「輸出を行う加工貿易業者は、発注があれば従業員と雇用契約を結び、発注がなければ解雇できなければならないが、労働契約法は業者にとって悩みの種だ。在職労働者を過度に保護し、就職希望者や低熟練肉体労働者を差別するという問題もある。企業は人件費が上昇すれば新規雇用に慎重になり、工場を海外に移転する。結局は誰が損をするのか」
2016年3月に中国の全国人民代表大会(全人代、国会に相当)で記者会見に臨んだ楼継偉財政相(当時)は外国人記者の質問に答え、中国の労働契約法を批判した。中国のマクロ経済を統括し、財政の責任者でもある最高位の経済官僚が記者の前で自国の労働契約法の問題点を指摘したのは異例だった。
改革開放以降、労使関係を市場による調整に委ねてきた中国政府が労働契約法制定に乗り出したのは、胡錦濤政権後半の2007年だった。労使紛争による社会不安を解消し、所得格差を軽減する狙いがあった。
法案は当初から論議を呼んだ。労働契約法は勤続10年以上か、3回以上労働契約を結んだ労働者を終身雇用することを義務付け、重大な規則違反などがない限り、労働者を解雇できないと定めているが、労働市場の柔軟性を低下させ、雇用を減らしかねないとする懸念が示された。しかし、当時山西省のれんが工場の奴隷労働事件が発覚し、雰囲気を変えてしまった。無許可のれんが工場の経営者が未成年者や農民約300人を拉致し、強制的に働かせていた事件だった。反企業ムードが高まり、法案は原案通りに全人代で可決された。
労働契約法は企業経営者の義務、労働者の法的権利などを体系化したという意味はあったが、後遺症が少なくなかった。経済活動人口が減少するにつれ、企業の人件費負担が増大した。2011年から15年まで中国の民間企業の年平均賃上げ率は12.7%に達した。企業は賃金の30-40%に相当する社会保険料の負担も強いられた。安価な労働力が消え、中国に進出している外国企業が相次いでインド、ベトナムなどに生産拠点を移転した。中国企業もその流れに合流した。