“アイドルダンス”というジャンルは存在するのか
アイドル歌手と呼ばれる存在が登場し、お茶の間に馴染むようになってから約50年。「踊りながら歌う人」というアイドルのイメージは、世間一般にすっかり定着しました。はじめは、ひとり歌に合わせて手だけで振りを付けていたのが、脚にもステップが付き、人数が増えるとフォーメーションが付き、その動きは時代と共に複雑化、多様化していきました。
そんな中「アイドルダンス」はこれまで、クラシックバレエやジャズダンス、コンテンポラリーダンスのように、ジャンルのひとつとしては捉えられることがありませんでした。逆に言い換えれば、アイドルが踊っていればジャズダンスでもHIPHOPでも、たとえ日舞だったとしても、それは「アイドルのダンス」になります。あくまで「アイドルと呼ばれる人が踊っていればアイドルダンス」という、なんとも実態のないものだったのです。
しかし本当に「アイドルダンス」というジャンルは存在しえないのでしょうか。日本の芸能史を振り返ってみるとそこには、かつてアイドルと呼ばれた女の子たちの汗と鍛錬で積み重ねられたダンスの文化や意味があることに気づきます。そこにアイドルダンスは生まれ、育ち、発展していったのです。
私が『IDOL DANCE︎!』という書籍を出してから約6年、アイドル界は今も目まぐるしく変化し続けています。テレビで、雑誌で、ネットで、全国のステージ上でアイドルを目にしない日はないものの、未だにアイドルダンスがジャンルとして市民権を得ているかというと、あと一歩、そこまでは届いていません。
この連載は、平成が終わる前に、この30年間のアイドルダンスを振り返り、「アイドルダンス」がダンスのジャンルとしていかに確立されたかを証明する試みです。アイドルダンスのどこに独自性があり、文化的社会的な意義を持ったのか。アイドルダンスの振付師であり、なによりアイドルを愛してやまないファンの立場から主張していきたいと思います。
アイドルダンスの発展はマイクの進化と共にある
アイドルダンスを語る上で、ひとつ避けては通れないテーマがあります。それはアイドルとマイクの密接な関係についてです。歌いながら踊ることが大前提のアイドルでは、マイクの進化なくしてアイドルダンスの発展はなかったといっても過言ではありません。第一回はそんなアイドルとマイクの歴史を振り返りながら、アイドルダンスの進化の軌跡をたどってみたいと思います。
日本で本格的に「アイドル歌手」と称される存在が生まれた1970年代初頭、南沙織、天地真理、小柳ルミ子がデビューします。それまで、流行歌のほとんどが演歌だった時代に、「新三人娘」としてそれぞれが歌謡曲でヒットを飛ばし、若年層を中心に爆発的な人気を得た彼女たちこそ、今日まで続く女性アイドルの礎と言えます。そんな彼女たちが主に活躍していたのがテレビの歌番組。そこでは、ワイヤードマイクを片手に持ち、もう片方の手で軽い手振りを付けて歌うのが主流でした。空いた方の手を持て余さないよう、ワイヤーを握る所作もこの頃はよく見受けられます。新三人娘だと南沙織と天地真理は右マイク、小柳ルミ子だけが左マイクでした。
人気オーディション番組『スター誕生!』から73年にデビューした、「花の中三トリオ」の三人も同じ歌唱スタイルでした。興味深いのは、山口百恵だけが主に右マイクで、桜田淳子と森昌子は左マイクだったということです。そしてこの時代から現在に至るまで、アイドルはマイクを左手に持つことがきわめて多くなっていきます。これは日本人の利き手の割合が右の方が圧倒的に多いため、マイクを左手に持ち、複雑な動きをする振付は右手で表現した方が効率的なためです。
中三トリオのような70年代のソロアイドルは、現在と比べて振付の量はかなり少ないですが、それでもすでに左マイクが増えていました。ところが山口百恵は、当時としてはダンスが激しい方に分類されるであろう「プレイバック part2」でも右マイクを貫いています。かの有名な引退シーンでも、ステージにマイクを置いたのはもちろん右手です。
右マイク、左マイクに分かれた理由はなにか?
そして80年代に「アイドル黄金期」が訪れます。小泉今日子、河合奈保子、柏原芳恵、早見優、堀ちえみといった多くのソロアイドルが左マイクなのに対し、松田聖子と中森明菜は一貫して右マイクなのです。当時指導していた先生の教えがそうだったといってしまえばそれまでですが、これは各自が表現のどこに重きを置いているかの違いのようにも思えます。
全員が右利きという前提で推測しますが、おそらく右マイクは利き手でしっかりマイクを握り歌うことに注力したい、左マイクは歌や所作の総合的な表現力を高めたい、という気持ちの表れなのではないでしょうか。実際に私が指導する新人アイドルでも、歌とダンス両方同時に初めて取り掛かる子の場合、左マイクと右手振付の様式を自然に受け入れられるのに対し、先にボイストレーニングを受けていたり人前で歌うことに慣れている子ほど、ここぞという歌唱パートでは利き手でマイクを持ちたがる傾向がみられます。ここに各自の表現者としての潜在的な志向が、マイクをどちらの手に持つかに表れているように感じるのです。
一方、グループやデュオのアイドルは、ユニゾン(全員で同じ動き)の振付を踊るため、マイクを持つ手はあらかじめ統一されています。73年にデビューしたキャンディーズは、左手にワイヤードマイクを持ち右手で振付を踊り、両手で踊る際にはスタンドマイクというスタイルでした。そして70年代後半に現れたピンク・レディーは、興味深いことにデビュー曲の「ペッパー警部」は右マイク、そこからしばらくは左マイクとスタンドマイクに変わって、全米デビューをした「Kiss In The Dark」から解散までは再び右マイクへと戻るのです。
ピンク・レディーのシングル曲のマイクの持ち手
「ペッパー警部」は、中指一本だけ表に引っ掛けるという、銃を持つ仕草をマイクの持ち方に取り入れているため右マイクなのかもしれませんが、その後左マイクとスタンドマイクで利き手や両腕をあけてダンスを魅せ、全米デビュー以降は表現の中心を歌に移行させていったように思えます。実際、それからのシングル曲は以前よりもしっとりとした曲調が増え、ダンスも躍動感は抑えたものに変化していきました。
アイドルマイク史に革命を起こした「ワイヤレスマイク」
そして80年代半ば、アイドルのマイク史に革命が起きます。ワイヤレスマイクの登場です。それまで長いワイヤーと繋がったマイクを持ち歌って踊っていたのに、それがなくなることがどれだけアイドルのダンスに影響を及ぼしたのか。たとえば、マイクを持ったままターンができるようになり、グループアイドルは自由に立ち位置を行き来してフォーメーションも付けられるようになりました。ワイヤレスマイクがなければ、光GENJIはスケート靴を履けていなかったかもしれません。
具体的にアイドルに導入されたのがいつかは分かりませんが、小泉今日子でいえば84年3月発売の「渚のはいから人魚」ではまだワイヤードマイクで統一されていて、半年後の「ヤマトナデシコ七変化」ではその時々によって変わり、翌年の85年11月発売の「なんてったってアイドル」ではほぼワイヤレスマイクに移行していました。
80年代アイドルといえば、おニャン子クラブも忘れてはならない存在です。ただ、彼女たちのマイク事情は極めて特殊で、85年7月発売のデビュー曲「セーラー服を脱がさないで」から、7作連続で1本のスタンドマイクを複数人で使用するスタイルが採られていました。限られたマイクの数に対し、メンバーの数が大幅に上回っていたからだと思いますが、これによりマイクから離れないようステップはタイトに、立ち位置もほとんど変わることはありませんでした。この形式は手持ちマイクの曲になってからも引き継がれたため、ワイヤードマイクが使用されたままでした。
80年代後半から『ザ・ベストテン』や『夜のヒットスタジオ』のような、アイドルが主戦場にしていた生番組が相次いで終了し、90年代になるといわゆる「アイドル冬の時代」に突入します。そこへアイドルとはまた別の潮流で現れたのが、90年代半ばのダンスヴォーカルグループの先駆けとなった沖縄アクターズスクール出身の女の子たちです。HIPHOPなど、ストリートダンスをベースにした振付を踊る安室奈美恵やSPEEDのメンバーが両手を使う振付の際に付けていたのが、ヘッドセットのマイクでした。
それまでは両手で踊りながら歌う場合スタンドマイクしか手段がありませんでしたが、マイクの位置が固定されるという難点がありました。その結果手振り中心になることはやむを得なかったのですが、おニャン子クラブが源流となっている90年代前半のアイドルのダンスではそれ以上のものを要さなかったという方が事実に近いかもしれません。
この時期に活躍したアイドルデュオWinkや森高千里も実際に手振りがメインの振付です。さらに言うとWinkはミドルテンポの楽曲に合わせてかポージングの要素が強く、森高千里はソロということに加え活動初期から作詞を手掛けており、時にアイドル的な所作を楽しみながらも、シンガーソングライターとしての意識の方が高かったのではないかと思います。
むしろ70年代後半のピンク・レディーにもしヘッドセットがあれば、さらにどんなにおもしろいパフォーマンスが見れただろう、と夢想するほどです。ヘッドセットの導入により歌いながら踊ることの可能性は無限に広がりました。
かつてアイドルは崇高な存在でした。そこにおニャン子クラブがもたらした、「身近」「親近感」という新しいアイドル像は、同時に「稚拙」という印象を芽生えさせました。90年代なかばに生まれたSPEEDを始めとする多くのダンスヴォーカルグループは、それまでのアイドルのように扱われるのをタブー視する風潮さえありました。しかし、マイクという視点でアイドルダンス史を振り返って見ると、ヘッドセットマイクとともにダンスヴォーカルグループの流行が起きたのはとても興味深いことであり、「アイドル冬の時代」に春を告げるとまではいかなくとも、小春日和くらいはここで訪れていたのかもしれません。
そこから時を経て、今度はアイドルの振付にもストリートダンスをベースにしたものが増えていきました。その結果、2000年代、2010年代のアイドルもヘッドセットのマイクを使用することは多く、むしろそれを装着するときは普段より激しく踊ることが多いため「ダンス曲」の象徴になっているのです。