掲載日:2012年2月22日
映画青年でも文学青年でもなかったんです。将来は商事会社で働きたいなあなんて思っていたんですよ。ところが、僕たちが社会に出た1960年代初めは就職難でしてね。たまたま縁あって入社したのが東映だったんです。最初に配属されたのは制作進行。朝一番に出社して、セット撮影やロケーションの準備、配車、ロケ現場の交渉、道路使用許可証の手続き、俳優さんの控え室、スタッフの食事の段取り。撮影終了後は後始末をして深夜に帰宅する。大学で学んだ経済学とは何のつながりもなさそうな雑用ばかりで、最初は「俺、何をやってるんだろう」と思ったものです。
でも、なんだろうなあ。当時の映画人はみんな輝いていたんですよ。特に高倉健さんなど大スターと呼ばれる人たちや、往年の名監督たちは仕事に対する姿勢がきちんとしているだけではなく、人間的な魅力があった。自分には真似できないなあと思いましたね。そういう人たちに「ありがとう」なんて言われたら、もう舞い上がるほどうれしくて。目の前に与えられた仕事を一生懸命やるうちに、「あの監督は坂上をつけておけば」「あの俳優さんには坂上がいれば何とかなるだろう」ということになって、いつの間にか映画の企画に携わるようになったんです。「人に使われて人間関係を覚えろ」と言われたものです。
だから、僕には「こういう作品を作りたい」という大それたテーマはないんです。『鉄道屋(ぽっぽや)』なら「健さんがこの作品を演じたらかっこいいだろうな」、『劔岳 点の記』なら「木村大作監督が撮った劔岳を見たいな」とそれだけですよ。人を好きになったときと同じで理屈じゃない。『はやぶさ 遥かなる帰還』(2012年2月公開)もそうでした。
僕がこの映画の企画を思い立ったのは2010年3月。きっかけは、惑星探査機「はやぶさ」が3カ月後に地球に帰ることを報じた小さな新聞記事でした。長年の勘のようなものなんでしょうね。60億キロもの航海の末に自らは大気圏再突入で燃え尽き、カプセルだけを地球に帰す「はやぶさ」の姿に、映画の素材になるとは思ったんです。でも、本当にお客さんの心を動かせるのか確信はありませんでした。
背中を押してくれたのは、「はやぶさ」帰還前にプロジェクトマネージャーの川口淳一郎教授がブログに書いた「はやぶさ、そうまでして君は」という文章です。論理的な科学者が「はやぶさ」を擬人化している。その熱い言葉に、これは映画にしなければと感じました。「はやぶさ」に誇りを持ち、度重なる困難に忍耐強く向き合ってきた川口教授たちの姿を映画の迫力のある画面で伝えることが、あらゆる分野で自信を失いつつある日本人に希望を感じてもらうことにつながると信じたからです。
覚悟を決めて動き出すと、すべてがプラスの方向に転がりました。「はやぶさ」の映画化は当初8社がJAXA(宇宙航空研究開発機構)に名乗りを上げていて、そこで勝ち抜くには渡辺謙さんの出演が不可欠だったのですが、脚本もない段階で主演を引き受けてくださった。しかも、製作や宣伝にも参加してくれると自ら言ってくれたんです。スポンサーもあっという間に決まり、80を超える企業や大学が協力を申し出てくれ、監督、脚本家、俳優さんたちから現場のスタッフの一人ひとりまでが僕の期待以上の仕事をしてくれました。
みんな憑(つ)かれたように仕事をするんですよ。美術さんが作ってくれたセットも本当にリアルでね。JAXAの方たちが見学にこられたときに、管制室の棚に並べられたファイルの背表紙を見て「あ、これ、俺の字だ」って言うんです。そんな細かいところまでスクリーンには映らないのに、忠実に再現されているなんて僕も驚きました。ほかのパートのスタッフもやっぱりその姿勢を「すごい」と思うし、そこで演じている何十人もの俳優さんたちにもいい意味での緊張感を与えるわけです。そうやってチームがまとまっていったのは、プロデューサーとして本当にありがたいと感じました。
じゃあ、なぜみんなが自分の仕事の枠を超えて頑張ってくれたのかというと、度重なる困難を忍耐強く乗り越えた「はやぶさ」の姿に触発されたというのが大きかったと思います。プロデューサーなんて肩書はあっても、僕は何もしてない。ただ、この映画が観てくれる人の心に届くことを誰よりも信じていました。映画というのはどんなにいいものを作っても、ヒットするかどうかはわからない。水物みたいなものに労働力なり、お金なりを投資するようみんなを説得するわけですから、映画プロデューサーというのは詐欺師と紙一重です。リスクをはらんでいるからこそ、自分が信じていないことを、人に信じてもらうのは無理だと肝に銘じています。
映画を制作する上で常に意識しているのは、誰に向けて映画を作るのかということです。映画館にきてくれるお客さんというのは、「泣いた」「笑った」「面白かった」「つまらなかった」以上のコメントをしない人たちが8割だと思うんですよ。僕もそうですけど、たいていの人は映画館に勉強には行かないですから。どんなに高尚な作品ができても、この8割の観客にわかってもらえなければ、映画としては成り立たない気がします。
監督、脚本家といったクリエイターたちは、作品作りにのめりこむと、一部の評論家やファンにしか理解できないものを目指してしまうことがあります。そうならないよう、観客代表としてわからないものは「わからない」と言うのがプロデューサーの役割だと僕は思っています。映画作りは「高く悟って、俗に還れ(かえれ)」と先輩に教わりました。観客の視点を忘れないよう常に心がけています。
映画プロデューサーというのは監督のような演出力はないし、脚本家のような構成力もない。俳優さんのように演じることもできません。それなのにかろうじてチームを束ねられるのはスタッフ、キャストの人たちに敬意が持てるからだと思います。チームの人たちに対して「ああ、すごいな」という気持ちがあると、それぞれが力を出してくれる。若い世代の人たちは情報量も多くて優秀だけど、そのぶん他者への敬意や感謝の気持ちが薄れているのではないでしょうか。残念ですね。
それから、世の中には圧倒的に高い視点を持ち、凡人には見えない世界が見えている人が必ずいます。そういう人たちが存在していることを知っているだけでも、視野が少し開けるものですよ。
取材・文/泉彩子 撮影/鈴木慶子 デザイン/ラナデザインアソシエイツ