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先人たちが目指した日本の姿。それは私達の国が常に「よろこびあふれる楽しい国(=豈国)」であり続けることです。


山下太郎に日本人の底抜けの明るさと七転び八起きの人生を学ぶ

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山下太郎
山下太郎


山下太郎の魅力は、お金ではなく、人としての魅力です。
それは彼が、どんなときでも、どんな苦境にあっても、めげず、くじけず、そして何より明るかったことです。
山下太郎は男でござる。
男の人生は、底抜けの明るさと笑顔での七転び八起き(ななころびやおき)です。


【お知らせ】
<東京・倭塾、百人一首塾他>
9月23日(日)13:30 第54回 倭塾・東京 第54回
東京の倭塾・百人一首塾は10月から会場がタワーホール船堀に変更になります。
10月8日(月)13:30 第55回 倭塾 研修室 1330-160
10月27日(土)18:00 第30回 百人一首塾 407会議室
11月13日(火)18:00 第31回 百人一首塾 307会議室
11月25日(日)18:00 第56回 倭塾 研修室
12月6日(木)18:00 第32回 百人一首塾 301会議室
12月24日(月)13:30 第57回 倭塾 研修室
<関西・倭塾>
8月10日(金)19:00 倭塾・関西 第一回 (IK歴史勉強会 十七条憲法と創生の神々)
9月9日(日)14:00 倭塾・関西 第二回 (IK歴史勉強会 イザナギ・イザナミと古代の朝鮮半島情勢)
10月19日(金)19:00 倭塾・関西 第三回 (IK歴史勉強会 大航海時代と大国主)
11月9日(金)19:00 倭塾・関西 第四回 (IK歴史勉強会 唐の皇帝と日本の天皇)
12月8日(土)14:00 倭塾・関西 第五回 (IK歴史勉強会 稲作の歴史と古墳のお話)
<国内研修>
12月16日(日)~17日(月) 一泊二日 神話を体感する会
11月の倭塾関西の日程が11月11日(日)から、11月9日(金)19時に変更になっていますのでご注意ください。


神戸市の湊川神社といえば、南北朝時代に宮方の楠木正成(くすのきばさしげ)の遺徳を讃える神社です。
地元の人々が大切に保存してきた楠木正成の塚(お墓)のある場所に、江戸時代、尼崎藩主青山幸利(あおやまよしとし)公によって松と梅が植えられ、五輪の石塔も建てられました。
また、元禄5(1692)年には、水戸光圀(水戸黄門)が大楠公のお墓を建立しています。
境内東南隅にある「嗚呼忠臣楠子之墓」がそれです。

ところがこの墓所に、実はもうひとつ、石碑が立っています。
そこには、

 昭和十年楠公六百年祭奉賛
 楠公後裔楠正具正脈
 秋田県大森町 山下太郎

と刻まれています。
大楠公の正当な末裔の秋田県の山下太郎という人物が奉納された石碑ということです。

山下太郎は、私たちが薬を飲むときに使うオブラートを発明した人であり、日本人としてはじめて中東での石油採掘権を獲得し、日本の石油を守った人です。
この人の人生が、すさまじい。
まさに七転八起(ななころびやおき)なのです。

山下太郎は、明治22(1889)年、秋田県平鹿郡大森町(現横手市)の近藤家の長男として生まれ、その後、祖父となる山下太惣吉の養子になりました。
札幌農学校(現北海道大学)農芸学科を卒業後すると、就職もしないで、北海道産の飴(あめ)や、バターの改良に熱中しました。
そこで従兄の山下九助と共同でオブラートを発明しています。


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大正3(1914)年、25歳でオブラートの特許を取得し、山元オブラート株式会社を設立しました。
同じ年に第一次世界大戦が勃発し、1918年以降は世界中が戦勝景気に沸き立ちました。
オブラートは好景気の中で、すぐに森永キャラメルに採用され、事業はあっという間に発展しました。

普通なら、これだけで一生安泰です。
けれど山下太郎は、海外貿易がしたくなったからと、会社を五千円で売却してしまいます。

27歳で結婚した山下は、東京・深川に「山下商店」を設立して国際貿易の事業に乗り出しました。
創業の翌年、山下は、ロシア革命の勃発で、ウラジオストックの水産会社が大量の鮭の缶詰を船積みできなくなっているという情報を入手します。

山下は、さっそくときの外務大臣後藤新平と、秘書官だった松岡洋右(ようすけ)を動かしてこれを買付け、日本に輸入して巨利を得ました。

また第一次世界大戦後にドイツからの輸入できなくなっていた硫酸アンモニウムを、アメリカから輸入することに成功します。
硫酸アンモニウムは農薬の柱です。
これまた取引は大成功となり、山下は巨万の富を築きました。

ところが・・・・。
大正7(1918)年、29歳になった山下は、日本国内で米価が暴騰したため、上海で安い江蘇米を買い、日本に輸入しようとしたのですが、この取引を上海の総領事が許可しない。
密輸の疑いがあるというのです。
要するに今も昔も同じChina流で、懐に銭を入れろというわけです。
山下太郎は頑固です。
一度でもそれに応じれば、次々と要求が跳ね上がる。
結果山下太郎は、取引そのものを破棄しました。
買い付けた米は、日本に持ち込めず、大損してしまいます。

大正9年には、満鉄の消費組合から米五万石の購入契約を結んだのだけれど、満鉄側から一方的に契約を破棄されてしまう。
さらに、トン当たり1,075円で買い付けた鉄材が暴落して75円になってしまう。

こうして結局、山下は破産してしまうのです。

普通なら、これで人生オシマイです。
ホームレスにでもなるしかない。
ところが山下太郎は、そんなヤワな男ではありません。

満鉄に、新しい人事体制が敷かれ、古くから知遇を得ていた松岡洋右、長野護(まもる)らが着任すると、山下はさかんに彼らに接触します。
松岡や長野にしても、なるほど山下は破産者ではあるけれど、見どころのある男だ。かならず、なにごとかをなすにちがいないと思っている。
要するに、経済ではなるほど山下は破産したけれど、コイツは男だと思わせるものが、山下太郎にはあったのです。

こうして山下は、大正13(1924)年、満鉄から2万戸の社宅建設と管理の包括受注を得ます。
これによって、山下の事業網は日本国内はもとより満州、China、Koreaまで拡大する。
そしてついに山下は、「満洲太郎」と異名をとる東亜の大実業家に返り咲くのです。

ところが・・・昭和20(1945)年、終戦。
日本は、満洲、China、Koreaを手放し、山下の資産もすべて没収となってしまう。
山下は、ふたたび無一文になるのです。

GHQによって占領統治下に置かれた日本は、昭和26(1951)年のサンフランシスコ講和会議を締結します。
戦後、「占領統治下日本」となった日本は、GHQ解散後も、石油は100%アメリカからの輸入です。
石油の価格は、1バレル、3ドルに固定です。
当時は1ドル360円の固定相場です。

初任給が6千円内外の時代です。
つまりいまならマクドナルドのハンバーガーが、米国産なら1個2万円したみたいなものです。
そういう時代にあって、産業復興のための資源エネルギーの中核となる石油が固定相場で、しかも競争もない、完全なアメリカの下僕となっていたわけです。

なんとかして日本独自の石油を手当てしなければならない。
山下は、要路の人達をまわり、日本経済発展の元になる石油を、日本が自前で確保するよう説いて回ります。

ところが山下には、問題意識はあっても、石油に関する知識もノウハウもない。
あるのは、ただ「国のために、なんとしても自前の油田での採掘をしていかなければならない」という危機意識と情熱だけです。

しかし対米追従だけに汲々とする財界や官界は、まるで動きません。
一文無しの山下の話などに耳を貸さない。
あげく「山下は、山師(やまし)だ」とまで揶揄されます。

そんな折、エジプトと英国が、スエズ運河の国有化問題をめぐって対立を深めました。
さらにイスラエル問題によって、中東諸国と欧米の関係が険悪なものになる。
山下は、これを好機到来、と読みます。

それまで油田の権益を欧米系のメジャーにしか与えてなかった中東諸国が、欧米以外に油田の権益を与える方向に傾いたのです。

日本にとって、戦後最大のチャンスが訪れている。
日本が独自に中東からの石油を採掘するのは、いましかない。

山下は「財界総理」といわれた経団連の石坂泰三会長を訪れました。
そして石油開発の重要性を切々と訴えました。

「で、そのために、資金はいくら必要なのかね?」
と聞く石坂に、山下は、
「はい、百億円の保証です」と答えます。

当時のお金で百億といったら、いまの経済感覚にしたら、おおむね十兆円くらいと思っていただいたらよいかもしれない。
石坂は表情を変えて
「百億円?そんな金額は俺にはないよ。
 まぁ夢物語には協力するが・・・」
山下はすかさず、
「百億円の保証、ありがとうございます!」
と頭を下げました。

気合です。
石坂は笑うしかなかったそうです。

山下太郎は、石坂泰三の返事をもらうと、当時の内閣総理大臣石橋湛山、 外務大臣の岸信介らを訪ねました。
そして、サイジアラビア政府宛ての紹介状を書いてくれと頼み込みます。

うまくいくかどうかなんて、わかりません。
しかし国がサウジまでの旅費を出すわけでもないし、紹介状一枚で、もしうまくいけば、日本は独自の油田採掘の権利を確保できるのです。
石橋湛山も、岸信介も豪胆です。
一文無しの山下を、男と見込んで紹介状を書いてくれたのです。

総理と外務大臣の紹介状を手にした山下は、昭和32(1957)年2月、サウジアラビア政府を訪問しました。
そして両者は、「正式な利権交渉を6カ月以内に開始する」との合意書にサインします。
交渉は大成功です。

サウード国王に謁見する山下太郎
サウード国王に謁見する山下太郎


帰国した山下は、政財界を説いて回り、全面的な資金援助を取りつけました。
そして昭和32(1957)年7月、アラビア石油株式会社の発起人総会を開催し、その足で、再びサウジアラビアに飛びます。
サウジでの交渉相手(パートナー)は、地質学者でもあるアブドラ・タリキ財政経済省石油鉱物資源局長(後の石油大臣)です。

交渉は難航しました。
当時、サウジの石油利権を求めていたのは日本だけではないのです。
欧米の、実績ある大手石油会社が、こぞって利権獲得に乗り出していたのです。
実績のない日本に勝ち目はありません。
さりとて、露骨な利益誘導やワイロを送ったところで、実績豊富な西欧の資金力に、勝てるわけもない。

どうするか。。。。

山下は、細かな交渉の内容や、巨額の利益誘導やワイロではなく、相手との個人的信頼関係にすべてを賭けます。
それで何をするのかといえば、ひとつひとつはつまらないことです。

約束を守る。
時間に遅れない。
悪口を言わない。

そして彼は、アブドラ・タリキ局長の誕生日に、デトロイト(米国ミシンガン州)から十数台の特別仕様のキャデラックを購入してプレゼントしました。
十数台というのは、実は、アブドラ・タリキ局長の彼女の数だったのです。
山下は、彼の彼女の数を正確に把握していたのです。

これにはアブドラ・タリキ局長が大笑いしました。
「ミスター、ヤマシタは、
 実におもしろい奴だ」

金額からしたら、キャデラック十数台など、他国のワイロに比べたらタカがしれてます。
しかし、堂々と、かつ、あっけらかんとそういうことをする山下という男に、アブドラ・タリキ局長は、ぞっこん惚れ込んだのです。

二カ月におよぶ長い交渉の結果、 サウジ政府は山下太郎氏との契約の大綱を10月に承認し、12月10日、双方は石油利権協定に正式に調印しました。
翌年2月、アラビア石油株式会社設立。
会長に経団連会頭の石坂泰三氏、山下は社長に就任します。

続いて山下はクウェート政府との利権交渉に着手し、紆余曲折の末、同年7月にクウェイト政府と利権協定を締結します。

こうして、日本初の海外における石油開発事業が始まりました。
アラビア石油は昭和35(1960)年1月31日に採油に漕ぎ付け、この後、「日の丸油田」と呼ばれる日本の油田をサウジや、クエートで掘削するようになりました。
「日の丸油田」の埋蔵量は莫大で、世界でも有数の一級油田でした。

山下太郎は、昭和42(1967)年、心筋梗塞のため78歳で亡くなりました。
「日の丸油田」は、山下の死後も、安定した石油を日本に送り続けました。

しかし契約から40年経った2000年2月にサウジ、2003年1月にクエートで、アラビア石油、つまり日本は、日の丸油田の採掘権を、契約期間満了で失いました。
石油はまだまだ大量の埋蔵量が残っているのに、です。

実は、山下亡きあと、アラビア石油には、次々と、官僚や銀行出身の役員が乗り込み、代表に就任しました。

彼らは、なるほどパートナーの王族の誕生日に、300万円程度の壺を持参するなどはしています。
しかしそういう形式では、相手には何の感動も与えないのです。
まして、お金や財産ならあふれるほど持っているアラブの王族です。
値段が高ければ、それで満足するというものではない。

話は飛びますが、日本では、スチュワーデスといえば、女性の花形職業です。
収入も高い。
欧米でも、もちろん空の勤務のスチュワーデスは、高級な女性です。

ところが貴族の娘さんの職業として、尊敬されるのは、看護婦や介護の女性です。
収入からいったら、看護婦や介護の女性よりスチュワーデスの方が、ぜんぜんいいです。
そのことは日本も西洋も変わりません。

しかし、たとえば英国人の貴族(サー)の娘さんなら、家に領地はふんだんにあり、財産もたっぷりあるから、給料をもらおうがもらうまいが、生活にはなんの支障もないのです。
だから、目先の給料がいいとかわるいということよりも、
「人として尊敬できる仕事である」
ことのほうに給料以上の価値を見出すのです。

同様に、数千円の荒巻鮭(あらまきしゃけ)一本と、グラム100円のシラスと、どっちが価値があるか。
一匹で数千円のモノ方が、価値があると考えるのが、いまどきの日本人です。
しかし、もともとの日本人の感覚は、まったく違っていました。

何千円、何万円出そうが、一匹の命です。
しかしグラム100円のシラスは、そのなかに何百匹の命がある。
自分の栄養のために、それだけの命をいただくのです。
だから、それはとてもありがたいことなのだと、教わりました。
お金の価値が全てを表すわけではないのです。

なぜこのような話をするかというと、要するに「日の丸油田」が消滅したのは、山下亡きあと、アラブの王族と、日本側代表者に、お金ではなく、人としての心の絆を作ることができなかった、ということだからです。
それはとても残念なことです。

3百万円の壺であろうが、30億円の壺であろうが、同じことなのです。
そういうことではなく、人と人との絆。
裸一貫の男としての魅力。
実は、世界を動かしているものは、ただお金だけではないということを忘れてはいけないのです。

山下太郎の魅力は、お金ではなく、人としての魅力にあったと言われています。
それは彼が、どんなときでも、どんな苦境にあっても、めげず、くじけず、そして何より明るかったことです。

山下太郎は男でござる。
男の人生は、底抜けの明るさと笑顔での七転び八起き(ななころびやおき)です。


【参考】
サウジアラビア大使館のHP
http://www.saudiembassy.or.jp/50years/4.htm

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小名木善行(おなぎぜんこう) HN:ねず

Author:小名木善行(おなぎぜんこう) HN:ねず
連絡先: nezu3344@gmail.com
執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」、「百人一首塾」を運営。
またインターネット上でブログ「ねずさんのひとりごと」を毎日配信。他に「ねずさんのメールマガジン」を発行している。
動画では、CGSで「ねずさんのふたりごと」や「Hirameki.TV」に出演して「奇跡の将軍樋口季一郎」、「古事記から読み解く経営の真髄」などを発表し、またDVDでは「ねずさんの目からウロコの日本の歴史」、「正しい歴史に学ぶすばらしい国日本」などが発売配布されている。
小名木善行事務所 所長
倭塾 塾長。

日本の心を伝える会代表
日本史検定講座講師&教務。
(著書)

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私は、相手に対する尊敬の念を持たず、互譲の精神も、相手から学ぼうとする姿勢も持ち合わせない議論は、単なる空論でしかなく、簡単に言ってしまえば、単なる揶揄、いいがかりに他ならないものであると断じます。

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