人間の知能を模した人工物をつくること、それが人工知能研究だ。その中で重要な役割を占めるのが「機械学習」の研究である。機械学習とは、コンピューターに人間が持っているような学習能力を獲得させる取り組みだ。今日の人工知能研究において欠かせないこのトピックについて、本記事では掘り下げる。
人工知能の進化を担う、機械学習の最前線
近年の機械学習研究でもっとも注目されているのが「神経回路網(ニューラルネットワーク)」を多層化することで、より複雑な処理を可能にした「深層学習(ディープラーニング)」だ。
ニューラルネットワークとは、人間の脳にある神経細胞「ニューロン」の情報伝達方法から着想を得た数理モデルである。いわば人間の脳機能の仕組みをコンピューター上で“真似る”ことで、学習を行わせる技術だといえる。
ディープラーニングの成果はプロの囲碁棋士を次々と破った「AlphaGo」によって広く世間に知られるようになったが、画像や音声の認識、翻訳など特定のタスクに関しては、人間のパフォーマンスをはるかに凌駕すると言えるだろう。
より生物に近い機械学習に可能にするために
このニューラルネットワークの発展を加速する基礎技術が、IBM東京基礎研究所で生まれた人工知能技術「動的ボルツマンマシン」だ。
動的ボルツマンマシンを理解するうえで重要なキーワードが、生物の神経細胞が学習を行う法則として1940年代に提唱された「ヘブ則」だ。ヘブ則は、記憶に関係する現象であると考えられており、脳内における2つの神経細胞が同時に発火するとき、それらの結合が強化されるという法則だ。たとえば「猫を見た」ときに発火する神経細胞と、「猫という言葉を聞く」ときに発火する神経細胞が存在すると仮定する。このとき、猫を見て、猫という言葉を同時に聞くと、これらの神経細胞が同時発火し、結合が強化され、学習・記憶が促されるというものだ。
1980年代に「ボルツマンマシン」というニューラルネットワークが提案された。ボルツマンマシンが学習するように、高度な数学を駆使して学習則を導くと、その学習則がヘブ則の性質を帯びていることが分かった。このボルツマンマシンを進化させたものが動的ボルツマンマシンだが、その進化において重要な要素となるものが「スパイク時間依存可塑性」だ。
スパイク時間依存可塑性は、生物の神経細胞において観察され、ヘブ則における神経細胞間の結合強度の変化量が、2神経細胞の発火する「時間差」に依存するという現象だ。高度な数学を駆使して導かれる学習則がスパイク時間依存可塑性の性質を帯びるように作られたのが動的ボルツマンマシンだ。
実用化が期待される動的ボルツマンマシン
動的ボルツマンマシンを端的に解説するならば、時間とともに刻一刻と変化する「時系列データ」において、予測や異常検知を可能にする人工知能技術ということになる。
私たちの日常生活には、多くの時系列データが存在する。例えば、私たちの生体情報が挙げられる。私たちの身体は決して止まることなく刻一刻と変化しており、それらは心拍、血圧、体温などの時系列データとして観測される。これらの情報に対し、動的ボルツマンマシンを導入してモニタリングを行うことで、体調に悪い変化があった時に異常検知を行うことができる。より高いレベルでの健康維持が実現できるというわけだ。
また、株価などの経済情報も時系列データだ。IBMは、動的ボルツマンマシンを応用した「市場予兆管理ツール」を、株式会社みずほフィナンシャルグループおよび株式会社みずほ銀行と共同開発した。このツールは将来における価格推移や変化に対し予測を行いながら、急騰や急落の事前検知を実現するために開発され、資産の安定運用に大きな貢献をもたらそうとするものである(※)。
また、IBM東京基礎研究所は産業用ロボットのリーディングカンパニーである安川電機の協力により、産業用ロボットに職人技を自動的に学習させるという試みを行った。従来の手法では、ロボットのタスク実行のためには熟練した技術者によるプログラミングが必要だったが、動的ボルツマンマシンで力覚センサーの時系列データを処理することで、ロボットを自律的に動かし、タスク処理ができるようになった。
今後、より進化する人工知能技術、機械学習は、人間のさまざまな社会活動における課題や困難を解決してゆく強力な技術になるだろう。その背後には、常に人間の脳を模倣し、これまで不可能とされてきたようなタスク処理を可能にするIBMの動的ボルツマンマシンがある。
TEXT:森 旭彦
(※)参考リンク
A.I.等の先進的テクノロジーを活用した市場予兆管理ツールを開発(日本IBMニュースリリース)
本コラムのソース論文である『拡がる人工ニューラル・ネットワークの可能性』はこちら