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先人たちが目指した日本の姿。それは私達の国が常に「よろこびあふれる楽しい国(=豈国)」であり続けることです。


『誰も言わないねずさんの世界一誇れる国日本』とパラリンピック

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20180515 誰も言わない
(画像はクリックすると、お借りした当該画像の元ページに飛ぶようにしています。
画像は単なるイメージで本編とは関係のないものです。)


障害者の側に立った義手が日本で生まれ、いまなお「乃木式義手」を上回る性能の義手が世界のメーカーから発売されていないという事実は、むしろ世界の趨勢を百年以上先取りしたものであったといえます。
このことは、我が国がもともと障害を持つ人を差別することなく、むしろ尊敬の心をもって社会の中に受け入れてきたことを示しています。
『誰も言わないねずさんの世界一誇れる国日本』は、どなたが読んでも、日本人であることの素晴らしさをご体感いただける内容になっています。
まだお読みでない方は、是非、お薦めです。


【お知らせ】
<東京・倭塾、百人一首塾他>
9月23日(日)13:30 第54回 倭塾・東京 第54回
東京の倭塾・百人一首塾は10月から会場がタワーホール船堀に変更になります。
10月8日(月)13:30 第55回 倭塾 研修室 1330-160
10月27日(土)18:00 第30回 百人一首塾 407会議室
11月13日(火)18:00 第31回 百人一首塾 307会議室
11月25日(日)18:00 第56回 倭塾 研修室
12月6日(木)18:00 第32回 百人一首塾 301会議室
12月24日(月)13:30 第57回 倭塾 研修室
<関西・倭塾>
8月10日(金)19:00 倭塾・関西 第一回 (IK歴史勉強会 十七条憲法と創生の神々)
9月9日(日)14:00 倭塾・関西 第二回 (IK歴史勉強会 イザナギ・イザナミと古代の朝鮮半島情勢)
10月19日(金)19:00 倭塾・関西 第三回 (IK歴史勉強会 大航海時代と大国主)
11月9日(金)19:00 倭塾・関西 第四回 (IK歴史勉強会 唐の皇帝と日本の天皇)
12月8日(土)14:00 倭塾・関西 第五回 (IK歴史勉強会 稲作の歴史と古墳のお話)
<国内研修>
12月16日(日)~17日(月) 一泊二日 神話を体感する会
11月の倭塾関西の日程が11月11日(日)から、11月9日(金)19時に変更になっていますのでご注意ください。


今年5月に発刊しました『誰も言わないねずさんの世界一誇れる国日本』は、表紙の帯に、
「ここに気づけば人生が変わる」
と、ちょっと図々しいキャッチを付けさせていただいたのですが、おかげさまで、
「自分の人生観が根底から変わった」
「一気に読んでしまいました」
「この国の一員に生まれた僥倖を嚙み締める」
等など、著者冥利に尽きる嬉しいコメントを頂戴しました。

そこで今回は、その『誰も言わないねずさんの世界一誇れる国日本』から一話、「パラリンピックと日本」をお届けします。
この物語をあらためてご紹介するのには、もうひとつ理由があります。
何かあると「法的にどうなのか、法に触れないか、法に触れなければ大丈夫」といった思考がなされがちなのが、現代日本です。
その傾向はますます強まってきているといわれています。

しかし、すこしだけ考えていただきたいのです。
人類は成文法など存在しないはるか昔から、集団としての社会生活を営んできたことは、みなさまご存知の通りです。
けれど、集団を維持するためには、何が正しくて、何がいけないことなのかといった、人間集団としての価値観が必要なのではないでしょうか。
そしてその価値観とは、法などというものが存在しないはるか上古の昔から、人々が社会生活を営なむ上で、たいせつなものとされてきたのではないでしょうか。

 ***


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『誰も言わないねずさんの世界一誇れる国日本』
 第四章 日本人の魂と日本の成り立ち
 パラリンピックと日本

先だって行われた平昌パラリンピックで日本の選手は開催六競技中、金メダル三、銀メダル四、銅メダル三という大活躍をしました。
選手の皆さん、またご家族のみなさんをはじめ、関係各位のご努力には本当に頭が下がる思いです。

パラリンピックは、表向きは英国のストーク・マンデビル病院のルートヴィヒ・グットマンが昭和23年(1948)のロンドンオリンピックの開会式当日に、
「車いす選手のための競技大会」
を開催したことが始まりとされています。

ところが実はこの分野では戦前の日本は、はるかに先行していたというのが、今回のお話です。
日本では、日清、日露の戦いを経由して戦場で腕や足をなくされた軍人さんたちが一日も早く社会復帰できるように、手足の不自由を理由に甘やかせるのではなく、むしろその障害を乗り越えて、技量を身に付けたり、スポーツができるように厳しく指導が行われていたのです。

このため第二回パラリンピックは昭和39年(1964)の東京オリンピックと同時開催で行われました。
このとき世界の選手の水準と比べて日本の選手の技量があまりにも桁違いに高かったことから、パラリンピックは二部構成になり、
第一部が外国人だけの車椅子者だけの競技大会、
第二部が全ての障害者を対象にした日本人選手だけの国内大会になりました。

実は日本における障害者対策の歴史はとても古くて、世界中の多くの国々が障害を持った人を社会の邪魔者としかしていなかった中世において、日本では、むしろ積極的に障害を持った人に職を与え、社会全体でこれを保護するという方針がとられていた歴史を持ちます。

とりわけ戊辰戦争以降には、戦争の形態が爆発物などの火器に変わり、爆風によって手足を失ったり、視力を奪われる、耳が聞こえなくなるなどの戦傷者が増加しました。
諸外国が戦傷者に対して傷の治癒後は割と冷淡であったのに対し、我が国では戦傷者にむしろ積極的に訓練を施して特殊技術等で社会復帰を促進する方針が採られていました。

その訓練は、いまの時代では考えられないほど厳しいもので、たとえば両足を失った兵隊さんが、義足を付けていきなり40キロの行軍を行うといったスパルタ式です。
痛みに耐えながら、両足から血を流しながら、それでも兵隊さんたちは、その厳しい訓練に耐えました。
もともと徴兵で甲種合格するほどの優秀な青年たちです。
強く社会復帰を願う彼らは、病院の厳しい訓練によく耐え、東京オリンピックの頃には、障害者スポーツの分野で他国の追従を許さないほどの技量を身に着けていたのです。

傷痍軍人さんのための傷痍軍人恩給についてひとこと触れておきたいのですが、日本ではかつては戦傷者に対して終戦時まで一定の生活を保護するに足るだけの戦傷者恩給が支払われていました。
ところが戦後に日本にはいってきたGHQはこれを打ち切りにしました。
GHQは日本の軍の存在そのものを認めないという立場であったため、退役軍人という存在もないということになって、障害の有無に関わりなく軍人恩給の支払いを一切停止したのです。

しかし傷痍軍人についていうならば、五体満足な人ならまだ働き口もあったことでしょう。
すでに訓練を終えた戦傷者であれば、鍼灸医等でそれなりの自活の道もあったかもしれません。
しかしまだ社会復帰途上にあって、特殊技術訓練が十分でなかった人たちは、たちまち生活に困ってしまいます。
担当する医師たちにもできることには限りがあります。
ですからある傷痍軍人さんは
「まるで地獄のような日々であった」
と当時を述懐されています。

恩給が復活したのは、終戦から6年9ヶ月経った昭和27年(1952)のことです。
サンフランシスコ講和条約で主権を取り戻した日本政府がいの一番に行ったことが、傷痍軍人さんたちに対する特別恩給の復活だったのです。

ようやく生活が安定した傷痍軍人さんたちは、日々の仕事だけでなく、医師たちの指導のもと傷痍軍人さん同士で仲間をつくって、障害者スポーツに取り組みました。
そして気がつけば昭和39年の東京オリンピックの頃には、他の国の選手を寄せ付けないほど、日本人の障害者選手たちの技量が勝るものとなっていたのです。

東京五輪においてパラリンピックを同時開催することは、かなり初期の段階から決まっていました。
しかしパラリンピック開催委員の人たちが頭を悩ませたのが、まさにこの
「日本の選手と各国の選手たちの技量の圧倒的な格差」でした。
このためあえて、パラリンピックを二部構成にして、世界各国の選手たちが参加する一部と、日本人選手たちだけの二部に分かれて五輪が開催されることになったのです。



世界中どこの国においても、戦傷に限らず、生まれつきであったり、事故や病気などによって身体に障害を持つ人はおいでになります。
そうした人たちに対しては、西欧では修道院などが私設で保護私設に収容したりするケースはありましたが、それ以外は放置、野放し・・・つまりなかったことにされてきたのが、悲しいかな人類の歴史です。

そうした世界にあって、我が国では上古の昔から障害を持つ人にむしろ積極的に技能を与えて、彼らが自活できる道を与え、また社会全体でこれを保護してきました。
たとえば、目の見えない人であれば、按摩師(あんまし)、鍼灸医(しんきゅうい)、琵琶法師(びわほうし)、三味線師、琴師など、耳が聞こえなかったり手足が不自由な人であっても、人形師、細工師、彫金師などの職人としての修行を重ねて自立できるようにし、社会全体としても、積極的にこれらの職の人たちを活用していく文化が熟成されていました。

「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり」で有名な平家物語も、もともと目の見えない琵琶法師たちが、全国を回りながら弾き語りをしていた物語です。
近世になると、怪談塁ヶ淵に登場する江戸の按摩(あんま)の宗悦(そうえつ)や、有名なところでは勝海舟の祖父の男谷平蔵がいます。

男谷平蔵はもともと越後の盲人です。
修行を重ねて江戸に出て按摩業をはじめ、ネズミが巣をつくるようにコツコツと貯めたお金で金貸しを始めて財を成し、御家人の男谷家の株を買って士分となりました。
その子が四十一石取りの御家人である勝甚三郎のもとに養子入りして勝小吉となるのですが、小吉は有名な暴れん坊で、その暴れんから、まるで「トンビが鷹を生んだ」ように生まれた英才が勝海舟です。

私なども子供の頃には、目の見えない按摩さんがピーヒョローと笛を吹きながらやってきて、祖母など、よく按摩さんを呼んでマッサージをしてもらったり、もぐさを使ったお灸(きゅう)や、針を打ってもらっていたことを、よく覚えています。

生まれつき目が見えないというだけでなく、疾病や戦いによって目が見えなくなったり、身体に障害を負った人も同じです。
「家の人達の荷物になりたくない」と、障害を負った人が、人一倍努力して、健常者以上の実力を身に着け、働き、歴史を刻んできたのが日本です。
有名な津軽三味線が、目の見えない演奏家たちによって護られ、伝えられてきたことも、みなさまよくご存知のとおりです。
それだけではなくて、まったく体が動かない障害者であっても、親戚一同みんなでこれを支え面倒を見てきたのが日本です。

なぜ、我が国では障害を持つ人を周囲の人達が大切にしてきたのでしょうか。
また障害を持つ人がなぜ自立しようと努力してきたのでしょうか。

その答えは、上古の昔(個人的には縄文の昔からと思っていますが)から、日本に続くある文化性が関係しています。
またその文化性は、ほんの半世紀前までは、我が国において誰もが一般常識としていたものです。

それが何かと言うと、日本人の「魂」観です。
我が国では古い昔から
「肉体は魂の乗り物にすぎない」
という考え方がなされてきました。
「死ねば誰もが仏様」という考え方もそこから来ています。

魂が本体、肉体はその乗り物にすぎず、その魂がより神様の領域に近づく成長のために、あえて意図して肉体という重みを背負った人として人間界に生まれてきていると考えられてきたのです。

なかでも障害を持つ人は、もっとも崇高な魂として、神様になるための最後の試練として、重度の障害を持って生まれてくると考えられてきました。
あるいは生まれたときには健常者で、後に障害を負うことになった人も、やはり同様にその障害に耐え抜き、克服することでより次元の高い神様になろうとして、意図してそのような姿になっているのだと考えられてきたのです。

つまり障害を持った人は、健常者よりももっとずっと高貴な御魂を持っている人達ということになります。
当然粗末にしてはいけないし、障害があるからと甘やかしてもいけない。
そして障害を持った=高貴な神に近い魂を持った人に按摩をしてもらったり、演奏する楽曲を聞かせていただくことは、我が身の精進にあたると考えられてきたのです。そして障害を持った人も、だからこそ健常者以上に努力する。そこには相互の深い愛もあるわけです。

こうした文化を持つ日本では、ですから障害を負った人にも、楽をさせるということをしません。
むしろそういう人であるからこそ、一層のたゆまぬ努力を求めるし、また社会もそれを受け入れるという文化を保ってきたのです。

たとえば乃木大将として有名な乃木希典は、西南戦争等で左目を失い、また片腕、片足に銃創を負った障害者です。けれど乃木大将は、日露戦争(一九〇四~一九〇五)のあと、
「私は、片手、片足が残っているからまだ良い。
 食事もできるし、タバコも吸える。
 けれど戦争で両手を失った者は、
 一服の清涼剤としてのタバコも吸えぬ。
 それではあまりに可愛そうだ」
と、ご自分の年金を担保にしてお金を借りて、試行錯誤の上、ついに「乃木式義手」を完成させています。

この「乃木式義手」というのはたいへんなシロモノで、この義手を付けると付けたその瞬間から、腕のない人がモノを掴んだり、持ち上げたり、食事やタバコまで吸うことができて字や絵も描けるという、素晴らしい機能を持った義手です。

今日でもそうなのですが、義手も義足も「見た目が健常者に見えるようにする」というのが世界の趨勢です。
もちろん最新の医学では、筋電義手(きんでんぎしゅ)といって、生身の腕手と同じような動きをする義手も開発されています。

しかしコンピューター制御による筋電義手においても、卵を持つ、あるいは握手をするといった動作をするのが精一杯で、文字を書いたりタバコを吸ったりといった、微細な動きを可能とするものは、今の最新技術においても、困難とされているのが実情です。
ところが乃木大将は、ご自分の年金を担保に借りたお金で、そんなことが実際に可能になる夢のような義手を完成させ、これをなんと無償で戦傷を負った部下たちに配っています。

このようなことを申し上げると、現代の最先端の医学でさえ困難なのに、そのような大昔にそんなすごい義手などできるわけがない、とみなさんは思われると思います。
私も話を聞いたときは、そのように思いました。
ところがそのレプリカがあるという。
そして、「では、本当かウソか、ご自分で実際にやって試して御覧なさい」と言われ、その「乃木式義手」を実際に装着させていただきました。
するとどうでしょう。
豆はつまめる。モノは持てる。
そしてなんと、字や絵まで、付けた直後から、もう書けてしまうのです。
これには驚きました。

古い昔のものですから、もちろんマイコン制御なんてありません。
では、どうしてそのようなことができるのかというと、よく観光地などで売られている、竹でできた「へびのおもちゃ」の要領なのです。
おもちゃのへびは、左右にはクネクネと動きますが、上下には動きません。
これを応用することで、上腕を体から離すと、先が開き、体に近づけると先が閉じるように義手が造られています。
そしてその長さが絶妙で、タバコを吸ったり、お匙を持って食事をしたりといった行動も自在にできるように工夫されているのです。

乃木式義手(レプリカ)を操作しているところ
20150809 乃木式義手の操作


上の写真は、私が自分で実際に「乃木式義手」をつけて操作しているところの写真です。
このあと実際に字や絵を書いたのですが、それは下手なので内緒です。
内緒ですが、始めて使ってその場で小さな物をつかんだり、文字を書けたりしたことには仰天しました。

乃木大将は、ご自身も障害者であられたことから、両手を亡くした兵隊さんを心から不憫に思い、なんとかしてあげようとこの義手を制作しました。
まさに乃木大将の愛情から生まれた義手という感じがしました。

もし自分が、あるいは家族の誰かが事故等で腕を失い不自由な生活を余儀なくされているとき、目の前で、この義手を使って字が書けるようになり、自分で食事もできる姿を目の前で見たら、きっと感謝の思いで胸がいっぱいになり、涙で目が霞んでしまうに違いないと感じました。
それほど愛のこもった暖かさを感じる義手でした。

乃木式義手
20150808 乃木式義手


ところがこの「乃木式義手」、ある学者の先生の一本の論文によって、歴史から完全に埋没してしまいました。
その論文の要旨は次のようなものです。
「乃木希典の制作した義手は
 当時の世界の水準に
 遥かに及ばないものであった」
「この義手は1911年にドレスデンで開かれた
 万国衛生博覧会に日本陸軍から出品されたが、
 この頃の欧米の水準からは著しく遅れたものであり、
 また医学と無縁の将軍が義手を考たことに
 当時の医師達も興味を示さなかった。
 このことは当時の日本の四肢切断者への
 社会の対応が未熟だったことを物語っており、
 この乃木式義手もほとんど用いられていない」

その先生(あえて名前は伏せます)が、どのような意図でこのような文章を書いたのかは知りませんが、当時の世界の義手への取り組みが、
「いかに腕があるように見せかけるか」
だけに焦点が絞られ、結果、それを付けて生活する人の利便性や機能性に関してまったく顧みられることがなかったのに対し、「乃木式義手」は、むしろ機能面に特化した性能を持つ義手として、世界を先取りしたものでした。

別な言い方をするなら、世界の趨勢が
「腕をなくした人に会った人が
 不快感を感じないようにする」
という、つまり健常者を対象として造られていたのに対し、「乃木式義手」は、むしろ
「障害者の立場に立って、
 障害者自身が生活の便を得るように」
と開発された義手であるわけです。
実に画期的なものであったといえるのです。

みなさまはパラリンピックなどにおいて、弾力があり素早く走ることができる義足をご存知だと思います。
その義足は、見た目は素足とはまったく異なるものです。しかし機能は見た目が素足に似ている義足よりも、はるかにすぐれています。

パラリンピックで使われる義足
20150809 パラリンピック


要するに、義足や義手などにも、ようやく最近になって機能性が求められるようになってきたのです。
それまでは義手義足に機能を求めるだけの技術力が世界に伴わず、そのためにいかに本物の手足に似ているかだけしか世界では問題にされなかった。
もっというなら乃木将軍がこの乃木式義手を造った頃、それはつまりいまから百年前のことですけれど、その頃の義手は、単に見た目を補うという趣旨のものでしかなかったわけです。

けれど実際に義手等のお世話になることになったとき、とりわけ腕や手は日常生活の様々な場で活用されるものであるだけに、モノがつかめて、タバコも吸え、字や絵も書けるという機能を持った義手が、両腕をなくした方々にとって、どれだけありがたいものであったか。
そういう意味では、ご自身が障害者であられた乃木大将の
「俺は片腕があるから自分で飯も食える。
 だが戦(いくさ)で両腕を失った者は、
 タバコも吸えぬ」
と、戦傷者への同情を寄せ、自らの年金を担保にして、創意工夫し機能性義手を創りあげた乃木大将は、世界の最先端を走っていたといえます。

もっというなら、障害者の側に立った義手がこうして日本で生まれ、いまなお「乃木式義手」を上回る性能の義手が世界のメーカーから発売されていないという事実は、むしろ世界の趨勢を百年以上先取りしたものであったといえるし、我が国が、もともと障害を持つ人を差別することなく、むしろ尊敬の心をもって社会の中に受け入れてきたことを示すことです。

残念なことは、これだけにとどまりません。
乃木式義手は戦争で腕手を失った人向けに開発されたものですが、そうした義手の機能面での研究が戦後の日本で大幅に遅れたのみならず、実は戦傷の分野でも、日本は世界から大幅に遅れをとるようになったのです。

もともと戦傷病に関する研究は、日本は世界の最先端でした。
その研究のなかには、外地となる戦地にて、いかに衛生的な水を確保するかにはじまる細菌の研究なども含まれます。
満洲では、水のろ過技術と細菌対策で世界的な特許技術をいくつも獲得した関東軍防疫給水部本部が、いつの間にか「魔の七三一部隊」などと呼ばれているのは、みなさまご存知の通りです。
しかしこうした貶めだけでなく、現実の医療において日本は、世界の最先端研究保持国から世界の最後進どころか、まったく研究さえされない国へと退化しています。

たとえば銃弾が体内を貫通したときにできる貫通銃創は、平時の医学では単に「割創(かっそう)」や「切傷(せっそう)」に分類されます。
しかし銃弾は体内に入るときにできる入り口傷は小さな穴にすぎませんが、体内で上下左右にグルグルと回転しながら跳ね回り、体内の組織を大きく損傷させて体外に飛び出します。
つまり入り口と出口が小さな穴にすぎなくても、体内が猛烈に破損されるのです。
つまり、傷口を塞ぐだけで、「はい、治療終了」では困るのです。

嫡出弾の変形の様子(しょうけい館資料より)
20150809 銃弾傷


砲弾創や寒冷地での凍傷、火炎放射器や落雷などによる熱傷、あるいは外創に起因する神経麻痺や感染症、精神疾患との関係など、戦場は戦場特有の様々な内外傷を伴います。
たとえばかつての日本海軍には圧抵傷(あっていしょう)という独特の戦傷名がありました。
これは艦船が魚雷等で爆発する瞬間に、応力が甲板に働いて、甲板上にいる人間が空中に跳ね上げられ、着地する際に足底部を粉砕骨折してできる傷です。
そしてこうした症例が確認されると、そのことは万一魚雷等を受けても甲板に応力が働かないように艦船設計に工夫が凝らされ、また万一空中に跳ね上げられても、着地時に足底部等を保護する特殊なデッキシューズの考案が奨められていくのです。

もちろん戦闘などないにこしたことはありません。
しかし万一の際の平時からの備えは絶対に必要なものです。
国会で「もりそば」にするのか「かけうどん」にするのかを議論しているヒマがあるのなら、その時間を、国家国民の安全と安心、そして障害者が困らない社会つくりに費やしてもらいたいものです。

日本の技術力をもってすれば、野戦病院に移動用CTスキャンを設営することもできることでしょう。
かつての日本には、絵のような手術自動車も野戦用に配備されていました。
かつての日本は戦傷病に関して、ソフトもハードも民意も世界最先端だったのです。

手術自動車(自動車を二台並べて間に無菌の手術室を設置した)資料・同上
20150809 手術自動車


もっとも戦後の日本において、唯一、救いともいえる出来事もあります。
それは重度の脳障害を負って産まれてきた人が、実はきわめて思索的で高度な知性を持っていることが、日本の大学で証明されたことです。平成24年(2012)のことです。
國學院大学の柴田保之教授は、新生児のときに黄疸に罹(かか)って脳に酸素がいかなくなり、そのまま寝たきりの重度の脳障害者として寝たきりとなった、みぞろぎ梨穂さんと出会いました。

通常こうした症例の場合、患者さんである障害者は外界とのコミュニケーションが取れないという理由だけで、言葉も思考もないとされています。
ところが柴田教授は、パソコンを利用することで彼女との会話を試みたのです。
すると梨穂さんは、パソコンに文字を打ち込んだのです。そこには次のように書かれていました。

「ずっと私は
 人間とは何なのかということを
 考えてきました」

そして梨穂さんは、幼いころから周囲の会話を聞きながら、ちゃんと言葉を覚え、そして言葉を通じて思索を重ね続けてきていたことを、詩にして、綴り出したのです。
その詩が先般、本になって出版されました。それが上の写真の本です。

◎みぞろぎ梨穂「約束の地」


この本のまえがきに、東大医学部名誉教授の矢作直樹先生が次のように書いています。
「それはまるで
 幾多の試練を経験した魂が
 今生でさらなるチャレンジのために
 操縦困難な肉体を選んで
 生まれてきたようです。」
その通りと思います。

そしてみぞろぎ梨穂さんの本を読むと、意識や思考というものは単に脳の機能というだけではなくて、実は魂そのものに備わるものであるということに気付かされます。
なぜなら現代医学では、重度脳障害者に思考力があるなどということは、およそ考えられないことだからです。

私の小学校のときの恩師は、いくつかの校長を経験したあと、いまは引退されて聾唖学校のすぐ近くに住んでおられます。
同じ校長同士ということで、恩師は聾唖学校の校長とも親しく、時折その聾唖学校を訪問されるのだそうです。そこで気付いたそうです。

「小名木君、健常者の子供達は、
 学校で日本語を学ぶよね。
 しかし障害を持った児童たちは、
 それだけじゃなく、
 手話、点字、読唇術も学ぶんだ。
 それは通常の日本語だけでなく、
 複数の言語を、
 小学生くらいのうちに完全に
 身に付けるというこなんだよ。
 だから障害児たちの側からみたら、
 私たち健常者の方が
 むしろ障害者に見えてしまっているのかもしれないね。」

古い昔から日本にあった「障害者は高度な魂の持ち主である」という日本人固有の思想は、実はいまなお日本に残る、世界最先端の思考であるのかもしれません。

◆しょうけい館ホームページ
http://www.shokeikan.go.jp/</u>">http://www.shokeikan.go.jp/

お読みいただき、ありがとうございました。
『誰も言わない ねずさんの世界一誇れる国 日本』
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コメント
甘えてはおれない
みぞろぎ梨穂さんのお話を聞くと、健常な私たちが環境に甘えていることに改めて気づかされます。
いつも良い情報をお伝え頂きありがとうございます。
2018/09/28(金) 15:59 | URL | Kaminari #-[ 編集]
No title
こんにちは!
今日も拝読させていただきました。ありがとうございます。
シェアさせていただきました。
こういったお話は先生の著書で幾つも読ませていただいて
いますが、改めて日本人の凄さを感じます。
我々日本人には古来より創意工夫がありました。
その創意工夫を極めて最先端技術が発揮されたんだろうと
思います。
今の社会では、全般的に創意工夫を感じられなくなっています。
ある物をあるがままに。基本はこれです。そこから先がありません。
おまけに、自ら動かないので企業では安全衛生の一環で改善提案委員会やQCなどで社員の資質の向上を図ろうと必死です。
なんでもお金を出せば手に入る時代に育った人たちの性ですね。
自分も多少その世代にかぶっていますが、創意工夫は当たり前の
ように、自然に出てきます。使い勝手や取り回し、無理ムラ無駄だったりを感じた時に「これ、何とかならんかな?」から始まって、試行錯誤しながら我流の改善策を構築し、その後皆に諮るという事を繰り返してきました。今64歳ですが、まだやってます。これがあったら便利? やりやすくなる?じゃあ作ろうか? みたいなことですけど。やっぱり感じて考えて動かないとダメですね。
昔の人は本当に凄かったと思います。
2018/09/28(金) 15:18 | URL | 岡 義雄 #-[ 編集]
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ねずさんのプロフィール

小名木善行(おなぎぜんこう) HN:ねず

Author:小名木善行(おなぎぜんこう) HN:ねず
連絡先: nezu3344@gmail.com
執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」、「百人一首塾」を運営。
またインターネット上でブログ「ねずさんのひとりごと」を毎日配信。他に「ねずさんのメールマガジン」を発行している。
動画では、CGSで「ねずさんのふたりごと」や「Hirameki.TV」に出演して「奇跡の将軍樋口季一郎」、「古事記から読み解く経営の真髄」などを発表し、またDVDでは「ねずさんの目からウロコの日本の歴史」、「正しい歴史に学ぶすばらしい国日本」などが発売配布されている。
小名木善行事務所 所長
倭塾 塾長。

日本の心を伝える会代表
日本史検定講座講師&教務。
(著書)

『ねずさんの昔も今もすごいぞ日本人』

『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!和と結いの心と対等意識』

『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!日本はなぜ戦ったのか』

『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』日本図書館協会推薦

『ねずさんと語る古事記 壱〜序文、創生の神々、伊耶那岐と伊耶那美』
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記号番号 00220-4-83820
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銀行名 ゆうちょ銀行
支店名 〇二九(店番029)
種目  当座預金
口座番号 0083820
口座名義 小名木善行
【問い合わせ先】
お問い合わせはメールでお願いします。
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<ご参考>
古事記に学ぶ経営学
古事記に学ぶ日本の心
百人一首に学ぶ日本の心
女流歌人の素晴らしさ
日本人の誇り
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台灣民政府
台湾民政府
サンフランシスコ講和条約で、日本は台湾に関して処分権は連合国に提供しましたが、領土の割譲は行っていません。条約以降、連合国も日本も台湾の処分先を決めていません。つまり台湾はいまも日本であり、台湾にいる1500万人の戦前からいる台湾人は、日本国籍を有する日本人です。私は台湾民政府を支持します。
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コメントをくださる皆様へ
基本的にご意見は尊重し、削除も最低限にとどめますが、コメントは互いに尊敬と互譲の心をもってお願いします。汚い言葉遣いや他の人を揶揄するようなコメント、並びに他人への誹謗中傷にあたるコメントは、削除しますのであしからず。
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コメントをくださる皆様へのお願い
いつもたくさんのコメントをいただき、ありがとうございます。
ほんとうに皆様のコメントが、とっても嬉しく、かつありがたく拝読させていただいています。

議論というものは、すくなくともこのブログのコメント欄が、国政や地方自治、あるいは組織内の意思決定の場でなく、自由な意見交換の場であるという趣旨からすると、互いに互譲の精神を持ち、相手を尊敬する姿勢、ならびに互いに学びあうという姿勢が肝要であると存じます。

私は、相手に対する尊敬の念を持たず、互譲の精神も、相手から学ぼうとする姿勢も持ち合わせない議論は、単なる空論でしかなく、簡単に言ってしまえば、単なる揶揄、いいがかりに他ならないものであると断じます。

ましてや、自分で質問を発したものについて、それぞれお忙しい皆様が、時間を割いて丁寧にご回答くださった者に対し、見下したような論調で応対するならば、それは他のコメントされる皆様、あるいは、それをお読みになる皆様にとって、非常に不愉快極まりないものとなります。

従いまして、謙譲・互譲・感謝、そして学ぶという姿勢のない連続投稿、粘着投稿に類する投稿をされた方については、以後のコメント書き込みを、管理人である私の判断で投稿の禁止措置をとらせていただきますので、あしからずご了承ください。
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