からっぽの独り身を救った西荻窪の探検

著: 本人

「西荻には住みたくなかった」

前妻との離婚をめぐるメールに刻まれた強烈なパンチライン。秋の夜長、暗いマンションの一室でそれを読んだ私は、絶望しつつも声を出さねば折れると思い「……そうだったかー」と発した。2012年のことだ。

おかえりなさい独り身の世界

西荻窪に初めて降りたのは18歳のころ、2000年にさかのぼる。通学や夜遊びの便から新宿まで電車一本で、かつ「都心」と胸を張れそうな23区内でと絞り込み、武蔵野市の手前である杉並区の端・西荻窪に来た途端「ここだ」と惚れてしまった。広大な田園が自慢の地元からコンクリートロード東京へ移った身には、文化的な雰囲気と垢抜けなさの同居した西荻窪の街並みから漂う奥深さと親しみやすさが妙に魅力的だったのだ。

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西荻窪駅北口。中央のシンボリックな木は年末に雑なイルミネーションが施され、毎年ちょっとウケていた。駅を出た真正面にカラオケ店や飲食店が並ぶ小道があって、入り口から仕掛けられる気分になる

孤独なひとり暮らしデビューには街に根付いた八百屋や定食屋の店主との会話が染みたし、マンガ『TOKYO TRIBE2』に憧れて地元仲間と「東京行ったら絶対食うんだ」と鼻息吹かせていた富士そばが駅前にあるのも誇らしい。毎月行われる朝市では、よそ者の自分すら歓迎されているような気持ちにもなれた。

「やはり大学の近くに」とわずか1年で引越し、その後10年ほど人気のある街や勤務地周辺など都内を転々としたけれど、「街」という言葉を見ると西荻窪駅北口の小さなバスターミナルや南口近くの柳小路のぼんやりした灯りが懐かしく浮かんだ。

いつしか結婚し30代に突入。一丁前に「終の棲家を」と考えたとき、私は満を持して懐かしい街に“帰る”ことを求める。「ファミリー向け物件は少ないですよ」と言われながらも程よい中古マンションを運よく見つけてしまい、契約書に判を押すことに成功した。

道、店、人すべてが何かある西荻窪

引越し後1年あまり。離婚届を出し終えて家に帰り「そういえば前妻に西荻をプレゼンするとき、住みやすさなんかよりもまず自分本位の楽しさしか話さなかったな」と思い出した。順風満帆に見えた結婚生活が実際のところ相手の我慢で成り立っていたと気付き、私と西荻邸は半分えぐられたような状態に。次の日からは、高層の建物が少ないおかげで素直に入ってくる陽の光すら家と自分をさびしくさせた。

しばらく絶望しながら暮らしたが、逃亡旅行や友人の誘いが功を奏し、次第にやったるで!という気持ちになった。私は「せっかく手に入れた住所なので」と西荻窪に住み続けることを決める。部屋のスキマは、あるときは友人、あるときは恋人、あとはネットで募集したルームシェア相手などで埋めた。ペット可物件だったので猫という新しい家族も迎える。ひとまず宅内をにぎやかにすることに成功し、私はこれまで以上に西荻窪を活用しはじめた。

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西荻窪駅南口そばの柳小路。タンメンで有名なはつね、2階席も楽しめるタイ料理屋のハンサム食堂、日替わり店主制の喫茶WANDERUNG(ワンデルング)など10店舗以上が固まっている

なつかしの独り身を再開して思い出したのは、西荻窪の飲食店はどこも独りでいることを構いやしないということ。駅周辺はカウンター席しかないような小規模店舗がひしめいていて、そこに座るのは昼からコップ酒をやらかすじいちゃんから文庫本を手にパッタイを待つ女子大生までさまざま。みんながみんな、自分のペースで過ごしている。このおかげで、私は改めて何の気負いも感じることなくひとりの時間を楽しめるようになった。ときおり話し相手が欲しいときは駅へと向かい、周囲の店舗の空き具合をガラス窓越しに眺め、盛り上がりすぎていない店に入っていくだけでそれなりに満ちた。

そして、もしやることのない週末が来てしまっても、西荻窪は散歩するだけで楽しいという気の利きよう。まっすぐ東西に敷かれたJR線路の下に延びる歩道、駅をよたよた南北につらぬくバス通り、斜めに交差する住宅街の道路、それらを一切無視してこじらせたルートで流れる善福寺川。それらを気まぐれに歩けば、たいてい迷い、たいていトンチキな店主の性格がはみ出た店、手入れの行き届いた立派な家屋に到達できた。

上京当時からずっとボロいままのコインランドリーがあって、丁寧な暮らし系ショップが新装開店する……なんていう代謝異常も楽しい。「杉並アニメーションミュージアム」は無料なのにやれることが多すぎるし、「せんとくん」制作者の籔内佐斗司氏によるアクつよかわいい彫刻が町内6カ所に置かれているなど掘り出し物だって分かりやすく点在する。30分ほどあれば隣の吉祥寺や荻窪に歩いて行けるなど、自由度の高さもよかった。

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西荻窪の北側を流れる善福寺川。西端には水源のある善福寺公園があり、そこでの親子連れから老人まで各々マイペースに過ごしている様子が印象的だった

そうした磁場をもった場所だからか、西荻窪はいろいろな人が集まる街だったと思う。駅前で通行人に背を向けたままリクエスト厳禁で弾き語りを続ける男性がいて、深夜のマクドナルドでひたすら何かを書き連ねる女性がいた。「彼こそ本物」と高校時代に憧れていたアーティストがコンバースを履いて目の前を横切ったし、過去に仕事をバックれたライターがバーの店主として立つ姿も見た。夜だけオープンする喫茶店を営む夫婦の柔軟な暮らしや、新しい恋がことごとく炎上するサブカル銀行員の話などから、わが身を振り返るきっかけをもらった。

人だけではない。アシッドなマンチェスターサウンドをBGMに的確な治療を施す歯科医院、客が来ないことを毎日のようにSNSで嘆いている本屋など、本業と直結しないキャラクターをもつ店のなんと多かったことか。今日も神明通りや女子大通りの奥のほうで、個性の薫る店が気品をもってこだわりの品々を売っているだろう(どう生計を立てているのかは分からないが)。まるでRPGのフィールドマップのように、西荻窪という街を構成するあらゆるものの点在が、日々を彩ってくれたのだった。

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西荻南児童公園に設置された藪内佐斗司「おすもう童子」。町内に計6つある彼の彫刻をはじめ、西荻窪という空間で予告なくすごいものに出合える意外性は住んでから気付いた

苦楽に寄り添った街のあれこれ

日常にうるおいが戻れば、それ以外の歯車も回っていく。私は仕事で企画したものが話題を集め、「人生一度はやりたいことを」と職種をガラリと変えた転職も実施した。プライベートで続けていた書きものにも手応えを感じられるようになるなど、離婚直後の無力感はなんだったのかくらいのイベント三昧の日々を送った。どんぐり舎やそれいゆで練った案が実を結んだら、その週末は見晴料理店やorganで質感のはっきりした食事と酒を味わって明日への糧とした。

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見晴料理店の茄子と鶏肉の南蛮漬け。ぬくもりのある店内で、素材の味をしっかり楽しめる味付けの一品料理たちがささやかなごちそうだった。量と金額をひとり用にアレンジしてくれるのも助かる

その一方で、慣れない仕事は過酷だわ本当の幸せ的なものガンガン取りこぼすわで私の西荻生活とSNSはしばしば荒れた。そんなときは、駅の南北にそれぞれ存在するカラオケ まねきねこでひとりSPEEDやTHE YELLOW MONKEYを歌って過ごし、歌い足りなくても帰り道にJR線路下の暗い道を歩きオイオイ泣くなどすれば、翌朝ケロッとリセットすることができたのだった。

デコボコした浮き沈みの激しい日々ながら、どうにも楽しかった。暮らしの舵切り役は自分以外にほかならない(し、そうでなくてはいけない)が、その道のりがどうなるかは街次第ってところがあるのかもしれない。度重なる引越しと、その末にたどり着いた西荻生活が物語っている。23区の端にあって洗練されすぎず、けれども無駄なムダもない。――その絶妙さから成り立つ西荻窪の磁場にいて、いろんなものを見つける生活を送った。

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JRの線路下に延びる道。駅の西側にも東側にもあり、どちらもいつも静かなので荒ぶったり考えごとをしたりとさまざまな“自分ごと”がとてもはかどった

舞台は街から家へ

不確かで有意義な西荻窪の“箱庭療法”を約5年。住宅ローン完済まで30年近くもあるし、このまま穏やかで刺激的な時間が過ぎていくだろうなと思っていた私だったが、2017年にいろんな偶然が重なって再婚した。マンションを手放して彼女が住む家に転がり、現在は先日誕生した第一子を抱きながら別の街の暮らしを謳歌している。

まさか西荻窪を離れることになるとは思わなかったけど、生活の焦点を街から自宅に絞って生きるのも悪くない。いや、初めての育児はそれぐらいエッジをとがらせないと大変そうだからちょうどよい。それにおれ知ってるんすけど、パートナーと過ごす時間って、とても大切なのだ。

いま住んでいる街には音漏れするライブハウスなどないし、遅くまでやっている純喫茶も、目利きの確かな本屋もない。有志が企画するフェスだって、たぶん。それでも日々楽しくやれているのは、家族やポケモンGOのおかげだけでなく、街の片隅から何気ないおもしろを嗅ぎ分ける能力を研磨した、あの西荻窪での日々があったからにほかならない。しかもこっちの街ではゲリラ豪雨が来ても「善福寺川、氾濫しねえかな……」と心配しなくていいのだ。気楽で最高!!!!!

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純喫茶のどんぐり舎。外観と同じく趣のある店内レイアウトで、どのテーブルに座っても妙に落ち着く。自宅のコーヒー豆はいつもこの店のほろにがブレンドを買っていた

SAKEROCKが「バンドの思い出が詰まった場所」だと言ってラストアルバムで良メロのスローナンバー『Nishi-Ogikubo』をつくったように、いまの私は西荻窪を思い出のアルバムに入れてノスタルジーを転がしている……かというと、そんなことなかった。

実は、なんだかんだと「育児が落ち着いたときとかに、一度住んでみるなんてどうだろう……!」と妻に相談してしまっている。だって自分と同じくひとり遊びのプロだった彼女は、きっと西荻窪でも朗々と飲み歩き、私の知らない店でおばちゃんからおまけしてもらったりする気がしている。妻からそういう話を聞くのとか楽しそうじゃないですかー。ひとりであんなに楽しい場所だったからふたりで、いや3人ならばどんな生活が? といった具合に、当時とは違う遊びの暮らしをときおり想像してしまう始末である。誰の人生も、何が起こるかなんて分からないはずだ。

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著者:本人 (id:biftech)

本人都内在住の30代男性。平日にサラリーマンをしつつ、さまざまなライブやフェスに足を運んで記録するインターネットユーザーとしても活動している。現在cakesにて育児実況「こうしておれは父になる(のか)」連載中。

ブログ:グッドジョブ本人/Twitter:@biftech/cakes連載:こうしておれは父になる(のか)

編集:はてな編集部