私、アインズこと鈴木悟は胃が痛かった。
いや、もちろん胃はないのだが、本来それがあった場所が痛むのだ。始まりは1週間程前のこと、最初は棘が刺さった様な痛みだった。次に針で刺される様な、その次に指で抓られる様な痛みという風に徐々に増していき今に至る。
「はぁ…。ペストーニャに診てもらおうかなぁ…」
本日のアインズ当番であるシクススに聞こえるか聞こえないかぐらいの声でそう小さく呟いてみた。すると心配そうにこちらを伺うメイドの気配がする。それを無視してまた思考を巡らせる。しかしながら、すでに原因は己で導き出せているのだ。
(…ストレス、か)
そう、原因は『ストレス』である。皆さんが知ってのとおりアンデッドには《精神作用無効化》という基本能力があるのだが、それは他から影響を受けた場合であり自身で生み出したモノに関しては対象外なのだ。それ故に漆黒のモモン役をパンドラズアクターに任せ、毎日…毎日…政務に励み、慣れない魔王を演じている私は非常にストレスが溜まっている。
そう!!これはストレス性胃炎なのだ!!!!!
…というのはウソである。
アンデッドの精神作用無効化はしっかり働いているし、胃痛なんて無い。有るのは守護者達から回ってきた山積みの書類と、ナザリックの支配者で魔導国の王という現実。
ただ休みたい。
少しの間この柵から逃れたい。
その想い。いや、願いを叶えるべくして鈴木悟の全知能を集約し生み出した作り話。それが冒頭部分だ。構想から日々の細かな演技の仕込みまで含め、およそ1ヶ月半。そして今日、作戦はついに最終段階へと移行した。
はずなのだが…
「あいんず…さま…ぁ…うっ…」
「泣かないでよシャルティア!…私まで…うっ…」
「アインズ様!お気を確かに!我々は貴方様に忠誠を捧げるために生きているのです!こんなところで死なないでください……」
「うっ…ひっく……」
「アインズ様ハオ強イオ方、コノ程度デ死ナレルヨウナハズハナイ。ソレハ不敬ダ」
「そうですよアルベド。しかし、非常に危険な状態であることは間違いありませんね」
(え?)
「アインズ様! 私の愛するアインズ様がこんなにも苦しんでいらっしゃるのに…私は何もしてあげられないなんて!……あいんじゅじゃまぁぁぁあああ…うっうっうう……」
「こんなことになるなら…ひっく…もっと甘えておけば…良かったで……ありんす…」
「ぼくも…うぇぇええん…」
「あたしだって!あたしだって…うぇぇええん…」
「「………」」
(…なんだこれはっ!? なんか皆めっちゃ泣いてるし! ペストーニャに診て貰いに行っただけなんだけど! どうしてこうなったんだ…)
--ーーー話は2時間前に遡る
「アインズ様、ようこそお出で下さいましたわん」
ナザリック地下大墳墓第九階層ロイヤルスイート。
ここには大浴場、バー、雑貨店やネイルアートショップなど多義に渡った様々な施設がある。もともとはユグドラシル時代にギルドメンバー達が
そんな一角にある診療施設。アインズが伴のシクススと
「ペストーニャよ、少し胃の辺りが痛むのだが診てはくれないか」
「っ!?…失礼しました。畏まりましたわん」
(ふふふ、良い反応だ。アインズ様当番のメイド達にはここ最近俺が不調そうな様子を見せていたからな!当然ペストーニャも耳にしてるはず。日々の演技の効果が出てるぞ。よし、この調子でいけば!俺にもやっと休暇が!)
アインズは目の前に迫りつつある久方ぶりの自由に思わず口元が緩む。
「ではアインズ様、私は診察の為の器具等を準備して参りますのでこのローブに着替え奥のベッドに横になってお待ち下さいませ。その際、服やマジックアイテム等はすべて外しこちらの篭に入れて下さいわん」
「うむ、すまないな」
(それにしても久しぶりに来たなここ…)
シクススに着替えを任せている間室内を見渡す。暗色の木製のドアを開けて入ったそこは12畳ほどの質素な空間だった。壁は清潔感を感じさせる白色。床は褐色の木目調で、入ったとたんに薬品の匂いがツーンと鼻を突く。右手に薬品棚、その奥に簡易なパイプベッドが2つ置いてあり、左手の壁にはホワイトボード、その下にはいかにもと言いたくなる事務机が置いてある。
(たしか、ここはペストーニャの製作者"餡ころもっちもち"さんが作ったんだっけ。作った当初はナザリックに病院なんていらねぇ!っなんてウルベルトさんが反対して言い合いになってたなぁ…)
ナザリックの者達はほとんどが異形種かつ、属性が悪に傾いている。特にアインズをはじめとするアンデッド、そしてアルベドやデミウルゴスをはじめとする悪魔などがその範疇だ。さらにアンデッドには普通の回復魔法などは効かず、負のダメージを与える魔法で回復する。故に、そのような者が集う場に"病院"などという神聖属性に偏った施設があるのは相応しくない。アインズも最初はそう思っていた。
しかし、餡ころもっちもちは違った。彼女はナザリックに住む数少ない善の者達に目を向けたのだ。善、つまりはカルマ値がプラスの者達が肩身の狭い思いをしなくて良いように、この場所の存在が彼らの存在を肯定してくれるようにと。
その素晴らしい考えにアインズ含め他のメンバー(ウルベルト以外)が賛同し、取り壊さずに今に至る。
(なつかしいなぁ…。あの時の餡ころさんの熱弁はホント凄かった。感動して思わず拍手しちゃったし)
着替えが終わりアインズがベッドに横なると同時に、まるで見計らっていたかの様なタイミングでペストーニャが戻ってきた。先程のメイド姿ではなく白衣に着替え、銀色のプレートに
「それでは、御体のほうを診させて頂きますわん」
ペストーニャはまず虫眼鏡のようなアイテムを使ってアインズの身体を汲まなく検査していく。聞くとこれは対象の魔力の流れが見える
次に使ったのは藁人形のような見た目をしたアイテム。ペストーニャはそれを両手で握り身体の前へ突き出して目を瞑る。そして力なく項垂れた。
「普通、ですわん。御体に特に異常はみられませんでした。念のため呪術系の魔法がかけられているのかも調べさせていただきましたが、此方も特に異常ありません」
「…ふむ、なるほど。ペストーニャでも分からないか…」
「申し訳ございません、アインズ様。私が力無いばかりに…わん。この罰は如何様にでも」
ベッドの傍ら、ペストーニャが膝をつき頭を垂れる。ここでアインズが一言命じれば、彼女は迷うことなく自害するだろう。だがアインズは上体を起こしそっとその頭をなででやった。
「よい、ペストーニャ。お前が責任を感じることはない、お前の全てを許そう」
「…っ!? し、しかしアインズ様!」
ナザリック地下大墳墓至高御方四十一人の頂点に君臨するアインズに頭をなでられたという事実に、ペストーニャは目を見開き驚愕の表情で主を見る。そんな表情に反して服から突き出た尻尾は正直だったが。
「よいのだ、この私でも解けなかったのだからな。それに、この"原因不明の病"がお前達ナザリックの皆に蔓延する可能性もある。ならばこの身を犠牲にしてでも原因を突き止めるべきであろう。…その為にはペストーニャ、お前の力が必要なのだ」
「……慈悲深きお言葉、ありがとうございますわん。しかし、アインズ様。アインズ様でも解けなかった
「心配することはない。…実は、少々心当たりがあってな」
アインズは顎に手を当て、いつも練習している支配者然とした態度で暫しの沈黙を作る。
「そ、その心当たりと言うのは…」
「実はな、私はこの痛みを精神的苦痛、言わばストレスによるものだと考えているのだ」
「ストレス…ですかわん?」
「…アンデッドには《精神作用無効化》という基本能力があるのは知っているな? しかし、それは他から影響を受けた場合であり自身で生み出したモノに関しては対象外なのだ。ナザリックの支配者と魔導国の王という二つの立場を持つ者として日々仕事に追われていると、知らず知らずの内にストレスが溜まっていたのかもしれん」
「…なるほど。それは大いに可能性がありますわん。ならばアインズ様、それに適した医療魔法がございます。そちらを試してはいかがでしょうか…わん」
「…ほう、頼めるか」
「畏まりました、では少々お待ち下さいわん」
ペコリとお辞儀をし、ペストーニャが隣室へ入っていく。それを見送るとアインズはふぅと肩の力を抜いた。そして心の中で呟く。
(………よし、順調だ)
そう、ここまでの流れはよもや疑いたくなるほどアインズの計画通りだった。凡人以下の頭しかないアインズだが1ヶ月半もかけて計画したのだ。毎日毎日シュミレーションを重ね、アルベドからの政務活動の報告、セバスからの王都での調査報告、デミウルゴスからの牧場での交配実験の報告、それらの時間も費やした。食事も寝る間も惜しみ(両方できないが)、唯一の癒やしであるアウラとマーレを撫でる時間さえも削って考えた。故にその叡智はもはや、あの"デミウルゴスの一瞬"に匹敵するほどにまで高まってしまっていたのだ。
「お待たせいたしました」
しかし、そんな考えもペストーニャが持ってきた一つの
「なっ…ペストーニャそれは!?」
「《完全なる狂騒》でございます。ではアインズ様…」
「…え、ちょっ…ま!」
パァァン
「
その声を聞いたのを最後にアインズの意識は途切れてしまった。
ーーーーーーーーー
…そうして今に至るのだが。
こんなことになるなんて、予想だにしていなかった。
どうやらアインズは自室のベッドで寝かされていたようなのだが、なぜか階層守護者達がベッドの周りで泣いている。今日のアインズ様当番であるシクススをはじめとする一般メイド達も守護者の後ろで顔をぐしゃぐしゃにしているし、メイド長であるペストーニャも茶色の体毛が変色するほど泣いている。
(なんだこれはぁあああああ!?!?)
今にも叫び出したかったが、こんな雰囲気の中できるわけがない。とりあえず頭の中で状況を整理していく。
(…なんで俺は自室のベッドで寝てるんだっけ? たしか、ペストーニャのところに行って、
脳裏に赤と橙の縞模様をした三角錐が浮かび上がる。
(アンデッドなのに寝てしまってたのはアレのせいか…)
つくづくあのアイテムにはツイてないな、と思いつつアインズはもう一生アレを使わないことを固く決意した。
そうしてしばらく天井をみつめているとペストーニャが重い口を開く。
「申し訳ございません。私が不甲斐ないばかりにアインズ様を病魔からお救いすることができず…わん」
「……いいえペス、私のせいだわ。報告は上がっていたはずなのに、アンデッドであるアインズ様が体調を崩すなどあり得ないと一蹴していたのだから…」
「アルベド、貴女だけのせいでもありませんよ。その件に関しては先日の守護者会議でそう結論づけたじゃありませんか。私達、いえナザリックの皆がアインズ様の種族特性に甘んじて警戒を怠ったのですから」
「ソノ通リダ、アルベド。コレハ我々僕全員ノ失態ダ」
「……そうね。ありがとうデミウルゴズ、コキュートス。少し気が滅入っていたようだわ。アインズ様がお目覚めになったら、我々僕全員に罰を与えて頂きましょう。それでペス、アインズ様はいつお目覚めになるのかしら」
「それが…、私にも分からないのです。
「……そう…。では気長に待ちましょうか。私もまだ仕事がたくさん残ってるから、さっさと終わらせないといけないわ。それに、決めないといけないこともできたわよ」
「ええ、そのようですね。」
「ん? なにを?」
「ど、どういうこと、ですか?」
「ドウイウ意味ダ、アルベド」
(なんだか嫌な予感が…)
「あら、わからないかしら? 当然のことだと思うけど」
「私が説明しましょう。至高の四十一人であり、ナザリック最高の支配者であり、最後までこの地に残られた慈悲深き御方が今病魔に蝕まれておられる。他の至高の御方々がお戻りになられない現状、次に我々が忠義を捧げるのは誰だい?」
(…あ)
「……ッ!?…ソレハ…オォ…」
「…な…なるほど…」
「…なるほど、そういうことねアルベド」
「どういうことでありんすか?」
「…はぁ、シャルティア。あんた本気で言ってんの?」
「なんでありんすか? 本気でありんす!」
「んん、シャルティア…、君はやはり…。いいでしょう、率直に言うと、正妃を決めるということです。アインズ様に御世継ぎを残してもらうためにね」
「なるほど、そういうことでありんすね!ならまかせるでありんす!がんばるでありんす!」
「いえ、これはナザリックの運命を決めるといっても過言ではないこと。そう簡単には決められないのだよ、シャルティア。アルベドとアウラ、そしてアインズ様と話し合って貰わないとね」
(やばい、やばいよコレ!)
はっ…!
さすがにこれ以上話が進むのはマズい
アインズは必死に身体を起こそうとする。
だが、自らの上半身はビクともしない
くそっ…!!
上半身がダメなら下半身はどうか
試してみるがやはり動く気配はない
それもそのはず、今アインズの身体にはアウラ、マーレ、シャルティア、アルベドのLv.100NPC4体がもたれかかっているのだ。ましてやアインズは
アインズがベッドで寝ていることをいい事に守護者達や一般メイドまでもがお世継ぎの話で盛り上がっていく。
(ちょ…っとまてーい! くそっ、全然身体が動かないじゃないか! ええい、こうなったら叫んでやる!)
「…………」
(なんで声もでないんだよっ!! 誰か、俺の視線に気付いてくれ! ………おいアルベド。 目あったよね? 今目あったよね!?)
黄金の瞳をもった絶世の美女が微笑む。アインズは悟った、完全にはめられたのだと。身体が動かないのは彼女が他の3人を誘導しつつ本気で押さえつけていたから、声が出ないのは喉に《無声口唇虫》を貼り付けられているからなのだと。
(くっそぉぉぉおおおおお!!!!!!)
アインズの悲痛な叫びは誰にも届くことはなく、時間だけが過ぎていった…