1985年に「三菱ミニカ・マスコットソング・コンテスト」で最優秀賞(和田加奈子「パッシング・スルー」)を獲得したのをきっかけにデビューし、Winkの「淋しい熱帯魚」ややしきたかじんの「東京」、アニメ『新世紀エヴァンゲリオン』のオープニング曲となった高橋洋子の「残酷な天使のテーゼ」を筆頭に様々なヒット曲を世に送り出してきた作詞家・及川眠子。彼女がこれまでのヒット曲を題材にそのメソッドを余すところなく綴った自身初の作詞教則本『ネコの手も貸したい 及川眠子流作詞術』が話題を呼んでいる。この本では、「ボックス」と「フレーム」という考え方を筆頭に、それぞれの楽曲の歌詞に込めたアイデアを詳細に描写。作詞教則本としての高い実用性に加えて、時代を彩った数々の名曲の誕生秘話を辿るような、一種の「ドキュメンタリー作品」としても楽しめるものになっている。この本が誕生したいきさつや、職業作詞家の奥深さ、そして最近のアーティストの中で素晴らしいと感じた歌詞などについて聞いた。(杉山仁)
独学で、現場で学んできたことは伝えられる
――今回の『ネコの手も貸したい』は作詞教則本というカテゴリーに入る書籍です。まずはタイトルが非常に面白くて素晴らしいと思いました。
及川眠子(以下、及川):2月に出したコンピレーションが『ネコイズム~及川眠子作品集』というタイトルだったので、「ネコ関連」でやるのが分かりやすいんじゃないかと思ったんです。あと、私はかつてコピーライターをやっていたので、もともとある言葉などを変換させたり捻ったりするのが得意なんですね。そこで、「猫に小判」など色々な言葉を出しているときに、「ああ、猫の手も借りたいもあったな」と思いついたのがきっかけです。ただ、私はそもそも、人に教えることはあまり得意ではないんですよ。これは以前、(作曲家の)都志見隆さんが言っていたことですが、「作曲や演奏は練習すればできるようになるけれど、作詞はそうはいかない」と。つまり、今プロとしてやっている人というのは最初からある程度詞が書けていた人たちばかりで、そういう人たちには書けない人が何を悩んでいるのかが分からない。そこで今回の本では、ライターさんを入れてインタビューしてもらうスタイルにしました。つまり、自分の方法論の何が役に立つのかは分からないけれど、気になることを聞いてくれれば、私のやり方は教えられますよ、ということで。これまでにも個人的に相談に来られる方がいたり、「アーティストに作詞を教えてほしい」と言われる機会はあって、そのときに今回の本の中にも出てくる「ボックス」と「フレーム」の話をすると、その子たちは「こんな教え方は今までしてくれなかった」と言うんですね。そこを膨らませてひとつの本にすればいいと思ったんです。
――ある風景を思い浮かべて、そこから思いつく言葉を取り出していくという「ボックス」と「フレーム」の話をはじめとして、この本には及川さん流の作詞法がとても詳細に書かれています。ここまで具体的に作詞術を明かしてもいいと思えたのは、なぜだったんですか?
及川:それはやっぱり、自分が30年以上置いてもらえた音楽業界への「お返し」ですね。作詞はもともと「正解も間違いもないもの」ですけど、それにしても今はコンペが主流で、選ばれなかったとき「なぜダメだったのか」が分からないことも多いと思うんです。その中でずっとやっていると煮詰まるし、どんなに才能のある子でも消耗してダメになってしまいます。
――及川さんのメソッドを公開することで、その役に立つかもしれない、と。
及川:もちろん、私はコンペには参加してこなかった人間なので、今の正確な状況は分かりませんよ。でも、人に話を聞くと、一斉メールで募集要項が送られて「やる人はどうぞ」ということも多いみたいで、そうすると直接意見を聞かせてもらう機会はなかなか生まれない。それなら、私の方法論を公開することで「こういう方法もあるよ」という例にはなると思ったんです。私が独学で、現場で学んできたことは伝えられる。でもそれは、あくまで例のひとつであって、「正解でも間違いでもない」というのがこの本の基本的な姿勢です。
――なるほど、参考のひとつにしてほしい、と。及川さんはもともと中学の頃に「作詞家になりたい」と思ったそうですが、その当時、どういう音楽に興味を持っていたんですか?
及川:中学の頃は、吉田拓郎のような当時のフォークミュージックですね。当時はちょうどフォークシンガーが日本でも流行りはじめて、時代がニューミュージックへと移り変わっていく頃で。それまではフォーリーブスのような、いわゆるアイドルの音楽を聴いていました。
――当時のフォークミュージックは、言葉がとても重要な音楽のひとつだったと思います。
及川:そうそう。あとは、チューリップも好きでした。洋楽も好きで聴いていて、これはローリング・ストーンズから入ったのかな。ビートルズはちょっと上の世代で、私が小学校6年生ぐらいのときには解散していました。あえてビートルズにはいかずに、ローリング・ストーンズだったんです。そこからザ・バンドやリトル・フィートを好きになったり、イーグルスやドゥービー・ブラザーズのような音楽も聴くようになったりしていきました。
――作詞家を目指しはじめてから、影響を受けた方といいますと?
及川:それはやっぱり、(書籍内のコラムでも書いている)中山ラビですね。あの人の書いた歌詞の底に流れている「情念」に惹かれました。当時から、そういうものがない歌詞にはあまり引っ掛からなかったと思います。しかも私の場合マニアックで、同じ情念でも中島みゆきには行かないんです。むしろ中山ラビや佐井好子、ちょっと近いところだと山崎ハコとか、そういう人の歌詞が好きでした。その流れで後にムーンライダーズに行くことを考えても、私は「王道」にはあまり惹かれない人間なんだと思いますね。
――とはいえ、及川さんの書かれた歌詞には、長く多くの人々に愛されている、いわば「王道」になっている曲もたくさんあると思います。そのバランス感覚はとても不思議ですね。
及川:私を育ててくれた、がっつり仕事をしたディレクター/プロデューサーは大きく言って2人で、ひとりはやっぱり(元ジャックスで、Winkなどのプロデューサーとして知られる)水橋春夫さん。そしてもうひとりは、当時キャニオン・レコードでチェッカーズのディレクターをしていた吉田就彦さんでした。その2人は、それぞれ別の方向から私を見てくれたんですよ。たとえば吉田さんが初期から言ってくれたのは、「君は何かを見つめるときに、ここ(対象の深いところ)を書こうとする。そこまで書ける人はなかなかいない。だからこそ、そうでないところも書けるようになりなさい」ということでした。それだけだと仕事の幅は絞られるし、アイドルだと、もっと浅いところも言葉にする必要があるわけです。
――深い歌詞によって魅力が増す曲もあれば、もっとライトな歌詞こそがハマって、曲の魅力を引き出す場合もある、ということですね。そのどちらもできることが大切だ、と。
及川:そうですね。「君は深いことを書けるのが強みだから、そうでないところも書けるようになりなさい」と。一方で水橋さんは「君は着眼点が他と全然違う」と言ってくれていたんですよ。「僕は他のディレクターはバカだと思ってた。及川眠子は変なものでこそ本領を発揮する人なんだから、正統派の詞を書かせても売れるはずがない。だってWinkも変だったでしょ?」って(笑)。彼は「変なものじゃないと時代は変えられない」とも言っていましたね。
――2つの角度から及川さんの魅力を引き出そうとしてくれた方がいたんですね。また、そもそもヒットするものは、以前の価値観からは外れたものであることも世の常です。
及川:ヒットすることで、王道がそっちにスライドしていくわけですよね。私も考えてみたら、変なものしか当ててないですよ(笑)。やしきたかじんも、『新世紀エヴァンゲリオン』もそうです。他の方だって、阿木燿子さんもやっぱり、どこか変なところがある。もっと言うと阿久悠さんだって、あの時代からすると異端だったと思うんです。
音楽は時流とともに生きるもの
――この本を拝見して改めて印象的だったのは、詞を書くという行為は、チーム作業の中のひとつの工程だ、ということでした。
及川:作詞家というのは裏方で、言ってみればコマのひとつです。でも、だからこそそこに尽くさないと、全体がずれてしまう。Winkの30周年のインタビューでも話したんですが、Winkの場合だと「水橋さんだけが天才だった」んですよ。他の人たちは、アレンジャーの船山基紀さんや門倉聡さんにしろ、振付師の香瑠鼓さんにしろ、スタイリストの源香代子さんにしろ、私にしろ、天才ではなくて「職人」だった。だからこそ天才の言うことを聞いてあげられるし、応えてあげられたんです。つまり、水橋さんに「あなたのやりたいことは?」と聞いて彼が「くるくるしてほしい」と言うと、みんなでその「くるくる」を形にしていくわけです(笑)。「曲」を作るというのは、そういうチームワークでの作業ですね。そして、そのチームワークが整っているものは売れます。プロデューサーがひとつの方向を向いていて、周りに優秀な職人がいれば、その曲は売れると私は思うんですよ。Winkだと船山さんのアレンジもそうですし、あとはやっぱり、メンバー2人のキャラクターもそうですし。それは本当に組み合わせの妙で、「売れる」というのも、その作業の結果でしかない。みんな作っている段階では「この曲は売れる!」と思って作っているわけですしね。
――「作詞は瞬間芸だ」というお話もされていますね。実際ひとつの曲の歌詞には、そのアーティストのキャリアの中での位置づけや、その曲が送り出される時代との兼ね合いなど、そのときの様々な要素が関係してくるのではないかと思います。
及川:そうですね。そしてその一瞬のために、何十年もかけてきたものがなければいけないんです。それはすぎやまこういちさんが『ドラゴンクエスト』の音楽を5分で書かれて、それを「50年と5分です」と表現したのと同じことで。私の場合も、(頭の近くを指しながら)この辺りに漠然としたアイデアが常にあって、割と早い段階から、曲を一度聞けば「こういう方向性はどうですか?」と提案ができるようなタイプでした。
――それはすごい。ご自身では、なぜそれができると?
及川:これはあるとき、水橋さんが分かりやすい一言にしてくれました。その言葉で言うと、「勘がいい」ということですね。「眠子ちゃんは勘がいい」と言っていて、「そうなの?」と聞くと、「そうだよ。1回曲を聴いただけでどこのメロディがおいしくて、どういう風に組み立てればいいかをポッと出してくるんだから。その勘が才能なんだよ」と言っていました。もちろん、人との相性もあって、いくら話し合ってもお互いのやりたいことが分かり合えないこともあります。ただ、ヒット作を作れる作詞家や作曲家やアレンジャーは、みんな勘がいいんじゃないかと思いますね。この間、大森俊之さんとやりとりをしていても、「どんな感じがいい?」「サブちゃんの『まつり』みたいなの」「ああ、分かった」というやりとりで曲ができていく。もちろん、結果として出来上がってくるものは全く別のものになりますけど、その感覚は捉えているんです。
――「その人が言う『まつり』とはどういう意味か?」を察知する能力が高い、と。
及川:そう。それを想像するんですね。
――及川さんが作詞家をされていて、一番嬉しい瞬間はどんなときですか?
及川:職業作詞家としては、単純に「売れたとき」。もちろん、「ステージで私の詞を歌ってくれたとき」と言う人もいるだろうけれど、そこも飛び越えて、今思うのは「売れたとき」です。
――確かに、曲が売れることがそのアーティストにも、かかわったチームにもよりいい状況をもたらすでしょうし、何より曲の存在を世に広めることに繋がります。
及川:そうですね。ただ、最近はたとえば『ベスト・テン』のような歌番組もないですし、分かりやすく「売れた」とは実感しにくい時代になっていますよね。CDだと握手券で売ったり、パターン違いで売ったりという手法もあって、枚数は行くけれども多くの人は知らないというパターンもある。つまり、CDもグッズになっている。音楽自体はなくならないけれど、触れる形は変わってきているということですね。でも、私はそういう時代の変化が悪いことだとは思わないんです。形態はどんどん変わっていくもので、むしろその中で、どれだけ人の胸に刺さる、記憶に残るものを書いていけるか、ということだけだと思う。それって「もうレコードに針を落とす時代ではない」ということと一緒の話ですし、私だって、大森靖子ちゃんの作品をCDで買いますけど、曲自体はYouTubeで観たりするわけなので。
――なるほど。
及川:そもそも、音楽って時流とともに生きるものだと思うんですね。変わって当然だからこそ時代や社会を映す鏡になる。だから、そこに追いついていけなくなったら、私はもうやめるしかないと思うんです。そこでたとえば、「歳は取ったけど、演歌だったら書けるよ」と言うのは演歌の歌詞を書いている人に失礼だし、私はみっともないと思う。今演歌を書くんだったら、20~30代の人にも興味を持ってもらえるものをどう書くかを考える必要があって、結局そのためには時流を見るしかないわけです。今の演歌を書けないと、歌詞を書く意味がない。だから、今回たまたま教則本を出しましたけど、自分が書けなくなったときに、人に教えようという気持ちもないんです。現役の作詞家でいたいし、「違う」と思ったら退いて、あとはのんびりと隠居生活を送ります。本当は、50歳ぐらいでそうなるはずだったんですけど(笑)。
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