
なんで相手を貶める書き方しかできない人が多いんでしょうか
愛国カルトもその批判者も、私には理解できません
「あ」という名前は禁止されております。
書き込む前にルールくらい確認してください。
>>批判するのはいいですが、批判相手を『アメリカザリガニかよ』などと表現するのは結局『愛国カルト』と同列にしかなりませんね
>>なんで相手を貶める書き方しかできない人が多いんでしょうか
何がどう「同列にしかならない」のか、具体的に説明してもらえません?
「デマを撒き散らす輩」をアメリカザリガニと例えることがそんなに問題なんですかね??
てか、アメリカザリガニって相手を乏しめる表現なのか?
>>愛国カルトもその批判者も、私には理解できません
いつものどっちもどっち論ですね。
「デマを撒き散らす人」と「そのデマを修正する人」、そのどちらも理解できないっていうなら、義務教育からやり直してみたら如何でしょう?
横からすみませんが、デマを撒き散らす人と撒き散らす人に暴言を吐く人
第三者がぱっと見で感じるのが何騒いでるんだコイツらという印象だからどっちもどっちて言ってるんじゃないですかね?
まあデマを撒き散らすのは論外ですが暴言を吐きまくるのも別ベクトルでよろしくないかと
それは程度によるでしょう。
「アメリカザリガニ」という、暴言なのかどうかすら怪しい単語で例えただけで「どっちもどっち」「どっちも理解できない」なんてDD論を展開するのは流石におかしいでしょ。
>>第三者がぱっと見で感じるのが何騒いでるんだコイツらという印象
そんな人は、コメント欄でわざわざDD論を展開しませんよ。
デマを撒き散らす奴らは全くどうしようもない害悪だと思いますよ。
こんな私は「どっちもどっち」ではないですよね?
愛感じてますか?さん、どうでしょう?
どっちもどっちではないですね
※12
本来あるべきものを、本来あってはいけないものが駆逐しようとしてるんだから、在来種を脅かす外来種と同じか、もっとひどいじゃないですか。「本来あるべきものを食べてしまう困った存在」というもののたとえなんですから、全然ひどい表現じゃないと思いますけどね。
デマゴーグという害悪を、アメリカザリガニという害悪に例えて何がおかしいですか? 実際の行動がアメリカザリガニと同じでしょ。「人間のクズ」とかの価値判断が入った表現じゃないですがね。
>>なんで相手を貶める書き方しかできない人が多いんでしょうか
自分の脳みそを使うことを放棄してネットデマを鵜呑みにしてそれを拡散するような奴が貶められないと思ってるほうが理解できない。
例えばお年寄りを騙して年金をだまし取った振り込め詐欺師を見て、「人間のクズ」と表現するのはどうですかね? これも「相手を貶める言い方」で許されませんか? お年寄りから年金を騙しとった振り込め詐欺師と、それを「人間のクズ」と呼んだその辺の一般人は、どっちもどっちですかね?
振り込め詐欺師なんかは「人間のクズ」と呼ばれて当然だと私は思いますよ。ネットでデマをまき散らすやつなんて、金銭が絡まないから犯罪にならないだけで、詐欺師でしょ。まして差別的デマを流すやつなんて、振り込め詐欺師と全く変わらない人間のクズだと思いますよ。
今回は渡部篤らを「人間のクズ」と呼んだわけでも何でもなく、デマゴーグ一般を
「繁殖力が強くていくら潰してもなくならない」
「本来あるべきもの(本当のニュース、在来種)を駆逐してしまう、本来あってはならないもの(フェイクニュース、外来種)」
という特徴が共通しているので「アメリカザリガニ」と例えただけですよ。「ゴキブリ野郎」とか言ったのなら、まだ非難されるのもわかりますが、アメリカザリガニに例えて非難されるってのは理解できないですね。
罪を憎んで人を憎まずとも言いますしそのような言い方は不適切ではないでしょうか
また聖書にもありますように主イエスの
「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず石を投げなさい」
の考えが大事と思います
現に簡単な理屈がわかってないピンポンダッシュもチラホラ
また、その人が罪を犯すまでには事情もあったのだろうから、罪を犯した人そのものまで憎んではいけないと考えたいですね
まあ新手の荒らしなんでしょうけど。
ネットデマを鵜呑みにして拡散するような奴を憎むなって無理でしょ。憎みますよ。毛のします。あなたの中では犯罪者も詐欺師も、何の罰も受けないんですか? 被害者は加害者を憎まないんですか? あんなデマ野郎どもが何の制裁も受けないのが腹立たしいです。
>>そのような言い方は不適切ではないでしょうか
全く不適切だとは思いません。むしろ「アメリカザリガニ」なんて、を入れず、「潰しても潰してもきりがない」「あるべきものを駆逐するあってはならないもの」という事実を例えているだけなのだから、何がいけないんですかね。どう不適切なのか指摘してみてください。できるものなら。
>>また聖書にもありますように主イエスの
>>「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず石を投げなさい」
>>の考えが大事と思います
私はキリスト教徒じゃないんですし、貴方の脳内では、犯罪者も何の社会的制裁を受けないんですかね。それとも、自分の倫理観は放棄して、すべて法に違反するかしないかだけで判断するんですかね。思考の放棄ですね。批判すべきものは批判しますし、デマ野郎なんて嫌悪して当然です。神の子じゃないんで。人間なんで。
>>その人が罪を犯すまでには事情もあったのだろうから、
ますます意味不明。貴方の脳内では、事情があれば罪を犯してもいいんですか。それに、一体どんな事情があれば、渡部篤みたいなデマを流すって言うんですか。奴に「知能が足りない」以外の事情があるんですかね。「ゴキブリチョンは半島に帰れ」とか発言するクズ野郎に、一体どんな事情があるんですかね。
アメリカザリガニの比喩は適切かと思います。
アメリカザリガニを放った人を戒めるか恨むかの違いでは無いでしょうか。
そして罪を憎んで人を憎まずという方針が通用しないのは日本だけだと思います。
>>罪を憎んで人を憎まずという方針が通用しないのは日本だけ
????
そんな方針が通用している国が世界のどこにあるんですか?
世界中の国です。
死刑を存続及び執行させている先進国は日本だけだそうです。
途上国でも人に対する憎しみの感情を伴った話は通用するのでしょうか。
アメリカ合衆国のテキサス州
>途上国でも人に対する憎しみの感情を伴った話は通用するのでしょうか。
私的なものならタイヤネックレス、国が認めている死刑ならイスラム各国の石打ち、サウジアラビアの斬首刑、同じくサウジアラビアのビニール紐とクレーンを用いた吊り上げ式の公開絞首刑(国営放送)、死刑でないならシンガポールの鞭打ちなど。
人に対する憎しみを捨てるというのは相当難しいものですよ。
あなたがそこまでアホで頓馬なのも何かしらの事情があったからなのでしょうね。
私にはよくわかります!
アーメン、ラーメン、タンタンメン。
祈ります。
テキサスは知りませんでしたが、執行数は急減しているようです。
中東は宗教上儀礼的な刑罰であり、人に対する憎しみ自体は弱いと想定していました。
人に対する憎しみを捨てるのは容易で無い事は十分承知です。
だからと言って育成すれば、行き着く先はいじめや差別しか私には考えられません。
超・個人的見解ですが。
超・個人的見解ですが。
随分酷い言い方ですね
エホバの証人をなんだと思っているのですか?
私が何か悪い事を言ってしまったんですか?
私としてはむやみやたらに罵るのはやめたほうがいいのではと思って書き込んだんですが
何故こんな扱いなんでしょうか
桑原さん、書き込みのルールやマナーが悪ければそこを教えてください
気をつけたいと思います
何を言っているんですか…? 貴方の脳内では、死刑以外は犯人を憎んだ罰ではないことになってるんですか? 貴方の脳内では、終身刑も「罪を憎んで人を憎まず」なんですか?
死刑廃止は「罪を憎んで人を憎まず」なんて宗教じみた理由によるものではなく、冤罪の場合取り返しがつかない、残酷過ぎるなどの理由によるものですよ。「死刑がない」=「罪を憎んで人を憎まず」だなんて珍説初めて聞きましたよ。
現代は「復讐刑」から「教育刑」の考えにシフトしていると言っても、復讐刑の考え方が失われたわけではありませんよ。もしも教育刑だけなら、犯罪者を教育して終わりであり、懲役30年なんて罰があるわけないでしょ。
貴方は家族を殺されても犯人を憎むなと言うんですか? 強姦被害にあって一生のトラウマを負っても犯人を憎むなというんですか?
「罪を憎んでくださいを憎まず」なんて、被害者感情を全く考えていない考えです。犯人に甘く、犯人を許せない被害者の方を非難する発想です。セカンドレイプと同じです。
現実は貴方の考えとは全く異なり、「罪を憎まず人を憎まず」なんてものを原則にしている国など何処にもありません。罪を犯した者には報いがある。どの国でも当たり前のことです。教育刑と復讐刑のバランスをとってるだけです。
私刑は社会秩序の観点から許されませんが、罪を犯した者を憎むのは自然な人間感情であり、それの否定など誰にもできません。
>>私としてはむやみやたらに罵るのはやめたほうがいいのではと思って書き込んだんですが何故こんな扱いなんでしょうか
「むやみやたらに罵るのはやめた方がいい」とだけ言いたいなら、そう言えばいいでしょう。
「罪を憎んで人を憎まず」とか「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず石を投げなさい」とか、宗教じみた訳のわからんことを言い出すからですよ。
そもそもデマを撒き散らすどうしようもない輩だけを罵っておりますし、「むやみやたらに」罵ってはいませんけどね。
マナーの問題じゃなくて論理の問題でしょう。
激しい言葉は使わないほうがよい、というのはわかりますが、デマゴーグをアメリカザリガニに例えることが、そんな不適切な表現かというのが1点。
「人間の中に罪を犯したことのないものは一人もいない」から人を非難してはいけないというのが1点。立ち小便という罪を犯した者が、快楽殺人という罪を犯した者を非難してはいけないわけではないでしょう。
「その人が罪を犯すまでには事情もあった」というのも、ジャン・バルジャンならまだしも、渡辺篤みたいなデマを流すことに事情なんてあるわけないでしょ?
そうですか理論の問題でしたか
確かに私の考えが浅かったですね。
申し訳ありません。
もちろんアメリカザリガニに対してです。
渡部さんのtwitterを見ましたが、このツイートの誤りを指摘するリプには無反応でした。ざっとtwitterを見た感想は安倍さんを妄信してるという印象で、自作の俳句のツイート以外は自身に都合のよい情報のみに触れようとするネトウヨそのものという感じでした。ご本人にとっては、我こそは報道機関がひた隠しにする不都合な真実を知っている者なりというレジスタンスのような感覚なんでしょうかね。
>死刑以外は犯人を憎んだ罰ではないことになってるんですか?
私は死刑を除く全ての刑罰は憎しみでは無く更生の為に存在すると考えます。
死刑を含めれば新しい犯罪発生を予防する見せしめの目的も含まれるでしょうか。
けれども最近のオウムの死刑執行は犯罪予防にさえなっていなかったように思えたので
日本だけが「人を憎んで罪を憎まず」の方針なのかと疑います。
寧ろ「死刑は犯人に対する憎しみに基づいた刑罰である」という定義が間違っていたと私は反省しています。
>貴方の脳内では、終身刑も「罪を憎んで人を憎まず」なんですか?
刑罰が犯人への憎しみに基づくものであるならば、
終身刑という中途半端な刑罰は不要だと思います。
たとえ冤罪でも被害者の憎しみは犯人とされている人に向けられているのですから
取り敢えず死刑判決を下しておけば良い筈です。
冤罪の場合、長期の執行猶予中に晴らす必要が発生するだけです。
>教育刑だけなら、犯罪者を教育して終わり
先進国の中にはそのような国も存在すると聞いた事が有ります。
>「罪を憎んでくださいを憎まず」なんて、被害者感情を全く考えていない考えです。
被害者感情を考えていないのでは無く、同調していないとするほうが正確でしょうか。
犯人に対する憎しみを増強させると、
ミラーニューロンが作用してその被害者や同調者が新しい犯罪者になり得ます。
勿論、被害者に対して直接「犯人を憎むな」と言えば
被害者感情を逆撫でするだけの結果にはなるでしょう。
>セカンドレイプと同じです。
セカンドレイプは「罪を憎んで人を憎まず」では無く
「人を憎んで罪を憎まず」に基づく現象だと思います。
続きます
その自然な人間感情を「罪」にぶつけるのが「罪を憎んで人を憎まず」でしょう。
此方のサイトに当初掲載されていた「その妄想をぶち殺す!!」発言も
正に「罪を憎んで人を憎まず」という概念に基づいた言葉だったので私はファンでしたが、
人は変わるものだと改めて思った次第です。
>>取り敢えず死刑判決を下しておけば良い筈です。
全く意味不明。ここまで意味不明な説明は初めて見たと言ってもいいぐらい意味不明。
被害者の憎しみが犯人に向けられているからとりあえず死刑判決? 頭大丈夫ですか? 貴方の脳内では、「犯人を憎む」=「手当たり次第に死刑」になるんですか?
冤罪だった場合取り返しがつかないことと、残酷刑は許されないという理由で、死刑制度が廃止されているんでしょ。どうしてあなたの脳内では「犯人を憎む」=「死刑」みたいな図式が成立してるんですか。罪と罰のバランスというものもあるし、「被害者感情を和らげるために、冤罪でもいいからとりあえず殺しとけ」とか、そんな馬鹿な考えするやつ、この宇宙のどこにもいないでしょ。そんな意味不明な藁人形論法辞めてもらえませんかね。
>>先進国の中にはそのような国も存在すると聞いた事が有ります。
そんな国がどこにあるのよ。そして、そんなことで犯人が許されていいと思うの?
>>勿論、被害者に対して直接「犯人を憎むな」と言えば
>>被害者感情を逆撫でするだけの結果にはなるでしょう。
直接じゃないだけで、貴方の言っていることは100%そういうことですよ。
自然な人間感情を「罪」にぶつけて人を憎まない? そんな「自然な人間感情」私は知りません。貴方の脳内では、子供を殺された親が、殺人という罪だけを憎んで、犯人を憎まないんですか? ありえないですね。
>>此方のサイトに当初掲載されていた「その妄想をぶち殺す!!」発言も
>>正に「罪を憎んで人を憎まず」という概念に基づいた言葉だったので私はファンでしたが、人は変わるものだと改めて思った次第です。
罪を憎みますが、その罪を犯した人も憎みますよ。子どもを殺された親が犯人を憎むのと同じでしょ。
そもそもこのブログの解説動機が「井上太郎許せん」でしたし。
罪を憎むのも人を憎むのも、どっちもあるのが当たり前だと思いますよ。どの国でもそのバランスを取っているだけです。そうでなければ、重い罪ほど重い刑罰が科せられるわけがないでしょう。
例えば、子供を殺された親であっても、それが全く意図しない事故であって、加害者が謝罪し猛省しているとすれば、「事故」という「罪」を憎んで、加害者という「人」を憎まないということはあるかもしれません。それ以上その人を憎んでも、自分の心にマイナスがたまっていくだけでしょう。
しかし、快楽のための強姦殺人で子供を殺されて、加害者が何の反省もしていない。この場合でも「罪」を憎んで「人」を憎まないなんてことがありえるんでしょうか?
もしも後者のような場合でも犯人を憎むべきではないというのが「罪を憎んで人を憎まず」の意味であるのならば、全力で拒否します。もしも別の正しい解釈があるのならば教えてください。
正確には「重罪犯を憎む」→「犯人の死刑を望む」ですが、違いますか???
実際、どのような理由が在ろうと殺人犯は死刑にするべきと考える人もいます。
そういった刑事裁判で死刑にならなかった事に悔恨の意を示す人も
テレビで見た事が有ります。
>そんな国がどこにあるのよ。
うろ覚えで申し訳ありませんが、ノルウェーでしたか。
犯罪は犯人を取り巻く境遇が悪いから発生するという理由で
懲役は理想の寮生活のような環境下で執行されるというような話でした。テレビ情報です。
>子供を殺された親が、殺人という罪だけを憎んで、犯人を憎まないんですか?
日本にもそういった人はいます。これもテレビ情報ですが、事件発生後、
「子供は帰って来ないけれども犯人には罪を償って更生して欲しい」という旨を淡々と話す
被害者家族を見た事があります。
>別の正しい解釈があるのならば教えてください。
私の個人的解釈ですので正しいかは不明ですが、
「快楽のための強姦殺人で子供を殺されて、加害者が何の反省もしていない。」
について、犯罪者を罰するのではなく、
初めからそういった犯罪者を生み出さないようにするのが
「罪を憎んで人を憎まず」の価値観かと考えます。
加害者が何の反省もしていないのであれば、
すなわち加害者は罪を憎んでいない事を意味すると考えます。
記事内容から大きく脱線してしまったので、
私はこの辺りでこの話題を終了としたいと思います。
邪魔しました。
図星か?
それはさておき、エホバなんか実の子供だろうが友人だろうが輸血しないと死ぬ状態にも関わらず拒否してほったらかしにしてそのまま死なせることを「聖書がー」とか言って平然と行うキチガイ集団だろうが
キチガイなのは選挙に行かない理由が「人間が政を治めている間は誰がやっても世の中はよくならない、歴史が証明しているから」などという、「「人間以外が政を治めてきたこと」などない」という歴史があることをガン無視してほざいていることからも明らかだろ
ロシアではイスラム国と同等の過激派組織扱いされて活動禁止の身だそうだが当然だわな
エホバは見方を変えればオウム真理教以上のカルト集団、滅ぶべき存在だろ
誤 初めからそういった犯罪者を生み出さないようにするのが
正 その後そういった犯罪者を生み出さないようにするのが
「こんなこと言ってる百田はクズだ」
ではなく
「こんなことを言ってはいけない」
という書き方をすべきだ、という意味なら理解できますし、その通りだと思います。
ついついデマゴーグや差別発言者に対する怒りから、書き方が「罪」より「人」の非難になってしまっていることがあるので、そこは注意し、過去記事の表現も時間があるときに少しずつ修正しようかと思います。
横から失礼。
「罪を憎んで人を憎まず」の精神は、自分で自分を律する為にあるのであって
他者に対して「君も罪を憎んで人を憎むな」って言うのはちょっと違うかと。
何故なら人の怒りの大きさや質はそれぞれだからね。
俺は仮に管理人氏が「罪を憎んで人も憎む」タイプであっても
「ふーん」と思うだけ。別にどーだっていい。
ただ自分自身が「罪を憎んで人を憎まず」でありたいと思う、ただそれだけ。
管理人氏に幻滅するもがっかりするも自由だけど
「自分が人を憎まないので管理人氏もそうであるべきなのにがっかりだ」
みたいな書かれ方がちょっと引っかかりました。
上記の名前にします、すみませんでした。
自民がクローズアップを貶めようとしている事以外はさっぱりわからん・・・・。
否定語がこれだけ重なると、仕方ないだろうけど。
デマの打ち消しって大変なのだな、と痛切に感じる。
流している無責任者は微塵も感じないだろうが。
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