それにしても、リベラル著名人士の私への悪口雑言の低劣さ、特に私の文章が全く読めていないことには改めてあきれた。正視が憚(はばか)られるものばかりだが、一部ご紹介する。

武田砂鉄氏(フリーライター)

『新潮45』、小川榮太郎氏の寄稿の一部。慄然とする。「満員電車に乗った時に女の匂いを嗅いだら手が自動的に動いてしまう、そういう痴漢症候群の男の困苦こそ極めて根深ろう。再犯を重ねるのはそれが制御不可能な脳由来の症状だという事を意味する。彼らの触る権利を社会は保障すべきでないのか」

 紹介個所は私の意見ではない。私を本当に痴漢の触る権利の擁護者と本気で思っている人があまりに多い事に慄然とせざるを得ない。この後、同工異曲のリツイートが急速な勢いで増殖する。妙なことに、私への批判と、『新潮45』の編集方針への非難が同時に展開され、事態は徐々に『新潮45』への「圧力」の様相を呈していく。

津田大介氏(ジャーナリスト)

新潮45炎上の件、現実問題としては新潮社に出版権預けていて、部数も出ている現役作家が何人か声明を出して出版権を引き上げたり、それなりの規模の書店が扱うのをやめたりといった具体的行動がないと、事態は動かないだろうな。(それをした方がいい、という話ではありません)。

 申し訳程度に「それをした方がいい、という話ではありません」と書かれているのが失笑を誘う。これは津田氏の勇み足で、「現役作家」らによる具体的な行動は、実際に相当数あったのではないか。
「あいちトリエンナーレ」の芸術監督に就任し、愛知県の大村秀章知事(右)から委嘱状を受け取る津田大介氏=愛知県公館
「あいちトリエンナーレ」の芸術監督に就任し、愛知県の大村秀章知事(右)から委嘱状を受け取る津田大介氏=愛知県公館
 社長声明が発行3日目というのはいくら何でも早すぎる。自然発生的対処と考える方が無理ではないか。

 津田氏のツイートが自然発生的でないその動きと何の関連もないかどうか、私は強く懐疑せざるを得ない。むろん、作家や物書きが一雑誌論文掲載について、出版社を版権で脅すなど自由社会で容易に許される話ではない。しかも、万一にも、秘密裏・組織的にそんな行動を取った人間がいたとしたら言論の土俵そのものを特定のイデオロギーの立場からぶち壊すファシストだろう。

平野啓一郎氏(小説家)

『新潮45』編集部は、新潮文庫で『仮面の告白』を読んでみたらどうか。読者として、新潮社の本で僕の人生は変わったし、小説家としてデビューし、代表作も書かせてもらった。言葉に尽くせない敬愛の念を抱いている出版社だが、一雑誌とは言え、どうしてあんな低劣な差別に荷担するのか。わからない。

高橋源一郎氏(小説家)

話題の『新潮45』の「杉田水脈論文擁護特集」をじっくり読んだ。読むんじゃなかった…。小川論文とか、これ、「公衆便所の落書き」じゃん。こんなの読ませるなよ、読んでる方が恥ずかしくなるから! あと、事実でおかしいところが散見されたのだが、最強の新潮校閲部のチェック入ってないの? 謎だ。

 平野氏が『仮面の告白』を読めというには失笑せざるを得ない。こんな初歩的、通俗的な例を持ち出して恥ずかしくないのか。編集者は編集過程での私へのメールで、「上田秋成の『雨月物語』の『菊花の契り』は、同性愛の純愛の話」との指摘をはじめ、「万葉の和歌」「ヤマトタケルや義経の女装」などを話題にして、日欧の同性愛観や性的マイノリティー観の違いを含め、知的刺激を与え続けてくれた。私にも編集者にもマイノリティー差別意識は全くなく、また実際に拙文はそんな内容ではない。